37 悪夢の日
男に腕を掴まれ引きずられるようにして歩いていた俺は、とある部屋に放り込まれると、そのままそこに閉じ込められた。
「おい、出せ! なんなんだよ!!」
しばらく時間が経ってやっとショックから立ち直れたので、思いっきり外に向かって叫んだり扉を蹴ったりして見たが、まったく反応はなかった。
何か魔法を使ってみようか、と思い立ったが、気が付いたら杖も没収されていた。
これじゃあ、ほんとに大したことはできないじゃないか……!
そこは最低限の生活ができるようになっている簡素な部屋だった。残念だが窓はない。……ということは、普通の部屋ではなく牢に入れるほどでもない奴を閉じ込めておく部屋なんだろうか。
……俺もみたいな。
「はぁ……なんなんだよ……」
扉を壊すのは諦めて、簡素な寝台に寝そべる。
なんだかよくわからない状況だが、俺とテオが離されたのはそう悪くない。
少なくとも、俺はテオの足手まといにならずに済む。テオだって俺がいない方がきっと反撃のチャンスも掴みやすいだろう。
「大丈夫……だよな」
きっと大丈夫だ……。リグリア村を出てから一年近く、何度も大変な目に遭って死にかけたりしたけれど、いつも何とかなっていた。きっと今回だって何とかなるはずだ。
そう自分に言い聞かせると、ゆっくりと目を閉じた。
翌朝、腹が減って自然と目が覚めた。食事は与えられていない。
まさかとは思うが、このままここで餓死させるつもりなんだろうか……?
ちょっと不安になって、俺は部屋のあちこちをひっくり返しながら食べるものを探していた。すると、キィ……と小さな音を立てて、部屋の扉が開いたのだ。
そこに立っていた人物を見て、思わず持ち上げていた椅子を落としてしまった。
「あなたは……ミランダさん!?」
扉の向こうに姿を現したのは、以前ラヴィーナの街がドラゴンに襲撃を受けた際に出会った美女、ミランダさんだったのだ。
テオがやたらと彼女の事を気にしていたのを覚えている。
美しい藤色の髪と相変わらずの見事なプロポーションを携えて、ミランダさんはきりっとした瞳で俺を見つめていた。
「来なさい」
「えっ?」
短くそれだけ告げると、ミランダさんは俺に背を向けて歩き出した。俺も慌てて部屋から飛び出し、彼女を追いかけはじめる。
「あの……ミランダさん」
「話は後よ」
一体何が起こっているのか尋ねようとしたが、すぐに言葉は切られてしまった。
でも、俺はミランダさんの姿を見てほっとした。
彼女は俺達……というかテオがドラゴンを倒した現場に居合わせたんだ。例えテオの正体がドラゴンだとしても、本当にこの世界の事を思って動いているって事を、きっと彼女ならわかってくれているはずだ。
すぐにテオとも合流して、俺たちは解放されるだろう。彼女は枢機卿の付き人のような立場のようだし、あの神父たちにだってうまく説明してくれるだろう。
前を歩く彼女の背中を見ながら、俺は安堵していた。
◇◇◇
俺たちがやってきたのは、建物と建物をつなぐ渡り廊下のような場所だった。二階部分に位置するそこからは、街の広場の様子がよく見える。
そして、その広場の光景を見て俺は絶句した。
「なっ!?」
広場には多くの人たちが集まっている。その中央には……全身を鎖でぐるぐる巻きにされた、一頭のドラゴンが身を横たえていたのだ。
「テオ!!?」
俺はそう叫んだが、ドラゴンは気を失っているのか何も答えない。でも、あの姿は間違いない。俺が背中に乗った時に掴まった出っ張った鱗までちゃんと見えている。
あそこにいるのは、間違いなくドラゴンの姿をしたテオだった。
「ミランダさん、どういうことですか!!」
ミランダさんに詰め寄ったが、彼女は涼しい目をしたまま俺を見下ろしている。
「どういうことって……見たままよ」
「見たままって……早くテオを解放してください!!」
テオの方を指差してそう叫ぶと、ミランダさんは困ったように微笑んだ。
「あなたも、しっかりとその目で見るべきよ」
「……ぇ?」
「この子が暴れたら押さえて頂戴」
ミランダさんは周囲に待機していた衛兵にそう告げる。俺は信じられない思いでミランダさんを見上げた。
……ミランダさんは、俺とテオを助けるために来てくれたんじゃないのか……?
