10 町の教会
《ミルターナ聖王国北部・トロンコの町》
翌日、さっそく俺たちは近くの町まで出て山越えのための準備を始めた。
正直俺は何が必要なのかよくわからなかったのでヴォルフに任せていた。何となくお菓子を買い込んでいこうと提案したら怒られた。
結構いい案だと思ったんだけどな……
そうして完全に戦力外とみなされた俺は、ただふらふらとヴォルフの後をついくだけの存在へと成り果てていたのだ。
リグリア村は随分と変わっていたが、俺が教会学校に通っていたこの町はほとんど変わっていないようだった。
たまに知り合いの顔を見つけてどきりとしたが、当然だが皆俺がリグリア村のクリスだとは思わないらしく、ほとんどがちらりと俺たちの顔を見るだけで何も言わずに通り過ぎて行った。
だが、中にはじろじろと俺たちを眺めてくる人もいた。
リグリア村ほどじゃないが、ここも小さな町だ。きっとよそ者が珍しいんだろう、と俺は自分を納得させた。
昔、俺はこの町の事をリグリア村に比べてなんてにぎやかな町なんだろう、とか思っていた。だが、様々な場所を回った今思えば、なんてことない田舎の小さな町だ。
この町は変わっていないけど、俺の感じ方は変わったんだな……としんみりしていると、馴染みのある建物が目に入ってきた。
あれは、この町の教会だ。
「……どうしたんですか?」
立ち止まって教会を眺めていた俺に、不思議そうにヴォルフが振り返った。
「ここさ、俺が通ってた教会学校なんだ」
「へぇ、行ってみますか?」
「え!? 別にいいって!」
俺はそう言って止めようとしたが、ヴォルフはずんずんと歩いて行くと教会の扉を開いて中へと入ってしまった。
こうなったら、俺も外で待っているわけにはいかない。
ヴォルフに続いて、おそるおそる教会の中へと足を踏み入れる。
一瞬ここにもルディス教団の魔の手が及んでいたらどうしよう……とヒヤッとしたが、教会の中には相変わらずティエラ様の神像や絵画が飾ってあった。
よかった、ここはまだ教団の手が伸びていないようだ。
俺はそっと安堵した。
一見教会の中には誰もいないように見えたが、俺たちが扉を開けた音が聞こえたのか、奥の扉がかちゃりと小さな音を立てて開き、そこから修道服を身に纏った女性が姿を現した。
「こんにちは。あら、余所から来られた方でしょうか? 珍しいですね。是非ゆっくりしていってください」
女性は勝手に入り込んだ俺たちに文句を言うでもなく、にこにこと笑って受け入れてくれた。
その姿を見て、俺はぎゅっと息の詰まる様な感覚を味わった。
俺はその女性を知っている。
年齢はたぶん五十代くらい、いつも優しい笑顔を絶やさない彼女は、この教会を任されている修道女で……俺の教会学校の教師でもある、マグノリア先生だ。
「すみません、勝手に入ってしまって。僕たち、西の方から来たもので……まだ教団に荒らされていない教会が懐かしくなってしまって」
「まぁ……お若いのに大変な思いをされてきたのですね」
ヴォルフがついた嘘(ある意味嘘と言えなくもない)を先生はあっさり信じたようだ。労わる様な目を俺たちに向けている。
いくらこのあたりがド田舎だと言っても、さすがに教団の脅威に関する情報は入ってきているようだ。
「こんな世の中だからこそ、我々は女神様を信じなければなりません。きっとティエラ様が我々を守ってくださいます」
マグノリア先生は静かにそう口にすると、教会の上部に掛けられたティエラ様の絵画へと目を向けた。
そこには、金色に輝く如雨露を手にした美しい女神の姿が描かれている。
小さい頃から見慣れていたので、俺にとってティエラ様といえばこの絵を思い出すくらいには身近な存在だ。
女神様は、どんな思いで今のこの大地を見ているんだろう……。
「そうはいっても、我々もただ女神様に頼るだけではなく、自らの力で道を切り開かねばなりませんね。……西方では、勇者の生き残りをはじめとしたティエラ教会の勇士たちが日夜教団との戦いを繰り広げていると伺っております」
「…………はい、たくさんの人たちが彼らに救われました」
「えぇ、同じ女神の信徒としては頼もしくもあり、ここで祈る事しかできない身が心苦しくもありますね……」
きっと先生が言っているのは、俺たちが逃げ出した解放軍の事だろう。
それに、先生の口から『勇者』という単語が出てきて俺はどきりとした。
まさか俺の心中を見透かしたわけではないと思うが、追い打ちをかけるように先生は物憂げに口を開いた。
「勇者といえば……この町の近くにある村からも一人、ティエラ教会の勇者となった子がいるんですよ」
今度こそ息が止まるかと思った。
……間違いない、俺の事だ。
「へぇ、どんな人なんですか?」
たぶんヴォルフも気づいているはずなのに、そう先生に聞き返していた。
俺はどきどきしっぱなしだったが、そんな心中を悟られないように必死に平静を装った。
教会学校に通っていた頃の俺は、友達もほとんどいなかったし、すぐ町の奴らと喧嘩したし、よく問題を起こしたし……お世辞にもいい子だとは言えなかっただろう。
