12 少女の見た世界
やがて、ティレーネちゃんの番が回ってきた。
外へ連れ出されることになったティレーネちゃんは、抵抗しなかった。
修道院の門の前には、彼女を運ぶ馬車が止まっている。
気遣わしげな仲間の少女たちの視線を受け、きっと内心は不安でたまらないはずなのに、ティレーネちゃんは気丈にも前を向いていた。
……連れて行かれたら、もう二度と帰ってこれないとわかっているはずなのに。
俺は止めようとしたが、傍にいたラファリスが俺の腕を掴んで静かに首を横に振った。
……俺だってわかってる。
これは、ルディスが俺たちに見せている幻影だ。
でも、きっとこれはティレーネちゃんの過去。実際にあったことなんだろう。
俺たちが介入できない、もう過ぎ去ってしまった時間の光景だ。
そして神父たちに連れられ、彼女が馬車に乗り込もうとした瞬間、あたりに男の声が響いた。
『待ちなさい』
その途端、ティレーネちゃんを連れて行こうとした男達が恐れをなしたかのように固まった。
そして、そこに現れた人物を見て俺は思わず悲鳴を上げてしまった。
これは過去の光景だ。現実じゃない。
そうわかっていても、どうしても体が震えだすのを止められない。
居並ぶ男達を睨み付けティレーネちゃんの目の前までやって来たのは、ジェルミ枢機卿――異常なほどアンジェリカに執着するあの男、ニコラウスだったのだ。
『……よく頑張ったね』
彼は優しくティレーネちゃんに微笑むと、そっと屈んで彼女に視線を合わせた。
『大丈夫、もう君が辛い目に遭う必要はないよ』
彼にそう言われた途端、今まで我慢していたものが溢れだしたのだろうか。ティレーネちゃんは大声を上げて泣き出した。
枢機卿は、そんなティレーネちゃんの頭を優しく撫でていた。
それから、オルキデア修道院は変わった。
修道女たちの待遇は向上し、もう外へ連れていかれ突然いなくなることもなくなった。
きっとティレーネちゃんからみたら彼は救世主のような存在に思えたんだろう。
時折枢機卿が修道院を訪れるたびに、ティレーネちゃんは何人かの少女と共に熱心に彼の話を聞いていた。
『ティレーネは、この世界のことをどう思うかい?』
いつものように修道院を訪れた枢機卿は、ある日突然そんな事をティレーネちゃんに尋ねた。
『遠慮しなくていいよ。正直に話してごらん』
『は、はい。私は……この世界は、悲しみに満ちていると思います』
ティレーネちゃんは戸惑いながらも、はっきりとそう答えた。
枢機卿はその答えに満足そうに目を細める。
『……君の言う通りだよ。この世界で女神の威光の届かない場所は、暗い悲しみに満ちている。奇跡の聖女がいれば、そんなことも無かったかもしれないが……』
『奇跡の聖女……?』
ティレーネちゃんは仲間の修道女と顔を見合わせたが、誰も知っている様子はない。
聞き返したティレーネちゃんに、枢機卿は少しだけ瞳を潤ませながら告げた。
かつてこの世界を救った聖女――アンジェリカという女性の事を。
『彼女は光だ。彼女が死に、今の世界は闇に包まれている』
『で、でも……ティエラ様が大地をお守りくださっているはずでは……』
『……君たちは、守られていたかい?』
枢機卿の問いかけに、少女たちは口をつぐんだ。
少し前までの彼女たちの境遇は、お世辞にも守られているとは言えなかったからだろう。
『私は、そんな世界を変えようと思っている。もう誰も苦しむことのない、優しさに満ちた世界に』
枢機卿は力強くそう告げると、集まった少女たちを見まわした。
『その為には、奇跡の聖女――アンジェリカの復活が必要だ。皆、協力してくれるかい?』
『はいっ!!』
居並ぶ少女たちは、元気よく一斉にそう答えた。
男の瞳の中に潜む、仄暗い執着心には気が付かないまま。
枢機卿は、少しずつ少女たちの考えを変えていった。
四女神の支配を許したままではこの世界を変えることができない。もっと強力な神が必要だと。
最初は疑っていた少女たちも、徐々に魔物が増え始めているという現状を見てからは枢機卿の言葉に納得したようだ。
こうして、哀れな少女たちを巻き込んでティエラ教会の反乱分子は誕生した。
