11 勇者狩り
「な、ななな……」
そこに現れたレーテの姿を見て、俺は思わず固まった。
あんまり背が伸びてない、期待外れだ……とか考えてる場合じゃない!!
「なんでお前がここに!? レ……」
レーテ、と呼びかけようとした途端、瞬時に接近してきたレーテに足払いを掛けられ、俺はその場で盛大にすっころんだ。
「痛い!! 何するんだよっ! レー……」
「ク・リ・ス!!! ボクはクリスで、そのレなんとかって人とは全然関係ないから!」
倒れた俺を見下ろしながら、レーテはどこか焦った様子でそう繰り返した。
それを聞いて俺はやっと気が付いた。
そうだ、レーテは強引に俺の体と名前を奪って「勇者クリス」として活躍しているんだった。今の様子から見て、「勇者クリス」の中身がレーテという名前の女だとばれるのはまずいんだろう。
「おい、大丈夫か!?」
俺が倒れたのに気付いたのかアニエスが近づいてきた。その途端レーテは気遣うように俺を抱き起こし、アニエスに見えない角度でぎゅっと手の甲をつねってきた。
「疲れてるのかな。彼女、いきなり倒れたんだよ」
「クリス、お前無理してないだろうな!? クリス、早く中に連れ……?」
そこまで口にして、アニエスはふと首をかしげた。
「同じ名前……?」
「へぇぇぇ、君もクリスっていうんだ! すごい偶然だね!!」
あからさまに白々しい声を上げて、レーテはぽんぽんと俺の肩を叩いた。いや、ぽんぽんなんて生易しい感じじゃない。骨にひびでも入りそうなほど強くごんごんと叩かれ、俺の肩が悲鳴を上げた。
……明らかに脅しにかかってるな、こいつ。
「怪我でもしてたら大変だ! ボクが中に運んでおくよ!!」
嫌味なほど明るい声が聞こえたかと思うと、いきなり浮遊感を感じた。
「うひゃあ!?」
「……ちょっと静かにしててくれないかな」
目線を上げると、何故か至近距離にレーテの……というか俺の元の顔が見えた。どうやら背中と膝裏を支えられるようにして、俺はレーテに持ち上げられているようだった。
「おい、何してる!?」
ヴォルフが慌てたように近づいてきたが、レーテは意に介さないかのように冷静に告げた。
「君も、来た方がいいかな。……話をしよう」
有無を言わせないような声色だった。ヴォルフも何かを察したのか、黙って建物の扉を開ける。レーテはそのまま、俺を抱えたまま建物の中へと入り込んだ。
人気のない廊下を進む中で、特に怪我もしていないのに運ばれているのが忍びなくなり、俺はレーテに声を掛けた。
「あの、普通に歩けるんだけど……」
「へぇ、そうなんだ」
そう言うといきなり手を離され、俺はそのまま床へと落下した。
「痛い! だからっていきなり離すなよ!!」
「君、結構重いんだよ……」
「うるさい! お前が貧弱なんだろ!!」
元は自分の体なのに重いとはなんだ!! 俺が太ったとでも言いたいのか!!
