31 再出発
翌日、すぐに俺たちは二人にここを出ていくと告げた。
外が気になるとかもうヴォルフも安定したから大丈夫そうだとかいろいろ理由は用意しておいたが、意外にもあっさりと二人は頷いてくれた。
なんだか拍子抜けしてしまった。もっと何か追及されるんじゃないかと思っていたからだ。
「……まぁ君たちにもやるべきことがあるんだろう。俺たちにはそれを止めることなどできんさ」
キリルさんの言葉に、ヴェロニカさんも静かに同意した。
うーん、やっぱり年の功というか……かなり達観してる感じなんだよな……。
「あの、迷惑ばかりかけてすみませんでした……」
思えばどうみても不審人物である俺たちを、よくもこう親身になって受け入れてもらえたものだ。
二人に会えてよかった。ヴォルフの吸血鬼としての衝動も落ち着いてきたし、俺もこんなにゆっくり休めたのは久しぶりだ。
二人にはどれだけ感謝してもし足りないくらいだ。
「もっとちゃんとお礼できればよかったんですけど……」
「気になさることはありませんわ。あなた方はまだ若いのですから、自分の思うがままに行動なさい」
ヴェロニカさんは俺の目をじっと見つめてそう告げた。
言葉以上に、その目は俺に語りかけていた。
自分たちの事は気にせず、前に進めと。
俺はそっと頷き返した。
これ以上の長居は無用だろう。俺たちは二人に背を向け、大樹の家を後にしようとした。
だが、数歩進んだ所でキリルさんに呼び止められた。
「やべっ、忘れてた! ヴォルフリート!!」
せっかくいい感じで別れようとしていた所なのに、キリルさんの緊張感の欠片もない声で何となく気が抜けてしまった。
呆れつつ振り返ると、ひらひらと手を振るキリルさんと目があう。
「迷ったんだが、これだけは言っておこうと思ってな」
「……なんですか」
弱冠嫌そうにヴォルフがそう聞き返すと、キリルさんはいつも通り気の抜けるような笑みを浮かべた。
「君の……お父上によろしくな。…………娘が世話になったと」
「…………ぇ?」
俺は呼吸をするのも忘れてキリルさんを見つめ返した。
娘が世話になった、それってまさか……
「気づいて、たんですか……」
かすれた声で、ヴォルフはそうキリルさんに問いかけた。
やっぱり、二人はヴォルフがインヴェルノさんの子供だと気づいていたんだ……。
キリルさんは隣にいたヴェロニカさんと顔を見合わせると、二人とも困ったような笑みを浮かべた。
「そりゃあ、気づくだろ」
「気づきますわね」
当たり前だとでも言うように、二人はそう言い合っていた。
呆気にとられる俺の手を、ヴォルフは引いてまた二人に背を向けた。
「父には……伝えます」
それだけ言うと、ヴォルフはまたどんどん歩きだしてしまう。
それでいいのか、とか……せっかく身内だってわかったのに、とか言いたいことはいろいろあったけど、俺の手を掴むヴォルフの手が震えているのに気が付いてしまったら、もう何も言えなかった。
きっと、こいつもいっぱいいっぱいなんだろう。
「またいつでも遊びにこいよー!」
そんなキリルさんの声を聞きながら、俺たちは二人の家を後にした。
◇◇◇
現在、教団と解放軍の衝突が激しいのはミルターナの西部地方であり、東部の田舎はそうでもないらしい。
ということは、おそらく俺の故郷のリグリア村も大丈夫だろう。
「リグリア村の北は山脈になってて……そこを超えればユグランスなんだ」
ミルターナの西部はいまだに教団と解放軍が一進一退の状況だ。
今の俺たちはどっちに見つかってもヤバい状況なので、いくら大陸の北側に行きたいと言ってもその紛争地帯を通るなんて危険は侵せない。
その点山越えなら教団にも解放軍にもみつかる心配はないだろう。そもそも体力が持つのかとか、凍死したらどうしよう……とか別の心配はあったけど、俺はリグリア村北の山脈を越えて大陸北部へと向かう事に決めた。
