14 巨大な犬
(おいっ、あんなのがいるなんて聞いてないぞ!!)
(言わなくてもそのくらい予測してくださいよ!)
(やめろ、二人とも。気づかれるぞ)
声を潜めてヴォルフに文句を言っていると、テオに制止された。
幸いにも巨大な黒い犬のような魔物は、まだ岩陰に潜む俺たちには気づいていないようだ。ずしん、ずしんとその辺りを歩き回っている。
その大きさときたら、普通の民家に入れたら天井を突き破りそうなほどである。
何で魔物というものはやたらと巨大化するんだろう。燃費が悪いじゃないか。
しかも、この魔物は俺の見間違いでなければ首から先が3つあるのである。
……何で、たかが一介の盗賊のアジトに地獄の番犬みたいなのがいるんだよ。ここは地獄か何かなのか。
(とにかく、いったん帰って出直そう!)
(ちょっとっ!)
だってどう考えてもあんなの無理だ。近くの街に事情を話して大々的に討伐隊を差し向けてもらった方がいいだろう。
そう思って、俺が立ち上がりかけた時だった。
じゃり、と俺の足元の小石が音を立てた。その音は、静まり返った岩場に場違いなほど大きく反響した。
『グルルルル……』
三つ首犬もその音に気付いたようで、耳をピクリと動かしてゆっくりとこちらに向かってくる。
……ここが見つかるのも時間の問題だろう!
「ちぃっ!」
ヴォルフは舌打ちすると一気にその場から飛び出した。そのまま魔物の頭の一つに向かってナイフを投げつける。
だが、あんな巨大な魔物にナイフ一本投げつけたところで大したダメージは与えられないだろう。あっさりと魔物が前足を持ち上げてナイフを弾き飛ばした。
その間にヴォルフは大きく跳躍するとナイフを投げたのとは別の顔に向かって回し蹴りを叩き込んだ。
彼の蹴りは確かに魔物の顔にめり込んだように見えたが、ヴォルフが着地すると、魔物は何事もなかったかのように素早く彼に噛みつこうとした。
先ほどの蹴りでは、ほとんどダメージを与えられていないようだ。
「クリス、行くぞっ!!」
「ええぇぇっ!?」
テオもすぐさまその場から飛び出し、剣を捨てて三つ首犬に殴り掛かった。大剣を使わないのは、一応あれを強敵だと認識しているからだろうが。
テオの拳に三つ首犬も一瞬ひるんだようだが、それでもあまり効いていないようだ。
……どんだけ丈夫なんだよ。
テオとヴォルフがそれぞれ首の一つと戦っている。
そうなると、自然と残った首の一つは俺に目をつけるわけだ。
「ちょっ!! 無理無理無理!」
犬のくせにやたらと長い首の一つが、俺に噛みつこうと狙ってくる。
「ぎゃあっ!!」
何とか間一髪走って避けることができたが、体勢を崩して勢いよく転んでしまった。
次は避けられない。体を起こす前に、噛みつかれてしまうだろう。
――こんな所で死んでしまうんだろうか。元の体にも戻れないままで――
せめてもの抵抗に、頭を抱えてうずくまる。
しかし、覚悟した痛みはいつまでたっても訪れなかった。
「え……?」
おそるおそる顔を上げると、俺を狙ってた頭の一つが無心に何かにむしゃぶりついているのが見えた。
「あれって……」
転んだ拍子に俺が持ち歩いていうる鞄が開いてしまったようで、地面には転々と俺の鞄の中身が落ちていた。
そのおかげで、魔物が必死にむしゃぶりついているものの正体がわかった。
あれはクッキーだ。
今日の昼間に、キアラさんがクッキーを焼いてくれたのだ。それもかなり大量に。
俺とテオは大喜びでそのクッキーをいただいて、余った分は非常食として結構な量が俺の鞄に収まっていた。
尾行の最中は食べる余裕なんてなかったので忘れていたが、間違いなくあれはキアラさんのクッキーだ。地面に落ちたクッキーをあらかた食べつくしても、魔物は残った欠片でも探すように、ふんふんとその辺りの地面の匂いを嗅いでいる。
……もしかして、こいつってクッキーがめちゃくちゃ好きだったりするんだろうか。
鞄に残ったクッキーを一掴み手に取って、未だに名残惜しそうに地面の匂いを嗅いでいる頭のそばへと投げてやった。
すると俺の予想通り、魔物は嬉しそうな鳴き声を上げてクッキーにむしゃぶりついた。もう俺の事などは眼中にないようだ。
……これは使えるんじゃないか?
