27 魔族の血
「思い当たる節って…」
まさか身内に吸血鬼がいるなんてことはないだろう。
そう訝しむ俺に、ヴォルフはゆっくりと首を横に振った。
「前に……僕の母親が妾だって話はしましたよね」
確かにその話は覚えている。
ヴォルフは名門貴族のヴァイセンベルク家の血を引く者でありながら、母親の地位が低いために他の家族とは隔絶された環境で育ったという話だったはずだ。
……あれ、でも何かが引っかかる。
『彼が隠されて育ったのは……他に何か理由があるのかもしれないね』
以前ヴィルヘルム皇子に言われた言葉が蘇る。彼の話だと、母親が妾だというだけでそこまで隠されるように育ったのは不可解だという事だった。
ということは、ヴォルフの母親には妾という事以外にも何か知られてはいけないような秘密があったんだろうか。
……例えば、魔族だったとか。
「まさか……」
俺は自分の考えが信じられなかった。
でも、そうだとすれば辻褄が合う。アトラ大陸において魔族は無差別に人を襲う恐ろしい存在だとされている。そもそも魔族の存在自体を疑問視していたり知らなかったりする人もいるが、実際に魔族を知っている人から見れば恐れられ忌み嫌われる対象だ。
現に、ヴォルフも吸血鬼だという事で処刑されかかったばかりだ。
帝国の大貴族の長が魔族の女性を愛人にした……なんて堂々と公表できることじゃないだろう。
だから、半分魔族の血を引いているであろうヴォルフも隔離されるようにして育ったんだろうか……。
俺がその考えにたどり着いたのが分かったのか、ヴォルフは固い表情で頷いた。
「母の事は……名前くらいしか知らないんです。一度気になって聞いてみたことがあるんですけど、出自も何も教えてもらえずに、二度とその質問はするなと跳ねのけられました」
ヴォルフは自嘲するように笑った。俺もなんて言葉をかけていいのかわからずに黙り込んでしまう。
ヴェロニカさんの話だとヴォルフは人間と魔族の混血であり、父方の血筋は超有名な貴族。
となると、魔族――吸血鬼の血が入っていたのは母親の方で間違いはないんだろう……。
一体どんな気分なんだろうか。
今まで普通の人間だと思っていた自分は実は半分魔族で、定期的に誰かの血を摂取しないとおかしくなってしまう。
……俺だったら気が狂ってしまうかもしれない。
俺たちの間に流れた重苦しい空気を払拭するように、キリルさんは明るく笑った。
「おいおい、そんな悲観すんなよ! 魔族ってのも悪くないぞ? 君も思い切って好きなだけ血でも吸ってみたらどうだ?」
キリルさんは笑いながらヴォルフの肩に腕を回したが、あっさりと払いのけられていた。
人間の中でも真面目な方のヴォルフにとっては、キリルさんみたいに楽観的に考えるのは難しそうだな……。
「何はともあれ、今のあなたは今まで抑えられていた吸血鬼としての衝動が暴走している状態です。まずはそちらを何とかしなければなりません」
ヴェロニカさんはこめかみに手を当てて、考え込むようにそう口に出した。
「何とかできるんですか!?」
思わず身を乗り出した俺に、彼女はにっこりと笑って答えてくれた。
「もちろん。いつもそんなに暴走していては吸血鬼なんてとっくに絶滅しています。そのあたりは旦那様の方がお詳しいので、明日から旦那様に教わるとよいでしょう」
ヴェロニカさんがそう話を振ると、キリルさんは任せてくれとでも言いたげに自らの胸を叩いて見せた。
うーん、ちょっと心配だが今は彼らに頼るしかないだろう……。
「俺は構わんが、一朝一夕で身につく事でもないんでな。しばらくはここに滞在してもらうぞ」
「空いている部屋はいくらでもありますから、お好きな部屋を使ってくださいな」
吸血鬼の夫婦は、そう言うとにこにこと優しげな笑みを浮かべた。
その優しさが、俺の胸にじーんと沁みた。
最近は教団や解放軍から逃げるばかりで、こんなに誰かに優しくしてもらったのは久しぶりだ。
「どうして……」
だが、感動す俺とは対照的にヴォルフは怪しむような目で二人を見ていた。
「どうして……そこまでしてくれるんですか。あなた方にとっての僕たちはただの他人なのに」
ヴォルフはもしかしたら俺たちが何かに利用されるのを警戒していたのかもしれない。
だがそう問われた二人は顔を見合わせると、きょとんとした顔で口を開いた。
「どうしてって言われてもなぁ……」
「魔族と違って、人間は助け合う生き物ではないのですか?」
俺は自分も人間なのにすぐに答えることはできなかった。
魔族の生態はよくわからないが、なんとなく人間よりも殺伐とした世界だという事は想像できる。
そんな魔族からすれば、人間はそんなに助け合っているように見えているんだろうか。
教団の人間とそれ以外で殺し合っている、今でも……?
