5 二人の墓標
ラファリスは真正面から俺を見据えて、にやりと笑った。
「“聖気解放!!”」
「うわっ!」
俺はとっさに杖を抜いて、ラファリスに向かって魔法を放った。
ラファリスは思いのほか俊敏な動きで、俺の放った魔法を回避した。
「ま、待った待った! いきなりどうしたの!!」
「うるさい! やっぱり俺の事殺す気だったんだろ!!」
こいつはこの場所を俺と自分の墓だと言った。
つまり、俺をここで葬る気だ!!
「……え?」
だが、ラファリスは俺が何を言ってるのかわからない、とでも言いたげな顔をしている。
いやいや、「え?」じゃないだろ。お前自分が何言ったのか覚えてないのかよ!
「お、俺は……こんな所で死ぬつもりなんかないからな!」
「ちょっと待って! それってどういう……あー、そういう事か……」
ラファリスはやらかしたー、みたいな顔をして頭を掻いた。
俺が二発目を放とうと呪文を唱え出したところで、ラファリスは慌てたように弁解し始めた。
「ま、待って! 違うんだ! 別に僕は君を殺したりここで心中を図ったりするつもりはないから!!」
「……じゃあ、何で墓なんて言ったんだよ」
警戒して杖を向けたまま、ラファリスにそう問いかける。
ラファリスは敵意はないと示すかのように両手を軽く上げて、大きく息を吐いた。
「……例外はあるけど、基本お墓って死んでから作るものだよね」
「……俺は生きてる」
「うん、わかってるよ」
ラファリスは俺の方を向いて困ったように笑った。
なんだかその憐れむような笑みに、少し背筋が寒くなった。
「ここは、アンジェリカの墓なんだ。……本人の許可は得てないけどね」
告げられた言葉に、俺の体は固まった。
こいつは、今なんて言った?
ここは俺の墓で、アンジェリカの墓。
つまり、ラファリスは俺がアンジェリカの生まれ変わりだと知っているわけだ。
「……墓を作ってくれなんて頼んでない」
「そうだね。僕たちが勝手にやったことだから、あまり気にしないでいいよ」
ラファリスはそう言うと、大きく辺りを見回した。
俺たちの他には誰もいない、静謐な空間だ。なんだか墓と言われたらそんな気もしてくるから不思議だ。
俺は警戒を解かないまま辺りを見回すラファリスをじっと見つめた。
今の言い方だと、ラファリスがここをアンジェリカの墓にしたように聞こえる。
それに、さっきこいつは気になる事を言っていた。
『僕と、君のだよ』
アンジェリカは百年前に死んだ人間だ。そのアンジェリカの墓を作ると言うのは、釈然としないけど……わからないでもない。
じゃあ、ラファリスにとってはどうなんだろう。
ここはアンジェリカの墓で、ラファリスの墓。アンジェリカは俺の前世。
……ということは、
「お前も、誰かの生まれ変わりなのか」
ラファリスは黙ったままじっと俺を見つめていた。俺も負けじと睨み返す。
そのまま数秒過ぎて、ラファリスはふっと力を抜いたように見えた。
「……そうだとも言えるし、違うとも言える」
「はあ?」
「似て非なるもの、ってことだよ」
ラファリスは優しくそう言ったが、俺にはさっぱり意味が分からなかった。
困惑する俺を置いて、彼はまた俺に背中を向けた。
「行こう、目的地はもっと先だ」
ラファリスはそのまま俺の返事を聞かずに歩き出した。
奴の言葉に従うのは癪だったが、このよくわからない場所に一人置き去りにされるも勘弁してほしい。
俺は仕方なくラファリスの背を追いかけた。
◇◇◇
洞窟内に散在する像や石碑は、比較的新しく見えるものからほとんど朽ちかけているような古いものまであった。
俺は興味本位でそのうちの一つに近づいた。
ほとんど読むことはできないが、何か文字のような物が掘られている石碑だ。
「ここって、たくさんの人の墓なのか」
いくらなんでもアンジェリカとラファリス二人の墓、ということはないだろう。
もしかしたらこの石碑の一つ一つが、誰かの墓なのかもしれない。
「鋭いね! その通りだよ!!」
ラファリスはぱっと振り返ると、やたらと嬉しそうに笑った。
「人の墓でよくそんなにはしゃげるな……」
「まあ墓って言っても形式的なものだからね。別にここに死体を埋めてるわけじゃないんだよ。たぶん、ここに自分の墓があるって知らない人の方が多いんじゃないかな」
ラファリスの言う事は相変わらずさっぱりわからなかった。
実際俺もアンジェリカの墓がここにあるなんて知らなかったし……そもそも、そういうのは墓と言えるんだろうか
そんな事をぐるぐると考えていると、ラファリスが何かを探すようにきょろきょろとあたりを見回し始めた。
「確かこの辺りに……あったあった」
ラファリスは急に俺の手を掴むと、比較的綺麗な石碑の前まで連れて行った。
