21 シュヴァルツシルト家
《ユグランス帝国北部・ラーベシュタット》
あの仮面男の乱入以来、特に何事もなく数日で無事に俺たちはラーベシュタットの街へとたどり着いた。
なかなかに賑やかな町だ。以前立ち寄ったヴァイセンベルク家のお膝元であるシュヴァンハイムにも負けていないかもしれない。
「それで、お前の婚約者はどこにいるんだ?」
「シュヴァルツシルト家のお屋敷です。街の奥ですね」
何か話しながら前を歩くテオとオリヴィアさんの背中を眺めていると、そっとヴォルフが近づいてきた。
「あの……さすがに僕はシュヴァルツシルト家の屋敷に入るわけにはいかないので……街の中に残ります」
「え? そんなにやばいの?」
別にちょっと行って帰ってくるだけだしそんな問題はないような気はするが。
それでもヴォルフは頑なに首を横に振った。
「そういうものなんですよ。オリヴィアさんにはうまく誤魔化しておいてください」
「それはいいけど……」
前を行くオリヴィアさんは俺たちの会話に気づいた様子はない。今のうちに姿を消せば誤魔化せるだろう。
「じゃあ頼みましたよ、それと……」
ヴォルフはそっとオリヴィアさんの様子を確認すると、声を潜めて俺とリルカを呼び寄せた。
「くれぐれも、シュヴァルツシルト家の中では油断しないようにしてください。何が起こるかわかりませんから」
「えっ?」
それだけ言うと、俺たちが何かを聞き返す前にヴォルフはすぐに人ごみ紛れるようにして姿を消した。
まあ、あいつは放っておいても大丈夫だとは思うが、あんな事を言われると逆に俺たちの方が心配になってきた。
何が起こるかわからないって何なんだよ!!
「大丈夫、かな……」
隣でリルカが不安そうにつぶやいた。俺もちょっと心配になってきた。
「まぁ……オリヴィアさんの結婚相手の家だし、大丈夫だろ……」
たぶん、と心の中で付け加えて、俺はテオとオリヴィアさんの後を追った。
「あら、ヴォルフさんはどちらに?」
「あ、あいつはちょっと行きたい店があるとか言ってて……まぁ気にしないでください! 俺たちは早く行きましょう!!」
オリヴィアさんはすぐにヴォルフがいなくなったことに気が付いたが、俺は言われたとおりになんとか誤魔化しておいた。ちょっと不自然だったような気もするが、オリヴィアさんは普通に納得してくれたようだ。
◇◇◇
シュヴァルツシルト家の屋敷は、これはまたヴァイセンベルク家の屋敷に負けないくらい大きくて綺麗だった。
オリヴィアさんが門番に話しかけ手を見せると、門番は焦った様子で屋敷の中へと駆けだしていった。
「今、何を見せたんですか?」
何となく気になってそう尋ねると、オリヴィアさんはにっこりと笑って俺の目の前に白くてほっそりとした手を差し出した。
その指には、綺麗な緑色の宝石あしらわれた、精巧な作りの指輪がはまっていた。
「この指輪、特別なもので六貴族の一員であると言う証なのです。こういう時には便利なんですよ、身分証明にもなって」
「綺麗ですね……」
見ていると吸い込まれそうになる、何だかそんな雰囲気の指輪だった。宝石の色自体は違うが、指輪の作りはヴォルフがいつもはめている物によく似ている。
そういえば、グントラムも似たような指輪をはめていた。六貴族の人たちは全員こんな指輪を持っているのだろうか。
ヴォルフの指輪は氷の力を持つ魔法道具でもあるみたいだけど、もしかしたらオリヴィアさんのこの指輪にも特別な力があったりするんだろうか。
そう尋ねようとした時、遠くから誰かが息せき切ってこちらへと走ってくる姿が見えた。
「オリヴィアっ!!!」
黒を基調とした礼服に身をつつんだ、二十代半ばくらいの男性だ。男性は俺たちには目もくれずにオリヴィアさんの元へと走り寄ると、必死な様子で彼女の両手を握りしめた。
「無事で良かったよ、オリヴィア。到着が遅れていたので何があったかと……」
「アルフォンス様……」
その男が現れた途端、オリヴィアさんは安堵の表情を浮かべた。
「ん? そちらの方々は……」
男はやっと俺たちの存在に気が付いたのか、不思議そうに俺たちの顔を見まわした。
「この方たちは、ここまでわたくしの事をお守りしてくださった命の恩人ですわ」
「グリューネヴァルト家の者では無いようだが……、君の護衛は……」
男性がそう尋ねた途端、オリヴィアさんの表情が泣き出しそうにゆがんだ。彼もそれで何かを察したのか、優しくオリヴィアさんの肩を抱くと俺たちの方へと声を掛けた。
