17 黒水晶の呪い
結局俺は朝まで一睡もできなかった。
夜明けが近くなると、リルカもゲオルグも目を覚ました。
今のうちにこれからの行動を確認しておいた方がいいだろう。
「取りあえず、ゲオルグは家族を連れてすぐに逃げてくれ。あんたが逃げたら、俺たちは教団に攻撃を仕掛ける」
そう伝えると、ゲオルグは驚いたような顔をした。
「だが、あんたたちは……」
「ボクたちの心配はいいよ。何とかなるからね。それより、逆にうろうろされた方が迷惑だ。流れ弾に当たっても知らないからね」
躊躇なく村人に電撃を浴びせていたレーテの言葉に、ゲオルグもレーテが本気だとわかったんだろう。
神妙な顔で頷いていた。
「……そろそろ行きましょう」
ヴォルフの言葉に、俺たちはそっと立ち上がる。
ここからが、正念場だ。
◇◇◇
村の近辺には教団の息のかかった村人がうろうろしていた。
だが、ゲオルグも地元の人間だ。俺たちはゲオルグの案内で、何とか包囲網を掻い潜り村はずれにある彼の家へとたどり着いた。
「……昨日顔見られてたよな? それなのに、誰もいないなんて」
昨日教会からミーネを奪取したことで、ゲオルグが教団の敵と認識されていてもおかしくはないはずなのに、何故かゲオルグの家の周辺には誰もいなかった。
不気味なほど静かだ。
「もしかして、罠?」
「そうだとしても、家には妻がいる。置いて行くことはできんさ」
ゲオルグは覚悟を決めた顔でそう言った。
念のためリルカと、ゲオルグの娘のミーネには家の外で待機してもらう事にした。
きっと何かが仕掛けられているとしたら、家の中だろう。
「ボクは単にここまで手が回らなかっただけだと思うけどね。教団の人間って馬鹿っぽいし」
レーテはそう言うと、いきなりゲオルグの家の扉を蹴り飛ばした。
嫌な音を立てて扉は蝶番が外れ、無残に吹っ飛んでしまった。
「お前、よく人んちにそんなことできるな……」
「どうせ引っ越すんだからいいだろ」
それはそうだけど、もうちょっと何とかならないんだろうか。
「な、なに!?」
ゲオルグの家の中から慌てたような女性の声が聞こえた。
たぶん、彼の妻だろう。
「クララ、今すぐここを出るぞ!」
妻の声を聞いて、ゲオルグが慌てて家の中に飛び込んだ。
俺はちょっと焦ったが、特に罠が仕掛けられている、といったことはなさそうだ。
ゲオルグの後を追って家の中へ入ると、そこではゲオルグと彼と同じくらいの年の女性が何やら言い争っていた。
「そんな事よりミーネを知らない? あの子、儀式から逃げ出したみたいで……早く連れ戻さないと」
「クララ、何を言ってるんだ! 何度も言っただろう、あの教団は危険だ」
ゲオルグがそう言った途端、彼の妻の眦が釣りあがった。
「あなたこそ何を言っているの……? もうすぐ、新しい時代が来る。ルディス様が創造する私たちのための世界が始まるのよ! 早く、ミーネも祝福を受けないと……」
ゲオルグの妻は、真剣な顔をして夫にそう詰め寄った。
駄目だ、彼女は完全にルディス教団の教えに染まってしまっている。
なんとか、彼女の目を覚まさせないと……。
「クララ、正気に戻れ! お前は操られてるんだ! だから……」
ゲオルグが妻の肩に両手を置いてそう言い聞かせると、突如、彼女は豹変した。
「黙れ! ルディス様の御心を解さぬ不届きものめ……」
そう叫んだ彼女の口は、人間ではありえないほど大きく横に裂けていた。
妻の変貌に、ゲオルグが息を飲む。
まさか、もう魔物化が始まっているのか……!?
「急げ、浄化だ!」
そう叫んだレーテがゲオルグの妻に飛び掛かり、床に押さえつける。
彼女は暴れたが、レーテとヴォルフの二人に抑え込まれた。
「……集え、満ちよ。あまねく光、罪を清め、闇の残滓を振り払え……!」
落ち着いて、と自分に言い聞かせながら呪文を唱える。
ミーネだって浄化できたんだ。きっとこの人だって、元に戻せるはずだ……!
