3 魔導砲
駆け寄ってきたイリスは、見たところ大きな怪我はしていないようだった。
「クリス、クリスだよね……?」
イリスは心配そうに俺の傍に屈みこむと、そっと顔を覗いてきた。
「うん、ごめん……」
お前が待ってるレーテじゃなくてごめん。
そう思いを込めて謝ると、イリスの瞳に失意と安堵が浮かんだ。
俺はレーテもこの島に来ていることを告げようかと思ったが、やめておいた。
イリスはともかく、さっきの男やその仲間に俺がレーテじゃないことが知られたら厄介だ。
今は、俺をレーテだと思い込ませておきたい。
「……イリス、聞いてくれ。今外は大変なことになってるんだ」
「…………うん」
俺が簡単に事情を説明すると、イリスも力なく頷く。
「私は、コゼット先生と一緒に大学の安全な所に避難しようとしてたんだけど……あの人たちに捕まっちゃって……」
「……あいつらは、昔お前を閉じ込めてた奴らなのか」
そう聞くと、イリスは目に涙をためて頷いた。
その小さな肩が細かく震えている。
「知らない人もいる。でも、知ってる人もいる。あの人たち、私にレーテを呼べって言ったの」
やはり、あいつらの目的はレーテのようだ。
レーテは常人ではありえない特殊な力を持っている。あいつ自身はその力を利用させるのを嫌がって魔術結社から逃げ出したようだが、壊滅寸前の魔術結社はレーテの力を使って再起を図ろうとした……とかそんな所だろう。
それだけならまだしも、ルディス教団と結託してるのは厄介だ。
とりあえず、今の俺にできるのは助けが来るまでイリスを守る事だろう。外にはレーテとヴォルフもいるし、この島の人たちだって何も考えてないわけじゃない。
きっと、助けは来るはずだ。
だったら、むやみやたらに行動を起こすよりも、ここでじっとしていた方が安全そうだ。
そう告げると、イリスは慌てた様子で何度も首を横に振った。
「ま、待って……それだと、大学が危ないの!!」
「え?」
「あいつら……魔導砲を完成させようとしてるんだよ!!」
イリスは必死にそう訴えてきた。
一方俺は、イリスの言葉を聞いてもぽかん、とすることしかできなかった。
魔導砲……って、何だ?
「なにそれ」
「魔力を使った兵器で……すっごくヤバい物なの! 私が捕まってた時は実現不可能だって言われてたのに……あいつら、いつの間にか魔導砲を作ってたんだよ!!」
いまいち話について行けない俺を置いて、イリスは必死にべらべらと話し始めた。
何度か同じ話を聞いて、俺にもやっと事態が呑み込めてきた。
どうやらイリスやレーテが魔術家結社に捕まっていた頃から、結社は『魔導砲』という兵器のようなものの開発を行っていたらしい。だがうまくいかず、そのうちにレーテは逃げ出し魔術結社自体も王国軍の手によって壊滅寸前にまで追い込まれ、イリスはディオール教授に引き取られることになる。
だが、頓挫したと思われていた魔導砲計画は水面下で進んでいたらしい。
ここに誘拐されたイリスは、実際に魔導砲の実物を見たという。
魔導砲の起動には膨大な魔力が必要で、奴らは魔導砲を起動させるためにレーテを探しているのだそうだ。
「たぶんクリスなら魔導砲は起動できないと思うけど……万が一、魔導砲が使われたら大変なことになっちゃう!!」
「ちょっと待て、その魔導砲っていうのはどのくらいヤバいんだ」
イリスの焦りようからして、かなり危ない代物だという事は想像がつく。
そう聞くと、イリスは青ざめた顔で口を開いた。
「……数発で、大学を壊滅させることができるって」
「はあ!?」
俺は慌てて全身に力を入れ顔を上げた。
イリスは嘘や冗談を言っているようには見えない。ただ必死に、魔導砲の危険性を力説している。
「あの人たち、大学を壊滅させようとしてるの! そうなったら、みんな死んじゃう。コゼット先生だって……」
イリスはぼろぼろと泣きだした。慰めてやりたかったが、あまりに衝撃的な話に俺自身その余裕が無かった。
数発で大学を壊滅させる兵器?
まさか、そんなヤバいものが本当に実在するのか……!?