「何はともあれ、話は中でした方が良いでしょう。あなた方も是非いらしてください」
「あぁ、わかった」
ここで帰れるなら帰った方がいいんじゃないかと俺は思ったが、テオは普通に屋敷の中へ入る気満々のようだ。オリヴィアさんの事を心配しているのかもしれない。
どうしようかと考えている間にもうテオ達は屋敷の方へと歩き出してしまったので、仕方なく俺とリルカもその後に続いた。
男は気遣わしげに何かオリヴィアさんに声を掛けている。
この親密そうな様子からすると、彼がオリヴィアさんの婚約者なんだろうか。
◇◇◇
豪華な屋敷のやたらと大きい部屋に俺たちは通された。
そのままオリヴィアさんとさっきの男はどこかへ行ってしまったので、俺たちは淹れてもらったお茶を飲みながら二人が戻ってくるのを待っていた。
テオは珍しく静かに腕を組んで何かを考え込んでいるようだった。リルカは部屋の中を眺めている。この屋敷もオリヴィアさんの所やヴァイセンベルク家に負けないくらい豪華な屋敷だった。
……やっぱりこういう所は落ち着かないな。
しばらく待つと、二人は戻ってきた。部屋を出て行った時と比べて、男の方はかなり険しい顔をしている。
男は順番に俺たちの顔を眺めると、ゆっくりと口を開いた。
「シュヴァルツシルト家次期当主、アルフォンス・シュヴァルツシルトと申します。事情はオリヴィアから聞きました。皆様のおかげで、無事にここまで辿り着くことができたと。……我が婚約者をお守りくださったこと、心より感謝申し上げます」
そう言うと、男は俺たちに向かって深く頭を下げた。
やっぱりこの男がオリヴィアさんの婚約者だったようだ。それに、次期当主ってことはかなり偉い人なんじゃ……。
「……グリューネヴァルト家の護衛を襲った者はわかったのか?」
テオが硬い表情のままそう問いかけると、アルフォンスさんは静かに首を横に振った。
「いえ……ですが、すでに現場へ人を向かわせました。すぐにでも……」
アルフォンスさんの言葉の途中で、部屋の扉が勢いよく音を立てて開いた。
「兄さんっ! オリヴィアが襲われたって!……あっ……」
扉の向こうにいたのは、アルフォンスさんよりも少し年下に見える男性だった。顔立ちや雰囲気がアルフォンスさんによく似ている。きっと兄弟か親族なんだろう。
男は部屋の中の俺たちの姿に気が付くと、気まずそうに目をそらした。
「ディルク……今大事な話を……まぁいい」
アルフォンスさんは大きくため息をつくと、苦笑いを浮かべて俺たちの方へと向き直った。
「騒がしくして申し訳ありません。弟のディルクです」
「ど、どうも……」
弟のディルクさんの方は、もごもごと何かつぶやくとすぐに引っ込んでしまった。
……何だったんだろう。
「すみません、弟は利発なのですがどうも内向的な所がありまして……いい奴なのは確かなのですが」
アルフォンスさんは一度そこで話を切ると、オリヴィアさん一行が襲われた件に話を戻した。どうやらオリヴィアさんから俺たちの話も聞いていたようで、テオがティエラ教会の勇者であるという事もすっと納得してくれた。
まだオリヴィアさんを襲った犯人はわからないが、シュヴァルツシルト家の方で全力を挙げて見つけ出すこと、すぐにグリューネヴァルト家に人を送ったこと、オリヴィアさんは責任を持って守り抜く事、などを話してくれた。
テオも何事かアルフォンスさんに尋ねていて、二人の話し合いは続いた。
そうしているうちに日が暮れてきて、それに気が付いたアルフォンスさんは窓の方へと目を向けた。
「……もうこんな時間ですか。皆さん、是非今夜はここに泊まっていってください。オリヴィアを守ってくださったお礼もできていませんので。そろそろ晩餐の時間でしょう」
アルフォンスさんは人好きのする笑みを浮かべると、その場から立ち上がった。
「い、いえ……そんな、畏れ多いです……」
「身内だけのささやかなものですので、是非ともご出席ください。なぁオリヴィア?」
「えぇ、皆さんもお疲れでしょう。ぜひともお礼をさせてくださいな」
うぅ……オリヴィアさんにそう言われると断るに断れない……。
結局、俺たちは彼らに言われるままシュヴァルツシルト家で一夜を過ごすこととなってしまった。油断はするな、と言ったヴォルフの言葉が蘇る。
大丈夫、アルフォンスさんは思ったよりもいい人そうだし、あいつの取り越し苦労だろう。
俺は無理やりそう自分を納得させた。
だって、そう思わないとやってられなかったんだ。