「僕は構いませんけど……クリスさんは大丈夫なんですか?」
「正直自信はない……。でも、今はそんなこと言ってられないだろ」
アルエスタとの国境付近は教団に占領されている。
そこが解放されるのを待っていたらいつまでたってもフリジアには行けず、リルカにも会えない。
もう一年以上もリルカと会っていない。
こんな状況の中、リルカが無事でいるのかどうかいつも心配でたまらなかった。
「いざとなったら、僕が背負ってでも登るので大丈夫ですよ。それより、リグリア村ってあなたの故郷なんですよね? 家に寄るんですか?」
「それは……」
リグリア村へ向かう理由。もちろんリルカに会うためにフリジアへ行かなきゃいけないっていうのもあるけど、俺はずっと家族が心配だった。
旅立つ時も俺の事を心配してくれた母さん、男なら好きなだけやってみろ! と背中を押してくれた父さん。
たぶん大丈夫だとは思うが、元気にしているかどうかずっと気になっていた。
こんな姿になってしまったので、俺が息子のクリスだと言って家に帰ることはできない。
でも、遠くからちょっと姿を確認するくらいは許されるだろう。
「思い切ってばらしたらどうですか? 今日からは娘になります、って」
「俺にもプライドはあるんだよ……」
まさか正式に勇者になる前に体を乗っ取られ女の子になってしまいました!
世界もヤバい状況なのに俺はなにもできていません!
……なんて絶対に家族や村のみんなには知られたくない。
ちっぽけなくだらないプライドだとは自分でも思うけど、やっぱり嫌なものは嫌だ。
「それに、他にちょっと気になることもあるんだ」
「気になる事?」
不思議そうにそう聞き返したヴォルフに、俺はそっと頷いた。
俺が気になっている事、それはあのアンジェリカの夢に出てくる男のことだ。
何人もの体を乗っ取り続けて、今も転生せずに生き続けているニコラウス。
……こいつは危険極まりないけど今はどうにもならない。
英雄アウグスト……いろいろ気になることはあるけれど、ゆっくり調べている時間はない。
そしてもう一人、クリストフという男の事だ。
アンジェリカの記憶の中のクリストフは、まさに勇者!といった感じのアウグストとは対照的に、ちょっと剣技に優れているだけの平凡な男だ。
やたらと寝坊したり散財したり魔物の討伐があるのに二日酔いで動けなかったりと、どっちかっていうとだらしない感じの男だった。
アンジェリカとアウグストが割と寛大なタイプだったからよかったものの、もしも厳格な人が仲間にいたらすぐに放り出されそうな危うい奴に見えた。
英雄として歴史に名を遺したアウグスト、歴史から抹消されたアンジェリカ。
もう一人のクリストフは……一体どうなったんだろう。
アンジェリカと同じように殺されたのか、それとも単に歴史に名を残すような行いをしなかっただけなのか、勇者アウグストの活躍した時代にクリストフという偉人はいなかったはずだ。
……でも、俺の先祖にはいる。
なんでも俺の家、ビアンキ家には昔クリストフという優れた剣の使い手がいたらしい。
俺の「クリス」という名前もそのクリストフにあやかって父さんがつけてくれたものだ。
優れた剣の使い手、クリストフ。その特徴だけを見れば、アンジェリカの仲間のクリストフとも合致する。
残念ながら俺の先祖のクリストフがどのくらい前の人だったのかは覚えていない。
故郷に寄って父さん母さんの様子を確認しつつ、あわよくば何かクリストフについてもわからないかな……という算段だ。
「それで……もしあなたの先祖のクリストフとアンジェリカの仲間のクリストフが同一人物だったらどうするんですか」
「どうもしないよ。ちょっと気になるだけ」
