26 作戦会議
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ……そんな、皇子って……」
きっと悪い冗談だ。誰かがそう言いだすのを期待したが、オリヴィアさんは諦めたように首を振るだけだった。
そうだ、わかっていたはずだ。彼女はこんな非常事態に嘘をつくような人じゃない。
……ということは、目の前の青年は本当にこの国の皇子様なのか!?
「黙っていて済まなかったね。君達を驚かせるつもりはなかったんだが、少し事情があって……」
「どんな事情があろうと、あんな恰好でうろつくなんて理解致しかねますわ!」
ヴィルヘルム皇子の言葉に、オリヴィアさんは憤慨したように床に落ちた仮面を指差した。
「いや、それはその……世を忍ぶ仮の姿と言うか……」
「…………全然忍べてないような気がするんですけどぉ……」
彼が着けていた仮面はとんでもなく派手なものだ。こんなものをつけていたら目立ってしょうがないだろう。
少しでも忍ぶつもりがあるのなら、まだ素顔で出歩いた方がましな気がする。
「……それで、一体どんな事情があってこんなことをしでかしたのですか?」
オリヴィアさんが問い詰めると、皇子は少しだけためらった後、そっと口を開いた。
「…………君の事が心配だったんだよ、オリヴィア」
「え……わたくし? どうして……」
オリヴィアさんが訝しむような表情を作ると、皇子はまた慌てだした。
「いやその……誤解しないでくれ! 決して! 君の婚姻を邪魔しようだとかそういう意図はないんだ!! ただ……」
「ただ……?」
オリヴィアさんが聞き返すと、彼は少しだけ迷ったそぶりを見せて、話し始めた。
「シュヴァルツシルト家の怪しげな噂を聞いて……君の事が気になっていたんだ。案の定、君と従者が襲われたとロスヴァイセが教えてくれて……」
「…………わたくしの事を、見張っていたのですか」
オリヴィアさんが咎めるようにそう口にすると、皇子は心外だとでも言うように口をとがらせた。
「見張っていたなんて人聞きの悪い……見守っていたと言ってくれ」
「どちらでも同じことです!」
……なんとなく事情が見えてきた。
この皇子様はオリヴィアさんが襲われたという話を聞いて、その後彼女と一緒にいた俺たちの事をその犯人だと思い込んで宿屋に襲撃を仕掛けてきたという事なんだろう。
なんてはた迷惑な人なんだ……。
「……まあともかく、皆早くこの屋敷から脱出した方がいいだろう。先ほども言ったが、もう屋敷の中は魔物やよくわからない怪物だらけだし、またディルクが何かしかけてくる可能性もある」
「……屋敷の外には魔物はいないのですよね?」
「ああ、今の所魔物がうろついているのは屋内だけのようだ。だから早く……」
「腑抜けたことをおっしゃらないでいただけますか」
言葉の途中でオリヴィアさんはつかつかと皇子の元へと歩み寄り、威勢よくその胸倉を掴み上げた。
「オリヴィアさん!!?」
俺は慌てて彼女を止めようとしたが、オリヴィアさんは全く臆せずに皇子を睨み付けている。
「このまま脱出? ここを放置してわたくしたちだけで逃げると? そんな事をしたら、いずれ街の中へと魔物が溢れだします!!」
「あ…………」
そうだ、今は屋敷の中だけで異変はおさまっているようだが、このまま放置すればきっと魔物は屋敷の外へと出て行って街の人を襲うようになるだろう。そんな事になったら大変だ!
