19 神聖魔法
トゥーリアと名乗ったその女性は、俺の方を見るとにっこりと笑った。
「は、初めまして……」
「珍しいのね。黒魔術じゃなくてわざわざ神聖魔法を習得しようとするなんて」
「それが、ちょっと事情があって黒魔術の方が使えないみたいで……」
「まあ、それでもいいわ。最近は神聖魔法を覚えようとする人なんてほとんどいなかったから、暇だったのよ」
トゥーリアはあっけらかんとそう言い放った。
彼女もこの店の人だろうに、そんなに暇だとか言ってもいいんだろうか。ちらりと向こうの黒魔術コーナーに目をやると、忙しそうに働く店員が恨めしそうにこっちを見ていた。
やっぱりだめじゃないか!
「でも、何でそんなに神聖魔法を覚えようとする人って少ないんですか?」
素人考えだと何に使うのかよくわからない浄化魔法はともかく、傷の治療とかすごい便利そうな気がするんだが。なんでこのコーナーは閑古鳥が鳴いているんだろうか。
「簡単に言うと、習得が面倒だからかしらね」
「面倒?」
「初級の神聖魔術はたいていの人なら練習すれば使えるわ。でも、それ以上を求めるなら各地の教会や神殿に赴いて助力を請わなければならないのよ」
「え、何で?」
「神聖魔法は神様の力を借りるでしょう? だからいろんな所の慣習とか制約とかが絡んで黒魔法のように体系化されていないのよ。基礎となる魔法以外は呪文書もないから直接いろいろな場所に行って、教えを請わないといけないの。その点、黒魔術なら呪文書を読めば鍛錬次第でどんどん新しい魔法が使えるようになるから、みんな黒魔術の方を覚えようとするのよ」
……なんか神聖魔法ってすごい面倒くさそうだ。トラウマを克服して黒魔術の方を覚えた方が簡単そうな気がしてきた。
「まあ、昔はすぐ死体が不死者化しちゃってたから神聖魔法での浄化も需要があったんだけど、今は埋葬の技術も発展して不死者になる事なんてほとんどなくなったからね。ポーションなんかも安く売られるようになったから治癒呪文もお役御免なのよ」
うわー、それで神聖魔法は人気ないのか。
俺もやっぱり考え直そうと口を開きかけた時、トゥーリアさんにがしっ、と肩を強く掴まれた。
「でも、こんな若い子が神聖魔法に興味を持ってくれたなんて嬉しいわ! 後ろの二人は冒険者かしら? 私も若いころは冒険者だった夫についていろんな神殿を巡ったのよ!」
トゥーリアさんは嬉しそうに過去の思い出をペラペラと喋りはじめた。
やばい、完全にタイミングを逃した。この状況でやっぱり神聖魔法を覚えるのやめますなんてとてもじゃないけど言えそうにない。
「特別にサービスしてあげるわ! えーっと、呪文書に杖にそれからそれから……よし、こんなもんね!! 会計入りまーす!!」
「ちょ、あの……」
「「「お買い上げありがとうございましたー!!」」」
俺が口を挟む間もなく、気が付いたら神聖魔法入門セットを見事に買わされていた。
なんて強引な店なんだ! やっぱり都会怖い……。
「よかったな、クリス。これでおまえも今日から白魔術士だ!」
「はぁ、なんで俺はこんな貧乏くじばっかり引くんだ……」
「クリスさんの日頃の行いが悪いんじゃないですか?」
「うわ、辛辣……」
まったく俺の気持ちを理解してくれない仲間と共に、俺は買ったばかりの神聖魔法入門セットをテオに持たせてすごすごと宿屋へ向かった。
◇◇◇
何だかんだ言ったけど、宿に着いてさっそく神聖魔法を試してみることにした。
これが明日から俺の武器(メインは回復だけど)となるのだ。よく知っておいて損はない。
トゥーリアさんに買わされた呪文書『基礎から始める神聖魔法』を読むと、どうやら初級の呪文なら読んで覚えれば普通に使えるらしい。
その心の広さをもうちょっと難しい呪文にも適用してほしいものだ。
「えーっと……これかな?」
呪文書をパラパラめくり、治癒魔法の載っているページを開く。
ふむふむ、『聖なる力を用いて、対象の傷を癒します』か。簡単だけど役に立ちそうだ。呪文唱えようと、買ったばかりの杖を取り出す。
先端がくるんと丸まっていて、申し訳程度に白い石が紐で結わえつけられている木の杖だ。
……というかこれただの木の枝じゃないのか? まあいいや。トゥーリアさんも初心者用って言ってたし、しばらくはこれを使っていこう。
「よし、テオ。そこを動くなよ……生命の息吹よ、どうか彼の者に力を。“癒しの風”」
テオをその辺に立たせて、杖を構えて呪文を唱えた。
何となく俺の中で聖なるパワーが満ちているような気がする。呪文を唱えた途端、俺からテオに向かって、爽やかな風が吹き抜けていくのが分かった。
これは成功した! と思ったが、肝心のテオには全く変化がなさそうに見える。
「ど、どう?」
「いや……正直よくわからん」
「え、失敗?」
うんうん唸っていると、ヴォルフが置いてあった呪文書をペラペラとめくり始めた。
「傷の治療の魔法なんですよね、怪我してないと意味ないんじゃないですか?」
「あ、そっか」
確かに、今のテオは怪我一つなくぴんぴんしている。どうやら元気なものに治癒の呪文をかけても意味がないみたいだ。
「じゃあ、これだ! 照らせ、“小さな光!”」
そう呪文を唱えると、杖の先から小さな光の球が現れて、ふよふよとその辺りを漂い始めた。
「やった、成功だ!!」
「すごいぞクリス!」
「……で、この光の球はどんな効果があるんですか?」
ヴォルフは光の球をつつきながらそんな事を言いだした。
どんな効果……といわれても、光の球が現れるだけだ。そういえば何の役に立つんだ?