俺がそうレーテに噛みついていると、ヴォルフが呆れたような顔をして近くにあった扉を開いた。
「とりあえず中入りません? あんまり見られたくないんじゃないですか、……レーテさんも」
「ク・リ・ス! 君も強情だな……!」
レーテは軽くヴォルフを睨み付けると、俺に部屋へ入るように促した。
そこは部屋の中央に机があり、あとは壁際に棚が二つほど並んでいるだけのこぢんまりとした部屋だった。
部屋の扉を閉め切ると、レーテはいきなりぺたぺたと俺の体を無遠慮に触り始める。
「念のため聞くけど……本物?」
「当たり前だろ! 何だと思ったんだよ!!」
万が一偽物だったとして、俺の偽物になったとして何のメリットがあるんだろう。変な枢機卿が追いかけてくるし、あんまりいいことはなさそうだ。
「君は、テオと一緒に死んだって思ってたから。ヴォルフリートは信じてなかったみたいだけど、まさかこんな所に現れるなんてね」
まだどこか怪しむような目つきで、レーテは俺を眺めていた。
テオの名前を出されて、俺はまた心が揺らいだのを何とか抑え込む。レーテに弱みは見せたくない。
それにしても、俺はテオと一緒に殺されたと思われてたのか。
まぁ、向こうに殺す気があったら今頃は間違いなく殺されていただろうし、そう思われても仕方ないな。
「テオが……処刑されるまでは一緒にいた。それから、いろいろあってここにいる。それで……お前は何でここにいるんだよ」
レーテは死んだと思っていた俺が現れたのを見て驚いただろうが、俺だってレーテがここにいるのを見て滅茶苦茶驚いたんだ。
勇者として頑張っているはずのレーテは何で解放軍にいるんだろう。
ここにはティエラ教会の人間が多いとは聞いたが、まさか勇者までいるとは思わなかった。
そう問いかけると、レーテはふぅ、と大きなため息をついた。
「知らない? 勇者狩りの話」
勇者狩り、なんて物騒な言葉は聞いたことがない。首をかしげると、レーテは呆れたように教えてくれた。
なんでも聖王様が殺されルディス教団が勢力を伸ばすようになってから、テオだけではなく元々ティエラ教会の勇者として動いていた人たちが次々と教団に掴まり殺されているという話だった。
その話を聞いてぞっとした。勇者と言えばみんなの憧れ、この世界の希望だ。
そんな存在をどんどん殺すなんて……世界の危機に怯える人たちから見れば、どれだけの絶望なんだろう。
「世界を悪しき方向へ導く邪教の使徒……とか言われてるんだよ、ボクら。まぁ、勇者を処刑することでこっちの士気を削ごうとしてるんだろうけどさ……なんていうか、ちょっと参ってるよ」
レーテによると、いくら勇者と言えども単独行動は危険なので現在は解放軍に身を寄せているという事らしい。いつもは余裕綽々に見えるレーテも、この状況には困っているのかいつになく弱気だった。
なんて声を掛けていいのかわからなくて、思わず黙ってしまう。
悔しいけれど、俺はレーテの実力は認めていた。俺なんかよりずっと勇者に向いているって事も。
そのレーテがこんなに弱気になってるなんて、ルディス教団はどれだけヤバい存在なんだろう……。
……いや、ここでどれだけ考えても教団のヤバさは変わらない。それよりも、いつまでも沈んでいたら勝てる戦も勝てなくなってしまう。
取りあえず部屋に漂う重い空気を振り払おうと、俺は話題を変えようとした。
「そ、それよりさ……イリスだよイリス! お前の妹!!」
イリスの名前を口に出すと、瞬時にレーテの動きが止まった。
グラーノ島で過ごしている間も、レーテの妹であるイリスの願いを忘れることはなかった。
あいつは、ずっとレーテに会いたがってた。
最後に会ってからもう随分と時間が経ってるけど、きっとアムラント大学にいるなら無事だろう。
あそこには多くの頼りになる魔法使いがいるし、たぶんフィオナさんもいるし、今はリルカもいるらしいしな!!
俺はイリスに約束した。次にレーテに会ったら、イリスの願いを伝えるって。
今がその時なんだ!
「あいつ、アムラント大学にいるんだけどずっとお前に会いたがって……っ!!」
言葉の途中で、俯いて黙っていたレーテが顔を上げた。その顔を見て俺は思わずひゅっと息を飲む。
レーテは、ひどく昏い目で俺を睨んでいたのだ。
「……んで」
「ぇ…………?」
レーテの呟いた言葉がうまく聞き取れなくて聞き返すと、レーテは鋭い目つきで俺を睨み付けてきた。
「何でおまえがイリスの事を知っている……!?」
その気迫に、俺は一歩後ずさった。
怖い……。元は自分の顔なのに、まるで別人のように感じられた。
俺がいくら頑張っても、きっと今のレーテのように相手をビビらせるような気迫は出せないだろう。
……というか、こいつは何でいきなりキレはじめたんだ?
