19 王都の影
「この、しつこい……!」
何とか向かってくる魔物に対して障壁を張りながら、俺は内心で毒づいた。
イービスガルトへ向かう道中、大きな問題が起こった。魔物が、やたらと俺たちを狙ってくるのだ。
先日小さな村に泊まった時には、村の中にまで魔物が押し寄せてあわや大惨事になるところだった。
最初はラファリスが死んだことで世界のバランスが崩れてこうなったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
俺たち以外の人は、別に魔物の様子は変わらない、と一様にそう口にするのだ。
明らかに、俺たちが狙われていた。
「思ったんだけどさ……」
たき火を見つめながら、レーテがそう切り出した。
何とか魔物の集団を退けて、俺たちは森の中の小さな洞窟で野宿することにした。できればちゃんとした宿に泊まりたいが、また魔物の群れが押し寄せたら村の人に迷惑が掛かってしまう。
外敵に対する防御がしっかりとした大きな街ならまだしも、小さな村をそんな危険な目に遭わせるわけにはいかない。
多少不便だが、こうして野宿をするのが一番だろう。
「ルディス教団が魔物を操るって話、覚えてるか?」
「うん……それに、信者の人もだんだん魔物化してってるんだろ」
今も忘れることはない。以前訪れた小さな村で、人々が次々に魔物へと姿を変えていくという恐ろしい現象に俺たちは遭遇していた。
「……もしかしたら、君を狙ってるんじゃないの」
レーテは真正面から俺を見据えると、そう口にした。
俺は思わず黙り込んでしまう。それは、俺も考えていたことだった。
「前まではこんなことなかったんだろ。ルディスと枢機卿に会った時に何かされたんじゃないのか」
「わかんないよ……」
ルディスにも枢機卿にも接触したし、ルディスが生み出した闇の塊を俺は間近で目にした。
そのどれがいけなかったのかはわからないが、きっとレーテの言う通りその時に何かされて、そのせいで俺は魔物に狙われているんだろう。
「別に何があっても関係ない。向かってくる敵はすべて倒すだけだ」
「そ、そうだよ……! リルカ、負けないから……!」
ヴォルフとリルカは俺を元気づけるようにそう口にした。
その言葉にほっとする。こいつらは俺を見捨てたりしないってわかってても、やっぱり迷惑をかけていると心苦しいものだ。
「なんにせよ、一刻も早くイービスガルトに行くべきだろうね」
「王都なら守りは固い。魔物だってうかつには侵入できないはずです」
「くーちゃんはリルカが守るから……安心してね……!」
優しい言葉に胸がじんわりと熱くなる。
何とか泣くのを堪えて俺はリルカの頭を撫でた。
《ユグランス帝国中央部・王都イービスガルト》
間髪入れず襲いくる魔物を退けながら、俺たちはなんとかユグランス帝国の王都、イービスガルトへ辿り着くことができた。
この大陸で一番大きな国、しかも王都だ。様々な色の巨大な建物が整然と立ち並び、見たことないほどたくさんの人が通りを行きかっている。世界が危ない事になりかけているというのに、皆楽しそうに買い物をしたり大道芸人を見て笑い声を上げたりしていた。
その光景を見て、俺の心は明るくなった。まだ、こんな平和な日常がある。
さすがにこの街は強固な城壁に守られているし、あちこちを衛兵が巡回している。
魔物が入り込む隙はないだろう。
「それで、そのアコルドって奴はどこにいるんだ?」
きょろきょろとあたりを見回しながらレーテにそう聞かれた。
答えようとして、俺は自分でもよくわからないことにやっと気が付いた。
アコルドは、確かにこのイービスガルトに来いと言っていた。でも、場所までは指定していなかったはずだ。
「……わかんない」
「はあ? なんだそれ」
レーテはあきれたように吐き出したが、俺は何も言えなかった。
ここに来さえすればなんとかなると思っていたが、この街は滅茶苦茶広い。しかも見た事も無いほどたくさんの人がいる。
この中から、たった一人を探し出すなんてことはできるんだろうか。