きっと皇子も考え直すだろうと思ったが、彼はじっとオリヴィアさんを見返すと静かに首を横に振った。
「……だがな、オリヴィア。これはシュヴァルツシルト家の問題だ。家の問題は当事者での解決を……古からの掟だ。……わかるだろう? 私達に首を突っ込むことは許されていないんだ」
その言葉を聞くと、オリヴィアさんは少しショックを受けたような顔をして皇子の胸倉を掴んでいた手を離した。
……完全部外者の俺にはよくわからないけれど、どうやら貴族間でも何らかのルールがあって、皇子がこのシュヴァルツシルト家の問題にかかわることは許されていない……という感じのようだ。
家庭の事情に他人が口を挟むな、ということなんだろうか。
オリヴィアさんは悔しそうに唇をかんで俯いたが、すぐに顔をあげると皇子に向かって言い放った。
「……わかりましたわ。ならばヴィルヘルム様とはここでお別れですわね。わたくしは屋敷から離れるつもりはありませんので。あなたはどうぞお逃げになってください」
「えぇっ!? 今の話聞いてた!? だから部外者は関わることができないって……」
「わたくしはアルフォンス様との結婚が決まっています。部外者ではありませんわ」
「……そういうことか」
ヴィルヘルム皇子はすっと目を細めると、静かな口調でオリヴィアさんに問いかけた。
「………………死ぬぞ。いいのか」
「……覚悟はできています」
そのまま二人はぎりぎりと睨みあった。俺は、その光景をただおろおろと見守る事しかできなかった。
そのまま十数秒たって、結局折れたのはヴィルヘルム皇子の方だった。
「あぁもう、君は昔っから……!! わかった、わかったよ!! このまま街に魔物が溢れだすと大変だ! これはシュヴァルツシルト領のみならずユグランス全体に関わる問題である!! だから、私達にも首を突っ込む権利がある……ということにするぞ!!」
ヴィルヘルム皇子がやけになったようにそう叫んだ瞬間、オリヴィアさんの顔がぱっと輝いた。
「さすがはヴィルヘルム様! 頼りになりますわ!!」
「まったく調子のいい……」
ぶつぶつと文句を言うヴィルヘルム皇子に対して、さっきまでの凛々しい態度が嘘のようにオリヴィアさんはにこにこと笑っている。
……思ったよりも肝が据わった人だ。
いくら変な人とはいえ、王族にあの態度とは……。
俺がそんな事を考えていると、彼女はくるりと俺たちの方へと振り返った。そして、そのままつかつかと俺たちの前まで歩み寄ると、今までずっと俺の隣で黙り込んでいたヴォルフの両手を握りしめた。
「……というわけですので、無礼を承知で申し上げます」
「…………何なんですか」
ヴォルフは手を握られた瞬間びくり、と肩を跳ねさせたが、感情を押し殺したような声でそう答えた。
それでも、付き合いの長い俺にはわかった。たぶんヴォルフは今、めちゃくちゃ焦ってる。
そして、オリヴィアさんは小さく息を吸うと、ヴォルフの目をまっすぐに見つめて告げた。
「お力を貸してください。ヴァイセンベルクの御方」
「………………ぇ?」
驚きすぎて思わず間抜けな声が出てしまった。
ちょっと待て、今ヴォルフの事ヴァイセンベルクの方って……。
「どうしよう、バレてる!!」
俺は思わずヴォルフの腕をひぱった。ヴォルフは鋭い目つきでオリヴィアさんを睨み付けている。
ヴォルフがヴァイセンベルクの者だとオリヴィアさんに知られてはいけない。これはオリヴィアさんに出会ってすぐに言われた事だった。
俺は言われたとおりそんな話はしなかったし、彼女も今まで気づいたそぶりは見せなかった。
それなのに、どうして……
「何で、わかったんですか」
ヴォルフがゆっくりと問いかけると、オリヴィアさんはいつもの邪気のない笑みを浮かべた。
「先ほど、氷の力であの影のようなものを追い払っていたでしょう? 以前ヴァイセンベルク家へ伺った折に、似たような技をジークベルト様に見せていただいたことがあるのです」
オリヴィアさんの答えを聞いて、ヴォルフは舌打ちした。だが彼女は全く気にしていないかのように続けた。
「それに、初めてお会いした時指輪をはめていたのに、わたくしがグリューネヴァルトの者だと分かってからは外していたでしょう? そんな事をする必要があるのは六家の者以外にはありえませんわ」
「……目ざといんですね」
ヴォルフは嫌味っぽく言い返したが、オリヴィアさんは相変わらずにこにこと笑っている。
「あら、そうでなければ生き残れないでしょう? もちろん、協力してくださいますよね? 北の雄ヴァイセンベルクが敵前逃亡なんて聞いたことがありませんもの!」
そう言ってくすり笑った彼女を見て、俺は感心した。
俺はオリヴィアさんの事を優しくて穏やかな女性だと思っていた。それは間違いじゃない。でも、それだけじゃなかった。
ヴィルヘルム皇子を言いくるめたようなしたたかさと、ヴォルフの正体を悟りながらも最も有効な場面まで切り札として温存するような狡猾さ、それもまた彼女の持つ一面なんだ。
……まったく、とんでもない人だな!
