12 テンペスト
まるで嵐のように、リルカの周囲に暴風が吹き荒れる。
リルカのきょうだい達……体を持たない精霊も、ホムンクルスに宿った精霊も、皆の風が一つになる。
「……ルカ先生、クロムさんを連れて下がっていてください」
「……わかった」
ルカは何か言いたげな顔をしていたが、結局はリルカの言う通りに、ぐったりと地面に倒れたままだったクロムの体を持ち上げ、壁際に退いた。
彼は稀代の錬金術師であり、凄腕の魔術師でもある。自分と弟子の身を守ることくらいはできるだろう。
……そう、彼くらいの実力者でなければ、きっと巻き込まれてしまう。
「いくら小細工を弄したところで、結果は同じだ……!」
ベルファスが忌々しげにリルカを睨み付ける。だが、どこかその表情は今のこの場の様子に困惑しているようにも見えた。
……もしかしたら、彼には精霊が見えていないのかもしれない。
それならば、きっと彼の目には突如この場に暴風が巻き起こったように見えたのだろう。
困惑するのも当然だ。
「私は、あなたを止めます。絶対に……!」
自身を鼓舞するように、リルカはそう口にする。
ホムンクルスとして、精霊として、この大地に生きる者として……この男の蛮行を、野放しにすることはできない……!
『みんな、心を一つにして……』
母の声が響く。
一段と強力な風に、自分の風を重ねる。
そうして、リルカを取り巻く暴風は更に威力を増していく。
『シルフィードの名において、我がもとへ集え……』
集まった風が一つになる。
リルカ自身も、まるで母の生み出した風と一体化したような不思議な心地がした。
そして、一気にその力を解き放つ……!
『“獄嵐破!!”』
数多の精霊の生み出した風が一つになり、触れたものを切り刻むような激しい竜巻となりベルファスへと襲い掛かる。
ベルファスは目の前に魔法障壁を張った。
だが、そんなもので地護精霊たるシルフィードと、その子供たちの生み出した竜巻は防げない。
竜巻は呆気なく魔法障壁を突破し、ベルファス自身へと襲い掛かった。
渦巻く風の中心から、聞くに堪えない苦悶の叫びが響いた。リルカはぎゅっと杖を握りしめる。
対話で解決できれば良かった。
でも、それが叶わない時もある。
これが正しい方法だったのかはわからない。
でも、少なくともこれでホムンクルスが彼に利用されることはなくなる。
竜巻が消え、ベルファスの声はもう聞こえなかった。リルカはそっと俯き、視線を地面に落とす。
いつのまにかリルカの傍にやって来たルカが、慰めるようにリルカの肩を軽く叩く。
「……これでもう、奴の脅威に怯えなくて済む。お前は多くの者を救ったんだ」
「はい……」
ルカはぐったりとしたクロムを背負っていた。まだ体は熱かったが、先ほどよりは穏やかな顔をしている。きっとゆっくり休めば良くなるだろう。
周囲を見回すと、精霊の母やきょうだい達が気遣わしげにリルカを見ていた。
彼らにも礼を言わなければ。リルカがそっと口を開こうとした時、その場にぱちぱちと気の抜けるような拍手の音が響いた。
「これはお見事。さすがは精霊の親玉だ」
ゆっくりと手を叩きながら、その男はやって来た。
リルカは思わず目を見開く。
濃紺のローブに、黒い髪。
愉快そうな笑みを浮かべてそこに立っていたのは、以前何度かリルカの前に立ちふさがった男――ミトロスだった。
「なんだてめぇは」
「ただの通りすがりですよ。いやぁ、随分愉快な事になっている気がしたのでね」
ミトロスはにやにや笑いながら周囲を見回した。
ホムンクルスの攻撃で壊された建物に、傷だらけの人々。
この状況で、いったい何が愉快だと言うのか……!
「また……滅茶苦茶にするつもりですか……!」
怒りを込めて、リルカはそう叫ぶ。
前にこの男に遭遇したのは、ユグランス帝国、シュヴァルツシルト家の屋敷でだ。
シュヴァルツシルト家の青年、ディルクは闇の力に手を染め、兄を死に追いやり、屋敷を滅茶苦茶にした。最後は彼自身も闇に飲まれたが、一歩間違っていればリルカたちも彼を止めきれず、街が、国が、大陸全体が大変な事になっていた可能性だってあるのだ。
そのディルクの裏で糸を引いていたのがこの男、ミトロスだ。
この男がいなければ、あんな悲劇は起こらなかったのに……!