「まあとりあえず、ここならゆっくり休めそうじゃないですか」
ヴォルフがその場の空気を変えるようにそう言った。
確かに、俺たちは今までずっと魔物の襲来を恐れて夜も気が休まらなかった。ここなら美味しいものを食べて、屋根のある場所でぐっすり眠ることができるだろう。
「とりあえずどこかに……あっ、すみません!」
いい店はないかな、と辺りを見回していた俺は、不注意で道行く人にぶつかってしまった。反射的に謝ったが、四十代くらいのその男は不愉快そうに俺を見下ろしている。
どうしよう……と俺は固まったが、すぐにヴォルフに背を押された。
「よくあることですよ、行きましょう」
田舎育ちの俺にはなれないことだが、人の多い場所では珍しくないことなんだろうか。
そのまま歩き出した俺は、ふと背後から聞こえた呟きに思わず足を止めた。
「……古き女神の使徒が」
「えっ?」
振り返って、俺は思わず悲鳴を上げてしまった。
さっきぶつかったばかりの男が、ナイフを振りかざして俺の方へと突進してきたのだ。
「死ねぇ! 旧教徒め!!」
男は脇目も振らず俺の方へと走ってくる。
すぐに舌打ちしたレーテが男に電撃をとばした。怯んだ男を、俺を庇うように前に出たヴォルフが思いっきり蹴り飛ばす。
男の体は勢いよく吹っ飛び、近くの露店の積んであった箱の山に激突した。近くにいた人たちが悲鳴を上げる。
「何事だっ!」
「通り魔よ!!」
辺りの人が騒ぎだし、すぐに衛兵が駆けつけ男を取り押さえた。
「離せ! その女は忌まわしき旧女神の使徒だ!!」
「ちっ、邪教徒か。連れていけ!!」
男はなおも俺の方を見て何かわめいていたが、すぐに集まった衛兵に連行されていった。
「君達、大丈夫かい?」
残った衛兵が心配そうに近づいてくる。
ショックで何も話せない俺の代わりに、ヴォルフとレーテが答えていた。
「はい、皆無事です。それで、さっきの人は……」
「……おそらくはルディス教団の者だろう。最近よくあるんだ。奴らが無差別に暴れることがね」
険しい顔でそう告げた衛兵に、レーテは明らかにうんざりした顔をした。
「へぇ、迷惑極まりないね。ちゃんと巡回頼むよ」
「ああ、任せておいてくれ」
衛兵はそれだけ言うと、俺たちの前から去って行った。
いまだに震える俺の手を、リルカがぎゅっと握りしめてくれた。それで、少しだけ落ち着きを取り戻す。
おそらく、あの男は無差別にじゃない、俺を狙っていた。
外にいる魔物たちと同じように……。
「……どうしよう」
街の中でも油断なんてできなかった。
おそるおそる周囲を見回す。崩れた露店の荷物以外は、もう何もなかったように先ほどのにぎわいを取り戻していた。
でも、教団の奴らがどこに潜んでいるのかわからない。あたりを行きかう人に、俺を殺そうとしている人が混じってないとは限らないんだ……!
急に怖くなった。さっきだって、もう少し気づくのが遅かったら俺は背後から刺されていたかもしれないんだ。
「……クリスさん」
ヴォルフが気遣わしげに俺の肩に触れた。
大丈夫、と返したかったけど、もうそんな虚勢を張る気力もないくらいに、俺は憔悴していた。
やっと気分が休まる場所まで辿り着いたと思ったのに、人に警戒するのなんて魔物に警戒する以上に大変じゃないか……。
そう考えた時、遠くから馬車の音が聞こえてきて俺たちは慌てて道の隅に寄った。
見れば、遠くから立派な馬車がこちらへ向かってくるのが見えた。ここは王都だし、どこかの貴族でも乗っているんだろうか。
そのまま馬車は俺たちの前を通り過ぎ、少ししたところで止まった。
そしてその馬車から降りてきた人物を見て、俺は思わず息を飲んだ。
「……やっぱりヴォルフだ! クリスさんとリルカさんも、久しぶり! こんな所でどうかしたのかい?」
光り輝く銀髪、完璧な笑顔。
行きかう人たちも思わず足を止めて、彼に視線を吸い寄せられているのがわかった。
「兄さん……?」
ヴォルフがそう呟くと、彼は嬉しそうに笑った。
馬車から降りてきたのは、以前一度会ったヴォルフの兄、ヴァイセンベルク家のジークベルトさんだったのだ。




