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俺が聖女で、奴が勇者で!?  作者: 柚子れもん
第五章 変わる世界と変わらない思い
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1 悲しみの人魚姫

 その日も、アンジェリカは一人祈祷を抜け出して修道院の周りをぶらついていた。どうせすぐにばれて後で叱られることは分かっていたが、どうしてもおとなしく祈祷を行う気分ではなかったのだ。

 アンジェリカが暮らすオルキデア修道院は周囲を森に囲まれている。

 森林の緑は心を落ち着かせてくれるが、どうにもそれだけでは退屈だ。

 もっと街とかお店とかがあればいいのにと、アンジェリカは常日頃から強くそう思っていた。

 

 森の探検も飽きてしまった。修道院の外では魔物の数が劇的に増えたりと様々な異変が起こっているらしいが、この辺りはいつも通り平和そのものだった。

 どうせならここでも刺激的な事件とかが起こればいいのに。

 他の修道女に話せば不謹慎だと諌められるであろうことを考えながら、アンジェリカは花壇の端に腰掛ける。

 すると、突如背後から声を掛けられた。


「やぁ、つまらなそうだね。アンジェリカ」

「ニコラウスさん! また来てたんですね!!」


 アンジェリカが振り返ると、そこには知人の修道士、ニコラウスが立っていた。

 彼はよく修道院を訪れ、アンジェリカに修道院の外の話をしてくれる貴重な存在だ。

 外界と隔絶されたこの場所では、彼の教えてくれる「外」の情報は貴重だった。

 アンジェリカはよく彼の話を聞いては、修道院の外の世界へ想像を巡らせたものである。


「今は君しかいないね……ほら、おみやげだよ」

「わあ、クッキーだ!!」


 ニコラウスが差し出した包みの中には、美味しそうなクッキーがぎっしりと詰まっていた。こんな森の中の修道院にいては、滅多に手に入らないものだ。

 一瞬他の修道女と分けようかと考えたが、すぐにアンジェリカはその考えを打ち消した。

 ここオルキデア修道院では禁欲を貴ぶ風潮がある。密告でもされたらこのクッキーごと没収されたうえ、長時間のお説教が待っているのは容易に想像がついた。


「ありがとう、ニコラウスさん!!」


 アンジェリカはクッキーの包みを懐に仕舞い込むと、にっこりと笑ってニコラウスに礼を言った。

 ニコラウスは照れたように頬を掻くと、アンジェリカの隣へと腰掛ける。


「それで、今日は何か面白い話はないの? どこかの街に、すっごく恐ろしい魔物が現れたとか!!」

「こらこら、不謹慎だよアンジェリカ。でもそうだね……魔物数は増える一方だが、教会だって何の対策もしていないわけではないんだよ。今は国中から義勇兵を募っている所だ。それに、我々ティエラ様に仕える者も、神聖魔法の使い手として魔物との戦いに駆り出されるという話も……」

「ほんとっ!?」


 耳寄りな情報に、アンジェリカは思わず身を乗り出した。


「行きたい! 私、神聖魔法の使い手として魔物と戦いたい!!」

「相変わらず君は好奇心旺盛だね……でも、君が思っているほど楽しい状況ではないと思うよ。きっと想像以上に辛く苦しい仕事だよ」

「そんなの、こんな所に閉じ込められてるよりずっとマシよ!!」


 アンジェリカが憤ると、ニコラウスは呆れたように苦笑した。


「そうだね……でも、こんな所で祈祷をサボっているような不良修道女はそんな重要な仕事には選ばれないんじゃないかな」

「戻る! 今すぐ戻るから、ニコラウスさんもサボってたことは秘密にしてね! それで、もしこの修道院から誰かを駆り出すことになったら私にしてね!!」


 アンジェリカは勢いよく立ち上がると、軽くニコラウスに手を振って祈祷へと戻る為に走り出した。今日聞いた話は、いつも以上にアンジェリカの心を湧き立たせた。

 

 修道院の外に出て、義勇兵と共に恐ろしい魔物と戦う。

 ……考えるだけでもわくわくする!

 

 アンジェリカに恐怖心はなかった。むしろ、内心興奮しっぱなしだったのである。

 退屈な祈祷すらも、今だけは頑張ろうと思えた。




 ◇◇◇




 …………また、アンジェリカの夢を見た。

 

 重い体を起こしながら、俺は今しがた見たばかりの夢の内容を整理しようと頭を巡らせた。

 あれはアンジェリカがまだ修道院で暮らしていた頃、以前夢に出てきた二人の男と出会う前の出来事なんだろう。その時期の夢を見るのは珍しい。


 俺はため息をつくと、ゆっくりとベッドから立ち上がり、部屋に備え付けられた鏡の前に立った。

 鏡の中からは、浮かない顔をした金髪の女性がこちらを見つめ返している。

 窓からはさわやかな風が入り、扉の向こうでは朝食を用意する音が聞こえてくる。これ以上もたもたしていたら、この家の住人にいらぬ心配をかけてしまう。

 俺は手早く服を着替えると、もう一度鏡の前に立って口を開いた。


『おはよう』


 そう確かに口に出そうとしたが、俺の喉はヒューヒューと不快な音を立てただけだった。

 

