29 泣いてもいいんだよ
「生命の息吹よ、どうか彼の者に力を。癒しの風……」
眠ったままのリルカに回復魔法をかけてやると、少しだけ表情が穏やかになったような気がした。俺の気のせいじゃないといいな。
あの後、俺たちは邪術使いの男を衛兵に突き出して、リルカを連れて宿屋に戻ってきた。
衛兵も大鴉の件は把握をしていたようで、今はあの男に対して取り調べをしている頃だろう。
まあ、何はともあれこれで大鴉の脅威は去ったのだ。つまり、俺たちはもうあの変な店、『スイート☆ミャゴラーレ』で働かなくてもいい!! セクハラに耐える生活ともおさらばだ!!
「リルカの様子はどうだ?」
俺が喜びをかみしめていると、テオが部屋に入ってきた。
「まだ寝たまま。そっちは?」
テオは朝早くからあの店ののオーナーの所に行っていた。昨日の事を説明していたようだ。
「とりあえず、あの男が邪術で悪事を働いていたという事を伝えてきた。……リルカの
事は伏せてな。しばらく経っても大鴉が出ないとなればオレ達も完全に解放されるそうだ」
「やった!!」
あの男が捕まって、リルカもここにいるってことはもう大鴉が出没する心配はない。俺たちは晴れて自由の身だ!
「テオ、お前も反省しろよ! 元はと言えばお前が値段も確認せずにあの店で豪遊したのが原因なんだからな!!」
「うむ……だが、たまにはオレだって綺麗な女の子と遊んで羽を伸ばしたくなるんだ」
「言い訳しない! 限度ってもんがあるだろ!!」
そのままテオに説教をお見舞いしてやろうとすると、また部屋の扉が開いた。
「ただ今戻りました」
入ってきたのはヴォルフだった。ヴォルフの方は、昨日の大鴉事件の犯人の男の様子を探りに行っていたはずだ。
「おかえりー、あいつ何か言ってた?」
「まだ取り調べ中で詳しいことはわかりませんけど、どうやら自分のやったことについては自白をしたようです」
「へぇー」
ヴォルフによると、あの男は自分が大鴉を操っていたと認めているらしい。そして何故そんな事をしたかというと、どうもご近所トラブルが原因のようだ。
元々家にこもって魔術の研究をすることが多かった男は、やがてそれを怪しんだ近所の住民からあいつは邪術に傾倒しているだのなんだのと、いわれなき陰口を叩かれることになった。それならば、と怒った男は本当に邪術を学び始め、今回の事件に至ったという事らしい。なんだか犯人の男がかわいそうな気もするが、やったことは犯罪だ。それ相応の罰を受けることになるんだろう。
「早朝から衛兵とこの街の聖職者が犯人の家を調べに行ったんですけど、どうやらあの男、奈落への門を作ろうともしていたらしいですよ。あの小屋にその形跡があったそうです」
「え、そうなんだ。全然気づかなかった」
俺もあの小屋には入ったが、そんなことには全く気が付かなかった。未遂で終わったから良かったものの、こんな街の近くに門なんて作られたら、その辺に魔物が溢れて大パニックになっていただろう。
それにしても、ただのご近所トラブルからこんな魔物発生事件へと発展してしまうのが怖いな。案外、一番危険なのは魔物じゃなくて人の心なのかもしれない。
ヴォルフが一連の流れを説明し終わると、テオは難しい顔をして腕を組んだ。
「門の作成も邪術の一つということか」
「そうでしょうね、そんな事して何が楽しいのかわかりませんけど」
「ほんとだよなー」
そんな話をしていると、傍らから小さな声が聞こえた
「ぅ……」
「リルカ!?」
慌ててリルカの寝ているベッドを覗き込むと、リルカは小さく身じろぎ、まぶたを震わせた。やがてその目が開いて、熟れた林檎のような深紅の瞳が、覗き込む俺の姿を捕えたようだ。
「…………ク……リス、さん……?」
「そうだよ、リルカ!! 俺がわかるんだな?」
俺が必死にそう問いかけると、リルカはゆっくりと頷いた。
その姿からは昨日の獰猛な獣のような雰囲気はまったく感じられない。よかった、いつものかわいいリルカに戻ったようだ。
「リルカ、起きて早々悪いが聞きたいことがある。構わないな?」
「はい……テオさん……」
リルカはベッドの上に起き上がった。まだどこかぼんやりしているようだが、ヴォルフが水を差し出すと素直に飲んでいた。
「さっそくで悪いがリルカ。おまえは大鴉という存在を知っているか? 鴉といっても、背中に黒い翼の生えた人間の事だが」
「テオ!!」
俺は慌ててテオを止めようとした。
リルカは目覚めたばっかりなのに、そんな話をするのは酷だ。だが、テオは片手をあげて俺を制止した。
「クリス、黙ってろ。これはリルカにとっても必要なことだ」
「でも!!」
「クリスさん、ここはテオさんの言う通りにしましょう」
ヴォルフにもそう言われて、俺は黙るしかなかった。ヴォルフも黙ってみているし、きっとテオには何か考えがあるんだろう。だから大丈夫だ、そう自分に言い聞かせる。
「リルカ、どうなんだ」
「それ、は……リルカのこと、ですよね……」
「!!」
リルカははっきりとそう答えた。リルカは自分の身に起きたことを理解しているんだ
「そうだ。おまえの翼、あれは何だ? 普段はついていないようだが」
