19 一夜明けて
――誰かの声が、聞こえた気がした。
なんだか体が重い。それでも、光を感じて俺は目を覚ました。
「あっ、起きた!」
随分とかわいらしい声が聞こえる。重い瞼を開くと、じっと俺を覗き込んでいた幼い女の子と目があった。
「…………ミーネ?」
「うん、そうだよ。パパー、お姉さんが起きたよー!!」
俺を覗き込んでいたのは、ゲオルグの娘のミーネだ。
ミーネがどこかに向かって呼びかけていた。
何とか重い体を起こす。体は重いし、何故か腹のあたりがずきずきと痛むし、最悪の気分だ。
「あんた、大丈夫だったか!?」
娘の声が届いたのか、慌てた様子のゲオルグが近づいてきた。
その時点で、俺はやっと冷静にあたりを見回すことができた。
木でできた、簡素な小屋のような場所に俺たちはいた。他にも十数人の人の姿がある。
見覚えのある人もいた。あれは、魔物になりかけていた村の人だ。
そうだ、俺が襲い掛かって来たあの人たちを浄化して、それで……
「あの村は!?」
俺は慌てて飛び起きた。ずきりと腹が痛んで膝をついたが、なんとか手をついて踏ん張った。
「今、あんたの仲間が見に行って……」
立ち上がろうとした俺をゲオルグが押しとどめる。それでも必死に立ち上がろうとすると、どこにいたのかリルカがすっとんできた。
「無理しちゃだめだよ!」
「でも、あの村が!!」
あの不気味な穴はどうなったんだ!?
俺が何を気にしているのかわかっているはずなのに、リルカは何も言わずにきゅっと唇を噛みしめた。
その時、きぃ、と音がして小屋の戸が開いた。
「あ、起きたんだ」
朝の光を背にして、レーテが小屋の入口に立っていた。レーテは探るような目で俺を見下ろしている。
「調子はどうですか?」
レーテの後ろからヴォルフが俺の所へやって来て、傍らに片膝をつき顔を覗き込んできた。
「体、重い……あと、腹が痛い」
「当たり前だ。思いっきり殴ったからな」
レーテがそう言ったのが聞こえて、俺はやっと自分の身に何が起きたのか理解した。
おそらくレーテが拳を握りしめた直後に、俺はレーテに腹を殴られて意識を失ったんだろう。
まったく、女の子の腹を殴りつけるなんてなんて奴だ!
いくら元は自分の体だからと言って、やっていいことと悪いことがあるだろ!!
……違う、今はそんな事を気にしてる場合じゃない!!
「あの穴は、村の人たちはどうなったんだ!?」
そう問いかけると、ヴォルフは俺から目を逸らした。
しばらく沈黙が続いた後、レーテがそっと口を開いた。
「……気になるなら、自分の目で確かめるといいよ」
◇◇◇
俺とヴォルフとレーテ、それにあの小屋にいた村人何人かで、あの穴が出現した地点へと向かう。
ヴォルフとレーテは先に見てきたはずなのに、聞いても何も答えない。
俺は重い体を引きずって、意識を失う直前までいた場所へと急いだ。
辿り着いた場所には、もうあの奇妙な穴は無かった。
それだけではなく、誰もいなかった。
「…………そんな」
俺は呆然と辺りを見回したが、誰の姿も見つけることはできなかった。
ここに来る途中も誰にも会わなかった。それで、薄々気づいてはいた。今のこの村からは、誰の気配もしない。
人間どころか、動物すら一匹もいないように見える。
聞こえる物音と言えば、風に草が揺れる音と、遠くの鳥や虫の鳴き声くらいだ。
「この村の、人たちは……?」
震えた声でそう問いかけると、レーテはじっと俺を見据えて、たった一言告げた。
「消えた」
嘘つくなよ、と言ってやりたかった。
でも、一日にして廃墟のようになってしまった村の静寂が、どんな言葉よりも正確にその事実を突き付けてきた。
この村の人たちは一人の残らず消えてしまった。
おそらくは、あの穴に吸い込まれて。
「……戻りましょう。リルカちゃんがいるとはいえ、あの小屋が襲われないとも限らない」
ヴォルフが気遣うように優しく俺の腕を引いた。
それに何と答えたのかはわからない。気が付いたら、先ほどまで寝ていた山小屋の前まで戻って来ていた。
呆然としたままの俺を置いて、レーテとヴォルフは村人たちと話をつけたようだった。
