2 収穫日和
朝食を食べ終わると、パトリックさんと共に近くの共同畑へ野菜の収穫に出かける。
畑に着くと、すでに近所の人たちがそれぞれの場所で野菜の収穫を始めていた。パトリックさんは親しげに挨拶を交わし、俺も不器用に頭を下げると、それぞれの持ち場について野菜の収穫を始める。
発育具合を確認し、どんどんキュウリやトマトを取って行く。単純な作業を続けていると、どうにも俺の思考は勝手に今朝見たばかりの夢へと飛んで行った。
この島に流れ着いてから、俺は前以上によくアンジェリカの夢を見るようになった。
普段は以前何度か見た夢のように彼女の二人の仲間と共に魔物と戦っていることが多いので、今朝みたいに修道院で暮らしている頃の夢を見たのは初めてだ。
アンジェリカの夢には、あまり多くの人は出てこない。よく出てくるのは、アンジェリカと共に魔物と戦っている二人の男だ。
青い髪の真面目な男がアウグスト、茶色い髪のそそっかしい男がクリストフ。
二人とも、どうやらアンジェリカと一緒に各地で魔物の討伐を行っていたようだ。
……アウグストとクリストフ。
アウグストと言えば、ミルターナでは知らない人はいないほどの勇者の名前だ。百年以上も前のアンジェリカが生きていた時代は、ちょうど伝承に残るアウグストが活躍した時代と重なる。
あの青い髪の男が後の英雄アウグストなんだろうか……ここに来てその可能性は何度も考えたが、結局今も答えは出ていない。
そしてもう一人……アンジェリカとアウグストに「クリストフ」と呼ばれる男だ。
その男の事は……俺も正直よくわからない。夢の中に出てくるクリストフは、大雑把な性格で、奇妙な雑貨を買い求めるのが大好きな……ちょっと変わった男だ。
アンジェリカ、アウグスト、クリストフ……この三人がどういう経緯で共に魔物討伐の旅に出たのかはわからないが、三人はしょっちゅうドラゴンが襲ってくるようなヤバそうな世界を、それなりに楽しそうに旅をしていた。
三人でいたときの夢を見るのはそれなりに楽しかったが、その夢を見た後は決まってテオ達と共にいろいろな所へ行った事を思い出して胸が苦しくなった。
それに加えて、今朝の夢だ。
今朝の夢を見て初めてわかったのだが、アンジェリカは修道院に住んでいた時期があったらしい。そこにやって来たニコラウスという男……ありふれた名前と言えばそうだが、俺には聞き覚えがあった。
『私です、ニコラウスです! おわかりになりませんか!?』
一年前、俺の事をアンジェリカの生まれ変わりだと断言したあの男は、俺に向かってそう呼びかけた。
いったい、あの枢機卿はなんなんだろう。
アンジェリカは百年以上も前の人物だ。そのアンジェリカを知っているという事は、枢機卿も百年以上前の人物……彼が長命種族だとしたら考えられない事も無いが、どうにも違うような気がした。
それに、あの枢機卿と夢に出てきたニコラウスは全然顔つきも髪や目の色も違っていた。
同一人物……だとは思いにくいし、本当にどういうことなんだろう。
そんな風に頭を悩ませていると、不意にパトリックさんと近所の人たちの会話が俺の耳へ入ってきた。
「聞いたか? 本土の話」
「ああ、ルディス教団とかいう団体がますます勢力を伸ばしているとか……」
聞こえてきた言葉に、思わずトマトを掴もうとした手が震えた。
こんな辺境にある孤島でも、月に一回程度アトラ大陸本土と船の往来がある。
そこから、わずかながらもアトラ大陸の情報が入ってくるのだ。
俺は自発的に本土の様子を尋ねたことはないが、こうしてたまに漏れ聞こえる会話からアトラ大陸の現状を察することはできた。
やっぱり、一年前俺とテオがミルターナへと帰って来た時点で、聖王様はクーデターにより殺されていたらしい。
その混乱に乗じて勢力を伸ばしているのが「ルディス教団」という団体であるらしい。
そのルディス教団とやらがどんな団体なのかはよくわからないが、「ルディス」という名前は何度か聞いたことがある。
――解放の神、ルディス。
シュヴァルツシルト家のディルクさんが、あの枢機卿が、何度もその名前を口にしていた。