その石碑には、確かに『アンジェリカ』の名が記されている。
「じゃじゃーん! これが勝手に作ったアンジェリカのお墓です!!」
楽しそうにそう言うラファリスに、俺はもう怒る気すら起こらなかった。
そっと刻まれた文字をなぞる。前世の自分の墓の前にいるというのに、あまり何の感慨も湧いてこなかった。
ふと、ここ以外にもアンジェリカの墓はあるんだろうか、という疑問が湧いて出た。
アンジェリカは魔女として火刑に処され、歴史からは完全に抹消された。
迫る炎が、瞼の裏に浮かぶ。
あの勢いだったら、アンジェリカの体は灰になるまで燃やされただろう。
きっと、まともな埋葬はされなかったんだろう。
あの今でも俺を――アンジェリカを追いかけている枢機卿が墓を作った可能性も考えたが、そんなのは今目の前にある墓以上になんか気持ちが悪い。
……となると、まともなアンジェリカの墓はここだけなのかもしれない。
「……ありがとう」
「えっ、どうしたの急に」
ラファリスは慌てた様子で俺の額に手を当てた。
「うーん、熱はなさそうだけど……」
「俺は平常だよ。だから、アンジェリカの墓、作ってくれてありがとう」
そう言うと、ラファリスは驚いたように目を見開いた。
非業の死を遂げて、あらゆる記録からも抹消されたアンジェリカ。
でも、クリストフや目の前のラファリスのように、彼女の存在を残そうとしてくれた者がいる。
それが、じんわりと俺の心を温かくしていた。きっと、俺の中のアンジェリカも感謝しているはずだ。
頬に濡れた感触がした。気が付かないうちに、また泣いていたようだ。
ラファリスがそっと俺の肩に手を置く。そして、優しく抱き寄せられた。
何するんだよ、と慌てて抗議しようとした時、震えた声が俺の耳に届いた。
「…………助けてあげられなくて、ごめんね」
それは、確かにアンジェリカに向けられた言葉だった。
俺の見るアンジェリカの夢に、ラファリスが出てきたことはない。だから、俺はラファリスとアンジェリカがどんな関係だったのかは知らない。
でも、その言葉は確かに俺の心の奥底に秘められていた感情を揺さぶったんだ。
「なんだよ、それ……そんな事言われたって……」
必死に強がって見せたが、体の震えは抑えられなかった。
誰かに、面と向かって助けられなかったことを謝罪されたのは初めてだった。
――本当は、あんな所で死にたくはなかった。
――誰かに、助けに来てほしかったんだ。
「うっ、ひぐっ……」
どうしても嗚咽を抑えられない。ラファリスが優しく背中を撫でてくれたのが引き金になって、俺はたがが外れたように大声を上げて泣いた。
「ごめん、ごめんね……」
繰り返される謝罪の言葉と共に、ぐすっと鼻をすする音が聞こえた。どうやらラファリスも泣いているようだ。
いい年してみっともない、と言いたかったが俺にも刺さるのでやめておいた。
そのまま俺たち二人は、しばらくの間泣いていた。
「……ごめん、もういいよ」
やっと落ち着いた頃になって、やっと俺はラファリスから体を離した。彼はもう泣いてはいなかったが、目が赤くなっていた。
「僕の方こそ取り乱しちゃってごめん。……じゃあ、行こうか」
ラファリスはそう言うと、何事もなかったかのようにまた奥へと進み始めた。
俺は一度だけアンジェリカの名前が刻まれた石碑を振り返った。
アンジェリカの体も魂もあそこにはない。
でも、確かにそこにはアンジェリカの存在が刻まれていた。
◇◇◇
それからしばらく奥へと進んだ。
相変わらず像や石碑が立ち並んでいるが、だんだんと古いものが増えてきている。
ここは、ずっと昔に作られたところなんだろうか。
ラファリスは迷いなく進み、とある場所でぴたりと足を止めた。
その先には、一段と大きな石碑が鎮座していた。
かなり古いものに見えるが、よく手入れされているのか不自然に綺麗だ。
ラファリスはその石碑を指差すと、抑揚のない声で俺に呼びかけた。
「文字、読んで」
「う、うん……」
言われたとおりに石碑の前まで進む。
アンジェリカの物と同じように、そこには短く名前が記されていた。
「えっと…………ア、リア……?」
今は使われていない古代の文字だったが、単純な発音の仕方は俺にもわかる。
その石碑には、確かに『アリア』と刻まれていたのだ。
……この世界を守る、女神様の一柱の名前と同じだ。
「そう、ここが……」
不意にすぐ近くから声がした。慌てて振り返ると、俺のすぐ背後にラファリスが立っていた。
いつもとは違う、感情の読めない瞳で石碑を見下ろしている。
「…………僕の、墓だよ」
ラファリスは聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、ぽつりとそう呟いた。




