9 アンジェリカの遺した物
俺は緊張しながらクリストフの日記をめくった。
あちこちぼろぼろになって読みとれない箇所も多いが、それでも判別可能な箇所もあった。
日付と共にどこどこの町へ行って魔物を退治した、美味しい料理を食べた、掘り出し物を見つけた……そんな他愛もない出来事が記されていた。
「なんか、普通だな……」
もっと重要なことが書いてあると思ったけど、本当に普通の日記のようだ。
記述には時折アンジェリカとアウグストの名前も出てきた。やっぱり、俺のご先祖様のクリストフは二人の仲間だったんだ!
アウグストはこの世界に襲来したドラゴンを討ち英雄となり、アンジェリカは同じくこの世界へとやってきていた邪神ルディスを倒した……らしい。
その時、クリストフが何をやっていたのかはわからないが、この日記にもしかしたらその方法が書いてあるのかもしれない。
俺は必死にページをめくった。
日記の日付が進むほどに、中の記述はどんどん悲惨になっていった。
ドラゴンの襲撃で町が壊滅、魔物の襲撃が止まらない、人々は疑心暗鬼に陥り、互いを傷つけあっている。
水や風、大地もどこか力がない……など、どこか今の世界に酷似しているように思えた。
そして、俺は遂に怪しげな記述を見つけた。
『……い話を聞……た。そこに行……ば、世界を……救……ができるかも……ない。アンジェリカも……し、……ねばならな……テラ・アルカへ行…………』
「……これ、世界を救う事が出来るかもしれない……って読めないか!?」
もしそうだとしたら、この先にアンジェリカ達が世界を救った方法が書いてあるのかもしれない……!
だが、残念ながらそこから先は保存状態が悪かったのかほとんど判読不能だった。
何度もその記述を読み返す。手掛かりになるのは、『テラ・アルカ』という単語だけだ。
「テラ・アルカ……もしかしたら」
「知ってるのか!?」
ヴォルフが考え込むようにぽそりと呟いたので、俺は慌てて振り返る。
ヴォルフはゆっくりと頷くと、そっと口を開いた。
「ユグランス帝国の南部に、アルカ地方という地域があるんです。特にその中心部はアトラ大陸の中心でもあり、険しい環境の神聖な場所だとされています」
大陸の中心、神聖な場所……そういえば昔、そんな話を聞いたことがある気がする。
そこに行けば、何かが分かるかもしれない。
まあ、はずれていたとしても、どうせリルカに会いに大陸の北側には行くつもりだったんだ。行ってみるに越したことはない。
だが、ヴォルフは念を押すように俺に問いかけてきた。
「……そこに行くつもりなんですか」
「当たり前だろ! もしかしたら世界を救う方法がわかるかもしれないし!!」
そもそも俺がアンジェリカの記憶を思い出せればこんな面倒くさいことはしなくても済むのだが、思い出せないのだから仕方がない。
「ご両親はあなたを受け入れてくれたし、ここにいればいいじゃないですか。わざわざそんな危険を冒さなくても……」
ヴォルフは俺の肩に手を置いて言い聞かせるようにそう告げた。
……少しだけ、心が揺らいだ。
父さんと母さんは姿も性別も変わってしまった俺を家族として以前のように受け入れてくれた。今は元気だけど、またあの巨大花みたいな魔物が襲撃してこないとも限らない。
……もし俺たちがリグリア村を訪れなかったら、父さんはきっと一人であの巨大花と戦って……無事ではいられなかったかもしれない。
今二人と別れたら、もう二度と会えない可能性だってあるんだ。
「…………それでも、俺は行くよ」
顔を上げ、はっきりとそう告げる。
「ここにいれば安全かもしれない……でも、世界にはまだ苦しんでる人がたくさんいる」
俺は立ち上がると、アンジェリカの杖を手に取った。
「アンジェリカは百年前世界を救った。俺も同じように……とはいかないかもしれないけど、可能性がゼロじゃない以上諦めたくない!!」
昔は、勇者ってかっこいいしみんなに褒めてもらえる、なんて単純な理由だった。
でも、今は違う。
テオのやってきたことを無駄にしたくない。それに、リルカをはじめこの旅で出会った人たちの中には、きっと今も戦い続けている人がいる。
アンジェリカはドラゴンであるテオを倒し、邪神ルディスをこの世界から追い払うことができるくらいすごい人だった。
その生まれ変わりの俺は……正直そんなすごいことはできる気はしないけど、アンジェリカの生まれ変わりの俺だからこそできることもあるはずだ!