「あなた達は、魔族じゃないですか……」
二人の問いにはっきりとは答えずに、ヴォルフはそう言い返した。
すると二人は、また優しげな笑みを浮かべた。
「郷に入りては郷に従え、と言うだろう? 俺たちも人間のルールで生きようと思ったわけだ!」
「中々悪くないですよ。さぁ、今日はお疲れでしょう。部屋を用意しますね」
そう言うと、二人は部屋の扉を開けて奥へと入って行った。
その場に取り残された俺たちは、なんとなく顔を見合わせた。
「魔族って、意外と優しいんだな……」
「そうですね……」
珍しく、俺たちの意見が一致した。
◇◇◇
その日は、ヴェロニカさんにあてがわれた部屋で眠りについた。
どうやらこの家は森の地下に作ってあるようだが、不思議とじめじめしてたり暗い感じはせずに快適だ。それに、どこか家庭的な温かみを感じる。
思えば解放軍の砦を出てから今まで、いつ追手がやって来るかと気が気じゃなかった。当然、夜もゆっくりと眠れたためしはない。
でも、いくら教団や解放軍でもこんな大樹の地下に吸血鬼の家があるなんて思いもしないだろう。
何で吸血鬼の夫婦がこんな森の地下でひっそりと暮らしているんだとか疑問は尽きなかったが、不思議と落ち着いて眠ることができた。
翌朝起きると、既に家の中にヴォルフとキリルさんの姿はなかった。何でも、吸血鬼の何たるかを伝授する為に外に出ているらしい。
「でも、昨日向こうの村が教団に襲われて……」
「人里が騒がしかったですからね。ですが心配することはありませんわ。旦那様にとってこの辺りは庭のような物です。迷い込んだ人間を撒く程度朝飯前ですわ」
自慢げにそう言うと、ヴェロニカさんは俺の前へ朝食を差し出した。
うーん、ヴェロニカさんがそう言うなら大丈夫なのかな。キリルさんも襲いかかってきたヴォルフを簡単に投げ飛ばすくらいだし、きっと教団の兵士が相手でも後れを取ることはないだろう。
そう自分を納得させて、俺はヴェロニカさんが用意してくれた山菜たっぷりの朝食を有難くいただくことにした。
食事を終えると特にやることが無くなってしまった。
ヴェロニカさんに何か手伝えることはないかと申し出ると、家の中の細々とした雑用を行う予定だと言われたので、俺は有難くお手伝いをすることにした。
家の中で育てている植物の手入れをし、家具の修繕をして、至る所を掃除する。
もの凄い美人の魔族の元で、庶民的な家事を行うのは不思議な気分だった。
少しだけ、故郷にいた頃に母さんを手伝っていた頃のことを思い出した。
夕方になって、やっとヴォルフとキリルさんが戻ってきた。
こんなに遅いなんて何かあったんじゃ……と俺は心配でそわそわしていたが、無事に戻ってきた二人の姿を見て安心した。
「今帰ったぞ、ハニー!」
「あらあら旦那様、服を脱ぎ散らかさないでくださいといつもあれほど申し上げているではないですか」
家に入って来て早々服を脱ぎ散らかし始めたキリルさんに、ヴェロニカさんがぷりぷりと怒っている。
なんかそんな平和な光景を見てると、二人が吸血鬼って事を忘れるんだよな……。
ぼけっと二人の様子を眺めていた俺は、背後から何故か遠慮がちなヴォルフに声を掛けられた。
「クリスさん、その……」
振り返ると、やたらと思いつめたような顔をしたヴォルフと目があった。
キリルさんに何か言われたんだろうか。
「どしたの?」
「血を、吸わせてほしんです」
ヴォルフは、俺の目を見つめてはっきりとそう言った。
こいつが自分からそんな事を言いだしたのは初めてだ。これはいい兆候かもしれない!
今までのヴォルフは、いくら俺が吸えと言っても理性を保っているうちは血を吸う事はなかった。それで、結局いつも暴走してから後悔するのだ。
俺としては暴走する前に自分から血を吸おうとしてくれた方がありがたい。
これは早速キリルさんに吸血鬼の何たるかを教わった効果が出たのかもしれないと、俺は嬉しくなった。
「いいぞ! じゃあ……」
首元を寛げようとした俺の手を、ヴォルフは慌てたように掴んだ。
「あの、場所を変えてもいいですか……?」
ヴォルフはちらちらとキリルさんとヴェロニカさんの方を気にしていた。
別に二人とも吸血鬼なんだからヴォルフが血を吸う場面を見たところで何も問題はないだろう。
俺はそう思ったが、ヴォルフがあまり二人に見られたくなさそうにしていたので場所を変えることに同意してやった。
俺にはよくわからないが、もしかしたら吸血鬼にとっては何かまずいことがあるのかもしれない。ここはこいつに従っておこう。
 




