10 魂の叫び
白い柱に囲まれた至聖所は消えうせ、俺たちは石造りの古びた礼拝堂に立っていた。
……この場所は、見たことがある。
レーテとイリスはいきなり知らない場所に出たのに驚いたのか、戸惑ったように周囲を見回している。
「なっ、何だここは!?」
「……オルキデア修道院」
ぽつりと漏らした俺の言葉に、ティレーネちゃんはくすりと笑った。
「さすがはアンジェリカ様の生まれ変わり、よく御存じですね」
「……君も、ここで育ったんだよな」
そう問いかけると、ティレーネちゃんも懐かしそうにあたりを見回している。
「……えぇ、数多の少女の命が奪われた、忌まわしき地です」
俺は気づいていた。王都の大聖堂からここにやって来たように見えるが、空気は変わっていない。至聖所の神聖なオーラがまだ漂っているのを感じる。
これは、転移じゃない。ティレーネちゃんの見せる幻のようなものだろう。
「レーテ、イリス、早く決着をつけよう。ルディスの降臨に間に合わない!」
そう呼びかけると、二人ははっとしたように俺を振り返った。
「なんかクリスが頼もしい……」
「逆に天災とか起きそうだな」
そんな失礼な事を呟きながら、意外と似ている姉妹はティレーネちゃんに向き直った。
「……あなた方なら、私と一緒に新世界を導くにふさわしい方かと思ったのに」
「残念だけどそれはできない。俺は、今の世界を守りたいんだ!」
みんなが、長い時間をかけて作り上げてきた世界。ラファリスも守ろうとした世界。
絶対に、壊させるわけにはいかない……!
「……これ以上の対話は必要ありませんね、ならば……!」
ティレーネちゃんが大きく頭上に手を掲げる。その途端、まばゆい光が彼女を包む。
思わず目を瞑ってしまう。そして、再び目を開いて俺は驚愕した。
そこには、女神様がいた。
蝶のように美しい羽を持ち虹色の衣を纏った、亜麻色の髪をした女神様だ。
……違う! あれは、ティレーネちゃんだ!!
「私は世界を変える。変えてみせる!! 邪魔するなら……ここで葬ってやる!!」
ティレーネちゃんがそう叫んだ途端、どこからか現れた何百匹もの蝶が俺達の方へと飛来した。
慌てて腕で顔を覆うけど、蝶がぶつかった所から激痛が走る。
「ちぃっ、“熾光防壁!!”」
慌てて魔法障壁を張ると、なんとか蝶の襲撃を抑えることができた。
……それでも、ティレーネちゃんからは尋常じゃない力を感じる。
「なんであんなに……」
「ルディスと繋がっているうちにいろいろな事を知ったって言ってただろ。たぶん、それであんな感じになっちゃったんだろ!」
確かにレーテの言う通り、今のティレーネちゃんはなんていうか、人を超えたようなオーラを感じる。
……これは、長引かせるとほぼ間違いなく俺たちの命はない!
「みんなの痛みを思い知れ!!」
蝶の勢いが強くなる。必死に踏ん張ったが、遂に魔法障壁が崩壊し、俺たちの体は群がる蝶に覆い尽くされた。
イリスの悲鳴と、レーテの怒声が聞こえる。
でも、群がる蝶に遮られて何も見えない。
(けて、助けて……!)
「……っ!」
不意に知らない少女の声が聞こえた。
その途端、心を引き裂かれるような悲しみに襲われる。
(助けて、助けて)
(ここから出して)
(ねぇ、お願い……!)