元々あの村に何人くらいの人が住んでいたのかはわからないが、今ここに残っているのは二十人にも満たない少人数だ。
彼らはあの村に戻らずに、ひとまず近隣の村や町に身を寄せることにするらしい。
「あんたは俺の妻と娘を救ってくれた。……だから、そんなに自分を責めないでくれ」
近くの村に住む親戚の元を訪ねると言ったゲオルグは、出立する直前、俺の手を握って何度もそう言った。
俺は、そんなに心配されるほどひどい顔をしていたんだろうか。
村人がみんな山小屋からいなくなると、俺たちも出発することになった。
先頭をレーテ、その後ろをヴォルフが、何度かこっちを振り返りながら歩いている。
俺はリルカと手をつないだまま、ふらふらとどこに行くのかもわからないままに歩いていた。
まだ、夢を見ているような気がする。
あの村の人たちは、みんなあの不気味な穴に吸い込まれて消えてしまった。
俺は、あんなに近くにいたのにあの人たちを救えなかったんだ。
◇◇◇
《ユグランス帝国南東部・アーホルンの町》
どれだけの時間歩いていたのかよくわからないが、気づいたら少し大きめの町に着いていた。
通りをたくさんの人が行き交っている。その光景を見て涙が出そうになった。
俺が初めてあのタンドラの村に足を踏み入れた時、まだあそこにはたくさんの人がいて、ここと同じようにみんなそれぞれの生活を営んでいた。
でも、その光景はもうない。
みんな、まるで最初から何もなかったかのように消えてしまったんだから。
そう考えると、急に吐き気が襲ってきた。
立ち止まって口を押える俺を、リルカが心配そうに見上げていた。
「くーちゃん、大丈夫?」
「……うん」
「無理しないでください。今日はもう休みましょう」
ヴォルフにそう促されて、俺たちは町はずれの宿へと足を進めた。
部屋に入ると、どっと疲れが襲ってきて俺はベッドに座り込んだ。
「……さて、これからどうしようか」
後ろ手に部屋の扉を閉めたレーテが、俺たちの顔を順番に見まわしながらそう口を開いた。
「僕たちは、元々アルカ地方に向かっていたんです」
「アルカ地方?」
リルカの問いかけに、ヴォルフはしっかりと頷いた。
「クリスさんの先祖の手記に、その土地の名前があって……」
ヴォルフはまだ何事かリルカとレーテに説明していたが、俺の耳には入らなかった。
気が付くと、脳裏にあの不気味な穴と、穴に吸い込まれる人たちの姿が浮かんでくる。
どうしてあの時、俺は無理にでも呪文を唱えなかったんだろう。
もし最後まで呪文を唱えていたら、あの人たちだって助かったかもしれないのに……!
「……キ、ビアンキ!!」
苛立ったような声が聞こえて、俺ははっと我に返った。
「聞いてたのか? とりあえず今日はもう休んで、明日、アルカ地方に向かう」
アルカ地方、テラ・アルカ――
そこに行けば、世界を救う方法が、アンジェリカが世界を救った方法がわかるかもしれない。
でも、方法が分かったからといって、だから何だっていうんだ。
「……無理だよ」
「はあ?」
俺のつぶやきに、レーテは不快そうな顔をした。
それに負けないようにしっかりと顔を上げて、レーテを見据える。
「無理だよ、俺たちには」
「……何言ってるんだ」
「だって、小さい村一つ救えなかったのに!? 世界を救うなんて無理に決まってる!!」
あの村を救う方法はあった。
俺が、ちゃんと呪文を完成させて村人を浄化できれば良かったんだ。
でも、俺にはそれができなかった。
きっとそれと同じだ。
たとえ世界を救う方法がわかったとしても、また失敗するに決まってる!
「世界を救う方法が分かったって、俺たちにはできるわけがない!」
そう叫ぶと、レーテに襟を掴まれた。
「……そんなものなのか」
レーテは今までに見た事のないほど冷たい目で俺を睨んでいる。
「前の君はそうじゃなかった。もっと威勢があった。……今の君を、勇者テオが見たらどう思うだろうね」
テオの名前を出されて、胸のあたりが苦しくなった。
テオはいつも、世界のため、人のために戦っていた。
どんな状況でも、逃げることはなかった。
でも、テオはもういない。
残された俺たちには、テオみたいに奇跡を起こす力はないんだ……!