先生の口から俺の事を聞くのが、内心悲鳴を上げたくなるくらい怖かった。
できる事なら今すぐここから逃げ出したい。でも、俺の足はまるで地面に縫いとめられたかのように動かなかった。
「あの子は……昔から勇者に憧れていました。過去の伝説や英雄譚が好きで、周囲とうまくいかずに問題が起こることもありましたが……私にとってはかわいい教え子ですよ」
先生はにっこりと笑って、そう口にした。
俺はちょっと泣きたくなった。ここに通っていた頃の俺はたくさん先生に迷惑をかけたのに……そんな俺を「かわいい教え子」だなんて言ってくれた。
内心、鬱陶しがられていないかな……と心配だったが、どうやら取り越し苦労だったようだ。
「ただ、あの子が今どこで何をしているのか……この辺りにはさっぱり消息が届かないのです。あなた方は御存じないですか? その子の名は、クリスと言います」
俺は何も言えなかった。だが、ヴォルフは少し硬い声で返事をした。
「名前は、前に聞いたことがあります。勇者として、多くの人を救っていると」
きっとヴォルフがそう言ったのは、あのレーテの事だろう。
あいつは勇者として頑張っていた。たくさんの人を救っていた。
そうだ、世間の言う「勇者クリス」は、俺ではなくレーテのことなんだ。
「まぁ、そうなのですね! あの子は臆病で、勇者なんて大役が務まるのか心配でしたが……クリスはそんなに成長していたのですね……」
先生は大きく息を吐くと、ほっとしたかのような笑みを見せた。
その顔を見たら、俺は口を開かずにはいられなかった。
「き、きっと……その人も、今も頑張ってて……いつか、元気な姿で帰ってくると思います!」
先生は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにやわらかな笑みを浮かべた。
「ありがとう。あなたは優しいんですね。あなた方に、ティエラ様の加護があらんことを……」
先生は静かに目を瞑ると、祈るようにそう口にした。
その後、俺たちは軽く先生に礼の言葉を述べて、教会を後にした。
教会からかなり離れた所まで歩いて、俺はやっと大きく息をつくことができた。
「はぁー、もう、俺の事ばれるかと思ったじゃん!」
俺がクリスだとは言えなくても、先生と会えたのは嬉しい。でも、いつ正体がばれるんじゃないかとずっとひやひやしっぱなしだった。
まったく心臓に悪い!
そう文句を言うと、ヴォルフはにやにやと笑いながら弁解してきた。
「まあまあ、ばれなかったから良かったじゃないですか」
「よくない!」
「それにしても、クリスさんってけっこう問題児だったんですね」
うっ、痛い所を突かれた。
残念だが、それには反論のしようがない。
「ふん、どうせ俺はロクに友達もいない問題児ですよ!」
「……意外です。あなたって、誰とでも仲良くなれそうな感じなのに」
皮肉かと思ったが、ヴォルフは意外と真面目な顔をしていた。
そういえば、旅に出てからはテオやリルカをはじめとして、多くの人と仲良くなれたような気がする。
不思議だ。ここにいた時には、うまくいかないことばっかりだったのに。
「最初っから村の子って事で馬鹿にされてたからなぁ……」
「……つまらない事を気にするんですね、ここの人たちは」
心底馬鹿にしたように、ヴォルフはそう吐き捨てた。
俺は苦笑した。広い世界を見た今なら馬鹿な事だと一笑できるけど、当時はけっこう真剣に悩んでいたんだと思い出したからだ。
「狭い田舎だからな……人間関係も価値観も凝り固まるんだよ」
「いろいろ大変なんですね……でも、僕は学校なんて行った事ないんで少し羨ましいです」
俺は驚いてヴォルフを振り返った。ヴォルフは何かおかしなことを言っただろうか、とでも言いたげに俺を見つめ返してきた。
……そっか。ヴォルフは貴族の生まれだし、小さい頃はあの雪山の城に預けられていたみたいだし、学校なんて行くことは無かったんだろう。
「お前だったら、馬鹿にしてきた奴を返り討ちにしそうだよな」
「当たり前じゃないですか。……なんなら今からでも、クリスさんを馬鹿にした奴らの所に行ってもいいですけど」
冗談かと思ったが、ヴォルフは怖いくらい真剣な顔をしている。
うっかり口を滑らせたりしたら、本当にそいつらの所に行って氷漬けにしかねないくらいの雰囲気だ。
俺は慌てて否定した。
「別にいいって! 俺は大人だから、そういう低俗な奴らは相手にしないんだよ!!」
「大人……? さっきまでお菓子買いたいとか騒いでたのに」
「お菓子に年齢は関係ない! お菓子を馬鹿にすんな!!」
「お菓子じゃなくて、騒いだことが子供なんですよ」
「うるさいうるさい!!」
そんな風にぎゃあぎゃあと騒いでるうちに、俺の心は少し軽くなっていた。
きっといつか元の「クリス」に戻ったら、またマグノリア先生に会いに来よう。
心の中でそう決めて、俺たちはリグリア村への帰路へと着いた。




