25 謎の男女
「だ、誰だ……!?」
警戒しながらそう問いかけると、男は心外だとでも言いたげに肩をすくめた。
「それはこっちの台詞だぜ! たまたま散歩中に人の血の匂いがしたので立ち寄ってみれば……君たちこそ誰だ?」
男は興味深そうに俺たちをじろじろと眺めている。
さっきの男の言葉が本当だとすれば、彼は教団の人間でも解放軍の人間でもなく、たまたまこの辺りを散歩していただけの人だという事だろうか……。
正直それもかなり怪しいが、少なくとも俺たちに危害を加えようというそぶりは見られない。
何て答えるべきだろう……と考えていると、ふと男が何かに気づいたように目を丸くした。
「その目……お前、魔族か?」
その言葉を聞いた途端、俺たちは固まった。
男はまっすぐにヴォルフの事を見ていた。男の言った通り、ヴォルフの目は相変わらず金色に染まったままだったのだ。
魔族の特徴知っている人が見ればすぐにばれてしまうだろう。
ヴォルフは一瞬顔をこわばらせたが、次の瞬間男へと飛び掛かろうとした。
――ヤバい、殺す気だ!
俺は慌てて止めようとした。
だって、目の前の男は多分ただの善良な村人だ。いくら魔族だとばれたとしても、俺たちの都合でいきなり殺していいわけがない!!
「待っ……!」
それでも、止めようと伸ばした手は届かなかった。ヴォルフの持つナイフが男の首を切り裂こうと襲い掛かる。
男は何が起こったのかわからないままじっとしているようだった。
俺は次に起こる悲劇を予感して思わず息を飲んだ。
だが、次の瞬間ヴォルフの体は小屋の反対側の壁へと叩きつけられていた。
反動で小屋全体が大きく揺れ、めきめきと木が折れるような嫌な音が響く。
俺は信じられない思いで男に目をやった。
男は傷一つない状態でぱんぱんと手を払いふぅ、とため息をついた。
「まったく、最近の奴はキレやすくて困るな。なぁ?」
男はにやりと笑うと、同意を求めるように俺に笑いかけた。
「な、何なんだよあんた……」
こいつは飛び掛かって来たヴォルフを軽々と抑えて向こうの壁へと投げつけた。
どう考えてもただの村人とは思えない。
「いやいや、だからそれはこっちの方が聞きたいっつーの!」
男が頭を掻きながら一歩俺の方に近づいてきた。
その途端、壁際に倒れ込んでいたヴォルフがよろよろと立ち上がった。
金色に染まったままの目で、鋭く男を睨み付けている。
「……その人に近づくな」
「おっ、坊主意外と頑丈だな!……やるか?」
男は挑発するようにそう言うと、またヴォルフの方へと向き直った。
ヴォルフは勢いよく壁に叩きつけられたとあって、至る所に血がにじんでいる。対する男は無傷で余裕そうだ。
これは、まずいんじゃないか……?
俺は二人を止めようと立ち上がった。
この男はおかしい。何か得体のしれないものを感じる。
このまま放っていたら大変なことになってしまうかもしれない……!