その二人の顔ぶれだけで、そのルディスとやらがよくない神様で、そいつを信望する「ルディス教団」もろくなものじゃないってことは俺にも想像がつく。
「数日前に本土からやって来た人に聞いたんだが……ミルターナでももう主要な街のいくつかがルディス教団の支配下にはいっているらしいぞ?」
「まったく、教会や勇者は何をやっているんだ!? こんな体たらくではティエラ様もさぞやお嘆きだろう……」
パトリックさんが憤ったように声を荒げた。
彼がそう思うのは当然だ。
女神の守護する大地が、邪神に侵されようとしている。教会の、勇者の怠慢だと言うのに他ならないだろう。
そして、その言葉は俺の胸の深い部分をえぐるように傷つけた。
……俺は何をやっているんろう。
一人だけこんな安全な場所へ逃れて、世界がおかしくなりつつあるのを静観しているだけ。
テオが死んだのに、どうして俺は生きているんだろう。
「シレーナ!?」
不意にくらっときて地面に手を突くと、それに気が付いたパトリックさんが慌てたように近づいてきて体を支えてくれた。
「今日は暑いからね、無理をしてはいけないよ」
「お嬢ちゃん、帰ってゆっくり休みな。後は俺達でやっておくからさ!」
近所の人にもそう気遣われて、俺は力なく頷いた。
パトリックさんに支えられながら、俺はよろよろとした足取りで家へと引き返すことになった。
こんな風にいつも迷惑をかけてばかりなのに、パトリックさん夫妻も、近所の人たちも、この島の住民はみんな俺に良くしてくれる。
その優しさを有難く思うと同時に、深い罪悪感を覚えずにはいられなかった。
◇◇◇
家に戻り、少し休んだ後俺はマルタさんと一緒に貝殻を使ったアクセサリー作りにいそしむことになった。この島に伝わる伝統工芸の一つであり、マルタさんはその職人さんなのだ。
俺はまだ簡単な物しか作れないので、貝殻に穴をあけて紐に通すだけ、というシンプルなブレスレットを作っていた。
俺の腕前は微妙だが、もともと色鮮やかな貝殻を選んで作っているので単純な作りでもそれなりのものに見えるのである。
作業の合間に、自分が身につけたブレスレットが目に入る。
これは、リルカとおそろいで身につけているものだ。海を漂流する中でも、奇跡的にこのブレスレットはなくならなかった。
……リルカも、今でもこのブレスレットをつけてくれてるのかな。
リルカは意外とこういう女の子らしい装飾品が好きだった。
今作っている貝殻のブレスレットもリルカにあげたら喜ぶかな、と一瞬考えたが、すぐに俺はその考えを打ち消した。
俺は、テオが殺されるのをただ見ている事しかできなかった。
……見殺しにしたのと同じだ。あの時、もっと何かできたかもしれないのに。
そんな俺が、リルカに会う資格なんてあるはずがない。
また涙が出そうになったので、慌てて唇を噛みしめる。
その途端、開け放している家の玄関の方から慌てたような声が聞こえた。
「マルタ、いるか!?」
「あら、どうしたの?」
マルタさんが玄関へと出ていき、俺もそっと貝殻を置いて様子をうかがった。
そこには、俺もよく知る近所の住民が困惑したような顔で立っていた。
「……浜辺に見知らぬ船が近づいてきているんだ」
「あら? 定期船はこの前来たばかりじゃない」
「だから定期船じゃないんだよ。パトリックたちはもう様子を見に行っている。一応君にも知らせておこうと思ってね。私もこれから行くところなんだよ」
「待って、わたしも行くわ」
マルタさんは俺をの方を振り返ると、「ちょっと出てくるわ」と声を掛けて近所の住民と共に外へ飛び出して行った。
呆然とその様子を眺めていた俺は、数秒経ってやっと状況が呑み込めてきた。
この島に謎の船が近づいてきている。ただ進路を見失った船が偶然辿り着いたとかならいい。
でも、どうしても嫌な予感が拭い去れない。
……迷ったのは一瞬だった。こんな住民全員が顔見知りの小さな島では泥棒なんてものはいない。
俺は作りかけのブレスレットを置くと、開け放された玄関から外へと飛び出した。