呆然としていると、いきなり広場から大きな声が響き始めた。
「善良なるタルガの諸君! 本日この場所にお集まりいただいた理由はもはや告げるまでもないだろう!!」
見れば、いつの間にかぐったりとしたテオのすぐ近くに僧服を着た男が立っており、集まった群衆にそう語りかけている。
彼の近くには武装した男達が何人も待機している。
……すごく嫌な予感がする。
「我々は新たなる時代へと導く者として、前時代の汚点を消し去らねばならない! その象徴の一つがこれだ!!」
僧侶がテオの姿を指差すと、群衆はいっきにどよめいた。
「信じられるだろうか! このドラゴンはなんと、ティエラ教会の元で勇者として認められていたのである! 諸君、こんなことがあってもいいと思うか!?」
群衆から大地を揺るがすような怒号が起こった。
俺はくらくらしながらその様子を見ている事しかできなかった。
なんだよ、いったい俺の目の前で何が起こっているんだ……?
「これこそが教会の腐敗の象徴! このような事態を見過ごす弱き女神にこの大地が守れるか!? 諸君らはその命を力なき女神に委ねることができるのか!? 否、もはやその必要はない!! 我々は新たなる選択肢を得たのだ!!」
僧侶が歓迎するかのように両腕を広げると、一気に歓声が上がった。
俺は今聞いた言葉を理解しようと必死になっていた。
ちょっと待て、あの男はティエラ教会の人間のはずだろ?
それなのに、何でティエラ様を否定するような事を言うんだ?
こんな堂々とティエラ様を否定するような事を言えば、普通なら異端者として即刻異端審問官に掴まってしまうだろう。それなのに、確実に教会の人間であるはずのミランダさんも、周りの人たちも何も言わない。
ここはティエラ様の教会で、ティエラ様の信徒が集まる場所のはずなのに。
そこまで考えて、俺はシュヴァルツシルト家で聞いた情報を思い出した。『ティエラ教会内部でクーデターが起こり、聖王が弑逆された』と伝令は言っていた。
白昼堂々、教会の目の前でティエラ様の批判を行う人たち。
まさか……この人たちが、聖王様を弑逆した反乱分子で、俺たちはそうとは知らずその拠点に乗り込んでしまったとでもいうのか……!?
「ミ、ミランダさん……あなたは……」
震えた声でそう問いかけると、ミランダさんは蠱惑的な笑みを浮かべて振り向いた。
「世界は常に変わるもの。昨日正しかったことが、明日も正しいとは限らないのよ」
その言葉を聞いて俺は悟った。
彼女は既に、ティエラ様の信徒ではない。なんだかよくわからない反乱分子の一員となってしまったんだ……!
「我々は過去の過ちを正し、新しき世界へと歩み出さねばならない! その為に、今日!! 古き女神のもたらした災厄の一つである、この邪竜の処刑を決行する!!」
その言葉を聞いた途端、俺は思わず掴んでいた手すりから身を乗り出し飛び降りようとしていた。
だが、すぐに後ろにいた衛兵に押さえつけられてしまう。
「離せっ、離せよ!!」
「離してはダメよ」
思いっきり暴れたが、ミランダさんに命じられた衛兵たちはますます強く俺を抑えつけにかかってきた。
邪竜っていうのは、この場合間違いなくテオの事だろう。邪竜を処刑する、あの僧侶はそう言った。
このままだと……テオが殺されてしまうかもしれない!
