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俺が聖女で、奴が勇者で!?  作者: 柚子れもん
第五章 変わる世界と変わらない思い
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22 新月の夜

 テオが殺された時、俺は何もできなかった。

 あんな形で大切な人を失うのは初めてだった。この一年、あの時ああしていれば、とずっと後悔し続けている。

 その傷は今も癒えることはない。むしろどんどんえぐられていくような気すらした。


 それに、理不尽に殺される恐怖を俺は知っている。

 迫る炎、焼ける体。あの瞬間、アンジェリカは…………俺は、世界のすべてを恨んだ。

 もう、絶対にあんな思いはしたくないし、させたくない。

 それなのに、俺はまた目の前の大切な人を失いかけている。



「な、んでっ……そんなに死のうとするんだよぉっ……! まだ、助かるかもしれないのに……!」


 しゃくりあげながらそう声を絞り出すと、ヴォルフはまるでどうしていいのかわからない、と言った様子で俺を見ていた。


「僕は……もう、化け物になってしまったんです」

「そんなのっ……!」


 反論しようとした俺を、ヴォルフは遮った。

 そして、苦しそうに声を絞り出した。


「クリスさん、以前僕に聞きましたよね。……もし自分が人を襲う化け物になってしまって、どうしても元に戻れなかったらどうするかって」


 その言葉に体の芯がすっと冷たくなる。確かに、俺はその言葉を覚えている。


 もう一年以上も前、ユグランスで知り合ったオリヴィアさんの婚約者が人を襲う化け物へと変貌した際に、オリヴィアさんは自ら婚約者の息の根を止めた。

 俺はどうしてもその行動が理解できなくて、ヴォルフに問いかけた。


「その時、僕がなんて答えたか覚えていますか」


 もちろん覚えている。だが、俺は答えたくなかった。

 俯いて震える俺に、ヴォルフも俺がちゃんと覚えていることを悟ったんだろう。

 ひどく優しげな声で、残酷な答えを告げた。


「どうしても助けられないのなら、僕がこの手であなたを殺す……。僕はそう答えて、あなたはそれに納得した」


 耳をふさぎたかったが、体が動かなかった。

 違う、俺はそんなつもりで言ったんじゃない。

 だって、あの時はまさかこんなことになるとは思ってなかったんだ……!