「だって、だって……」
知らず知らずの間に涙が零れ落ちた。
悲しい、辛い。
自分の無力さが、どうしようもなく嫌だった。
「……そうだね、最初からできないと思ってる奴には何もできないよ。そこでぴーぴー泣いてるのがお似合いだ」
レーテは俺の襟をつかんでいた手を離すと、そのまま部屋の扉に手を掛けた。
「……少し、外に出てくる」
そう告げて、レーテは足早に部屋を出て行ってしまった。
俺は時折しゃくりあげながら、レーテに言われた言葉の意味を考えていた。
テオは、今の俺を見たらどう思うだろう。
「……くーちゃんは、これからどうしたい?」
しばらくたった後、リルカがそっと俺に声を掛けてきた。
顔を上げると、優しい微笑みを浮かべたリルカと目があった。その顔を見ていると、俺の口から勝手に言葉がこぼれ出た。
「……世界を、この大地に生きる人たちを救いたい」
「うん。リルカも、みんな同じだよ」
この世界を救いたい。その思いは変わることなく俺の心の中にある。
でも、俺には無理だ。
「できないよっ……テオもいないのに、俺たちだけでやるなんて……!」
テオがいたら、こんな弱音を吐く俺を叱ったかもしれない。でも、もうテオはいない。
あいつがいたらどうするかなんて、もう永遠にわからないんだ。
「……クリスさん、ちょっとテオさんを美化しすぎじゃないですか」
「ぇ?」
思ってもみなかったことを言われて、俺は思わず間抜けな声を出してしまった。
だが、ヴォルフの言葉にリルカも同調するように続けた。
「あ、それリルカも思ってた」
「そうだよね。その気持ちはわからないでもないけど……何というか……」
ヴォルフとリルカはそう言って顔を見合わせた。
二人が何を言いたいのかわからなくて、俺は問いかけた。
「どういう事だよ……」
「思い出してください。テオさんだって、たくさん失敗してきたじゃないですか」
「逃げることもあったし、負けることもあった。救えなかった人だっていたよ」
二人の言葉に、俺は少しずつテオがいた頃のことを思い出した。
……そうだ、二人の言う通り、テオだって何もかもがうまくいっていたわけじゃない。
卑劣な盗賊の罠にはまったこともあったし、なんだかヤバそうな怪物に追いかけられたら逃げたし、オリヴィアさんの従者や、婚約者を救えなかったことだってあった。
「……それでも、テオさんは諦めなかった。いつも前を向いてた。くーちゃんも、知ってるよね」
「…………うん」
俺は溢れる涙を拭って頷いた。
テオは完璧超人じゃない。酒にも女にも弱いし、敵わない相手だっている。
俺は、なんでその事を忘れていたんだろう。
テオはどれだけ失敗しても、いつも前を向いていた。
なのに俺は、一度失敗したくらいで諦めようとしていたんだ。
「……あなたが逃げたいと言うのなら僕は止めません。でも……」
「ううん、もう大丈夫」
俺はヴォルフの言葉を遮って立ち上がる。
テオはもういないけれど、テオに見られて恥ずかしいような真似はできない。
「……レーテに、会ってくる」
言葉は悪いけど、あいつだって俺を叱咤して元気づけようとしていたんだろう。
あいつに会って、伝えないといけない。
俺はまだ諦めていないって。
「だったらリルカも……」
「ごめん、ちょっと二人だけで話がしたいんだ」
そう頼むと、リルカは心配そうな顔をしたがそれ以上は何も言わなかった。
きっとリルカやヴォルフが一緒にいたら、俺は二人に甘えてしまう。
今はレーテと一対一で話がしたかった。
宿を出て、レーテを探す。
宿の外には、町の方へと続く道と、町のすぐ裏手にある森へと続く道があった。
なんとなく、レーテは森の方へ行ったんじゃないかという気がする。
俺は森へと続く道へ足を踏み入れた。
森に入ってレーテを探す途中、小さな池を見つけた。
俺は自分の目に手を当てた。さっきまで泣いていたので、もしかしたらちょっと赤くなっているかもしれない。
またレーテに馬鹿にされるかな……と思いつつ、俺は自分の瞼の状態を確認しようと池の中を覗きこんだ。
濁った池だが、陽の光が反射して自分の顔がしっかりと映っている。
……心配していたほど腫れてはいないようだ。これならレーテにも馬鹿にされることはないだろう。
そう考えたところで、水面が波打った。
「……ん?」
何だろう、と思った瞬間、水中から現れた触手のような物が足に巻き付き、一瞬で俺の体は濁った水の中に引きずり込まれた。




