22 女同士の秘密
身内だけのささやかなもの、とか言ってた癖に、シュヴァルツシルト家の晩餐は俺が見たこともないくらい豪華だった。
「……ディルクはどうした?」
「あの魔術師の方がいらっしゃっておりまして、しばらくはお部屋で集中したいという事でして……」
どうやらさっきの弟さんは欠席らしい。聞くところによると、夕飯の時間も惜しんで魔術の勉強に没頭しているということだった。
俺は感心した。世の中には奇特な人もいるものだな、と。
そして、意外にもシュヴァルツシルト家の人たちは突然やって来た俺たちにも好意的だった。
テオがティエラ教会に認められた勇者、というのが効いたのだろうか。シュヴァルツシルト家の当主だと言う男性は何やら楽しそうに様々な事をテオに質問し、テオは物怖じすることもなくすらすらと答えていた。
……あいつには緊張とかそういうものはないんだろうか。俺なんて緊張しすぎて美味しそうな料理の味すらもよくわからないような状況なのに。一度テオの頭の中を覗いてみたいものだ。
最初の方は和やかに進んでいた晩餐会も、一度オリヴィアさんの一行が襲われた話になると急に空気が変わった。
「ふん、どうせあのヴァイセンベルクのハイエナ共の仕業に決まっている!!」
「卑劣な真似を……、どうせ我がシュヴァルツシルトとグリューネヴァルトの結びつきを恐れての愚行だろう」
さっきまで穏やかに話していた人たちが、今は目を吊り上げて口々にヴァイセンベルク家をののしっている。
俺たちが出会ったヴァイセンベルクの人たちは、とてもオリヴィアさんを襲ったりするようには見えなかった。もしヴァイセンベルク家が関わっているとしたらヴォルフが何か知っているだろうし、今ここで話されていることは完全なシュヴァルツシルト家の人たちの思い込みだろう。
ヴァイセンベルク家とシュヴァルツシルト家の中が悪い、という話は俺もヴォルフに聞いていた。
でも、まさかこんな風に一歩的な決めつけだけで、口汚くののしられるような関係だとは思いもしなかった。
元々緊張して味もよくわからなかった料理だが、こんな空気の中ではとてもじゃないけどこれ以上食べる気にはなれなかった。隣に座るテオも黙ってじっと成り行きを見守っているが、少しだけピリピリした雰囲気が伝わってくる。
オリヴィアさんとアルフォンスさんは何も言わない。ヴァイセンベルク家を罵倒する人達に同調することもないが、率先して彼らを止めようともしなかった。
ヴォルフがここに来なかったのは正解だったのかもしれない。貴族っていうのもいろいろあって大変そうだ。
……俺にはよくわからない世界だな。
◇◇◇
やっと居心地の悪い晩餐が終わって軽く屋敷を案内された後、俺は…………迷っていた。
リルカの待っている部屋に帰ろうとは思っているのだが、今どこにいるのかすらさっぱりわからない。
この屋敷の人たちはこんな所で迷ったりはしないんだろうか、しないんだろうな……。屋敷の人に聞けばすぐにわかるんだろうが、運悪くこの辺りには誰の姿も見当たらなかった。
うーん、と唸りながら何度目かの廊下の角を曲がった所で、俺は見慣れた人の姿を見つけた。
「オリヴィアさん?」
人気のない廊下で、オリヴィアさんが一人で窓の外を眺めていた。彼女は俺が声を掛けると驚いたように振り向いた。
「あら、クリスさん。どうなさったのですか?」
「あ、あの……それが……」
少々恥ずかしかったが、俺はここで迷っていたという事を素直に白状した。彼女はそれを聞いて一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに優しく微笑んだ。
「ふふ、そういうことならわたくしがご案内させていただきますわ」
「すみません……」
うぅ、恥ずかしい。いい年して迷子とかオリヴィアさんに呆れられていないだろうか。
「本当に広いお屋敷ですよね。わたくしももうここに来るのは二回目なのですが、未だに迷ってしまうことがありますもの」
「へぇ、オリヴィアさんもそうなんですね!……二回目?」
あれ、オリヴィアさんとアルフォンスさんは婚約をしているはずだ。それでもこの屋敷に来たのが二回目という事なら、今まではオリヴィアさんの家の方で会ったりしていたんだろうか。
そんな俺の疑問を察したのか、彼女は少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「……アルフォンス様とお会いするのは、これが三度目なのです」
「えっ、三回目!?」
ちょっと待て、二人は婚約者なんだよな? それでも会うのが三回目?
そんなことってあるんだろうか。
混乱する俺に、オリヴィアさんは優しく声を掛けてくれた。
「わたくしの部屋、このすぐ近くなんです。お茶を淹れますので、少し……お話をしていかれませんか?」
俺に話したいことがあるんじゃないのか、直感的にそう思った。
断る理由はない、俺は素直に頷いた。
オリヴィアさんの部屋は本当にすぐ近くにあった。客間……というよりは、どこか若い女性の為に誂えられたような部屋だ。きっとオリヴィアさんの為だけに用意された場所なんだろう。
オリヴィアさんが手ずから淹れてくれた暖かいお茶を飲むと、体が温まって少しだけ気分が落ち着いた。
彼女は俺のすぐ隣のソファに腰掛けると、ゆっくりと口を開いた。
「クリスさんって、好きな人はいらっしゃいますか?」
「……え? いや、いないですけど……」
俺は焦った。何でいきなりそんな話を振ってくるんだ!?