 あの日……俺がアンジェリカの生まれ変わりだと言う事実を突き付けられ、枢機卿から逃れるために海へと飛び降りたあの日から、俺は自分の声を失っていた。



 ◇◇◇



「おはよう、シレーナ!!」


 扉を開けリビングへと出ると、料理を運んでいた中年の女性――マルタさんが元気よく挨拶をしてくれた。『おはようございます』と口の動きだけでそう伝え頭を下げると、マルタさんは満足したようににっこりと笑った。


「今日は野菜の収穫を手伝ってくれるかい? こんないい天気の日は滅多にないからなぁ……」


 先に席についていた中年の男性――パトリックさんがそう声を掛けてきたので、俺は了承の意を示すために何度も頷いた。

 マルタさんと俺も食卓に着いて、朝食の時間が始まる。

 俺は言葉を発することができないが、二人は何かと俺に話を振ってくれるので、首を縦に振るか横に振るかで何とか答えていた。

 

 美味しい料理、優しい人々、穏やかな時間……涙が出るくらい優しい世界は、俺の胸を罪悪感で一杯にした。


 

 あの日、高所から真っ逆さまに海に落ちた俺は、何故か今もこうして生きている。


 

 ここはアトラ大陸のずっと南に位置するグラーノ島という島で、俺は海に落ちた後こんな辺境の島へ奇跡的に流れ着き、一命を取り留めたらしい。

 らしい……というのはその頃の事をあまり覚えていないからだ。

 

 ここに流れ着いて数か月は、ずっと意識が朦朧としたまま寝たきりだったらしい。

 今でこそ声が出ないこと以外は前と同じように動けるようになったが、しばらくの間は立ったり歩いたりすることすら難しい状態だったのだ。

 そんな俺の世話をしてくれていたのが、このマルタさんとパトリックさんの夫婦だ。

 どうやら散歩中に浜へ流れ着いた俺を見つけたらしい二人は、それからずっと俺の事を本当の家族のように親身になって世話をしてくれていた。

 

 やっと意識がはっきりするようになった頃に、二人は俺に「一体君はどこの誰なんだい?」と問いかけてきた。

 その問いに、俺は答えることはできなかった。

 声が出ないのもその理由の一つだ。でも、声が出ないといっても字を書くことはできる。筆談で自分の状況を伝えることだってできただろう。

 それでも、俺は二人に何も伝えることができなかった。

 

 あの日、俺は海に落ちて死ぬつもりだった。

 だから、助かった時のことなんて何も考えていなかったんだ。

 それなのに生き延びてしまった俺は、もうどうしていいのかわからなくなり……今もこうやって現実から目を背け続けている。


 テオが死んだ。

 俺がアンジェリカの生まれ変わり。

 ティエラ教会は解放神ルディスとかいう神を信じる集団に乗っ取られて、世界は危機的状況である……。

 そんなつらい現実から、俺は目を逸らした。逃げ出すことを選んだんだ。


 過去の事を答えない俺の事を、どうやら二人は記憶喪失だと思ったらしい。

 この地方に伝わる伝説をもとにシレーナ(人魚姫)と呼ばれるようになった俺は、今もこうしてマルタさんとパトリックさん夫妻と家族のように暮らしている。

 人魚姫なんて大層なものじゃなく、ただの死にぞこないの俺を、二人は驚くほど親身になって世話をしてくれた。


 意識が朦朧としたまま春が過ぎ、夏になって少しだけ動けるようになって、秋、冬を得て俺は声以外はほぼ完全に回復した。

 今はここに来てから二度目の春を終え、初夏を迎えている。

 

 もうあの日から、一年以上が経過していた。

 

 アトラ大陸に残ったみんなはどうなったんだろう。

 そう気にならない日はなかったが、どうしても俺は行動に起こすことができなかった。

 大陸から離れた島と言えど、この島は領土的にはミルターナに属し、月に一度、船の行き来もある。

 その気になればいつだってアトラ大陸に帰ることはできたし、情報を得ることだってできただろう。

 それでも、俺はそうしなかった。いや……できなかったんだ。

 

 だって今の世界の状況を知ってしまえば……俺は、テオがもうどこにもいないという現実に直面しなくてはならない。

 勇者になりたい、たくさんの人を救いたいだなんて大口を叩いておきながら……俺は現実から逃げ続けている。

 

 こんな穏やかな場所で、自分一人だけ平和を謳歌しながら。


「……シレーナ、大丈夫よ」


 すぐ近くに座っていたマルタさんがそっと慰めるように俺の頭を撫でてくれた。

 そこで初めて、俺は自分が涙を流しているのに気が付いた。

 

 ……またやってしまった。

 

 逃げ続けている現実の事を考えると、いつもこうして涙が止まらなくなる。

 心配を掛けたくないので、できるだけ二人の前では泣かないようにしていたが、不意にこうして泣き出してしまうことが今でもあった。


 涙は後から後から溢れてくるのに、不思議と嗚咽はでなかった。

 そんな不格好に涙を流す俺を、親切な夫婦は心配そうに見つめていた。


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