「イリス……」
このままじゃ駄目だ。なんとかここを脱出しないと……。
そうイリスに声を掛けようとした時、再び俺たちのいる部屋の扉が開いた。
そこから入ってきたのはさっき出て行った浅黒い肌の男と、やたらと体格がいいが人相の悪い男だった。
浅黒い肌の男は固まる俺たち二人を見下ろすと、ゆっくりと近づいてきた。
「来い、レーテ」
「待って、だからこの人はレーテじゃないって……!」
よろめきながら立ち上がり、イリスは男に食って掛かる。その途端、体格のいい男がイリスの頬を容赦なく張り飛ばした。
イリスの小さな体は抵抗もできずに吹っ飛び、地面にぶつかった。
「イリス!!」
イリスはぴくりとも動かない。
慌てて這うようにしてイリスへ近づこうとしたが、また浅黒い肌の男に頭を踏みつけられた。
「うぐっ……!」
「別に死んでねぇから安心しろよ。ただ……」
頭から足がどいたかと思うと、今度は髪の毛を掴み上げられる。
「てめぇの態度次第では、うっかりやりすぎるかもしれねーよな?」
体格のいい男が動かないイリスに近づいて行く、俺は慌てて懇願した。
「何でもする、何でもするから……! イリスにひどい事はしないで!!」
「しないでください、だろ?」
「しないでください……」
弱々しくそう口にすると、体格のいい男はイリスの状態を確認しただけで戻ってきた。
「気絶してるだけだ」
「だってよ。よかったなぁ、レーテ?」
浅黒い肌の男が底意地悪く笑う。
俺は何も言い返せずに、ただ声も出さずにすすり泣く事しかできなかった。
イリスを助けに来たのに、俺は何もできなかった。ただ目の前でイリスが傷つけられるのを見ている事しかできなかったんだ……。
体格のいい男が荷物のように俺の体を担ぎ上げる。
そのまま、倒れたイリスを放置して俺を担いだまま二人の男は部屋を出た。
◇◇◇
俺が連れてこられた建物は、どうやら教会のようだった。
あちこちの家具や壁に戦闘の爪痕が見える。この場所が制圧されるときに、ここにいた人たちが抵抗したのだろうか。
一応ルディス教団と結託しているからか、教会の中から元々の守護女神を思わせるような物はすべて撤去されていた。
俺は荷物のように運ばれながら、なんとかイリスがいる部屋の位置を記憶しようと頭を働かせていた。そのうちに、男達は地下へと続く階段を降り始める。
辿り着いたのは、薄暗い地下牢だった。
「昔のお前の部屋に似てるだろ? せいぜい郷愁に浸っとけ」
男はその中の一室に俺を放り込むと、がちゃんと重い音をたてて扉を閉めた。
地下だから窓はない。ただおぼろげな燭台の灯りと、地上へと続く扉から漏れる光だけがわずかな光源だった。
錠の落ちる音がする。そのまま男達の足音が遠ざかって、揺らめいていた燭台の灯りも消えた。
そして扉の閉まる音と同時に、地上から漏れていた光も消えて、あたりは一面の暗闇となってしまった。
もう自分自身の姿も確認できない。光の入るうちに見ていた部屋の情景も薄れそうなほどだった。
でも、俺は落ち着いていた。
どんな暗闇でも、そこに光を灯せばいいのだから。
「……照らせ、“小さな光”」
小さく呪文を唱える。いつもだったら、すぐに小さな光の球が出現するはずだった。
だが、いつまでたってもあたりは暗闇に包まれたままだった。
「“小さな光”…………“小さな光!”」
慌てて何度も呪文を唱える。でも、結果は同じだった。
俺は愕然とした。
この魔法は、俺が神聖魔法を覚えて初めて成功した魔法だ。
今まで一度も失敗したこともなかった。なのに、どうして……。
そこまで考えて、俺は気が付いた。
イリスを誘拐し、俺をここに閉じ込めたのは魔術結社の奴らだ。
もしかしたら、魔法を封じられているのかもしれない。
特定の条件下で魔法を封じられることがあると、以前リルカが話していたのを覚えている。
自分の存在すらわからなくなるほどの暗闇と静寂の中に、俺はたった一人で取り残された。
昼も夜もわからない。すぐに時間の感覚もなくなった。
何分、何時間、何日……いったい、ここに閉じ込められてからどのくらい時間が経ったんだろう。
目を開けても閉じても見えるのは一面の暗闇だけ。頭がおかしくなりそうで、俺はぎゅっと目を瞑っていた。
何度か、足音や人の声が聞こえたような気がした。
だが、目を開けるとそれらは一瞬のうちに消えてしまう。
たぶん……幻聴だったんだろう。
頭がおかしくなりそうだった。
何度かそうしているうちに、今度は幼い女の子の声が聞こえた。
『……でね、…………なの』
きっと幻聴だ。俺はぎゅっと目を瞑ったままでいた。
だが、女の子の声は鳴りやまない。
ついに我慢できなくなって、俺はぱっと目を開けた
そこには、心配そうに俺の顔を覗き込むイリスがいた。