「“魂の浄化を!!”」
浄化の光が、ゲオルグの妻を包み込む。
彼女はしばらくの間じたばたと暴れていたが、やがてぴたりと抵抗が止んだ。
「クララ!」
傍らで妻の様子を見守っていたゲオルグが、慌てた様子で彼女を抱き起こす。
「あら? あなた、戻ってきたのね……」
女性の口はもう裂けてはいない。さっきの様子からは考えられないほど、穏やかな顔をしている。
「あぁ、お前を置いてどこかにいくわけがないだろう? ミーネもいる。三人で逃げよう」
女性は何が起こったのかよくわかっていなさそうな顔をしていたが、夫の剣幕に何か良くない事が起こったと悟ったんだろう。そのまま立ち上がった。
「熱っ!」
女性が立ちあがった瞬間、彼女は胸のあたりを抑えてふらりと倒れ掛かった。
「どうした!?」
「何かが、熱くて……」
女性は苦しげに胸のあたりを抑えている。その時、何かに気が付いたゲオルグが女性の首にかかっていたペンダントを引っ張った。
紐の先に、黒ずんだ水晶が結わえつけられている簡素なペンダントだ。
そのペンダントを離すと、女性はほっとしたように息をついた。
黒水晶は怪しげな輝きを湛えている。思わず背筋がぞくりとした。
「ありがとう、もう平気よ」
「やっぱり、これか……」
ゲオルグが苛立ったようにペンダントを床に投げ捨てる。
「何なんだ、それ……」
「あの教団がこの村にやって来た時に、魔よけだのなんだのと言って村の奴らに配っていたんだよ。俺は森で失くしてそのままにしていたが……魔よけっていうのを信じて身につけている奴が多いな」
レーテが黒水晶を踏み潰す。すぐに黒水晶は粉々に砕け散った。
「……これ、瘴気が凝縮された物だ。こんなもの身につけてたら、すぐに頭おかしくなるよ」
レーテが若干引きつった顔でそう言った。
この黒水晶は、瘴気が詰まったもの。そういえば、最初にミーネを浄化した時も、同じように小さな黒水晶を吐き出していたはずだ。
「これを村人に配って教団に従うように仕向け、やがては魔物にするってことですか」
ヴォルフが信じられない、といった様子でそう呟いた。
自然界でも長時間瘴気に当てられた動物や植物は、魔物のような存在になってしまうことがあるという。
人間もそうなった例は聞いたことが無かったが、それは、そこまで強く瘴気にあてられた人間がいなかっただけで、もしかしたら人間も動植物と同じように魔物化してしまうんじゃないか……。
俺の頭の中に、嫌な仮説が浮かんできた。
「これでわかったね。教団の人間が魔物に襲われないのは、同じ魔物になりかけてるから。ってことだ」
レーテは固い声でそう告げた。
俺は信じられなかった。でも、確かに教団の奴らはあちこちに門を出現させ、自在に魔物を操っている。
魔物になりかけているからそんな事が出来るのだろうか。それに、もしかしたら教団が操る魔物の中には純粋な奈落から来た魔物じゃなくて、ルディス教徒が変化した者もいたんじゃ……。
そんな恐ろしい想像が脳裏をよぎった時に、外から悲鳴が聞こえた。
「リルカ!?」
すぐに、ミーネの手を引いたリルカが慌てたように家の中へと駆けこんできた。
「そ、外に……村の人がっ……!」
「なんだって!?」
俺たちは慌てたように家の入口から外をのぞきこんだ。
果たしてそこには、リルカの言った通りゲオルグの家を取り囲むようにして十人ほどの村人が立っていたのだ。
「遊びに来た……ってわけじゃないみたいだね」
村人は手に鍬や鎌と言った武器になりそうなものを持っている。
ゲオルグを畑仕事に誘いに来た、なんてこともないだろう。
間違いなく、俺たちを攻撃しに来たんだ!
「扉を壊したのは失敗でしたね。これじゃあ籠城もできない」
「ふん、迎え撃つだけだ」
ヴォルフとレーテはやる気満々だ。
俺もそっと村人の様子を窺い見る。
……みんな、イっちゃった感じの目をしている。
でも、きっとこれは瘴気の影響なんだろう。さっきのゲオルグの奥さんみたいに瘴気を取り除ければ、傷つけずに元に戻すことができるかもしれない……!
「俺が浄化する! 二人は抑えててくれ!!」
人数はざっと十人ほど、一人ひとり浄化している余裕はなさそうだ。
これだけの人数を一気に……できるかどうかわからないけど、やってみるしかない!
「……失敗するなよ!」
レーテがそう叫んだ途端、村人が一斉に俺たちに向かって襲い掛かって来た。
「集え、満ちよ……」
俺に向かって鎌を振り上げた男を、ヴォルフが思いっきり蹴り飛ばしたのが見えた。
レーテも次々と雷魔法を放っているが、直撃はさせていない。
二人とも、あまり村人に大きな怪我は負わせないようにしているようだ。
でも、きっとそんな戦い方は長く続けられないだろう。
一刻も早く、俺が浄化しないと……!
「あまねく光、罪を清め、闇の残滓を振り払え……!」
頭上に杖を掲げ、空に向かって叫ぶ。
ミーネやゲオルグの奥さんを浄化した時とは違う、たった一人に狙いを定めるのではなく、この空間にいるものすべてに浄化を施す。
不思議と、失敗する気はしない。何をどうすればいいのか手に取るように分かった。
「“魂の浄化を!!”」
辺り一帯をまばゆい光が包み込む。
俺たちに攻撃を加えていた村人たちの動きが止まり、次々に地面に倒れ込んだ。
レーテがその中の一人に近づき、ゲオルグの妻と同じように首元のペンダントを剥ぎ取った。
「やっぱり、この黒水晶を身につけていた奴らがおかしくなってるみたいだね」
やがて、村人たちは立ち上がり、一体何が起こったのか、とでも言いたげな顔をした。
「黒い水晶を持ってるよね? 死にたくなかったら今すぐ捨てろ」
レーテが手のひらにバチバチと電撃を発生させながら村人たちにそうすごむ。
ちょっと強引だけど、詳しく説明している時間はない。きっとこれが最短の方法だろう。
その場に居た村人たちは顔を青くして次々とペンダントを投げ捨てた。
やっぱり、この場に集まった人は皆、あの瘴気が凝縮された黒水晶を身につけていたようだ。
とりあえず彼らにもゲオルグと同じように村から離れてもらって……そう今後の事を考え始めた時、急に喉に何かが引っかかったような感覚がして俺は軽く咳き込んでしまった。
「大丈夫ですか!?」
慌てたように近寄ってきたヴォルフが俺の背をさすってくれた。
幸い咳き込みはすぐに止まった。……こんな時に、風邪でも引いたんだろうか。
「何でもない、大丈夫!」
ここで立ち止まっている時間はない。
俺たちはゲオルグと村人たちにしばらく村から離れているように伝えると、村の中心部へと向かった。




