25 死人の女王
門が壊れ、暴徒が一斉に屋敷の敷地内に流れ込んでくる。
俺は焦ったが、ジークベルトさんは意に介さないように空を見上げると、まるで天に語りかけるように声を上げた。
「仕方ない…………来たれヘル! 死人の軍団を束ねし氷獄の女王よ!!」
その途端、空気が変わった。
辺りがいきなり凍りつきそうなほど冷えはじめ、屋敷の庭の上空に大きな時空の歪みが生じたかと思うと、そこからふわりと一人の女性が姿を現した。
まるで、見る者を凍りつかせるほどに美しく、底冷えするような恐ろしさを感じさせる女性だ。
ほとんど透明に近い透き通る長い白髪が、ゆらゆらと風になびいている。
肌も青白く、まるで氷のようだ。その白く美しい手には、銀色に輝く王笏を携えている。
夜の海を溶かしたような濃紺のドレスの裾をふわりと膨ませ、その女性はそっと庭園に降り立った。
暴徒たちも、まるで魂を抜かれたように動きを止めてその女性に釘付けになっていた。
「ご機嫌麗しゅう、女王陛下」
ジークベルトさんが現れた女性に向かって優雅に一礼すると、暴徒たちは我に返ったように騒ぎ始めた。
「惑わされるな! 殺せ!!」
リーダーらしき男がジークベルトさんを指差してそう叫ぶ。その途端、暴徒たちは一斉にジークベルトさんに襲い掛かろうとした。
俺は思わず息を飲んだが、ジークベルトさんは余裕な態度で耳元に手をやると、暴徒たちに向かって何かを投げつけた。
大きな破裂音が響き、あたりは白煙に包まれる。
「何だ、何が起こっている!?」
暴徒の困惑したような叫びが響く。
白煙はすぐに晴れ、そこに現れた光景を見て俺は絶句した。
辺り一面に血だまりが広がっている。
その中で、何人もの人が倒れていた。苦しげに呻いている人もいるが、ぴくりとも動かない人もいる。血の海と共に、人の体の一部らしきものまで地面に落ちていた。
「なっ…………」
あまりに凄惨な光景に、暴徒たちは言葉を失っていた。
これが現実だと、理解できていないのかもしれない。
「だから言ったじゃないですか。不法侵入として対処するって」
ジークベルトさんはこんな状況なのに愉快そうに笑っている。そして、さらに信じられないことが起こった。
ジークベルトさんの隣の、空から現れた白い女性が銀色に輝く王笏を振ると、血だまりの中に倒れていた人たちがゆらりと立ち上がったのだ。
もし生きていたとしても、立ち上がれるような状態じゃないのに。
「お、おい……大丈夫なのか!?」
暴徒の中の一人が慌てたように立ち上がった人に近づいた。次の瞬間、立ち上がった人が駆け寄った男を持っていた剣で斬り捨てた。
「なっ……!?」
駆け寄った男が地面に倒れる。そこで、月明かりに照らされて、俺にも立ち上がった人の顔が見えた。
「ひぃっ……!」
その人は、生きている表情をしていなかった。
……すぐにわかった。あれは生者じゃない、死者なんだって……!
