26 吸血鬼の家
前を歩く男は楽しそうに女性に話しかけ、女性の方は冷静に相槌を打っている。
そんな二人の背中を見ながら、俺はこっそりとすぐ横にいるヴォルフに話しかけた。
「なぁ……このままついてっても大丈夫だと思う?」
「今更そんなこと言われても……行くって言ったのはクリスさんじゃないですか」
言われてみればそうである。
あの時男の金色の瞳に射抜かれた俺は、よくわからないままにこくこくと頷いていた。
そして、そのまま二人に家まで案内されているという訳だ。
あの時、男の瞳は確かに金色に光っていた。魔族である証だ。
男の話だと、女性の方も魔族、しかもヴォルフと同じ吸血鬼であるらしい。
吸血鬼の住処へ行くなんて怖いと言えば怖いが、もう気分的にはどうにでもなれ、という感じだった。
どうせここで彼らから逃げても近くには教団の兵士や解放軍がうろついているだろうし、落ち着くまではどこかに身を潜めていた方が得策かもしれない。
罠かもしれないが、あの二人からは特に恐ろしいものを感じない。
それに、俺自身も魔族というものが……吸血鬼がどういうものなのか気になっていたのだ。
森の中をしばらく歩くと、大きな木の前で二人はぴたりと立ち止まった。
「ここが俺たちの家だ!」
「えぇ……?」
家だ! とか言われてもそれらしきものは見えない。ただ大樹をはじめとしてたくさんの木が覆い茂ってるだけだ。
……二人は、こんな屋根や壁すらない場所で暮らしているのだろうか。
「まださっきの小屋の方がマシだったんじゃ……」
「ふふーん、見て驚けよぉ……?」
男はにやにや笑いながら大樹の幹に手を突くと、何故か木に向かって話し始めた。
「おらぁ! ご主人様の御帰りだ!」
男がそう口にした途端、大樹の幹に急に人ひとり通れそうなほどの穴が開いた。
「えぇ!?」
驚く俺に気分を良くしたのか、男は声を上げて笑った。女性の方も穏やかな微笑みを浮かべると俺たちに大樹の中へ入るようにと促した。
そっと穴の中を覗くと、どうやら下に空間があるようだ。おそるおそる下をのぞきこんだ俺の背を、誰かがどん、と押したのが分かった。
「うわぁぁ!」
そのまま俺の体は下へと落下して、何やらやわらかいものに受け止められた。見れば、丁度俺の落ちたところに柔らかい毛布のような物が敷いてあった。
「落ちても平気だろ? 俺の為にハニーが用意してくれたんだぜ!」
上から得意そうな男の声がする。
ギシギシと言う軽い音共に、小さなため息交じりの声も聞こえてきた。
「いつも梯子を使ってくださいと申し上げておりますのに……」
確かに俺の落ちた場所のすぐ横の壁には縄梯子が設置されており、女性が梯子を伝って降りてくるのが見えた。
どうやらさっきの穴からこの空間に出入りするための物のようだ。
そこであらためて、俺は今自分がいる場所を見まわした。
確か大きな木の内部へ落ちたと思っていたが、俺の目の前にはなんとも家庭的な部屋が広がっている。
木製のテーブルと椅子、葉を編んだようなカーペットに、天井からはいくつもの野菜や薬草らしきものがつるしてある。
今俺がいる部屋は居間のようだったが、奥へ続いてると思わしき扉もあった。
きっとここは彼らの家なんだろう。
……なんか、魔族の家って感じがしないな。
「狭い場所で申し訳ありませんが、存分におくつろぎください」
俺に続いて大樹の下の空間へと降りてきた女性が、優雅に礼をした。
「木の下にこんな空間があるなんて……入口は普段は閉じられているんですか?」
女性に続いて縄梯子を降りてきたヴォルフは、物珍しそうに部屋中を見まわしている。
「えぇ、わたくしか旦那様が戻った時にしか開かないように仕掛けを施してあります」
女性がそう言った途端、背後からどすん、と何かが落ちてきたような音が響いた。
振り向けば、さっき俺が落ちた毛布の上に白い髪の男が降りてきたのが見えた。
男は得意そうに俺たちの前まで歩いてくると、ぎゅっと隣の女性の肩を抱いた。
「さて、俺たちの愛の巣にようこそ! 客人が来るのなんて何十年ぶりだ?」
女性は怒るでもなく穏やかな笑みを浮かべている。
騒がしい男に落ち着いた女性。意外と相性がいいのかもしれない。というか……
「お二人は、夫婦なんですか?」
そう問いかけると、男はあっと何かに気づいたような声を出した。
「そういえばまだ何も話してなかったな! 俺はキリル。こっちは俺の奥さんのヴェロニカだ! すっげぇ美人だろ?」
「どうぞお見知りおきを」