リルカの渾身の叫びに、ミトロスはじっとリルカを見つめ返した。
「それは……君次第だね」
「え……?」
思いもよらない発言に、リルカは言葉に詰まってしまう。
そんなリルカを見下ろしながら、ミトロスは笑みを浮かべたまま口を開いた。
「君達が頑張ってるって聞いたものだから、いいことを教えてあげようと思ったんだけどなぁ……」
「……ちょっと待ってください」
リルカは混乱していた。
駄目だ。この男の言う事に惑わされるな。
そう頭では分かっていたが、つい口が動いていた。
「あ、あなたは……リルカたちの……敵、じゃないですか……!」
ディルク・シュヴァルツシルトに闇を操る手ほどきをしたのがおそらく彼だろう。
ディルクはルディスの信者だった。だったら、この男だってそのはずだ……!
だが、彼はリルカの言葉を聞くとおかしそうに笑った。
「残念だけど、僕はルディスの信徒じゃない。以前君たちと敵対したのは雇い主の意向だよ。まあ……君たちは信じてくれなかったけどね」
「だ、だったら……」
ぎゅっと杖を握りしめる。
ここで、気圧されてはいけない……!
「あなたは何なんですか! 何が目的で、ここに来たんですか……!」
彼がベルファスのようにこの地を破壊しようとしていたのだとしたら、リルカはこの男を許すわけにはいかない。
何があっても、彼を止めなくてはならないのだ。
ミトロスは穏やか瞳でリルカを見つめ返すと、存外に優しい口調で話だした。
「……僕が何者なのかというのは大した問題じゃない。僕は……いつだって自分の楽しみを追及しているだけさ」
「楽しみ……?」
「教団が世界を闇に染めていくのも見ていたけど……残念ながらあまり楽しくなかったよ。それよりも、もっと興味を惹かれるものが出てきたしね」
「な、なんなんですかそれは……」
そう問いかけると、ミトロスは大きく息を吐いた。
そして、ゆっくりとリルカを指差す。
「……リルカ、君だよ」
リルカは唖然と目の前の男を見つめ返すことしかできなかった。
リルカには、全くもって彼の言う事は理解不能だったのだ。
「僕は珍しい物が好きだ。特に、数多の世界を渡り歩いてもたった一つしかないものには強く心惹かれる」
ミトロスの目が見開かれる。
その瞳の奥に、リルカの姿がうつっているのがはっきりと分かった。
「君はまだ発展途上だ。だから、ここで潰されるのは惜しくてね。いいことを教えてあげようと思ったんだけど……」
ミトロスはそこで一息つくと、また底の見えない笑みを浮かべた。
「やっぱりただで教えてあげるのもつまらないと思ってね! さあ、僕と遊ぼうじゃないか!!」
その瞬間、空気が変わった。
『これは……まさかっ!!』
シルフィードが顔をひきつらせた。
その理由はすぐに分かった。
何か巨大なものが水面に落下したような、大きな水音が聞こえた。
その音の方向へ視線をやって、リルカは自分の目を疑った。
まるで滝が逆流するかのように、アムラント島を囲む湖の水が、引き寄せられるように空へ向かって上っていたのだ。
それも一箇所じゃない。いくつもの場所で、どんどん湖の水が吸い上げられるかのように空に向かって上って行くのが見えた。
「……嘘だろ」
ルカが呆然としたようにそう呟く。
リルカもその光景が信じられなかった。
リルカだって、水を集める魔法が使える。今起こっている現象も、それと似たような物だと言えるだろう。
だが、規模が違った。
あれだけの量の水を操るなんて、いったい何百人、何千人の魔術師が必要なのか……。
きっとこの島のすべての魔術師を集めても不可能だろう。
そう計算して、リルカは戦慄した。
ミトロスに視線を戻す。彼は、興味深そうにリルカを見つめている。
彼がこの現象を引き起こしているのは、明白だった。