彼女には俺の中身が男だという事は話していなかったが、まさか気づいていたんだろうか。
やばい、だとしたらこんな風に部屋に上がり込んだのはまずい気がする。
内心で焦る俺とは対照的に、オリヴィアさんは穏やかな笑みを浮かべた。
「奇遇ですね、わたくしもなんです」
「ぇ…………? あ、あの……アルフォンスさんは……」
唐突に告げられた言葉に、俺はそう返すのがやっとだった。
オリヴィアさんとアルフォンスさんは婚約中で、昼間の様子からすると結構仲が良さそうに見えた。一体あれは何だったんだろう。
そんな俺の心中を察したかのように、オリヴィアさんは穏やかな、それでもしっかりとした声で告げた。
「あれは家の者が決めた結婚です。わたくしの意志ではないのです」
俺は何て言えばいいのかわからなくなってしまった。なんとなく事情は分かる。
結婚っていえば、知り合って、恋に落ちて、デートとかして……いろいろあって結婚に至るのが普通だろう。まぁ、今までまったく恋愛経験ゼロの俺が言えたことじゃないけど。
でも、きっとオリヴィアさんくらいの貴族の人間だとそういう訳にもいかないんだろう。家の為に、望まない相手と結婚しなければならないことだってあるんだということは予測がつく。
……でも、何で今それを俺に言ったんだろう。まさか、「わたくしを連れて逃げてください!」なんてことなんだろうか…………いや、ないな。
内心でぐるぐるとそんな事を考えていた俺に、オリヴィアさんは何を思ったのか慌てたようにぶんぶんと手を振った。
「あ、今のは誤解を招く言葉だったのかもしれませんね! 別にアルフォンス様との結婚が嫌だとか、不満があるとか……そういったものではないのです」
「え、そうなんですか?」
てっきりアルフォンスさんとの結婚が嫌になったので俺にそんな話をしたのかと思っていたが、どうやら違っていたようだ。
「ええ、もちろん。アルフォンス様はとても良いお方です。……わたくしにはもったいないくらいに。今はまだお互いの事をあまり知ることができていませんが、きっとこれから彼を愛せるようになると思うのです」
「……そうですね、俺も、アルフォンスさんはすごくいい人だと思います」
結婚してから生まれる愛、というものもきっと世の中には存在するんだろう。
俺の目から見てアルフォンスさんはとてもいい人に見えたし、心からオリヴィアさんの事を大切にしているように見えた。
そんな二人だから、結婚してもうまくいくんじゃないか。何となくそう思った。。
オリヴィアさんはどこか遠くを見つめるような目をして、ぽつりと呟いた。
「それでも……一度くらいは小説の中にあるような激しい恋をしてみたかった……と思う気持ちもあるんです」
そう言ったオリヴィアさんの美しい憂い顔を見ていると、俺は何て言っていいのかわからなくなってしまった。
彼女の言う「激しい恋」とやらがどんなものなのかは、あまり恋愛小説を読んだことのない俺にはよくわからなかったが、きっと現在の彼女の置かれた状況では手の届かないものなんだろう。
でも、諦めるにはまだ早いんじゃないか。
「あの……アルフォンスさんと恋をするっていうのはどうですか?」
「……それは盲点でしたわ」
俺の適当過ぎる提案に、オリヴィアさんは目を丸くしていた。
「確かに、わたくしの相手としては現実的にはアルフォンス様一択。ならば、彼と恋をすれば良かったんですね……!」
「その、俺はあんまり恋愛小説とか呼んだことないので偉そうなことは言えないんですけど……」
そう言うと、オリヴィアさんは何を勘違いしたのか目を輝かせた。
「まぁ、それはいけませんわ! 今度わたくしのおすすめの小説をご紹介しますわね!!」
「えっ……? あ、ありがとうございます……?」
そういう意味で言ったんじゃないけれど、彼女が嬉しそうだからこれはこれで良かったんだろう。わざわざ否定するなんて無粋な奴のすることだ。
オリヴィアさんは何冊か俺の知らない小説のタイトルをあげた後、子供のように笑った。
「ふふ、クリスさん。今日はわたくしのつまらない話に付き合ってくれてどうもありがとう」
「いえ、俺も楽しかったです」
「今話したことはアルフォンス様には秘密にしてくださいね。殿方にこんなお話はできませんもの。これは女同士の秘密ですよ!」
「ひ、ひゃい……」
驚きすぎて噛んでしまった。そうだ、オリヴィアさんは俺の中身が男だという事を知らないんだった。
これはもう本当の事を話せる雰囲気じゃないな。
うーん、それにしても女同士の秘密か……。悪くない響きだ。
俺が男だという事をのぞいてだが……。
そんな事を考えていると、不意に何かが部屋の扉にぶつかったような音が聞こえた。思わず俺もオリヴィアさんも黙り込む。
そして、俺たちの目の前でゆっくりと扉が開いた。
「オ、リヴィア……?」
そこに立っていたのは、どこか様子のおかしいアルフォンスさんだった。