キリルさんにヴェロニカさん……。ハニーっていうのは名前じゃなかったのか。
二人が興味深そうに俺たちを見ているのに気付いて、俺はやっと自分たちも名乗るべき状況だという事に気づいた。
「あっ、俺はクリスって言います! こっちはヴォルフで、その……」
どうしようか迷ったが、俺は素直に事情を話すことにした。
俺には魔族の事とか、吸血鬼の生態とかはよくわからない。きっとこの二人の方が詳しいだろう。
だから、二人なら何とかヴォルフを元に戻す方法がわかるかもしれない。
簡単にヴォルフがおかしくなった経緯を話すと、ヴェロニカさんはじっと何か考え込んでいるようだった。
「なるほど……吸血鬼に噛まれた者は同じように吸血鬼になってしまうと言う話は御存じですか?」
「はい……」
その話は俺も聞いたことがあった。でも吸血鬼なんて最近までおとぎ話の存在だと思ってたし、あの時ヴォルフは噛まれたようには見えなかった。
だから、頭の中からその可能性を除外していたんだ。
「あれは全くの作り話という訳ではありません。ただ、たった一回の接触でそこまで体が変質するとは考えにくい」
そこまで言うと、ヴェロニカさんは部屋に備え付けられていた棚をあさり、フォークのような物を取り出した。
「少し、手を見せていただけますか」
「……? はい……」
ヴェロニカさんに言われたとおり、ヴォルフは素直に彼女に向かって手を差し出した。その指先に、彼女はいきなりフォークの先を突き刺した。
「痛っ!? 何するんですか!」
ヴォルフはヴェロニカさんを睨み付けたが、彼女は素知らぬ顔で血の滲んだヴォルフの指先を口に含んだ。
…………!?
「な、な……何を……?」
いきなりの展開にヴォルフも気が動転したのか、顔を真っ赤にしてヴェロニカさんを凝視している。
俺もその怪しい雰囲気に二人を止めるのも忘れて見入っていた。ヴォルフの指を口に含むヴェロニカさんの目が金色に光っている。
やっぱり彼女も血を舐めると興奮したりするんだろうか。
「ハニー、そのあたりで勘弁してやったらどうだ……?」
口調は穏やかだが、キリルさんはあからさまにそわそわしている。
まあ、自分の奥さんがいきなり若い男の指を舐めしゃぶりだしたら慌てるよな……。
キリルさんの声が届いたのか、ヴェロニカさんはやっとヴォルフの指先を自分の口内から引き抜いた。
指先がヴェロニカさんの唾液で濡れているのが見えて、俺は思わず目を逸らしてしまった。
なんだが、見てはいけないものを見てしまったような気分だ……。
「なるほど、そういうことでしたのね」
動揺する俺たちのことなど気にせずに、ヴェロニカさんは平然とした顔で口を開いた。
「血でわかりましたわ。あなた、人と魔族の混血ですわね」
真っ直ぐにヴォルフを指差して、彼女はそう言い放った。
人間と魔族の混血。
……ということは、ヴォルフはあの魔族の男に何かされたというよりは、元から魔族の血が混じってたって事か。
よかったよかった。これで安心し…………?
「ええぇぇぇ!? ちょっと待ってください!!」
思わず身を乗り出していた。ヴェロニカさんはきょとんとした顔でこちらを振り返り、当事者であるヴォルフは放心している。
たぶんショックすぎてヴェロニカさんに言われた言葉の意味を考える余裕もないんだろう。
「あ、あの……こいつの家系ってちょっと特殊で、魔族の血が入るとか考えにくいんですけど……」
ヴァイセンベルク家はユグランスの名門貴族だ。
魔族の血が混じっているとはとてもじゃないけど思えなかった。
オリヴィアさんの話では貴族間でも結構ぎすぎすしている所があるみたいだし、まさかヴァイセンベルク家に魔族の……しかもしょっちゅう血を吸う必要がある吸血鬼の血が混じっているとは考えにくい。
そんな事実が露見すれば、ヴァイセンベルク家だって無事ではいられないだろう。
きっと、何かの間違いだ。
「ですが、彼に魔族の血が入っていることは間違いありません。今までは何らかの方法で発作を無理やり押さえ込んでいたようですが、おそらくあなた方が遭遇した魔族の男が吸血鬼としての本能を呼び覚ましたのでしょう」
「でも……」
信じられない、と言おうとした俺の腕が小さく後ろに引かれた。
振り返ると、やけに真剣な顔をしたヴォルフが俺の腕を掴んでいた。
「いいんです、クリスさん。僕にも……思い当たる節がないわけじゃないんです」
そう言うと、ヴォルフは俺の方へと向き直った。