「……今が、その時なんですよ」


 ヴォルフは震える俺の手を取ると、その手に何かを握らせた。

 おそるおそる自分の手元に視線を落とした俺は、そこにあった物を見て戦慄した。

 俺の手には、鈍い銀色に光るナイフが握らされていたのだ。


「良く知らない人間に化け物として抹殺されるくらいなら、僕はあなたに殺されたい」


 微塵も恐怖を感じさせない、冷静な声だった。

 その口調で、俺はヴォルフが本心からそう言っているのだとわかってしまった。


「別に恨んだりしないので安心してください。あ、でもできるだけ苦痛を長引かせないように一突きで殺してもらえると嬉しいかな」


 ヴォルフは淡々とそう告げる。俺は自らの手に握られたナイフから視線を外せずにいた。

 果物を剥く時くらいしかナイフなんて使ったことないけど、そんな俺でも急所を深く刺せばすぐにヴォルフは死ぬだろう。

 実際、何度かヴォルフがそうして人や魔物を殺しているのを俺は見たことがある。

 ナイフを掴む手がかたかたと震える。


 ヴォルフは、俺に殺されることを望んでいる。優しい奴だから、きっとこれ以上誰かを傷つけるのに耐えられないんだろう。

 俺だってオリヴィアさんの行動の意味を考えた時には、化け物となって誰かを傷つけるくらいなら、殺してでも止めて欲しいと思った。

 ヴォルフの気持ちもわかる。大勢の前でまるで見世物のように処刑されるくらいなら、きっと親しい人間に見守られながら死にたいと思うだろう。

 だから、俺はヴォルフの為にもこのナイフで息の根を止めるべきだ。


 そう頭では理解している。わかっていた。

 でも…………



「ご、めん……できないよ…………」



 ナイフを遠くに放り投げる。ヴォルフはその軌跡を目で追っていた。


「だってお前、生きてるじゃん……! だったら、もっと生きててもいいだろ!?」


 俺にはオリヴィアさんのような勇気も、アルフォンスさんの潔さもない。

 テオが今の俺を見たらがっかりするかもしれない。今のヴォルフは人を襲う化け物だ。そう言われても仕方のない状態だ。

 でも、生きていて欲しい。もしかしたらまた誰かを襲って、今度こそ殺してしまうかもしれない。

 それでも、俺はこいつに生きていて欲しかった。

 そう絞り出した俺の言葉に、ヴォルフは諭すように口を開いた。


「でも、いつかまたあなたを傷つけ――」

「そんなのいいよ! 他の人は困るけど……俺の血ならいくらでも吸っていい! だから……」


 テオがいなくなって俺の心にぽっかりと穴が開いた。ヴォルフまで失ったらきっとその穴はもっと広がって、俺の心はただの空洞になってしまうだろう。

 世界を救いたい。テオの意志を継ぎたい。それは紛れもなく俺の本心だった。

 でも……俺はその為に、家族同然に大切な存在を犠牲にすることはできない。

 たとえこの先多くの善良な人たちを恐怖の底へと突き落とすことになっても、ヴォルフに生きていて欲しい。

 それだけは譲れなかった。


「だからっ、一緒にいてよぉ……!」


 引っ込んでいた涙がまた溢れ出した。

 十八才にもなってこんなに泣くなんてみっともない。そうわかっていたが、後から後からあふれ出る涙は止められなかった。


「……どうして、僕なんですか。僕が死んでもあなたを気に掛ける人はたくさんいる」


 固い声でヴォルフが問いかけてくる。それを聞いて、俺は急に怒りがわいてきた。

 どうして、だって…………!?


「そんなの……誰かと一緒にいたいっていうのに……理由なんていらないだろっ……!!」


 誰かを大切に思って、一緒にいたいと思うのに理由がいるんだろうか。

 馬鹿な俺にはそんなのわからない。

 俯いて泣きじゃくる俺の肩に、ヴォルフがそっと触れてきた。

 思わず睨み付けると、ヴォルフは何故か困ったような顔をしていた。


「……よく考えたら、僕が死んでも何も解決しませんよね」

「…………え?」


 戸惑う俺など気にしていないように、ヴォルフは真剣な顔で何か考え込んでいる。


「あなたが枢機卿に狙われる状況は変わらないし、レーテさんも行方不明。リルカちゃんの所に行く道も探さないといけないし……おちおち死んでいられる時間もなさそうですね」

「それって……」


 希望を込めてそう問うと、ヴォルフは壁に手をついて立ち上がった。


「あなたみたいな危なっかしい人、放ってはおけませんからね。……一緒にいきましょう」

「…………最初からそう言えよ!!」


 慌てて涙をぬぐう。もっと理論整然と説得したかったけど、なんだか泣き落としのような形になってしまった。

 まあ、結果うまくいったので良しとしよう!


 ヴォルフが放り投げたナイフを拾っている間に、俺は持ってきた黒いローブを広げた。


「それは?」

「変装用。あんまり意味ないかもしれないけど……」


 ヴォルフの真っ白に近い髪は目立つ。頭からローブをかぶせると、多少は目立たなくなったような気がする。

 ……ちょっと怪しい気がするけど。


「よし、行くぞ!」


 ずっと閉じ込められていたからなのか、ヴォルフはちょっとふらふらしている。俺もさっき血を吸われたせいなのかちょっとくらっときたが、なんとか壁に手をついて踏みとどまった。

