迷子の心(5)
最初は、俺の願望が作り出した幻かと思った。
だが、ミゲルも呆気にとられたように現れたヴォルフを凝視している。
「あ? なんだてめぇは」
「……その人から離れろ」
底冷えするような声でヴォルフが呟く。
ミゲルは一瞬気圧されたように息を飲んだが、すぐに舌打ちするとヴォルフを睨み返した。
「なんだ、てめぇもまざりたいってか? あいにく……」
ミゲルの言葉の途中で、ヴォルフが懐からナイフを抜いたのが見えた。
ヤバい、殺す気だ……!
「待って!!」
必死に叫ぶと、ヴォルフの手がぴたりと止まる。
ナイフはミゲルの首を切り裂く直前だった。喉元にナイフを突きつけられたミゲルが悲鳴を上げるのが聞こえた。
「こ、殺さなくていいよ……。こんな奴の為に、お前が手を汚す必要はない!!」
ヴォルフが振り返り、未だに床に押さえつけられたままの情けない恰好の俺へと視線を移す。
そして、そっとナイフを引いた。
だがミゲルがほっとしたように息を吐いた瞬間、ヴォルフはいきなりミゲルの腕を掴んだ。
「二度とこの人に近づくな。……次は殺す」
そしてヴォルフがそう告げた直後、ミゲルの腕が一瞬で凍りついた。
「!? うわあぁぁぁ!!」
ミゲルは絶叫し、錯乱したように腕を振り回しているがそんなのであの氷が解けるわけがない。
ヴォルフが俺を押さえつけていた男を睨み付けると、男は情けない悲鳴を上げて小屋の外へと飛び出して行った。
俺も何とか身を起こそうとするが、体が固まったように動かなかった。
「ぁ……」
ヴォルフはそっと俺の傍に屈みこむと、優しく抱き起こしてくれる。
抱きかかえられるようにして、やっと俺はその場から立ち上がることができた。
そのまま、錯乱したミゲルと壁に激突し伸びたままの男を放置して、俺はヴォルフに支えられたまま小屋の外に出た。
ヴォルフは何も言わない。
俺もなんて言っていいのかわからなくて、ぎゅっと唇を噛みしめ足を動かす。
何か言わなきゃ、そう焦っていたが、どうしても言葉が出てこない。
そのまま、二人とも無言で歩き出す。
小屋からだいぶ離れた人気のない草原まで来て、ヴォルフはやっと足を止めた。
何となくヴォルフの顔が見られなくて視線を下に落とすと、上から大きなため息が聞こえた。
思わず体が竦む。理由のわからない焦燥感がじわじわと湧き上がってくる。
……怖い。俺は何か、こいつに失望されるようなことをしちゃったんじゃないかって……!
だが、次の瞬間聞こえてきた言葉に思わず息を飲んだ。
「ほっっんとうにあなたは……目を離すとすぐトラブルに巻き込まれますね……!」
その呆れたような言い方は、俺のよく知ってるヴォルフだった。
そう感じた瞬間、今まで抑えていた様々な感情が溢れだしてくる。
「う、ううぅぅぅ……」
「クリスさん……?」
ヴォルフがそっと労わるように背中を撫でてくれた。
そうすると、もう我慢できなかった。
「……かった……怖かったよぉ…………!」
思いっきりヴォルフにしがみつく。ヴォルフはしっかりと抱き締め返してくれて、ぼろぼろと自分でも驚くくらい涙が溢れた。
ミゲルは嫌な奴だけど、あそこまで強硬手段を取るとは思っていなかった。
せいぜいお遊び程度に口説いてるだけかと思ってたんだ。
だから……あんな目に遭うとは思ってなかった。
本当に怖かった。
もしヴォルフが来てくれなかったら……そう思うと、今でも震えが止まらない。
でも……来てくれた。
もう俺の事なんてどうでも良くなったんじゃないかって思っていた。だから、ミゲルに置いて行かれたとか捨てられたとか言われた時、あんなに心が痛かったんだ。
それでも、ヴォルフは俺の所に来てくれたんだ。危ない所を助けてくれた。
それが嬉しくて、目の前の温もりに縋りついてまるで子供のように泣き続けた。
「…………今までも、こういうことあったんですか」
不意に頭上から低い声が聞こえた。思わず肩のあたりにうずめていた顔を上げると、何かを耐えるような、怒りを押し殺したような顔をしたヴォルフと目が合う。
そこで、俺はやっとヴォルフが何を言いたいのかに気が付いた。
「ちっ、違う……本当に、今日が初めてで……いきなりあんなとこに連れ込まれて、びっくりして、怖くて……」
何とか事実を伝えようとした。でもまるで自分が言い訳をしているように思えてきて、俺の声はどんどん小さくなって言った。
どうしよう、早く誤解を解かなきゃ……!