「……僕たちがアムラント大学に行った時に、あなたの妹さんと会ったんですよ」
俺をかばうように、ヴォルフが俺とレーテの間に割って入ってきた。レーテは軽く舌打ちすると、ぐしゃぐしゃと髪をかき上げる。
「へぇ、そうか……そういうことか……ふぅん」
レーテはぴたりと動きを止めると、今度は驚くほど冷たい目で俺を見つめてきた。その視線にまた体がすくんだが、俺はぐっとレーテを睨み返した。
いつまでもやられっぱなしなんてむかつくからな!!
すると、レーテは急に俺の手を痛いほどに握りしめてきた。
その途端、俺の頭の中でアムラント島で出会った時のイリスの姿がフラッシュバックする。
――いきなり俺に飛びついてきたイリス、少し寂しそうにレーテの話をしてくれたイリス、必死に可愛がっているウサギを助けようとしていたイリス……
何でいきなり……と怖くなったが、すぐに思い当たった。
レーテは、俺の記憶を視ているんだ。
レーテにはこうやって他人の記憶を読むことができるなど、生まれつき不思議な力が備わっていると以前聞いたことがあった。
俺にも使える、とレーテは言っていたが、俺はレーテのようにこうやって自由自在に人の記憶を視ることなんてできない。やっぱり経験の差なんだろうか。
レーテがぱっと手を離した途端、俺の頭の中からイリスの姿は掻き消えた。
顔を上げると、レーテはじっと何かを考え込んでいるようだった。きっと妹であるイリスの事だろう。
「イリスはお前に会いたがってた。だから……」
「ボクは会うつもりはない」
会いに行ってやれ、と伝える前に、俺の言葉はぴしゃりと跳ね除けられてしまった。
「何でだよっ!」
「会いたくないから」
レーテは相変わらず冷たい表情を顔に張り付けている。
その顔と言葉は、俺にショックを与えるには十分すぎた。
理由があって会えない、とかならまだわかる。でも、会いたくないってなんだよ……!
「……君にはわからないかもしれないけど、家族だからって無条件に仲良くしたり、一緒にいたいと思えるわけじゃないんだよ」
レーテは嘲るようにそう告げた。その言葉に、俺は自分の体がすっと冷えていくのを感じた。
……レーテの言う事は俺にもわかる。世の中にはたくさんの人がいる。優しい人、乱暴な人、やかましい人、冷静な人。そんなたくさんの人全てと友好的になれるわけではない。人と人との関係には相性がある。
……それは、俺にもよくわかってる。
俺だって、リグリア村にいる頃はよく町の子供と衝突もしたし、実際に友達と呼べる相手もいなかった。
人は、慈悲深き女神様のように全ての人を愛することなんてできない。
それでも……と俺は唇を噛みしめた。
「それでもっ……イリスは、お前に会いたがってるんだよっ!!」
他のたくさんの奴らをレーテがどう思おうがどうでもいい。でも、イリスだけは……姉の事を思うあまりすぐに泣きだしたり、ウサギに姉と同じ名前を付けたりするような少女の事だけは、レーテにそんな風に言って欲しくはなかった。
レーテがイリスの事を好きじゃなかったとしても、イリスはレーテの事が大好きなんだ。
俺には二人の事情に首を突っ込むような権利はない。
でも……せめて一回くらい、イリスの所へ行ってやって欲しかった。
「……この姿で会いに行けと?」
「あ…………」
レーテの呆れたような呟きに、俺はやっと今の状況を思い出した。
今のレーテは男の俺の姿をしている。きっとイリスに会いに行っても、そのままでは姉だと気づかれないだろう。
「そこは、なんとか……」
「まったく、いつも無計画だな……君は」
レーテはそう言って苦笑した。その顔からはさっきの険呑な雰囲気は感じられない。抑えているだけなのか、もしかしたら俺の説得でイリスに会いに行く気になったのかもしれない。
どうなんだと聞こうとした時、扉がノックされる音が部屋の中に響いた。
「クリス様、いらっしゃいますか?」
聞こえてきた声に、俺の体はぴくりと反応した。そんな俺に構わずに、レーテが扉の外に向かって返事をする。
そして、扉がゆっくりと開く。
扉の向こうにいたのは、俺の予想した通りの人物――レーテと共に旅に出た修道女、ティレーネちゃんだった。