「それは……アンジェリカの生まれ変わりとしての決断ですか」
ヴォルフはどこか冷めた目でそう問いかけてきた。
俺はゆっくりと息を吸うと、真正面からヴォルフの目を見返して答えた。
「違う、俺の……ただの一人の人間としての決断だ」
アンジェリカの記憶を持っているからじゃない、俺は、もっとずっと前から世界を救いたいと思っていた。
その為なら、前世の記憶も力もなんだって利用してやるだけだ!!
「それに……あの枢機卿たちがどうなったのかわからないし、万が一また俺を狙ってきた時に、母さんたちに迷惑はかけたくないんだ」
『リグリア村のクリス』は勇者に選ばれた存在だ。たぶん、教会側には俺の故郷や家族の事も知られているだろう。
「このままずっと逃げ続けるよりは……さっさとケリをつけたい」
枢機卿を、教団を放っておけば……俺はこの先ずっとびくびくしながら生きなければいけないかもしれない。そんなのは嫌だった。
「いろいろな事に決着をつけて、次は大手を振ってここに帰ってくる!……できるだけ早くな」
そう言うと、ヴォルフは諦めたようにため息をついた。
「クリスさんって……かなり頑固ですよね」
「別にそんなことないと思うけど……」
ちょっと心外だ。俺はそんな頑固じゃない……はずだ。
その後もしばらく納屋の地下室を探してみたけど、あまり役に立ちそうなものは見つからなかった。大半はクリストフが旅の途中で買ったと思われるよくわからない物ばかりだったのだ。
俺はアンジェリカの杖とクリストフの日記を持って、納屋を後にした。
アンジェリカの髪飾りや他の物は、ここに置いて行くことにした。
きっと、その方が安全だと思ったからだ。
◇◇◇
次にやらなければいけないことは、山越えの準備だ。
リグリア村の北の山は、年中雪が積もっている険しい場所だ。生半可な装備で行ったらすぐに凍死してしまうだろう。
幸いヴォルフが雪山には慣れていると言ったので、俺は準備の指揮はヴォルフに任せることにした。思えば、ヴァイセンベルク家の領地は大陸の北端だし、ヴォルフが育ったブライス城なんて雪山の中にぽつんと建っていた。
そりゃあ、雪山に慣れてるよな。
「この村じゃたいしたものは揃えられないし……近くの町に行くのがいいと思う」
リグリア村は辺境の田舎であり、いくら近くに雪山があると言ってもいままで村人でその山を越えようとした人はほとんどいなかった。
だから、山の装備を揃えられるような店はないのだ。
その点、少し離れた所にある町なら他の町との行き来も盛んで、きっといろいろな物が売っているだろう。
もう時間も遅かったし体中ほこりまみれだったので、町には翌日向かう事にした。
宿屋へと帰るヴォルフを見送って、俺はあらためて自分の……アンジェリカの杖に目をやった。
上質な木に、まるで生花のように見える大輪の花が絡みついている。
きっと買ったらすごく高いんだろうな……と俺はどうでもいいことを考えた。
アンジェリカの遺した物。それがクリストフの家にあった。
というか俺自体、昔の仲間の子孫に生まれるってすごい事だよな……と初めて思い当たる。
運命、というものが存在するのかはわからない。
でも、俺がここに生まれたこと、テオやみんなと出会ったこと、今こうしてここにいること。
何か意味があるんじゃないかと思えた。