「あいつはっ、ドラゴンだけど……本当にこの世界を救おうとしてるっ、いい奴なんです……ミランダさん!!」
必死にミランダさんにそう訴えたが、彼女は静かに首を振るだけだった。
「あなたは悪しきドラゴンに騙されているのよ……」
「違いますっ、あいつはほんとにっ!!」
俺はなおも言いすがろうとしたが、広間から聞こえてきた大声にかき消されてしまった。
「さあ諸君、我々の手で邪竜に鉄槌を!! 解放神ルディスの名のもとに、新しき世界への第一歩を!! “処断の槍よ!”」
僧侶がそう唱えた途端、広場の中央の何もなかった中空に一本の黒い槍が出現した。
「“処断の槍よ!”」
「「“処断の槍よ!!”」」
集まった人たちがそう叫ぶたびに、黒い槍は一本、二本と数を増していき、あっという間に広場を覆い尽くすほどの数になった。その先端は、全て違うことなく中央のテオへと向けられている。
「うそだ……やめろ…………」
俺は押さえつけられたまま、力なくそう呟く事しかできなかった。
きっと俺の予想は外れるに決まっている。
だってあのテオだ。こんなにおとなしく殺されるのを待っているはずはない。
なぁ、早く逃げろよ……
「さあ、今こそ新しき世界への幕開けを!!」
頼むから……!
「「放てっ!!」」
「っ、テオーっ!!!!」
俺は力を振り絞って思いっきり叫んだ。
だが、奇跡は起きなかった。
俺の見ている前で、宙に浮かんだ槍は順々にテオの体へと突き刺さり、ぐったりと体を横たえていたテオは苦しげなうめき声をあげると、鎖に巻かれて不自由な身をよじらせる。
「やめろっ、やめてくれ!!」
俺は押さえつけられたまま必死に叫んだ。でも、槍の勢いは止まらない。
一つ一つの槍はそんなに大きくはない。でも何本、何十本もの槍が一気に突き刺されば話は別だ。
まるで針山にでもなったかのように、テオの体には次々と槍が突き刺さって行く。
苦しげなうめき声がだんだんと小さくなっていく。
そして、一段と大きな槍がゆらりと狙いを定めるように動いたのが見えた。
次の瞬間、俺の見ている前で、その大きな槍がテオの喉元を貫いた。
『喉の下あたりに他と形状の異なる鱗があるはずだ。それがドラゴンの急所だ。そこを突けば死ぬだろう』
以前テオに聞いた、竜の弱点の話を思い出した。
あの時は特に疑問には思わなかったけど、普通の人がドラゴンの弱点なんて知っているはずがない。
あいつ自身がドラゴンだからそんな弱点なんかも知っていたのだろう。
思い出された知識は、否応なく俺に現実を突きつけた。
断末魔のような叫び声をあげるドラゴンの喉元、確かに存在する他と形状の違う鱗を、あの大きな黒い槍は正確に貫いていた。
そして、次の瞬間ドラゴンは地面に倒れ伏し、二度と動かなかった。
その光景は目の前のドラゴン――テオの「死」を意味していることに、俺は気づかざるを得なかった。
「あ、ああぁぁぁ…………!!!」
僧侶がまた何事か群衆に語りかけていたが、もう俺の耳には入らなかった。
俺はただひたすら、地面に倒れたテオだけを見つめていた。
これはきっと何かの間違いだ。
あいつは俺を驚かそうとして死んだふりをしているに違いない。
きっとすぐに立ち上がって、みんなを驚かせにくるはずだ……!
そんなことあり得ないと頭のどこかでは分かっていたが、俺の心はその現実を受け入れることを拒否した。
「……幻影を追うものは哀れね」
ミランダさんがぽつりとそう呟いたが、俺はその言葉の意味を考える余裕すらもなく、ただひたすら動かないテオの姿を見つめ続けていた。




