15 「彼女」の話
ティレーネちゃんは俺の方をじっと見つめると、そっと口を開いた。
「今から百年以上前の……竜公事変は御存じですか?」
俺はしっかりと頷いた。
竜公事変といえば、百年以上前にこの世界へと侵攻してきた竜と、この世界の人たちとの戦いの事だ。
教会学校でもそう習ったし、侵攻してきた竜の内の一頭であったテオがそう言っていたのを、俺は確かに聞いた。
「大地を、人々を守る為に、ティエラ教会は多くの人員を戦いに投入しました。教会の関係者も多くの者が竜との戦いに赴いたそうです」
「うん…………」
多くの人がこの大地を守る為に戦い、多くの人が散って行った。
テオはその戦いでたくさんの人を殺したが、今はその行いを悔いてこの世界を守る為に戦っていた。
以前聞いた話は今でもしっかりと思い出せる。
「多くのものが心を一つにして必死に戦いました。でも……肝心のティエラ教会は一枚岩ではなかったのです」
「えっ……?」
その話は初めて聞いた。
まあ、俺は竜公事変といえば勇者アウグストの活躍しか気にしていなかったから知らないだけで、もしかしたら有名な話なのかもしれない。
「当時は、次期聖王候補と称される二人の人物がいました。一人は未曽有の危機に対し教会内のみで対処するべきとの考えを持っており、神殿騎士や修道士を竜の討伐に向かわせました。もう一人はこの大地に生きる者すべての問題であると主張し、広く民草から戦士を募りました。結果がどうなったのかは、あなたもご存知ですよね」
俺はティレーネちゃんの目を見つめたまま、しっかりと頷いた。
竜公事変を収めたのは平民出身の英雄アウグストだ。さっきの話で言う、民衆から戦士を募った方の聖王候補が勝ち、聖王の座に着いたんだろう……たぶん。
俺はあまりその辺りの歴史に詳しくはないので、正直自信はない。
ティレーネちゃんはふと視線を逸らし、少しだけ悲しそうな顔をした。
「ところで、竜公事変の幕引きがどのようなものであったかご存知ですか?」
「うん……。勇者アウグストがこの世界に侵攻していた竜の親玉を討って、他の竜は人に狩られたり元の世界へ逃げ帰ったりしてこの大地は平和になった……でいいんだよね?」
「はい、おおむねはその通りです。でも……かつての騒動の裏側には、竜達を扇動していた存在がありました」
告げられた言葉に、俺は思わず息を飲んだ。
そんなことは知らなかった。教会学校でもそんな事は言ってなかったはずだ。
「今ほど大々的に活動していたわけではないので、その事を知るのはティエラ教会と各国の上層部のみ。竜が討たれやっと平和が訪れたと喜ぶ人に不安を抱かせないようにするため、その事実は秘匿されました」
「それって……」
今ほど大々的に活動していたわけではない。その言葉で、俺にもその竜達を扇動していた存在というものに見当がついた。
ティレーネちゃんも俺をじっと見つめると、しっかりとした声で告げた。
「えぇ、今なおこの世界へ魔の手を伸ばし、解放軍と敵対する存在……ルディス教団の崇める解放の神、ルディスそのものです」
予想はしていたので、思ったよりは動揺しなかった。
俺にはそのルディスとやらがどんな神様なのかはよくわからない。でも、ルディス教団のやってることは許せない。
ティレーネちゃんの話では、百年前の戦いでもルディスは竜達を操りこの世界へ侵略を繰り返していたという。それが本当なのだとしたら、なおさら許せなかった。
「ルディスは……そんなことしてどうするつもりなんだ」
「おそらく最終的には四女神を蹴落としてこの大地を手中に収めるつもりでしょう。私には神々の思惑は理解できないので、それにどんな意味があるのかはわかりかねますが……」
ティエラ様や他の女神を蹴落として、この大地を手中に収める。
単に人間でいう領土を増やしていくような感覚なのだろうか……。
よくわからないが、この大地に暮らす俺たちにとっては迷惑この上ない。大問題だ。
「竜の侵略によって、この大地は危機的状況を迎えました。それに乗じて、ルディスもこの世界への降臨を目論みました。女神様への信仰が弱まっている時期を見計らって、守護神の座を奪い取ろうとしたのです。ですが、その企みは阻止されました。一人の女性によって……」
……いまだにティレーネちゃんの話の要点は見えてこなかった。
もっと個人的な相談かと思っていたけど、なんか神様の争いとか随分と壮大な話になってきたな……。
話について行くのだけで精いっぱいだ。
「のこのことこの世界へと降臨しようとしたルディスは、大地の力を解き放ったその女性によって滅ぶ寸前まで追い詰められ、この世界からの撤退を余儀なくされました。……これは、公にはなっていませんが英雄アウグストが竜達の頭を討った裏で、確かに起こった出来事なのです」
ティレーネちゃんはふぅ、とため息をつくと、そっと目を伏せた。
「それが、『奇跡の聖女』と呼ばれる女性のことです」
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
奇跡の聖女……人間でありながら神様を追い詰めるなんてとんでもない人だ。俺にはとても信じられない。