「聞こえますか? 理不尽に踏みにじられ、死んでいった仲間たちの声がっ!!」
ティレーネちゃんは笑っていた。いや、泣いていたのかもしれない。
蝶に襲われ地面に倒れた俺からは、彼女の表情を窺う事ができなかった。
それでも、その悲痛な叫びだけは俺の耳に、心に届いた。
……きっとこの蝶たちは彼女の仲間の、死んでいった修道女たちの魂――その叫びなんだろう。
彼女たちはこんな目に遭った事が悲しくて、自分たちを襲った理不尽が許せなくて、誰かに助けて欲しくて……きっと今も転生せずにこの世界に留まり続けているんだ。
直感的にそうわかった。
少女たちの悲痛な声に、心が押しつぶされそうになる。
俺も、この修道院で少女たちを襲った理不尽を少しだけ知っている。でも、俺が見たのはほんの一部で、ティレーネちゃんや彼女の仲間の修道女はもっと悲惨な現実に直面していたんだろう。
確かに、ティレーネちゃんの言うようにこの世界は不条理ばかりだ。
俺には、彼女の思いを否定はできない。
(助けて、助けて……)
一匹の蝶が、倒れた俺の目の前にやって来た。他の蝶とは違い、何かを伝えようとするかのように緩く羽を動かしている。
それが俺に何かを伝えようとしているかのように思えて、何とか力を振り絞ってその蝶へと手を伸ばす。
蝶が俺の指先にとまる。その途端、温かな思いを感じた。
(助けて、ティレーネを……助けて)
その蝶は、まっすぐ俺に語りかけていた。
自分ではなく、ティレーネちゃんを助けてくれと。
ルディスをその身に取り込むなんて、正気の沙汰だとは思えない。ティレーネちゃんが無事でいられる保証だってない。
彼女は俺に、ティレーネちゃんを止めてくれと言ってるんだ……!
「……うん、わかってるよ」
小さくそう答えると、蝶は静かに光の粒となり、俺の体へと入って来た。
彼女の思いが、力が、俺の中に流れ込んでくる。
……大丈夫、何も心配することはない。
そのままゆっくりと起き上がると、不思議と俺に群がっていた蝶は離れて行った。
……きっと、みんなティレーネちゃんを助けたいと思っているのは同じなんだ。
「……レーテ、イリス」
倒れていた二人を助け起こす。二人が不思議そうに俺を見ていたので、そっと二人の手を握る。
どうか俺の思いが伝わりますように、と祈りながら。
じっと目を瞑っていたイリスが、優しく微笑んだ。
「……大丈夫、伝わってるよ。みんなの思い」
イリスがそう答える。どうやら俺の……彼女たちの思いは伝わったみたいだ。
レーテは大きく息をつくと、ティレーネちゃんに向き直った。
「なんで!? 早くその人たちを消してよ!!」
ティレーネちゃんは狼狽したように蝶たちに命じたが、蝶たちは動かない。それどころかさっきの蝶と同じように小さな光の粒となり、イリスの体の中へと溶けて行った。
「……や、やれるものならやってみればいい!!」
ティレーネちゃんは錯乱したようにそう叫び、自らの目の前に障壁を作り出した。
ぱっと見ただけでも、俺が普段作るものなんかよりもずっと強固なものだと分かる。
「……ボクが壊す。見てろよ、ティレーネ」
レーテが一歩前に出る。その顔は、今まで見た事のないほどに真摯な表情をしていた。
そして、ゆっくりと呪文を唱え始める。
「疾走する光、天の咆哮、我が敵を焼く閃光よ……」
レーテの詠唱が響く。
それを妨害するように礼拝堂のあちこちから光の矢が飛んできたが、即座に俺が張った魔法障壁に弾かれていた。
イリスの……修道女たちの暖かい力を感じる。今なら、なんだってできる気がする……!
イリスがそっとレーテの体に触れる。
まるで、雷光の洪水のようだった。レーテを中心に、バチバチと空間を飲み込むかのような巨大な雷撃が生み出される。
レーテはティレーネちゃんを見据えると、大声で呼びかけた。
「受け取れティレーネ!! “大雷轟!!”」
レーテの放った、見たことが無いほど強大な轟雷がティレーネちゃんの作り出した障壁とぶつかる。
そして……崩れたのはティレーネちゃんの魔法障壁の方だった。
「ああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
稲妻が真正面から襲い掛かり、絶叫が響き渡る。
それと同時に礼拝堂の景色が歪み、地震のような強い衝撃が俺たち襲う。
「イリスっ!」
すぐ傍にいたイリスを抱き寄せ、とっさにその場にしゃがみこむ。揺れが収まったので目を開くと、そこは先ほどまでの純白の至聖所の中だった。
「ティレーネ!!」
レーテの声が聞こえ慌てて視線をやると、ちょうどレーテが少し離れた所に倒れたティレーネちゃんを抱き起こした所だった。