やがてティレーネちゃんを含む特に枢機卿への忠誠心が厚い少女たちは、修道院を出て王都の枢機卿の傍で働くようになった。
世の中では徐々に大地の異変が起き始め、ティエラ教会は大々的に英雄アウグストのような「勇者」を探し始めた。枢機卿は大地の異変が起こっている場所に、アンジェリカの生まれ変わりである存在が現れると考えたらしい。
修道院から連れて来た少女たちに、選ばれた「勇者」と共に旅立つように命じた。
『もうすぐ、もうすぐだ。奇跡の聖女さえ見つかれば、君達の望む世界が訪れるだろう……!』
ティレーネちゃんをはじめとする少女たちは、誰も枢機卿の言葉を疑っていない。
それも無理もない。
俺から見れば、いつまでもアンジェリカに固執する枢機卿は気持ち悪い以外に言いようがないような男だが、彼女たちから見れば自分たちを悲惨な境遇から助け出してくれた救世主だ。
たとえその目的が彼女たちを利用することにあったとしても、枢機卿がティレーネちゃん達を救ったのは事実なんだ。
そう考えているうちに、また俺たちのいる空間が歪んで、別の場所に変わった。
今度は、俺も見覚えのある場所だった。これは、王都にある大聖堂の目の前だ。
ティレーネちゃんは何か急ぐように大聖堂前へと走っている。だが、すれ違った人を避けようとした瞬間、聖堂前の広場へと続く階段の上にいた彼女はバランスを崩し、段を踏み外したはずみで、階段の下へと落下しかけてしまった。
階段のすぐ下にいた人物がその様子に気づいて、驚いたように目を見張る。
俺も思わず息を飲んだ。ティレーネちゃんが階段から落ちそうになっているからじゃない。
階段の下にいたのは、普段より質素な服を着たレーテだったのだ。
……いや、違う。俺はこの出来事を覚えている。
勇者に選ばれ初めて王都にやって来た時、俺は上空から降ってきたティレーネちゃんの下敷きになったことがあったじゃないか!
あれはレーテじゃない。
レーテと入れ替わる前の、「男」だった頃の俺だ……!
「祓えっ!!」
急にラファリスが叫んだかと思うと、大聖堂前の風景は一瞬にして姿を消し、あたりは元の荒野に戻っていた。
俺たちの前では、相変わらずティレーネちゃんの姿をしたルディスが薄ら笑いを浮かべている。
「どうだ、わかっただろう? この娘は今の世界に絶望し、自ら世界を変えたいと願ったのだ」
「……僕たちの非は認めます。でも、だからってあなた方が今していることを容認はできない!」
ラファリスは憤るかのように叫んだ。
「結局あなただって、その子を騙してるだけじゃないですか!! 彼女の望む世界になんてするつもりはない癖に!」
「新たな世界を作るためには、今の世界を破壊しなければならない。我はそれに手を貸しているだけだ」
ルディスはひどく楽しそうに笑っている。
俺にもすぐにわかった。枢機卿の言っていた「誰も傷つかない優しい世界」なんて、こいつだって絵空事だとわかっているんだろう。
それなのに、こいつは自分の目的の為にティレーネちゃんを騙して操っているんだ……!
ラファリスがそっと周囲に視線を走らせたのがわかった。目ざとくそれに気づいたルディスは、からかうような口調で告げる。
「残念だが『調停者は』来ないぞ。……貴様の仲間もな」
途中でラファリスから俺に視線を移して、ルディスはくすくすと笑った。
「あいつらに、なにしたんだよ……!」
「そう怒るな。別になにもしておらぬ。ただ……この空間への出入りを制限しただけだ」
ルディスはそう言うと、またラファリスに視線を戻し、愉快そうに口を開いた。
「残念だなぁ、アリア。いつもみたいにぴーぴー泣いて助けを呼ぶことはできぬぞ?」
たぶん、ルディスが言っている「調停者」というのはアコルドのことなんだろう。彼は助けに来られない。……俺の仲間の三人も。
すぐ横のラファリスがぎゅっと拳を握りしめたのが見えた。
それと同時に、再びあたりの空間が歪み始める。
てっきりアコルド達が助けに来たのかと俺は期待したが、そこに現れた人影を見て絶望した。
そこにいたのはジェルミ枢機卿――ニコラウスだった。
ティレーネちゃんの過去でみたばかりのその男は、立ち竦む俺を見て確かに笑った。




