24 逃走の路
リグリア村を目指し始めて少し経った頃、俺たちは小さな村へと立ち寄った。
この辺りもじわじわと教団の支配下になりつつあるが、この村はまだ無事のようだ。
行き交う人は皆不安そうな顔をしている。こんなご時世じゃ無理もないだろう。
ひとまず宿屋で部屋を確保した俺は、まだ明るかったがすぐにベッドに横になった。歩き通しの上に、いつ教団に襲撃されるかと気が気じゃない。
体も、心も疲れ切っていた。
「クリスさん、その……」
すると、ヴォルフが何か言いにくそうに声かけてきた。
俺はぼぉっとしたままその様子を見上げていたが、すぐに何を言おうとしているのか気が付いた。
自分から言い出すのは珍しいが、血が吸いたいんだろう。
「ん、いいよ」
もう起き上がる気力も無かったので寝転がったまま首元を露わにすると、すぐさま首元に痛みを感じた。
でも、力を抜いていたからかいつもよりか痛みに耐えられるような気がした。
血をすすられる音が全身に響く。その音を聞いたまま、俺は眠るようにして意識を手放した。
◇◇◇
外から悲鳴が聞こえ、俺ははっと目を覚ました。
隣のベッドに寝ていたヴォルフも目を覚ましたようだ。じっと難しい顔をして耳を澄ませている。
「これって……」
「ただの酔っぱらいの喧嘩ならいいんですけど……」
もう真夜中と言ってもいい時間帯だ。こんな時間になんて迷惑な……と外を見た俺は思わず息を飲んだ。
村の入口あたりの空が、赤く染まっている。
「あ、あぁぁ……」
あれは炎だ。アンジェリカを焼いたのと同じ炎。
あの炎に包まれたら熱くて苦しくて……
「クリスさん!」
強く腕を引かれて俺は我に返った。
そうだ、怖がってる場合じゃない。前にも同じような場面に遭遇したことがあるからわかる。これは教団の襲撃だ!
「ど、どうしよう……」
「裏手が森になっていたはずです。取りあえずそっちに逃げましょう!」
俺たちの泊まっていた部屋は一階で、廊下に出ればヴォルフの言った通り宿屋の裏手が山へと続く斜面になっていた。
料金は先払いだったし……と心の中で言い訳をしつつ、俺は廊下の窓から外へと飛び出した。
村の方からはひっきりなしに悲鳴や怒号が聞こえてくる。森へと逃げる途中に一度だけ村の方を振り返ると、やはり村の入口のあたりが赤々とした炎に包まれていた。
今夜あの場所で、何人が傷つくのだろう。
できれば助けに行きたい。でも、今の俺たちにそんな力は残されていなかった。
きっとテオだったら自分のことなど顧みず助けに行くんだろうな……とまた考えてしまったが、すぐにその考えを振り払った。
テオはもういない。テオは本物の勇者だったけど、俺は勇者になれなかった出来損ないだ。
今の俺は自分と、すぐ横にいる人を守る事だけで精一杯だ。
ずきずきとした罪悪感を覚えながらも、村に背を向けて森へと駆けだした。
◇◇◇
運の悪い事に、森に入ってすぐに雨が降ってきた。
地面はすべるし、なによりも体が冷える。必死に腕をさする俺を、前を歩くヴォルフは気遣わしげに振り返った。
「クリスさん、寒いんですか」
「うん…………お前は?」
俺がこんなにも寒がっているというのに、ヴォルフは見たところ全然平気そうだ。
「ヴァイセンベルクの者は寒さに強いんです。雪国生まれですからね」
「へぇ……ちょっと羨ましいかも」
俺もミルターナの中では寒い地方の生まれとはいえ、ヴァイセンベルク領に比べたらかなり温暖な気候で育ったといえる。
本場の雪山育ちのこいつに比べたらまだまだ鍛えられていないという事なんだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、不意にヴォルフが立ち止まった。
なんだなんだと視線を上げると、すぐ向こうに何やら建物らしきものがあるのが見えた。
「……どうする?」
「明かりはついていませんし、誰もいなかったら中で休めるかも……」
近づいてみると、どうやらその建物はぼろぼろに朽ちかけた小屋のようだった。
