迷子の心(2)
各地でルディス教団が暴れていた頃、教団の脅威に直接晒されたわけじゃないけど、リグリア村もよくわからない巨大な花のような魔物に襲われた。けっこう家屋や家畜に被害を受けたのを俺も目にしている。
そのせいで多くの住人達が他の村や町へと避難していったが、最近は安全になったという話を聞いたのかぽつぽつと人が戻り始めている。
それと同時に、村の復興が始まった。
◇◇◇
「クーちゃん。これ、皆さんに差し入れを持って行ってもらえる?」
今日は何しようかな……と一人ぼけっとしていると、台所で何かいそいそと作業をしていた母さんに声を掛けられた。
母さんはリルカが俺を「くーちゃん」と呼ぶのに「かわいいっ!!」と大興奮して以来、リルカと同じように俺の事を「クーちゃん」と呼ぶようになった。
……まあ、元の男の俺と同じ「クリス」と呼ばれているのを誰かに聞かれたらちょっとややこしいことになるので別にいいのだが、二十歳近い上に元は男の俺が「クーちゃん」などと可愛らしい呼び名で母親に呼ばれていると考えると……ちょっと恥ずかしい気もする。
「差し入れ?」
「えぇ。今日から隣のトロンコの町から皆さんが復興の手伝いに来てくださるのよ」
「へー、そうなんだ」
俺も復興の手伝いをしようとしたことはあるが、今必要なのは大半が力仕事なので、正直俺はあまり役に立てそうはなかったのだ。
でもちょうどいい。差し入れを届けるくらいなら俺にもできるはずだ!
リグリアの復興を手伝ってくれる人たちだし、俺もこのくらいはしないとな!!
「わかった、行ってくる!」
「皆さんによろしくねぇ」
そうして、俺は母さんが持たせてくれたバスケット片手に家を出た。
家を出るとすぐに、近所のおじさんに鉢合わせた。
「おぉ、クーさん。ここの暮らしには慣れたかい?」
「……はい。皆さん、とてもよくしてくださいますので……」
にこにこと笑って声を掛けてくれたおじさんに、冷や汗をかきつつ応対する。
いかんいかん。うっかり「今日は朝から酒飲んでねーのな、おっさん!」なんて声をかけそうになってしまった。
当然だが、村のみんなには俺が本物のクリス・ビアンキだけどいろいろあって女になってしまった……なんて事情は話していない。
いろいろ厄介なことにならないとも限らないし、俺自身もなんとなく言いたくなかったからだ。
今の俺は、教団の襲撃で故郷を追われ、親戚のビアンキ家へと身を寄せる「クー」と言う名の女性……ということになっている。
いつかばれるんじゃないかとはらはらしているが、今の所特に怪しまれることはない。それどころか、大変だったね……とほとんどの人からは同情され優しくされている状態だ。
元の「クリス」だった時と同じように接することができないのが少し寂しくもあるが、変わらないリグリア村は俺の心を癒くれるような気がした。
村の中央部へ行くと、確かに多くの人たちがあくせくと動き回っていた。
俺がにっこり笑って母さんが持たせてくれた焼き菓子を差し出すと、みんな嬉しそうに受け取ってくれる。
まったく、いくら今の俺がかわいい女の子だからってでれでれと鼻の下を伸ばしやがって……。
もし今俺が元は男のクリスだって暴露したらどうなるんだろう。
そんな馬鹿な事を考えていると、不意にとある男の姿が目に入る。
その瞬間、ひゅっと喉が嫌な音をたてたのがわかった。
視線の先には、俺と同じくらいの年の男が立っていた。
俺は、そいつを知っていた。
まだ教会学校に行ってた時に、散々田舎者とか馬鹿にして嫌がらせをしてきた奴だ……!
確か名前は……
「ミゲル! お前もどうだ?」
聞こえてきた名前に、思わず肩がびくりと竦む。
おせっかいな村人に声を掛けられたその男――ミゲルは、ゆっくりとこっちを振り返った。
「こちらのお嬢さんが差し入れを持ってきてくれたんだ。お前も有難くいただいておけ!」
「……ふーん」
ミゲルが俺の方へと歩いてくる。なんとか逃げたいのを我慢してぐっとバスケットを持つ手に力を込めた。
……こいつには、いい思い出はほとんどない。中でも一番最悪なのは、机の中にカエルを大量に仕込まれた事だ……!!
