21 置いて行かないで
男達はなおも何事か怒鳴りあっていたが、もうその内容は俺の耳には入らなかった。
――ヴォルフが処刑される。
その事実だけが頭の中をぐるぐると渦巻いていた。
今すぐこの扉を開け放って、ヴォルフは化け物なんかじゃないと言ってやろうかと思ったが、俺の中に残った冷静な部分が必死にその行動を押しとどめていた。
そんな事をしてもどうにもならない。相手にされないか、俺も一緒に処刑されるかのどちらかだろう。
どうしよう、どうすればいい……!?
必死に考えた。どうすれば処刑を止められるのか、ヴォルフを救えるのか。
そして、すぐに一つの回答にたどり着いた。
ここにいるのは解放軍の上層部。俺の話なんて聞いてくれないだろうし、アニエスやアルベルトでも難しいだろう。
実際にもう村の女の子が一人襲われている。いくら俺がヴォルフは吸血鬼じゃないと言い張っても、誰も耳を貸さないだろう。
きっと処刑は止められない。そうなったら、もう一つの方法を実行するだけだ。
俺はそっと足音を立てないようにその場を離れた。
処刑、という言葉を聞くと嫌な記憶ばかりが蘇る。
俺の……いや、アンジェリカの体を焼く炎。無数の槍に串刺しにされたテオ。
もう、あんな思いはたくさんだ。
◇◇◇
そっと地下牢へと続く扉を開くと、訝しげな顔をした中年の牢番がこちらを振り返った。
「遅くまでお疲れ様です」
だが、俺がにっこりと笑顔を作ってそう声を掛けると、牢番はあきらかにほっとした顔をして苦笑した。
うーん、かわいい女の子の姿というのはこういう時に便利なんだよな……。
「まったくだよ。あんな事件があったばかりで気が抜けなくてね……」
「本当に、恐ろしいですよね……なんであんな化け物がここにいるんでしょう」
いかにも怖がってます、という顔を作ると、牢番も同調するように声を荒げた。
「あんな化け物はすぐに始末するべきだ! 生かしておけばまた誰かが襲われないとも限らんからな!!」
俺はぐっと手を握りしめて感情を抑えた。
……怒るな、ここで失敗したら何もかもが終わりだ。
「でも、今は兵士さんがしっかりと守ってくださるのでしょう?」
甘えた声でそう問うと、牢番は満更でもなさそうに胸を張った。
「当然だよ。君たちのようにか弱い女性に危害が及ばないようにもっとしっかりしなければな」
「頼りにしてます! それで……そんな頑張っていらっしゃる兵士さんに差し入れを作ってきたんですけど、食べていただけますか……?」
そっと手に持っていたバスケットを差し出すと、牢番は喜色を浮かべた。
中には俺特製のクッキーが入っている。小腹がすいた時にはもってこいのはずだ。
「ありがたくいただくよ!」
「失敗してないかどうか不安で……一口だけ、いま食べていただいてもいいでしょうか……?」
不安そうな顔を作ると、俺はクッキーを一枚手に取り牢番へと手渡した。牢番は怪しむ事も無くクッキーを口へと放り込んだ。
「……うまい! 大丈夫、こんなにうまいクッキーを食べたのは初めてだよ」
「あら、お上手なんですね! それじゃあ、お仕事頑張ってくださいね!」
そのまま俺は地下牢の外へと引き返し、扉を閉めそこで待機した。
数分経った頃だろうか、どん、扉に何かがぶつかる音がし、すぐに先ほどの牢番が出てきた。
「体が、重い……いったい何が……」
「大変! 大丈夫ですか!?」
駆け寄ると、牢番は頭を押さえながら壁に寄り掛かった。
「急に、体が重くなって……」
「私、人を呼んできます。あなたは無理をせずここにいてください!!」
そう告げると、すぐに俺は駆け出し廊下の角を曲がった。だが、人を呼びに行くことはせずそのままそこに隠れて待機する。
一分も経った頃そっと先ほどの地下牢の入口を覗くと、牢番は壁にもたれかかるようにして眠りこけていた。
俺特製、即効性の眠り薬入りクッキー……ちゃんと効いたようだ。
救護班には良い腕を持つ薬師もいる。だから、俺は薬の保管場所も知っていた。
勝手に睡眠薬を持ち出して牢番を眠らせて……もう後には退けない。
怪しまれないように牢番の重い体を地下牢の中に引きずって行き、入口の扉を閉める。
