28 衝動
奥まった部屋に入ると、ヴォルフは慎重に扉を閉めた。
キリルさんとヴェロニカさんには聞かれたくない秘密の話でもあるんだろうか。
血を吸われるのは構わないけど、ちょっと気になった
「今日、キリルさんにいろいろ聞いたんです。吸血鬼の事……」
思いつめたような表情で、ヴォルフはそっと口を開いた。
「彼の見立てだと、僕は元々吸血鬼の血が入ってて……今までそれを抑えつけていたと」
「……心当たりは?」
そう聞くと、ヴォルフは少しの間考え込んでいた。
「僕が叔父の元に預けられたのはきっと吸血鬼としての覚醒を恐れたか、もしくは覚醒しても周りに被害が及ばないうちに殺すためだったんじゃないかと思うんです」
「そんなこと……」
あるわけない、と否定したかったが、俺にはその可能性を否定しきれなかった。
ヴィルヘルム皇子は六貴族にとって何よりも大切なのは家の存続だと言っていた。その為なら、身内の粛清だってやりかねないんじゃないか。
シュヴァンハイムで出会ったヴォルフのお兄さんたちは優しかったけど、それでもどこか俺たちを探る様な、試すような視線は感じていた。
「六貴族……ヴァイセンベルク家には僕もまだ知らない秘密がたくさんあるんです。何らかの方法で吸血鬼としての覚醒を抑えることも、きっと可能だと思います」
俺には皆目見当もつかないが、本当にそんな方法があるのだろうか。
そう考えこんでいると、ヴォルフは俺に自身の指にはめられた指輪を見せてきた。
「以前あなたがブライス城に飛ばされた時、僕だけ先に助けに行った事があったじゃないですか。……叔父上にぼこぼこにされましたけど」
「うん……」
あの時の事を思い出すと今でもぞっとする。
グントラム、フェンリル、ドラゴン、巨人……ヤバい奴らのオンパレードでよく生き残れたなと自分でも思う。
「あの時、テオさんとリルカちゃんを置いて先に来たのには理由があって……特殊な『道』を使ったんです」
「道?」
そう言えば、あの時ヴォルフは俺が捕まってから数日後にはもうブライス城にやってきていた。
あの時は非常事態であまり気にしなかったけど、よく考えたらそんな短時間でアムラント島からブライス城にやってくるなんて相当難しいはずだ。
その『道』というのも、たぶん俺が考えている道とは別の物なんだろう。
「ヴァイセンベルクの……指輪を受け継いでいる物にしか使えない回廊があって、そこを通って近道をしたんですよ。危うく死にかけましたけど」
「何か怖いな……」
ヴォルフによると、その特殊な『道』とやらを使えば短時間でヴァイセンベルク領内を移動できるらしい。確かに便利だが、あまり無理をすると体に負荷がかかり死んでしまうらしい。
よくそんな怖いもの使おうと思ったな……。
「それと、あの時叔父上に腹刺されたじゃないですか」
「……うん、死んだかと思った」
刺された何て生易しいものじゃなかった。
どうみても腹を貫通してたぞ、あれは。
「あの時叔父上は自らが生み出した氷の刃で刺したんです。六貴族はそれぞれ地護精霊の加護を受けていて、ヴァイセンベルク家の者は氷の加護を受けている。だから、氷が刺さったくらいじゃ死なないんですよ」
「うん…………?」
いまいちよくわからないが、まあヴォルフが生きてるんだし良しとしよう。
それよりも、こいつがそんな昔の話を引っ張り出してきたのにはきっとわけがあるはずだ。
「えぇと……つまり、ヴァイセンベルク家には俺にはよくわからない不思議な力がたくさんあるってこと?」
「そうです。僕もその片鱗しか知らないので、何らかの方法で吸血鬼化を抑えていたんじゃないかと……」
「うーん……じゃあ、もしかしたらまた血を吸うのを抑えられるかもしれないってことか!?」
またヴァイセンベルク家に戻れば何とかなるんじゃないか。希望を込めてそう問いかけたが、ヴォルフは残念そうに首を振った。