「それは……しら、ない……」
リルカは困ったように首を横に振った。その様子からは、とても嘘をついているようには見えなかった。
「わからない? どうやって翼をはやしたんだ?」
「それ、は……神官様が、管理、していたから……」
「神官様? 誰だ?」
「リルカを……管理している、ひと……」
テオがその神官様とやらの身体的特徴を尋ねると、昨日俺たちがぶっ飛ばした男と一致していた。あいつが、リルカの言う神官様なんだろう。さしずめ邪神に仕える神官、といったところか。
「そうか、では自分のしたことを覚えているか?」
テオがそう聞くと、リルカはびくっと大きく体を震わせた。今までになかった反応だ。
「おまえが大鴉になっている間にしたことだ。畑を荒らしたり、家を壊したり、」
「テ、テオさんたちを……傷つけ、て……」
リルカは震えながらそう答えた。随分と顔もこわばっている。
「……あれは、おまえの意志か」
「ち、違……リルカはそんな、こと……そんな、こと……ほんと、は……したく……な、なかっ……」
リルカの声にはだんだんと嗚咽が混じってきた。さすがに見過ごせないとテオに視線をやると、テオは何故か焦ったような顔をしていた。
視線が合うと、テオは慌てて俺の腕を引いてリルカの目の前に押し出した。
「悪い、後はまかせる」
「……は?」
「まさか泣くとは思わなかった……」
……馬鹿か、こいつは!
状況から見てあの神官様とやらがリルカを何らかの方法で操っていたのは間違いないのに、こんなゴリラみたいな大男に尋問されたら怖いに決まってるだろ!
あえて何か目的があってこんな態度を取っていたのかと思いきや、本当に何も考えていなかったとは。
とんでもない大馬鹿野郎だ!
「リ、リルカ……?」
俺はおそるおそるリルカに声を掛けた。リルカは俺を見つめ返した。その瞳には、今にも零れ落ちそうなほど涙が溜まっている。
「テオはあんな言い方したけど、俺たちは全然リルカが悪いなんて思ってないからさ! でも……でも、リルカが泣きたいなら、泣いてもいいんだよ」
「う……うぇぇ……ごめっ、ごめんなさっ……」
ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返しながらリルカは大声をあげて泣き出した。そっと抱き寄せると、強い力で胸のあたりにしがみついてきた。
まだ事情はよくわからないけど、きっといろいろ我慢していたんだろう。今日はいっぱい泣いていいんだぞ、リルカ。
俺はそのままずっとリルカを抱きしめて、あやすように背中をさすり続けた。彼女が泣き止むまで、ずっと。
きっと、男の体のままだったらここまで自然に行動はできなかっただろう。女の体になった今なら、不思議とこういう時にどう行動すればいいのかが自然とわかるようになった。
あまり考えたくはないが、母性本能みたいなのが反応しているのかもしれない。
早く元の体に戻りたいって気持ちは変わらないけど、こういう時だけは女の体でよかったかな、と思う。元の俺が同じ行動をすれば、下手すれば通報されかねないしな……。
リルカはひとしきり泣くと、目をこすりながら体を起こした。
「あの、すみません……もう、大丈夫……」
リルカの目元は真っ赤に腫れていた。まあ、あれだけ泣けば当然か。
「大丈夫か、それじゃあ家に帰った時に心配されるぞ?」
「家…………」
リルカはそう呟くと、また黙ってしまった。まずい、変な事を言ってしまったか。
「リルカちゃん、その神官の所へ来る前はどこにいたかは覚えてる?」
濡れたタオルをリルカに差し出しながら、ヴォルフはそう尋ねた。
そうだ、もうあいつが捕まったのならリルカは元いた場所へ帰れるんだ。あの男はリルカの事を家族ではないと言っていたし、名前すら認識していないようだった。
……だったら、リルカの本当の家族はどこにいるんだ?
「リルカは……しらない……」
「……知らない?」
リルカは泣き濡れた濡れた瞳でふるふる、と首を横に振った。その様子からは、やっぱり嘘をついているようには見えなかった。
「わから、ないの……気がついたら、神官様がいて……リルカは、何でも言われたとおりに、すればいいって……」
「初めて神官様に会ったのは、どのくらい前の事かわかる?」
「一月くらい、前……」
一月……テオがリルカを宿屋まで連れて来た少し前って所か。
「それより前の事は、何か覚えてる?」
「……おぼえて、ない……リルカは、リルカは……どうして……」
そのまま頭を押さえて、リルカは震えだした。俺は何も言葉を掛けることができなかった。自分の事なのに何も思い出せないなんて、きっと俺が想像する以上にリルカにとっては恐ろしい状況なんだろう。
「リルカは……だれ、なんでしょう……」
「リルカ……」
俺はそっと震えるリルカの手を取った。その手は、かわいそうなほどに冷たくなっていた。
「リルカは、リルカだよ。今はわからなくても、これから探していけばいいよ。……大丈夫、俺たちがついてる」
「クリスさん…………」
リルカの瞳がまた潤みだした。うん、今は泣きたいだけ泣けばいいんだよ。