頭ではそうわかっていても、うまく言葉が出てこない。
どうしよう、これで嫌われて、もうお前なんかいらないって言われたら……!
「あのっ、ほんとに……今までこんなことなくて……だからっ……!」
「大丈夫。ちゃんとわかってますから」
その言葉と共に、強く抱きしめられる。
「あなたは何も悪くない。だから……好きなだけ泣いていいんですよ」
優しくそう言われて、また目から涙が溢れだす。
「……会いたかった…………!!」
もう二度と会えないかと思った。
でも今こうやってまた会って、抱き合う事が出来る。
それだけで、何もかもが満たされるような気がした。
そのまま、しばらくヴォルフの胸に顔をうずめて俺は泣き続けた。
嗚咽が収まったころになって、やっと今の状況に思考を巡らせることができるようになった。
そもそも、何でヴォルフはここにいるんだ?
「お前、ヴァイセンベルク家に帰ったはずじゃ……」
「え……? 一度帰って、言った通りにまた戻って来たんですけど……」
ヴォルフは何でもないことのようにそう告げた。
ちょっと待て、言った通りって、何のことだ……!?
「え、ぇ……?」
混乱していると、ヴォルフはまた呆れたように大きなため息をついた。
「やっぱり、忘れてた……というか聞いてなかったんですね……」
「えぇ……?」
どういうことかわからなくて聞き返すと、ヴォルフは俺の肩に手を置いて、言い聞かせるように話し始めた。
「言ったじゃないですか……! 一度ヴァイセンベルク家に戻るけど用が済んだら戻ってくるって!」
「い、いつ……!?」
「僕が家に戻るって言った後、あなたと二人で話した時ですよ!!」
「えぇ……!?」
二人で話した時……そう言えばヴォルフが二人になった時に何か言っていたような気もするが、あの時の俺はヴォルフがいなくなってしまうという事を聞いて頭が真っ白で、正直何を話したのかさっぱり覚えていなかった。
「驚きましたよ。いきなりテオさんとミラージュさんがやって来たと思ったらあなたのことを捨てるのかとかミラージュさんに問い詰められて……」
「えっ!?」
ミラージュはヴォルフの所に行ったのか。
まさか、俺がミラージュに零した内容をこいつにばらしたんじゃ……。
っていうよりも、ヴォルフは元々戻ってくるつもりだったのか!?
「お、俺……もう、お前が戻ってこないんじゃないかと思って……」
小さな声でそう言うと、ヴォルフはまたため息をついた。
「覚えてないんですか。僕があなたのことを一番大切に思ってること、忘れないでくださいって」
「っ……!」
ちゃんと覚えてる。
でも、お前の気が変わったんじゃないかと思ってた。
俺は……ほんとに大馬鹿野郎だ!
やばい、なんかすごく……きゅんきゅんする……!
置いて行かれたとか、捨てられたとか本気で落ち込んでたけど、全部俺の取り越し苦労だったんだ!!
そう思うと、もう止められなかった。
少し背伸びして、顔を近づける。
ヴォルフの銀色の瞳が驚いたように見開かれた。その綺麗な色の目に見られたままなのは少し恥ずかしかったので、
目を閉じて、そっと口づけた。
一瞬触れ合うか触れ合わないかぐらいの曖昧なものだったけど、急に羞恥心が湧き上がって来てすぐに離してしまう。
……やばい、なんとなくその場の雰囲気でやっちゃったけど、我に返るとめちゃくちゃ恥ずかしい……!!
そのままヴォルフの顔が見られずに視線を下に落とすと、強い力で肩を掴まれる。
次の瞬間、勢いよく草むらに押し倒された。
あけましておめでとうございます!
今年もちまちまと投稿していきたいです。
「迷子の心」もやっと後半戦に突入しました!
次はちゅーちゅー回になります。来週投稿予定です!
 