「…………僕に拒否権はないって事ですか」
「まさか! でも、あなたならこの状況、どう動くのが最善かおわかりでしょう?」
ヴォルフはしばらくの間じっとオリヴィアさんを見つめていたが、やがて諦めたように大きくため息をついた。
「……クラウス・ヴァイセンベルクの三男、ヴォルフリート・ヴァイセンベルクです」
ヴォルフが諦めたようにそう名乗ると、じっとやりとりを見守っていたヴィルヘルム皇子が目を丸くした。
「クラウス殿の息子……ということはジークベルトの弟か! そういえばどことなく面影がある様な……だが、マティアスの他に弟がいるとは聞いたことがなかったな」
「その……少し事情がありまして……」
「今はゆっくりお話をしている時間はありませんわ。……おいで、レーシー!」
オリヴィアさんが空中に向かってそう呼びかけると、いきなり空中から緑色の塊がオリヴィアさんの胸に飛び込んだ。オリヴィアさんは愛しげにその緑色の塊を撫でている。
「あの……それは?」
「わたくしの契約している精霊です。ほら、レーシー。ご挨拶は?」
オリヴィアさんに促されて、その緑の塊が振り返った。よく見ると、全身に緑色の葉っぱを纏った小さいアライグマのような姿をしている。
なるほど、彼女も六貴族の一員だし、よく考えれば精霊と契約を交わしていてもおかしくはない。
レーシーと呼ばれた精霊は俺の前までふわふわ飛んでくると、小さくお辞儀のような恰好をした。
『よろしくねー』
『スコルとハティだよー』
俺にはまったく聞き取れないが、どうやらレーシーは俺たちに挨拶をしたらしい。また呼んでもないのにスコルとハティが出てきて、何かレーシーと会話を始めたようだった。
オリヴィアさんのレーシーは、つぶらな瞳が愛らしいまるでぬいぐるみのような精霊だった。
あんまり強くなさそうなのが俺の精霊だけじゃなくて良かった……。
「……そうだな、呼んでおいた方がいいか」
その光景を見て、ヴィルヘルム皇子は空中に向かって手を差し出した。
「わが元へ、ロスヴァイセ!」
彼がそう口に出した途端、どこから現れたのかほっそりとした白い手が皇子の手を握ったのが見えた。
「えぇぇ!?」
俺は一瞬驚いたが、すぐに状況がわかった。
白い手の先から順々に、白銀の優美な鎧を纏った美しい女性が姿を現したのだ。その女性は宙に浮かんでいるし、どこか人間離れをした見た目をしている。
きっとヴィルヘルム皇子の契約している精霊なんだろう。
「私の美しき相棒、ロスヴァイセだ」
「……人間と同じような姿の精霊もいるんですね」
ロスヴァイセは嬉しそうにヴィルヘルム皇子の腕にしがみついている。たぶんスコルやハティが俺にじゃれついて来るのと同じような感覚なんだろうが、精霊とはいえあんな美人に密着されるとは羨ましい。
「いいなー……」
『ちょっとクリスー!』
『ボクたちに不満でもあるっていうのー!?』
ちょっとそう呟いただけで、スコルとハティがぎゃあぎゃあとわめきだした。俺はなんとか二匹をなだめつつヴォルフの方を振り返ると、そこにはもうフェンリルが姿を現していた。
「……では、参りましょうか。準備はよろしいですか?」
オリヴィアさんがそう尋ねてきたので、俺は緊張しながらも頷いた。
正直準備も何もなかったが、今はとにかくテオとリルカが心配だ。一刻も早く二人を見つけ出したい。
「この先は何があるかわからないからな、くれぐれも気を抜くなよ。……とにかくこの異常事態の収束、それを第一に考えよう。おそらく鍵を握っているのはディルク・シュヴァルツシルトだ」
「……はい。あの男が魔物を呼んだのだと考えられます」
ヴォルフの言葉に、仮面を装着しなおした皇子はしっかりと頷いた。
……一応正体を隠すつもりはあるんだな。
「我ら六貴族の誇りにかけて、闇の者どもにこの地を明け渡しはしない!……行くぞ!!」
そして、皇子が扉を蹴破ったのを皮切りに、俺たちは魔物の溢れる廊下へと飛び出した。