だが俺が止めに入る前に、小屋の中に鈴の鳴るような声が響き渡った。
「旦那様、寝間着で出歩かないでくださいとあれほど申し上げましたのに」
いつからそこいたんだろうか。少なくとも俺はこの瞬間までまったく気づいていなかった。
驚いて小屋の入口に目をやると、今までに見た事も無いほど美しい女性が無表情でそこに佇んでいた。
淡い菫色の髪に同じ色の瞳。
上品なドレスのようなワンピースを纏った華奢な女性だ。
男は女性の姿を目にすると、ぱっと顔を輝かせた。
「ハニー! 迎えに来てくれたのか!!」
「もういいお年なのですから、あまり薄着で出歩くとお風邪を召されますわ」
女性は持っていた上着を男の肩にかけた。男はでれでれと嬉しそうに笑っている。
いつのまにか小屋の中に漂っていた緊迫した空気は消えていた。
女性はちらりと俺とヴォルフの姿に目を走らせると、咎めるように男を睨んだ。
「……怪我をされています。旦那様が?」
「坊主の方はそうと言えなくもないが……あっちのお嬢さんは違うぜ!」
男は慌てたように両手を振った。女性は俺の前まで進み出ると、丁寧にその場に膝をついた。
近づくだけでふわんといい匂いがする。なんか別世界の人みたいだ……。
「主人が迷惑をかけたようで、誠に申し訳ございません」
女性が深々と頭を下げたので俺は慌てた。
「ち、違います! 元々は俺たちが悪くて……」
元はと言えば、あの男はちょっと小屋に入って俺たちを発見しただけだ。
先に飛び掛かったのはヴォルフの方で、あの男の行動は正当防衛と言えるだろう。
そう説明すると、女性は小さく頷いたのち今度はヴォルフの方へと近づいて行った。
俺にしたのと同じように床に膝をつくと、女性は何かに気が付いたように目を見開いた。
「あら、あなた…………」
「えっ」
女性は白く美しい手でヴォルフの両頬をやさしく包んだ。ヴォルフの頬が一瞬で赤くなる。
……何だよその反応。普段どれだけちゅーちゅーで俺の血を吸っても、全く照れもしない癖に。
何だろう。俺には色気が足りないんだろうか。いや、そんなの全く無くても構わないんだが、こうあからさまだとちょっと悔しいと言うか何というか……。
俺はそんな風にちょっとだけむかついたが、一番顕著な反応を示したのは白い髪の男だった。
「ハニー!!? い、いくら若い男に会えて嬉しくても浮気はダメだぞ!!? 俺が泣く!!」
男は慌てたように女性の肩を掴んだが、女性は平然と男を振り返った。
「何を勘違いしているのですか、彼の様子をよくご覧になってください」
女性にそう言われ、男もヴォルフを覗き込んだ。ヴォルフは居心地悪そうに身を引いた。
反抗する様子はない。俺はちょっとだけ安心した。
「んー……押さえつけられている? これはまた無茶な……」
「それに加え、抑えられていたものが強制的に引きずり出されたようです。これでは力のバランスも保てないでしょう」
二人は何やらぺちゃくちゃと俺にはよくわからないことを話している。
そうこうしているうちに、女性の方がくるりと俺を振り返った。
「……という訳ですので、お二人ともわたくしたちの家へいらしてください」
「えぇぇ!?」
何がそういう訳なのかさっぱりわからないけれど、どうやら俺たち二人はこの女性の家へと誘われているようだ。
わたくしたちの、と言っていたし、もしかしたら白い髪の男とも一緒に住んでいるのかもしれない。
俺はどうしようかと迷った。きっと森の外にはまだ教団か解放軍がうろうろしているだろう。悪い人じゃなさそうだし、二人の申し出は有難い。
でも、解放軍からも教団からも追われている立場の俺たちが行ったら迷惑になるんじゃ……。
頭を悩ませる俺に、男は軽く言い放った。
「人里の方は何やら騒がしいが……俺とハニーの家は簡単には見つからない所にあるから平気だぞ~。それに……」
男はヴォルフに視線をやると、にやりと笑った。
「お前もその衝動の押さえ方、知りたくはないか?」
全てを見透かすような目で、男はヴォルフを見ていた。
俺は思わず息を飲む。この短時間で、彼らは一体どこまで俺たちの事情を知られたんだろうか。
「何で、そんなこと……」
ヴォルフが男を睨み付ける。すると、男はやれやれと肩をすくめて言い放った。
「何でってそりゃあ……俺もハニーも吸血鬼だからな。同族の状態はだいたいわかるってワケ」
「ぇ……」
俺は驚いて男を凝視した。
男は金色に光る眼を細め、愉快そうに笑った。




