1 乾いた大地
《ユグランス帝国南部・アルカ地方》
目の前には険しい岩山が広がっている。
辺りには緑も少なく、人が生きていくのには険しすぎる環境だ。
この先が、「大地の中心」と呼ばれる場所らしい。
きっとそこが俺たちが目指す場所、アンジェリカもかつて訪れた、「テラ・アルカ」いう場所なんだろう。
そこに何が待ち受けているのか、俺は何度か心の中でアンジェリカに問いかけたけど、答えは返ってこなかった。
きっと、自分の目で確かめろという事なんだろう。
「この先に小さな村があるみたいです。今日はそこで休みましょう」
地図に目を落としていたヴォルフがそう告げた。
こんな険しい環境の中でも、そこで生きている人がいる。
何だか、不思議な気がした。
◇◇◇
辿り着いた村は、俺の故郷のリグリア村と同じくらい閑散としていた。
こんな岩山に囲まれた場所じゃ馬車も入れないだろうし、きっと外との行き来もあまりないんだろう。
それでも村に一軒だけ宿屋があったので、俺たちはそこに泊まることにした。
ここ数日は野営続きだったので、屋根と壁のある場所で寝れるというだけでも俺は嬉しかった。
「おいおい、本当にこの先に向かうっていうのか? やめとけよ。大地の中心なんて名前だけで何もないぞ」
俺たちが「大地の中心」を目指していると話すと、宿屋の親父は気の毒そうな目をして俺たちを止めようとしてきた。
「あんたはそこに行った事があるのかい?」
レーテがそう尋ねると、親父は苦笑いをしながら頭を掻いた。
「まあな、こんな所に住んでるし、記念に一回くらいは行っとこうと思ってな。でもな、ひたすら乾いた荒野が広がるだけで本気で何もないぞ」
「えぇぇ……」
親父の目は嘘をついているようには見えない。何だかちょっと心配になってきた。
クリストフの日記に書かれていた「テラ・アルカ」というのはきっとこの先にある「大地の中心」のことだろう。
でも、親父の話ではそこは何もない荒野らしい。
一体そこにたどり着いた所で、何があると言うのだろう。
「……まあ、行くだけ行ってみましょうよ。駄目だったら何か他の手を考えればいい」
「たぶん、大丈夫……だよ……!」
ヴォルフとリルカの励ましに、俺は力なく頷いた。
正直自信はない。三人に俺が眠っていた間のアンジェリカの話を聞いたのだが、アンジェリカは詠唱も無く高位の魔法を自由自在に操る様なとんでもない奴だったらしい。
……どう考えても、俺にはそんなことはできない。
アンジェリカが大地の中心を訪れた時は何かを発見したのかもしれないけれど、俺も同じことができる保証はないんだ。
……そんな風に暗くなりがちな思考を慌てて振り払った。
大地の中心に何があるかなんて、行ってみなければわからない。
今は、とにかく俺にできることをやっていこう。
途中でへばってみんなに迷惑はかけられない。
体力が肝心、とまた食事を口に運んだ。
◇◇◇
今日は早く寝ようと荷物の整理をしていた所、俺の手はあのアンジェリカが買った下着を探り当てた。
それを見ていると、またふつふつと怒りが湧いていた。
……ヴォルフが、アンジェリカの胸を触った疑惑についてだ。
前に問いただそうとした時は、叫んだ途端やってきたレーテにうるさいと文句を言われ、なんやかんやでそれどころじゃなくなってしまったのだ。
でも、きっとこのまま闇に葬っていい事案じゃないだろう。
「何だい、そんなに強く下着なんて握りしめて」
ブラを掴んでわなわなと震える俺を見て、レーテが呆れたように声を掛けてきた。
俺は冷静にブラを持ったまま、すっと立ち上がる。
「……ちょうどいい。ヴォルフ、みんなの前で決着をつけよう」
ヴォルフは面倒くさそうな顔をしていたが、俺があの派手な割に薄いブラを掴んでいるのを見ると、瞬時に顔をひきつらせた。
「お、お前がっ……なんで、アンジェリカの下着のさわり心地を知ってるかってっ……」
「……聞かない方がいいと思うけど」
言葉の途中で、レーテが面倒くさそうな顔をしてぽつりとそう呟いた。
俺は信じられない思いでレーテを振り返る。
「何だよそれっ……!」
「聞けば、傷つくのは君の方かもしれないよ」
レーテはそう言って曖昧に笑った。
なに言ってるんだ。俺が傷つくって何だよ……!