「キリルさん曰く、一度覚醒してしまったものはもう元には戻せないと……」
「そうなんだ……」
内心がっかりしたが、俺はできるだけそれを表に出さないようにした。
できれば元に戻って欲しい。でも、このまま血を吸われ続けるとしてもこいつが生きていてくれるなら俺はそれでいい。
また死ぬとか殺してくれとか馬鹿な事を言いださないか、という方がよっぽど心配だ。
「それで、もう一つ大事な話があるんです」
きっとこれが本題なんだろう。ヴォルフは真剣な顔をして俺と視線を合わせた。
「吸血鬼に噛まれた者は同じく吸血鬼となる。そういう話があるのは知ってますよね」
俺は無言で頷いた。
昨日ヴェロニカさんにも聞いたことだ。彼女はたった一回の接触で普通の人間が吸血鬼になることはないと言っていた。
だが、裏を返せばたった一回の接触じゃなければ、いずれ吸血鬼になってしまうという事だろう。
「…………長期間吸血鬼と接触し続ければ、確実に人間の体にも変化が起こる。これは確かな事なんです。だから……」
ヴォルフはまるで次の言葉を発するのを恐れているように、俺から視線を逸らした。
だが、ぎゅっと拳を握りしめると少し震えた声で俺に告げた。
「僕がこれからもあなたの血を吸い続ければ、おそらくあなたまで吸血鬼になってしまう」
告げられた言葉は、俺の中でもある程度は予想ができていた事だった。
だが、ヴォルフの中では違ったんだろう。床に視線を落としたヴォルフは、憔悴したようなひどい顔をしていた。
「だから、僕は……」
「俺の血を吸うのはやめる、っていうのは無しな」
先手を打ってそう告げると、ヴォルフは驚いたように顔を上げた。
やっぱり、思った通りだ。
「他の人の血を吸われたら困るし……誰かの血を吸わないと生きてけないんだろ、吸血鬼って。だったら今までどおり俺の血を吸えばいいじゃん」
「何言ってるんですか! そんなことしたらあなたまで……」
「あのなぁ……」
焦った様子のヴォルフの肩を、俺は強く掴んで言い聞かせた。
「男から女になった時に比べれば吸血鬼になる事なんて何でもないって! 見た目もそんなに変わらないし」
一番の問題は誰かの血を吸わなければいけないという事だが、それは散々俺の血を吸ってるお返しにヴォルフの血を吸ってやればいいだろう。
昼間ヴェロニカさんに聞いたのだが、吸血鬼同士で血を吸ったり吸われたりしても特に問題はないそうだ。
俺だってできればかわいい女の子の血を吸ってみたいが、そんな贅沢は言ってられない。
「お前はさ、いろいろ難しく考えすぎなんだって。キリルさんたちも言ってたじゃん。人間は助け合う生き物だって。だから……ちょっとくらいは俺を頼れよ」
確かに血を吸われるのは痛いししんどい。でも、それでヴォルフが生き延びることができるというのなら、俺はいくら血を吸われたって構わない。それだけは確かだ。
いつも、俺は誰かに助けられてばかりだ。だから、少しでも誰かの役に立ちたい。
俺なんかにできることはそんなにない。だからこそ、今必要とされていることが嬉しかった。
「吸血鬼でも狼男でもなんでもなってやるよ! それで誰かに迫害されても……その時は一緒に逃げればいいだけだろ!」
確かに疲れるし中々心も体も休まらないけれど、もう追われて逃げる生活にも慣れてしまった。
どれだけ辛い状況でも、それを分け合える人がいるっていうのはきっと幸せな事なんだろう。
「…………いいんですか」
「だからさっきから言ってるだろ! なんなら今すぐ血を吸ってもいいぞ」
ほら、と首元を露わにすると、ヴォルフがゆっくりと近づいてきた。
だが、何故かそのまま耳にかかった髪をかき上げられ、ゆっくりと耳元に顔が近づいてくる。
何だろう、なにか聞かれたらまずい内緒の話でもあるんだろうか。
そう思った次の瞬間、何の前触れもなく突然耳を舐められた。