俺はさらにクッキーを掴みとって、テオとヴォルフと戦っている魔物の近くに投げてやった。
すると二つの首も同じように目の前の敵の事など忘れたように、クッキーに食いついていた。
残りのクッキーをその辺にぶちまけて、俺はぽかんとしているテオとヴォルフに声を掛けた。
「今のうちにいくぞ!」
「だが、まだ勝負がついていない」
「これだから脳筋は! 俺たちの目的はこの魔物じゃなくてこの先の盗賊だろ!? そうだよな、ヴォルフ!」
「……! は、はいっ、こっちです!」
ヴォルフは俺の言葉に息をのむと、俺たちを誘導して走り出した。
魔物はまだクッキーに夢中だ。俺たちは難なく魔物の横をすり抜けて先へ進むことができた。
◇◇◇
岩場の先にあったのは、石でできた古びた塔だった。塔といっても、そんなに大がかりな物じゃない。
何の用途で作られた物かはわからないが、現在は盗賊の根城になってしまっているようだ。
入口の扉は固く閉じられていたが、ヴォルフが懐から細い棒の様ような物を取り出してがちゃがちゃやっていると、あっさりと鍵が開いてしまった。
「うわあ、犯罪行為の現場を見てしまった……」
「相手が盗賊なので無問題です」
「まさか一般人の家に侵入とかしてないよな?」
「しませんよ!」
扉を開くとぎいぃ、と大きな音がした。
その音を聞きつけたのか、すぐに盗賊たちがわらわらとやって来る。
「何だてめーら!! どっから入っ、ぐぎゃっ!」
「あの魔物はどうしっ……うぎゃあっ!!」
だが三つ首犬の脅威を乗り越えた俺たちにとって、普通の盗賊などもはや敵ではない。
やって来る盗賊たちは次々とテオの拳の前に沈んでいく。
「お前の探し物は!?」
「おそらくは最上階です!!」
「わかった!」
次々と襲い掛かってくる盗賊を軽くひねりながら、俺たちは上へ上へと向かった。
やがて、階段の先にそこだけ場違いなほど豪華な装飾の扉が姿を現した。
「……ここみたいですね」
「おまえたち、準備はいいか?」
テオにそう問いかけられて。俺とヴォルフは頷いた。
正直、俺には準備も何もないが、もうここまで来てしまったら後戻りはできない。なるようになるだろう。
俺たちが頷いたのを確認すると、テオは勢いよく目の前の扉を蹴破った。
「あぁん? 下の方が騒がしいと思えば……」
部屋の中にはどこかから奪い取って来た物だろうか、様々な宝箱や貴金属が雑然と置いてある。
その宝箱を検分している途中だったのだろう、箱の前に立っている男はゆっくりと振り返った。
いかにも盗賊です! とでも言わんばかりの、人相が悪くごつい男だった。おそらくこいつがこの塔の盗賊の頭なのだろう。
伸ばしっぱなしの髭に、不潔さを感じさせるべたついた髪の毛。俺は思わず眉をしかめた。
「誰かと思えばそっちのガキ、その面よぉく覚えてるぜえ?」
盗賊はヴォルフの顔を見つけると、ゲタゲタと大声で笑いだした。
「てめえには一度礼を言わなきゃなんねえと思ってたところでよぉ。感謝してるぜ、てめえのおかげでオレは今じゃ敵なしだ!」
盗賊は俺たちに向かって手の甲を見せつけた。
そこには、きらりと蒼い石の光る精巧な指輪がはまっていた。
「……一緒に奪った赤いペンダントは」
「さあな、どうでもいいゴミのことなんて覚えちゃいねえよ」
その言葉を聞いて、一気にヴォルフは殺気立った。そのまま盗賊に飛び掛かろうとする。
だが、テオの方が早かった。
「なんだとっ!?」
風のように、一気にテオは盗賊との距離を詰めた。そのまま、盗賊の顔に向かって拳をふるう。
その瞬間、盗賊はにやりと笑った。
「!?」
テオの拳は盗賊には届かなかった。
どこから現れたのか、分厚い氷の盾が盗賊を守るように、テオの拳を阻んでいたのだ。