思わず助けを求めてリルカの方へ視線をやる。
「なぁ、リルカ。リルカは何か知って……」
そう尋ねると、何故かリルカは頬を真っ赤に染めて手で顔を覆った。
「リ、リルカの口からとても言えませんっ……!」
……おい、ちょっと待て。
明らかに怪しいレーテとヴォルフはともかく、リルカまでその反応はなんなんだ!?
ヴォルフがアンジェリカの胸を触った疑惑がある。
レーテによるとその真相を聞いたら俺が傷つくかもしれなくて、リルカの口からはとても言えないようなことだって……?
そんなのって……!
「バカ! 変態!! お前俺がいないからってアンジェリカにセクハラかましてったっていうのかよ!!」
「なっ!? 何でそうなった!!?」
ヴォルフは心外だとでも言いたげな顔をして立ち上がった。俺も負けじと睨み返す。
「さ、触らせられたとか滅茶苦茶なこと言って……ほんとは嫌がるアンジェリカに無理やり……!」
「違う! 誤解です!! むしろ逆だ!!」
「逆ってなんだよおおぉぉぉ!!」
思わず叫んだ途端、ガァン! と俺たちのいる部屋の戸が、苛立ったように殴りつけられた。
室内がぴたりと静まりかえる。
……どう考えても、この部屋がうるさくて誰かが文句を言いに来たんだろう。
あの様子だとかなり怒ってそうだ……!
「……僕が、様子を見てきます」
ヴォルフは小声でそう告げると、そっと部屋の入口へと向かった。
俺はついさっきまでヴォルフを糾弾しようとしていたのも忘れて感謝した。
戸を開けた途端殴り掛かられでもしたら、俺にはどうにもできないだろう。その点、ヴォルフならたぶん大丈夫だろう。俺は無責任にもそんな事を考えていた。
ヴォルフはゆっくりと警戒しながら戸を開いた。
俺もおそるおそるその向こうを覗き込む。
部屋の外には、黒髪の目つきの悪い男が立っていた。
「……おい、今何時だと思ってる。宴会なら外でやれ」
男は、不機嫌さを隠そうともしない声でそう告げた。
俺は謝るのも忘れてその姿に釘付けになった。
全身真っ黒な服を纏った、三十歳くらいの男。
俺は、確かにその男を知っていた。
ヴォルフとリルカも、驚いたようにその男を凝視している。
「あんた……アコルド…………?」
そう呼びかけると、男は初めて驚いたように俺たちに目を向けた。
その男は、かつて廃都メスキアの地下で出会ったアコルドだった。
意図せず不死者が徘徊する地下都市に落ちた俺たちは、そこでこの男に出会った。
最初は怪しかったし……ずっと怪しかったような気もするが、この男は確かに俺たちを助けてくれたのだ。
結局何者なのかはわからず仕舞いだったけど、そんなに悪い奴じゃない……ような気がする。
「何であんたがここに……」
そう呟いた時、部屋の向こうからもう一つの声が聞こえてきた。
「ふあぁ……なにかあったんですかぁ?」
油断しきったような気の抜けた声。俺は、その声にも聞き覚えがあった。
記憶を手繰り寄せる俺の前で、アコルドの背後にその声の主が姿を現した。
寝ていたのかぼさぼさの金髪に、どこか眠そうな瞳。
以前女性を虜にしていた時のような甘い雰囲気は鳴りを潜めていたが、確かにそこにいたのは、同じく廃都メスキアへ向かう途中で出会った青年――ラファリスだった。
「ラファ……?」
思わずそう問いかけると、ラファリスはそこでやっと俺たちに気づいたように、大きく目を見開いた。