その人ひとりじゃない。倒れたはずの人が次々にゆらりと立ち上がる。さっき死者に斬りつけられ倒れた人まで立ち上がっていた。
暴徒たちは、信じられないといった様子でその光景を見ていた。
そして、立ち上がった死者たちは各々武器を構えると、次々にその場に立ちすくんでいた生者に襲い掛かり始めた。
「ぎゃああぁぁ!!」
「や、やめろ……!!」
「な、何だこいつらはぁ!?」
死者は容赦なく生者を屠っていく。
美しい庭園に、聞くに堪えない断末魔が幾度も響き渡った。
まるで、地獄のような光景だった。
死者が生者に襲い掛かり、生者を死者に変えていく。地面に倒れた死者は再び立ち上がり。まだ息のある者に襲い掛かる。
最初は数人しかいなかったはずの死者の兵が、どんどん数を増していく。
「駄目だっ、逃げろ!!」
まだ生きている者も、ようやくここにいては命が危ないと悟ったのだろう。
だが、彼らが壊した門があったはずの場所には、いつの間にか行く手を塞ぐように分厚い氷の壁が出現していたのだ。
「出せ、出してくれえ!!」
暴徒たちは必死に氷の壁を叩いたが、分厚い氷の壁はびくともしない。
そうしてるうちに、逃げようとした人たちの背後にも死者の兵が現れた。
「な、ぎゃあぁぁ!!」
抵抗する暇もなく、氷の壁を越えて逃げようとしていた人たちは背後から斬りつけられて息絶えていった。
屋敷の敷地内には入らずに外に残っていた人たちも、その光景を見て震え上がったのだろう。
まだ生きている人を見捨てて、蜘蛛の子を散らすように逃げていくのが見えた。
「くそっ、あいつだ! あいつを殺せ!!」
しぶとく生き残っていたリーダーらしき男が、優雅にその光景を眺めていたジークベルトさんに気が付いたようだ。
そのまま剣を抜いて、怒号を上げながらジークベルトさんに斬りかかって行く。
俺は思わず小さく悲鳴を上げてしまったが、案じる必要はなかった。
ジークベルトさんは斬りかかってきた男をひらりとかわすと、瞬時に氷の剣を出現させた。
そのまま、目にもとまらぬ速さで氷の剣を振るう。
次の瞬間には、氷の剣が男の胸を刺し貫いていた。
ジークベルトさんが手を離すと氷の剣は解けるように消え、男の体が崩れ落ちる。だがすぐにまた立ち上がり、剣を携えまだ生きている者に襲い掛かり始めた。
「……恐ろしいですか」
そう声を掛けられて、俺は初めて自分の体が震えているのに気が付いた。
振り返るとジークベルトさんに俺のことを頼まれた女性の使用人が、どこかこわばった笑みを浮かべていた。
……俺と同じだ。彼女も、この光景を恐ろしいと思っているのだろう。
あの暴徒たちは俺を殺そうとこの屋敷にやって来た。ジークベルトさんはそんな奴らから俺を守ろうとしてくれているんだ。
……そうわかっていても、目の前の凄惨な状況には震えが止まらない。
俺は、目下で行われている殺戮劇が恐ろしくて仕方が無かった。
「……『死』すら味方につけ、自らの敵を滅ぼす。それが、ヴァイセンベルク家……ジークベルト様なのです。これが、ヴァイセンベルク家に刃を向けた者の末路です」
女性の使用人は、畏怖を込めてそう告げた。
きっと彼女がこの光景を目にするのは初めてじゃないんだろう。
単純に相手を殺すだけではなく、きっと……もっとずっと恐ろしい力だ。
もしあの力を向けられたのが自分だったら……そう思うと、背筋が寒くなる。
以前ジークベルトさんに会った時、テオは彼について「敵に回さない方がいい」と言っていた。
俺はこの時になってやっと、その本当の意味を知ったんだ。
悲鳴を上げながら逃げ出そうとした人が、何人もの死者に滅多刺しにされて息だえた。
気が付けば、他にもう生きている人はいないようだった。
たった数分の間で、あれだけいた暴徒たちは皆死ぬか、逃げるかしてしまったのだ。
「……ふぅ、そろそろ終わりかな。ご協力感謝致します、女王陛下」
ジークベルトさんが隣にいた白い女性に向かって深く頭を下げると、女性は再び王笏を軽く振った。
すると、屋敷の庭に時空の歪みが現れる。女性がその歪みを指差すと、突っ立ていた死者たちはぞろぞろとまるで何かに操られるかのようにその歪みを目指して歩き始めた。
そして、一人、また一人とその歪みの中に消えていく。
最後の一人が歪みの中に消えると、白い女性も歪みの中に入り、すぐに歪みは姿を消した。
あっと言う間に、屋敷は静寂に包まれた。
屋敷の庭に残された血だまりと肉片だけが、ここで何があったのかを物語っている。
「みんなー、終わったから後片付けに入ってくれるかなー」
ジークベルトさんが屋敷の中に向かってそう声を掛けると、中からぞろぞろと使用人たちが姿を現した。
彼らは迷うことなく大理石の道から血をふき取り、地面に落ちた肉片や暴徒たちの遺品を拾い集めはじめた。
「もう大丈夫だよ!!」
ジークベルトさんはにっこりと笑って俺に手を振った。
その声で、俺はやっと呪縛が解けたように動けるようになった。
……手段はともかく、彼は押し寄せた奴らから俺の事を守ってくれた。
その事については礼を言わなければならないだろう。
俺は慌てて部屋の外へと飛び出した。