「ちょ、ちょっと待て。えぇっと……」
慌てて呪文書から今の魔法のページを探す。
光の球、光の球…………あった!!
「『光の球が現れて辺りを明るく照らします』だって!」
「それだけですか?」
「ま、待てよ……ほら、『光の球は、悪しきものに危害を加えることもあります』って書いてある!」
「危害を加えることもあるって……何でそんなにあいまいな書き方なんですか。危害を加えないこともあるんですか」
「俺に聞くなよ! ……でもたぶん大丈夫だろ、これでばんばん魔物を倒してやるよ!!」
「いい心意気だな、クリス。さっそく明日から実戦を開始するか」
「え、そんなつもりじゃ……」
「遠慮するな! 期待してるぞ!!」
「えぇぇ!?」
そんな風に俺たちがぎゃーぎゃー言っている間中、光の球は所在なさげにふよふよと部屋の中を漂い続けていた。とても誰かに危害を加えるようには見えない。大丈夫なんだろうか。
◇◇◇
翌朝、俺はやる気満々のテオに叩き起こされた。
昨日街に着いたばかりで疲れてるっていうのに、何でそんなに元気なんだ。この体力バカゴリラは。
「今日は冒険者ギルドに行くぞ!!」
「うぅん……冒険者ギルドぉ?」
俺は眠い目をこすりつつベッドから起き上がった。目の前ではテオは目を輝かせて立っている。ヴォルフも起きているようで、三人分の茶を淹れていた。
そう認識した辺りでやっと目が覚めてきて、さっきのテオの言葉の意味を考える余裕が出てきた。
「何で? 俺たち勇者じゃん」
そう、俺たち(というかテオ)は勇者様なんだ。
一般に冒険者ギルドといえば、当然ながら冒険者の仕事場だ。勇者と冒険者では魔物を倒して人々を守る、という目的こそ一致しているが、そのスタイルは大きく異なっている。
ここミルターナ聖王国では、ティエラ教会のトップの聖王がそのまま国を治める王様となっている。つまり、そのティエラ教会に任命された勇者はミルターナ聖王国の公的な役職ともいえるわけだ。
それに対して、冒険者ギルドは完全に民間の組織だ。一部では国の援助を受けていたりするみたいだけど、その運営のほとんどは冒険者たち自身でまかなわれているらしい。
また、志願勇者のテオはそうでもないけど、俺……の振りをした偽勇者みたいに最初から教会にスカウトされた人間には、金とか武器とか仲間とかいろいろなものが支給されるという好待遇が約束されている。
そんな状況なので、冒険者の中には好待遇の勇者の事が気に入らないと思っている人が多いというのは有名な話だ。
それなのに、わざわざ冒険者ギルドに乗り込んだら喧嘩を売られたりしないだろうか。なんか冒険者ギルドって血気盛んな奴が多そうなイメージあるし。
「やめとけよ。変な言いがかりとかつけられたら嫌じゃん」
「心配するな。別に彼らの仕事を横取りするつもりはない」
「うん?」
じゃあ何しに行くんだろう。いつもの様に冒険者ギルドの中を観光したいだけなんだろうか。そういえば、俺たちが今までに滞在した町や村は小さくて冒険者ギルドなんて無かったし。
そんな俺の予想を裏切り、テオは珍しくまともな事を言いだした。
「情報収集に行くぞ」