これで外からは見えないはずだ。でも、いつ誰がここに来るかはわからない。さっさと済ませてしまうべきだろう。
牢番の体をごそごそと漁ると、すぐに鍵束がみつかった。
「よし、これで……」
鍵束を握りしめ、俺はヴォルフのいる牢の前へと急いだ。
「ヴォルフ、起きてるか!?」
小声でそう問いかけると、ヴォルフはゆっくりと顔を上げた。そして、俺が牢の扉を開錠しようとしているのに気付くとぎょっとしたような顔をした。
「……は? 何やってるんですか!?」
「静かにしろって!」
鍵を開けて扉を開くと、ヴォルフは怯えたように後ずさる。
「来ないでください! 僕、おかしいんです……血が、欲しくて欲しくてたまらないんです。だから……」
絶望に染まった顔のヴォルフに、俺は一歩一歩近づいていく。すると、ヴォルフは錯乱したように叫んだ。
「帰れ! このままだとまたあなたを傷つけ――」
「いいよ」
ヴォルフの目の前にしゃがみこみ、そっと震える体を抱き寄せる。
いきなりこんな風になっちゃって俺も驚いたけど、きっと今の状態に一番傷ついているのは本人だろう。
だったら、何とかしてあげたい。
「血を吸っていい。傷つけてもいい。ほら、だから……」
襟元のボタンをはずし、首元を露わにする。
「……おいで」
ヴォルフは驚いたように目を見張ったが、次第にその視線が俺の首筋に吸い寄せられ、次の瞬間にはしがみつくようにして強く噛みつかれていた。
「っ、ぐぅ……!」
激痛に思わず漏れそうになる悲鳴を必死に耐えた。
声を聞きつけて誰かがやってくる可能性もあるし、それに嫌そうな声を出せばきっとヴォルフは傷つくだろう。
だから、ヴォルフが俺の首元に顔をうずめて血を吸っている間、俺はずっとヴォルフの背を撫で続けた。
俺はお前の味方だよ、と伝わるように願いながら。
満足するほど血を吸い終わったのか、ヴォルフはそっと俺から体を離した。
慌てたように距離を取ると、信じられない、といった目で俺を見てきた。
「……どういうつもりですか。なんでここに…………」
震える声でそう問いかけたヴォルフに、俺は告げた。
「お前、このままだと殺されるかもしれないんだよ。だから……俺と一緒に逃げよう!」
俺の力じゃ処刑は止められない。だったら、ここから逃げ出して処刑を回避すればいい。
それが俺の出した答えだった。
これが唯一の手だ。ヴォルフならすぐに頷くと思っていた。
だが、ヴォルフはじっと俺を見つめると、小さく首を横に振った。
「……僕は、行けません」
「なんでだよ!」
断られることは想定していなかったので俺は焦った。
だってここにいたら殺されるってわかっているのに、どうして行けないんだ!?
詰め寄る俺に、ヴォルフは諦めたような笑みを浮かべて口を開いた。
「あなたも聞いたんでしょう……? 僕が、ここに来た女の子に何をしたのか」
「で、でも……それはお前の意志じゃなくて……」
「僕の意志ですよ」
ヴォルフは冷たくそう告げた。
俺は信じられない思いでヴォルフを凝視する。
「あの瞬間、確かに僕は血を欲していてあの子に襲い掛かった。誰かに操られていたわけじゃない。自分の意志だったんです」
黙り込んだ俺をなだめる様にヴォルフは続けた。
「自分で自分が抑えられないんです……。このまま生きていればきっとまた誰かを傷つける。次は……殺してしまうかもしれない。だから、僕みたいな化け物はさっさと殺された方がいいんです」
そう言って、ヴォルフは諦めたように笑った。
その顔は、以前ユグランスのブライス城で、巨人を倒すために自分が犠牲になると言い切った時と同じ顔だった。
…………こいつはまた、俺を置いて死に急ごうとしているんだ。
「…………だ。やだぁ……!」
もっとちゃんと説得できるような言葉が出てくればよかったのに。俺の口から出てきたのは嗚咽と、まるで幼児のような単純な拒絶の言葉だけだった。
いきなり泣き出した俺を見て、ヴォルフが驚いたように目を見開いたのが分かった。
でも、もう溢れ出す感情を抑えることはできなかった。
「お、まえまでっ……俺を、おいて行くなよぉ……!!」