 ……ここで失敗するわけにはいかない。なんとか気合を入れなおす。

 俺が眠らせた牢番はまだ起きる気配はない。ちょっと悪いと思いつつも、俺たちは彼を放置して地下牢を抜け出した。



 ◇◇◇



 事前に探っておいた人の少ない場所を通って、砦の裏口を目指す。

 皆忙しいのか俺たちを見咎める人はいなかった。なんとか裏口まで辿り着くと、さっき牢番から奪った鍵で裏口を開く。

 俺の調べた通り、そこは門番のいない秘密の出口だった。


「……手際良いですね」

「何回もイメトレしたからな」


 そっと扉を開けて辺りを見回したが誰もいなかった。

 幸運なことに今夜は新月だ。闇にまぎれて、俺たちは早く砦のから離れようと駆け出した。

 だが、突如背後から掛けられた聞き覚えのある声に俺は思わず足を止めてしまった。


「待て」


 ……見つかった。

 焦ったが、すぐに思い直した。

 こんなに暗いし、一緒にいるのがヴォルフだとはばれていないかもしれない……!

 ここで逃げ出したりしたら逆に怪しまれ、すぐに捕まってしまうだろう。

 落ち着いて、冷静に。そう言い聞かせながら俺は何でもない風を装って振り返った。


「……アルベルト。こんな時間に見回りか?」


 そこに立っていたのは、思った通り感情の読めない顔をしたアルベルトだった。

 彼は巡視任務にはあたっていないはずだ。ということは、偶然通りかかったんだろうか。


「それとも散歩? 眠れないならお得意の料理でも作って……」

「自主的な見張りだ」


 アルベルトはそう言うと、にやりとあくどい笑みを浮かべた。


「どこかの馬鹿が、うっかり危険な吸血鬼を連れ出したりするんじゃないかと思ってな」

「っ……!!」


 アルベルトがそう言った途端、横にいたヴォルフが殺気立ったのがわかった。慌ててその手を掴んでやめろ、と合図する。

 ……アルベルトは強い。今のヴォルフは本調子じゃないみたいだし、ここは砦のすぐ外。すぐに応援を呼ばれてしまうだろう。

 そうなったら俺たちが圧倒的に不利だ。


 俺の行動はアルベルトに読まれていた。ここで戦うのは分が悪すぎる。

 そうなったら残された手は…………逃亡だ!

 ヴォルフの手を掴んだまま俺はくるりとアルベルトに背中を見せ、そのまま駆け出そうとした。

 だが、そこに立ちふさがった影を見てまた足が止まってしまった。


「……クリス、出ていくのか」


 そこにいたのは弓を携えたアニエスだった。

 アルベルトとアニエス。二人に挟みこまれるような形になって、俺はもはや逃げ場がない事を悟った。


 アニエスも偶然ここに来たわけじゃないんだろう。俺がヴォルフを連れ出そうとするのは、二人に読まれていたということだ。

 新月の夜は暗いので見つかりにくいと思った。でも逆に考えれば、俺にとっても闇にまぎれて俺たちを待ち構えていた奴らを発見しづらいというリスクがあったんだ……。

 俺が浅はかだった。もうこの状態だと逃げ出すことも難しいだろう。



「頼む、見逃してくれ!!」


 咄嗟に俺の口から出たのはそんな言葉だった。隣にいたヴォルフが驚いたように息を飲む。


「絶対に俺以外の人の血は吸わせない! 誰かを傷つけたりもさせない! だから、だからっ……!」


 俺以外の人の血は吸わせない。これは、ヴォルフを連れ出す時に決めた事だ。

 そんな事じゃ二人は納得しないかもしれない。でも、必死に頼み込むことだけが今の俺にできる事だった。

 アルベルトが剣を抜きゆっくりと近づいてくる。応戦しようとするヴォルフを必死に押しとどめながら、俺は絶望的な思いでなんとかアルベルトから目をそらないようにしていた。


「……この先、決してティエラ様に背くことがないと誓えるか」


 俺たちのすぐ目の前に剣を突き付けながら、アルベルトは静かにそう問いかけた。


「ち、誓う……!」


 俺は必死に何度も頷く。

 ティエラ様は俺が小さい頃から信仰していた女神様だ。たとえこれからこの大地のほとんどがルディス教団の支配下になったとしてもそれは変わらない。

 ルディス教団に染まる気はない。それだけは確かだ。

 アルベルトは剣を突き付けたままじっと俺たちを睨んでいたが、ふとため息をつくと唐突に俺たちから剣をどけた。


「その言葉、違えるなよ」


 そう言うと、アルベルトはふん、と俺たちから目を逸らした。

 俺はそのまま何も言えずに数秒間固まっていた。だが、アルベルトはそれ以上何か言ってくることはなかった。

 もしかして、見逃してくれるのか……?