人の気配はない。ちょっと怖かったが恐る恐る中を確認すると、やっぱり誰もいなかったし、しばらく使われた形跡もない。
雨もどんどん強くなってきてるし、俺たちはしばらくこの中で休むことに決めた。
小屋の中は、外ほどぼろぼろではなかった。ところどころ雨漏りがしていたが、野ざらしよりかはかなりましだろう。
そんな風に上に気を取られていた俺は、脆くなっている足元に気づかずに思いっきり割れかけていた床板を踏み込んでしまった。
ばきりと嫌な音がして、足元の床板が崩れる。
「痛っ……!」
「大丈夫ですかっ!?」
折れた床板の間に落ちかけた体を、とっさにヴォルフが支えてくれた。だが、踏み抜いた時に傷つけてしまったのか、引き上げた足には少なくない量の血がしたたっていた。
杖なしの治癒魔法でどのくらいよくなるかな……と考えていた俺は、不意に強い視線を感じて顔をあげた。
すると、目が金色に染まったヴォルフが血が滴り落ちる俺の足を凝視しているのが見えた。
思わずぞくりと体が震える。俺の反応に気づいたのか、ヴォルフは気まずそうに目を逸らした。
「あの、すみません……僕……」
――金色の目は魔族の証
……信じたくはないが、ヴォルフはあの派手なマントの魔族に何かをされて同じく魔族へとなってしまったのだろうか。
普段は普通の人間と変わりがないように見えるが、ヴォルフは血を吸う時だけは本物の魔族のように目が金色に光り、理性を失ったかのような乱暴なふるまいをすることがあった。
今はまだ正気を保てているようだが、いつ理性を失うのか俺にはわからない。
血を吸えばある程度は収まる様なので、俺はそっとヴォルフに近づくと小さく問いかけた。
「血……吸う?」
「でも、夕方も吸ったばっかりなのに……」
ヴォルフ自身も自分の体の変化が信じられないのか、絶望したような表情を浮かべて拳を握りしめていた。それでも、その視線だけが時折俺の足を流れ落ちる赤い液体へと吸い寄せられているのがわかった。
正直ヴォルフの変化は怖い。でも、こいつが殺されるかもしれないと聞いた時に比べれば俺の心は落ち着いていた。
もう誰も大切な人を失いたくはない。その為なら俺の血くらいいくらでも捧げよう。
「ほら」
直接足を舐めさせるのはちょっと抵抗があったので、俺は足を流れる血を指で掬ってヴォルフの口元へ持っていた。
ヴォルフははじめ俺の指先を凝視していたが、はっと我に返ったように一歩後ずさった。
「だめですよ……」
ヴォルフは必死に血を吸いたいと言う衝動に抗っているようだった。
俺に吸血鬼の気持ちはわからない。でも、想像することはできる。
きっと吸血鬼にとっての吸血行為は、人間にとっての食事や呼吸と同じくらいになくてはならないものなんだろう。
「どうせこのままだと拭くだけだし……っ、!?」
俺の血を無駄にしないでくれと言おうとしたところで、俺は外から聞こえてきた音に思わず口をつぐんだ。
ぺちゃぺちゃと濡れた地面を踏みしめる音がかすかに聞こえてくる。
野生動物か何かかもしれない。だが、確実に足音はこの小屋の方へと近づいてきているようだった。
森の中に逃げた人を探しに来た教団の兵士か、それとも教団の襲撃から村人を救いに来た解放軍か……どちらにしても俺たちにとっては危機的状況だ。
ヴォルフが黙ったままナイフを引き抜いたのがわかった。俺も杖を構えようとして、今は杖を持っていないことに気が付いた。
次の瞬間、キィ……と鈍い音を立てて小屋の扉がゆっくりと開いた。
「おいおい、血の匂いがするからどんな流血沙汰かと思いきや……」
入ってきた者の姿を見て、俺は思わず戸惑った。
思いっきり気を抜いたようなだぼだぼの服を着た、三十代くらいの真っ白な髪の男が立っていたのだ。
………教団の者でも、解放軍の者でもなさそうだ。
じゃあ、何だ?
「こんな汚い場所で逢引か? 最近の若い奴らの考えることはわからんなぁ……」
男はじろりと俺たちに視線をやると、呆れたように頭を掻いた。