「……見ない顔だな。余所者か?」
「あのナントカ教団とかいうやつの襲撃から逃げてきたんだと。今はビアンキの家で暮らしてるんだ。ほら、お前も知ってるだろ? あのクリスの家だよ」
やめてくれ……という願いもむなしく、おせっかいな村人はべらべらと俺の(偽の)個人情報を暴露してくれやがった。
目の前までやってきたミゲルはじっと俺を見下ろした後、にやりといやらしい笑みを浮かべた。
「あぁ、あのヘタレ野郎か」
な、なんだとー!!!??
思わず睨み付けると、ミゲルは「おぉ怖い」とか言いながら馬鹿にしたように肩を竦めた。
「確かあいつ、勇者になるとかほざいて出てった奴だろ」
「あぁ……少し前に何人かの人を連れて戻って来たんだが、またどっかに行ったみたいでなぁ」
「へー……」
ミゲルはどうでも良さそうに相槌を打つと、また俺の方へと向き直る。
「あんた、名前は」
「…………クーです」
「犬みてぇな名前だな」
どこまで失礼な奴なんだこいつは!!
初対面の相手に犬みたいな名前とはなんだ!
教会学校に行っていた時もいけ好かない奴だったが、成長して更に性格も悪い嫌な奴へと進化したようだ。
できればあまり関わりたくはない。
適当にその辺の人に挨拶すると、俺は踵を返して家へと戻ろうとした。
だが少し歩いたところで、背後から声を掛けられる。
「おい、あんた」
……一瞬聞こえないふりをしようかと思ったが、さすがにこの距離では不自然だ。
自分でも顔が引きつっているのが分かったが、それでも何とか声の方へと振り返る。
思った通り、何故かミゲルがこっちの方へと歩いてくるのが見えた。
……何で来るんだよ! お前には復興支援という大事な仕事があるだろ!!
「何怒ってんだ」
「……人の名前を犬みたい、なんて言うのは失礼かと思いますけど」
「そんなことか」
そう言うと、ミゲルは馬鹿にするように笑った。
そんな事って何だよ!! しかもなに笑ってんだ!
確かにちょっと犬っぽいかもしれない。それは俺も思った。
でもな! 普通本人に向かって言うか!?
「……すみません、失礼します」
もうこれ以上こいつと話したくはない。
再び踵を返し家へと戻ろうとしたところで、強く肩を掴まれた。
反射的に振り返って、思ったよりも至近距離にミゲルがいたので俺はびびってしまった。
「クー……だっけか」
肩を掴んだままミゲルが顔を近づけてくる。
瞬時に教会学校時代の嫌な思い出が蘇って、体が固まる。
そのまま、ミゲルは囁くように口を開いた。
「……あんた、クリスの女なのか」
「……………………はぁ?」
一瞬俺の正体がばれたかと思って焦ったが、よく聞いたら……違った。
こいつは俺の事を、男のクリスの恋人なんじゃないかと思ってるんだ!!
何て答えようか迷った。
クリスの女というか、クリスが女な感じだ。……今の俺は。
でも、そんな説明をこいつにする必要はない。
単純に、「違う」とだけ答えればいいのかもしれない。
でも、悪戯心が湧いた。
男の俺の事をヘタレ野郎などと馬鹿にしたこいつに、一泡吹かせたかったというのもある。
「……そうだとしたら、何だっていうんですか?」
少し挑発的にそう口にすると、明らかにミゲルは動揺したように目を見開いた。
……言ってやった! 俺はやったぞ!!
お前が馬鹿にした「クリス」にはこんなに可愛い彼女がいる。そう思わせることに成功したんだ。
……全てが自作自演なのがちょっとむなしいけど。
「すみません、失礼します」
勝ち誇ったようにそう告げて、黙り込んだミゲルに背を向けて今度こそ家に向かって歩き始めた。
角を曲がるときにちらりと振り返ると、ミゲルがいまだにじっと俺の方を見ていたので驚いた。
……男の「クリス」に彼女がいた(という設定にした)事がそんなに悔しかったんだろうか。
ちょっとスカッとした気分になって、軽くスキップをしながら帰路を急ぐ。
まぁ、せいぜい悔しがるんだな!!
嫌な幼馴染(?)の登場です。
次回はまた来週更新予定です!