「なんで……?」


 思わずそう聞き返していた。アルベルトは相変わらずそっぽを向いていたが、アニエスがそっと答えてくれる。


「まだお前たちに対する捕縛命令はでていない。……まだ、な」


 二人は俺たちを見逃してくれている。でも、命令が出たらそうはいかない。

 今なら見逃せるけど、1分後、1時間後はどうなるかわからない。

 アニエスの言葉からは、その複雑な心中が伝わってきた。


「っ、……ありがとう」


 俺はまた少し泣いた。二人の立場からすれば、俺たちを捕まえて連れ戻すのが本来の正しい行動だ。

 でも、屁理屈をつけて俺たちを行かせてくれる。

 きっと、二人もヴォルフに死んでほしくないと思っているんだろう。

 そう思うと、また涙が止まらなかった。


「……死ぬなよ」


 アルベルトがぽつり呟いた言葉に、俺は力強く頷き返す。

 どっちかっていうと俺たちよりもアルベルトの方がうっかり死にそうな気がするんだけどな。

 アルベルトは強いけど短気だ。そのうち無防備な特攻とかしそうな気がしていつも心配だった。


「ヴォルフ、クリスを頼むぞ」

「…………はい」


 すぐ横でアニエスとヴォルフはそんなやり取りを交わしていた。

 どっちかっていうと俺がヴォルフの面倒を見る側だと思っていたのでちょっとショックを受けたが、何も言わないでおいた。

 アニエスから見た俺って、そんなに手がかかるように見えるのかな……。


「ほら、誰かが来る前に行け」

「うん。二人とも……元気で」


 本当はみんなによろしくとか言いたかったけど、今の俺たちはお尋ね者だ。そんな事は言ってられないだろう。

 俺が解放軍にいたのはほんのわずかな間だ。でも、その間にいろいろな人にお世話になった。こんな形で出ていくなんて申し訳ないと思う。


 テオにも心の中で百回くらい謝った。

 きっとこんな風に逃げ出すなんて、テオが生きてたら呆れられるだろう。テオに意志を継ぎたいなんて偉そうなことを言っておいてこのザマだ。

 でも、俺は平和の為にヴォルフを見殺しにすることはできなかった。


 ヴォルフの腕を掴んで、振り返らないように駆け出す。

 だいぶ砦から離れた所まで来て、俺はやっと立ち止まった。さわさわと草が静かに揺れている。誰も追いかけてくる気配はない。


「これから、どうしますか」


 ヴォルフが固い声で問いかけてきた。そう聞かれて、俺はこれからの事を何も考えていないことに初めて気が付いた。


 リルカに会いたいのは変わらない。でも、今のヴォルフをリルカに会わせてもいいのかわからなかったし、そもそもどうやってリルカに会いに行けばいいのかも思いつかなかった。


「どうしようかな……」


 目の前にはだだっ広い草原が広がっている。

 いつまたヴォルフがおかしくなるかとか、あの枢機卿はまた俺を捕まえに来るんだろうかとか、レーテとティレーネちゃんはどこに行ったんだとか……懸念は数えきれないほどにあった。


 解放軍はすぐに俺たちがいなくなったことに気づくはずだ。そうなれば、俺たちは立派なお尋ね者になるだろう。

 そんな状況でも、俺は心のどこかで安心していた。

 少なくとも、今は一人じゃない。


「取りあえずできるだけここから離れる。そっからは……その時に考えよう!」


 呆れられるかと思ったが、ヴォルフは小さく笑っただけだった。なんだかおかしくなって、俺もつられて笑い出す。


 そうして、俺たちは行く先も明日の状況もわからないままに歩き出した。


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