14 レーテとリルカ
突如礼拝堂の中心に飛び出したリルカは、きつく女司祭を睨み付けている。
「なんでここに!?」
ヴォルフも何が何だかわからない、といった様子で真下を凝視していた。
やっぱりリルカだ。どうみてもリルカだ。
リルカが、すぐ近くにいる……!!
思わず身を乗り出した俺の下で、ばきりという嫌な音がした。
どうやら、さっきゲオルグが天井板の一部を叩き割ったことで、周囲の天井板の強度が脆くなっていたらしい。
あっと思う間もなく、俺の体は天井板を突き破って転がり落ちていた。
「いったあぁぁ!!」
突然のことでろくに受け身も取れなかった俺は、無様にべしゃりと礼拝堂の床に落下した。
幸いたいした高さではなかったので致命的な怪我は負っていないが、ぶつけたところが普通にかなり痛い。
「なっ、もう一人!?」
女司祭の驚いたような声が響く。
慌てて顔を上げると、真正面にいたリルカと目があった。
リルカは大きく目を見開いて、信じられないといった様子で俺の方を凝視している。
俺は何か言おうと口を開いて、何も言葉が出てこなかった。
だって、なんて言えばいい?
どんな言葉も、この場には合わないような気がした。
俺たちは無言で数秒間見つめあっていた。
だが背後からリルカに飛び掛かろうとする影が目に入り、俺は慌てて叫んだ。
「リルカ、後ろ!!」
「えっ?」
リルカが振り返る。だが、その時点ではもう小さな影――ホムンクルスがリルカに向かって剣を振りかぶっていた。
駄目だ、間に合わない……!
俺は必死にリルカに手を伸ばした。だが、次の瞬間、
「“雷撃”! 」
空間を切り裂くような一条の雷が、リルカに襲いかかろうとしていたホムンクルスの体を貫いた。
ホムンクルスは翼を折られた鳥のように勢いよく床へと落下して、そのまま動かなくなった。
「まったく、油断しすぎじゃないか?」
緊迫した雰囲気にそぐわない、どこかからかうような口調の声がその場に降ってきた。
何が起こったのかわからずに呆然とたちすくむ村人たちをかき分けて、その声の持ち主は俺たちの前までやって来る。
声を聞いた時点で予想はついた。
でも、実際目にすると目の前の光景が信じられなかった。
何で、なんでこいつがここに……。
「久しぶり、元気そうだね」
そう気安く声を掛けてきたのは、あの日……ティレーネちゃんを追いかけて姿を消したはずのレーテだった。
「レーテさん!? どうしてここに!!」
いつの間にか礼拝堂に降りてきていたヴォルフが驚いたようにそう口にする。
対するレーテはぐるりと礼拝堂を見回すと、鋭く声を発した。
「話は後だ。その人、早く何とかした方がいいんじゃないの」
レーテはそう言うと、俺たちの背後を指差した。
慌てて振り返るとそこには、相変わらずゲオルグが彼の娘を抱きかかえて、必死に呼びかけていた。
ゲオルグの娘、ミーネは苦しげに呻いている。
……教団の奴に何かされたんだ! そうだ、早く何とかしないと!!
「何をしている! この異端者どもを捕えよ!!」
女司祭が狂ったように叫ぶ。すると、村人と残ったホムンクルスが一斉に俺たちの方へ向かってきた。
「ちっ、“雷撃”!」
レーテが牽制するように村人たちの足元に雷魔法を撃ち込むと、はずみで何人かの村人が吹っ飛んだ。
その隙に、ヴォルフが氷の槍でホムンクルスを一体貫く。
それを見届けた俺はすぐにゲオルグに近づく。
今はとにかく、ここから逃げないと!!
「早く立って! その子を連れて逃げるぞ!!」
「あ、ああ……」
ゲオルグもやっと事態を察したのか、しっかりと娘を抱いたまま立ち上がった。
逃げる、と言ってもどこから……と礼拝堂内に目を走らせたとき、リルカがとんでもない事を言いだした。
「壁を壊すよ!」
「え……?」
「風よ……私の元へ集まって……“風精霊の一撃!”」
止める間もなく、リルカは礼拝堂内の精巧なステンドグラスがはめられた壁に向かって魔法を放った。
リルカの元に集まった風がまるで殴りつけるように壁を襲い、一瞬のうちに美しいステンドグラスは粉々に砕け散り、壁は強い衝撃を受けたように崩壊した。
……リルカはこんなに大胆な事をする子だっただろうか。
なんか、しばらく会わないうちに、ますますテオに似てきた気がするのは気のせいだよな……。
「ぼさっとするな! 早く行け!!」
また村人に向かって雷を撃ち込んだレーテが鋭くそう叫んだ。
たぶん、あいつが殿を引き受けてくれるという事なんだろう。
戸惑っている時間はない。俺はリルカが破壊した壁の残骸を乗り越えて外へと飛び出した。
外にも誰かいたら……と杖を構えたが、見る限り誰もいないようだ。
俺のすぐ後からヴォルフ、ゲオルグとミーネ、それにリルカが飛び出してきた。
「とにかく逃げるぞ!」
追手が来る前に逃げるに越したことはない。
俺はできるだけ人のいなさそうな暗い方を目指して走り出した。
背後からはまた雷が落ちるような音と、村人の悲鳴が聞こえてくる。レーテの奴、一応人間相手なのに容赦ないな……。
レーテが追っ手を引き付けてくれている間に、俺たちはひたすら走った。
村を超えて、暗い森の中を走って……背後の喧騒が聞こえなくなった辺りで、俺はやっと立ち止まった。
全力疾走したので息が苦しい。ぜぇぜぇと息を吐いているとヴォルフが背中を撫でてくれた。
……お前は何で平気なんだよ。
「おい、ミーネ! しっかりしろ!!」
その時聞こえてきた声に、俺はやっと今の状況を思い出した。
そうだ、ゲオルグの娘はどうなった!?