別に同一人物でも別人でも何かあるという訳ではない。
ただ、俺の気持ちの問題だ。
それだけなのに、ヴォルフは何故か不満そうな顔をした。
「……クリスさん、わかってるんですか」
ヴォルフは急に真剣な顔をすると、力強く俺の両肩を掴んだ。
「僕には前世とかよくわからないけど……そうやって引きずられるのは良くないと思うんです。あなたがアンジェリカに近づけば、それはあの枢機卿の思うつぼじゃないですか!」
「でも、ニコラウスなら……」
「ほら、そうやって……!」
ヴォルフはイラついたように唇を噛むと、強く俺の肩を揺さぶった。
「ちょっと前までは枢機卿って言ってましたよね。それなのに……」
自分でも気が付いて、俺は愕然とした。
俺の……アンジェリカの魂を欲しているらしいあの気持ち悪い枢機卿。
アンジェリカの記憶の中に出てくる修道士ニコラウス。
本人に同一人物だと言われてから、俺の中で二人の存在がごちゃごちゃになって来ていた。
今まではニコラウスの事は枢機卿のおまけ程度にしか考えていなかった。
でも、今は俺の中でアウグストやクリストフと同じくニコラウスの存在を強く意識しているのを感じる。
これは……アンジェリカの記憶を思い出しつつある影響なんだろうか……。
単に記憶を思い出しただけではなく、知らないうちに俺の中の認識も少しずつ変化しているのかもしれない。
「……自分の名前、言えますか」
「クリス。……クリス・ビアンキ」
大丈夫、俺はクリスだ。
リグリア村で生まれ育ったクリス。どんなに姿が変わっても、それ以外の何者でもない。
そんな当たり前のことなのに、自分の名前を口に出すと随分とほっとした。
「……ごめん、ちょっと混乱してたかも」
「混乱するのもわかりますけど……前世なんてあまり気にしない方がいいんじゃないですか」
「うん……。でも、アンジェリカとアウグストは世界を救った。俺はその方法が知りたいんだよ」
伝承に残っている通り、アウグストが世界を救ったのはほぼ間違いないだろう。
問題はその方法だ。
ティレーネちゃんの話では、アウグストが竜の親玉を倒したのと同時に、アンジェリカが何らかの方法でこの世界へとやってこようとしたルディスを追い払ったということだった。
もし俺にも同じことができれば、もう一度ルディスを追い払う事も可能かもしれない。
そうなればきっと教団も弱体化して、もとの平和な大地に戻るはずだ。
でも、肝心の方法がわからなかった。
今でも時たまアンジェリカの夢は見るが、それらしいものは一切出てこない。
俺の思う通りに記憶を引き出せればよいのだが、今の所うまくはいっていない。
「それはそうですけど……だからといって前世と今を混同するのは……」
「混同なんてしてないって! 俺は俺で、アンジェリカはアンジェリカ。ちゃんとわかってるよ!」
そうだ。俺がアンジェリカの周辺の事を調べるのは、単に図書館で目当ての本を探すのと同じような事だ。
アンジェリカはその本の中の登場人物のようなもの。俺と別人だって事はわかってる。
そう説明したが、やっぱりヴォルフは不満そうな顔をしていた。
「大丈夫だって、ちゃんとわかってる」
念押しするようにもう一度はっきりと告げる。
大丈夫、俺はクリスだ。
心の中はまだ少しもやもやしていたが、きっとリグリア村に行けばそれも収まるだろう。
リグリア村――俺の故郷。
もう一年以上も帰ってないけど、あの何もない退屈な日々が懐かしく思えてくる。
故郷に思いを馳せて、俺は無理やり頭の中からアンジェリカの事を追い払った。
一つ問題が解決(?)したところで5章終了です!
6章は故郷に帰るところから始まり、百年前の出来事にも迫る話になります。
できる限り毎日投稿を続けていきたいと思いますので、これからもお付き合い頂けましたら幸いです!