さっきティレーネちゃんは俺の事をその奇跡の聖女みたいだとか言ってたけど、どう考えても俺にはそんな力はないだろう。
「ところで、先ほど二人の聖王候補がいたという話はしましたよね」
「うん……」
なんとかその事は覚えていたので頷くと、ティレーネちゃんは一歩俺の方へと近づいてきた。
「あなたもお察しの通り、民衆から兵を募り英雄アウグストを見いだした方が最終的には聖王の座につきました。アウグストに協力していた『奇跡の聖女』もその聖王を支持していました。もちろん、もう一人の聖王候補にとっては面白くない状況です。でも、それ以上にその聖王候補は世界を動かすほどに強い力を持つ『奇跡の聖女』を恐れていました」
また一歩、ティレーネちゃんは俺の方へと近づいてきた。
彼女の瞳がじっと俺を捕えている。少し居心地の悪さを感じた。
「神を滅ぼすほどの力……もちろん、その発動者には多大な負荷がかかります。『奇跡の聖女』は、解放神ルディスを追い払ったのはいいものの、ほとんど動けないような状態に陥りました。そして、運悪く彼女の仲間よりも先に、件の聖王候補の息がかかった者が彼女を見つけました」
頭がずきずきと痛む。その先を聞いてはいけないと、心と体が警鐘を鳴らしていた。
駄目だ、ティレーネちゃんを止めないといけないのに、まるで凍りついたように体が動かない。
ただ体が震え、息が荒くなるのが分かった。
そんな俺の様子など気に留めていないように、ティレーネちゃんは努めて冷静に口を開いた。
「すぐさま聖王候補は『奇跡の聖女』を捕えました」
嫌だ、聞きたくない。
「や、やめて……」
震える声でそう懇願したが、ティレーネちゃんは口を閉じることはなかった。
「そして、そのまま適当な罪状をでっち上げて、」
「やめてよぉ……」
その先は聞きたくない、聞いてはいけない……!
必死に拒絶したが、ティレーネちゃんは残酷にも最後の一言を告げた。
「彼女を……魔女として火刑に処しました」
――炎が、燃えていた。
熱い。
熱い熱い熱い熱い熱い――!!!
「あああああぁぁぁぁぁ!!!」
俺は思いっきり絶叫して、耳をふさいでその場にうずくまった。
熱い熱い熱い熱い熱い――!!!
話でしか聞いていないはずなのに、ありありとその情景が、絶望が、火で炙られる熱さが思い起こされる。
怖くて、悲しくて、ぼろぼろと涙が止まらない。
そんな俺を、ティレーネちゃんは感情の読めない瞳で見下ろしていた。
「あなたには辛い話でしょうね…………クリス・ビアンキさん」
不意にそう呼びかけられ、思わず涙が引っ込んだ。
彼女は今、なんて言った……?
「そ、それは……君と一緒にいる勇者の方で……」
何とか絞り出した声は震えていた。
だって、彼女にとっての『クリス・ビアンキ』はティレーネちゃんがいつも一緒にいる勇者クリス……レーテのはずじゃないか。
俺は彼女にただクリス、としか名乗っていない。名前が一緒だとは言ったが、名字まで一緒だとは言っていない。
ティレーネちゃんはどこか冷たさすら感じさせる瞳で俺を見ていた。
その視線に、体がぞくりと震えた。
「……あなた方が思っている以上に、あなた方は『見られて』います。不用意な事はあまり口にしない方がいいですよ」
そう言うと、ティレーネちゃんまるで嘲るかのような笑みを浮かべた。
その笑みを見たらわかってしまった。
彼女には、俺が本当のクリス・ビアンキで、レーテと入れ替わっていることが知られている。
ばれているんだ……!
「……ところで、何故私がこんな話をしたのかわかりますか?」
もう頭がパニック状態で、俺は何も答えることができなかった。
さっきの聖女の話だけでも頭が飽和状態なのに、俺とレーテの入れ替わりがバレてるなんてもうどうしていいのか、何が起こっているのかわからない。
ティレーネちゃんはその場にかがんで至近距離で俺と目を合わせた。その視線の強さに、俺は彼女から目を逸らせなくなる。
「教会は聖王候補のしたことを糾弾はしませんでした。世界の安定を維持するには、教会内の不祥事を公にするわけにはいかなかったからです。そして、戦後の混乱に紛れて『奇跡の聖女』の存在は抹消され、英雄アウグストの伝説のみが現在に伝わっています」
吐息がかかるほどの至近距離で、ティレーネちゃんはそう口に出した。
俺はただ呆然と彼女の言葉を聞いている事しかできなかった。
「その『奇跡の聖女』の名は、アンジェリカ。…………あなたのことですよ」
ティレーネちゃんがそう口にした途端、頭の中でかちりと歯車がかみ合ったような感覚がした。
ティレーネちゃんが言っていた『奇跡の聖女』は、俺の前世であるらしいアンジェリカという女性だった。
アンジェリカは……味方であったはずのティエラ教会の人間によって殺された。
そう理解した途端、あたりに強い風が吹き付け、木の枝葉がざわざわと揺れる。
そして、木々の間から何人かの人が姿を現した。
その中に、もう二度と会いたくなかった顔を見つけて俺はひゅっと息を飲んだ。
そこには、一年前俺を追い詰めた枢機卿が目を輝かせて立っていたのだ。