慌ててゲオルグの方へと近づいて、思わず息を飲んだ。
ゲオルグの幼い娘――ミーネの頭から、何か白い骨のような物が突きだしていたのだ。
「何だよ、これ……」
ぞっとする光景だ。
あの教団は、こんな幼気な少女にいったい何をしたんだ……!?
「あ、あの……その子は、たぶん……」
「リルカ?」
リルカはどこか言い辛そうに口を開いたり閉じたりしている。
そんなリルカの言葉を引き継ぐようにして、暗闇から冷淡な声が聞こえた。
「魔物になりかけてる。残念だね」
「なっ……!?」
暗闇から姿を現したのは、どこか尖ったような雰囲気を纏ったレーテだった。
いや、レーテの雰囲気なんてどうでもいい。今、こいつは何て言った!?
「魔物になるって……何だよそれ!!」
「知らないのか? 教団は人間を魔物に変えている」
詰め寄る俺に、レーテは淡々とした口調でそう告げた。
俺は信じられなかった。
人間を魔物に変える……? 何だよ、それ……。
「残念だけど戻す術はない。だからその子は……」
「ま、待って!」
硬い表情でゲオルグに近づこうとしたレーテの腕を、慌てたようにリルカが掴む。
「あ、あの……くーちゃんなら、元に……戻せるかもしれないの!」
「はあ?」
レーテは何を馬鹿な事を、とでも言いたげな様子でリルカを振り返った。
リルカが助けを求めるように俺へと視線を寄越す。
「ほら、シュヴァルツシルト家のお屋敷で……魔物になりかけた人を……元に、戻したよね!」
「あ……」
そう言われて、やっと思い出した。
おぞましく、忌まわしい記憶だ。
人間が魔物に、化け物に変わる瞬間を、俺はこの目で見たじゃないか!!
あの時、俺は魔物になってしまったアルフォンスさんを救えなかった。
でも、彼の父親――シュヴァルツシルト家の当主が化け物へと姿を変えるのを、体を蝕む闇を浄化し、止めることができた。
だったら、ゲオルグの娘も今ならまだ間に合うかもしれない……!
「ゲオルグ、その子を見せてくれ!!」
杖をひっ掴むと、苦しげに呻くミーネを覗き込む。
なるほど、俺が骨だと思ったものはたぶん魔物の角だろう。
……アルフォンスさんも、まるで化け物のような角が生えてきたのを覚えている。
「な、なんだ……おまえ達、ミーネをどうするつもりなんだ……!」
ゲオルグはミーネの事に必死で、まだ今の状況を把握できていないようだ。
俺たちがミーネを傷つけようとしているとでも思ったのか、庇うようにきつく娘を抱きしめている。
「その子は今、非常に危険な状態です。……大丈夫、クリスさんなら、その子を救えます」
ヴォルフが落ち着かせるようにゆっくりとゲオルグにそう説明している。
俺もぎゅっと杖を握りしめて深く深呼吸をする。
見たところ、ゲオルグの娘はまだ頭部に生えてきた角以外は目立った異常は見られない。でも、これからどうなるのかわからない。
これ以上魔物化が進行する前に、俺がこの子を浄化しないと……!
「失敗したらボクがその子を殺す。……邪魔するなよ」
レーテがぼそりと俺の耳元で囁いた。
そんなひどいこと……なんて言う資格は俺にはない。
きっとレーテだってまだ幼い少女を手に掛けるなんて、本当はやりたくないんだろう。
でも、オリヴィアさんがアルフォンスさんにとどめを刺したように、レーテだってあえて嫌な役を引き受けようとしているんだ。
何が最善かなんてわからない。ただ一つ言えるのは、ここで俺がミーネを浄化することができれば、誰も悲しまずに済むってことだけだ……!
「くーちゃん……」
リルカが心配そうに声を掛けてきた。
見た目はかなり成長したようだけど、その不安げな声は以前のリルカそのままだ。
「リルカ……俺に、任せろ」
リルカに言いたいことも、話したいこともたくさんある。
でも、今はミーネの浄化を一番に考えないといけない。
俺は強く杖を握りしめた。リグリア村の俺の実家にあった、かつてアンジェリカが使用していた杖だ。
強く握りしめると、まるで杖そのものから力が伝わってくるような不思議な感覚がした。
……これが杖の力なのか、アンジェリカの力なのかはわからない。
でも、利用できるものは何でも利用させてもらう……!
「ゲオルグ、その子を離すなよ」
ミーネを浸食する闇を祓い、体を、魂を浄化する。
大丈夫、呪文は俺の中にある。きっと……いや、絶対大丈夫だ!
杖先をミーネに向け、俺は大きく息を吸った。




