20 謎の薔薇仮面
オリヴィアさんの話だと、もう明日にはラーベシュタットに着くという事だった。
彼女は俺たちの前では努めて明るく振る舞っているようだったが、ふとした瞬間に悲しそうに顔を伏せていることがある。
無理もない、あんな風に家の者を殺されては、明るく笑えと言う方が酷だろう。
ラーベシュタットを根城とするシュヴァルツシルト家は彼女の嫁ぎ先だ。婚約者の顔でも見れば元気になるだろうか、そうなるといいんだけどな。
オリヴィアさんを交えて夕食をとりながら、俺はこのまま何事もなくラーベシュタットに着きますように、と心の中で祈った。
だが、そんな俺の願いは速攻で裏切られることになる。
事件が起こったのはその日の夜だった。
俺とリルカとオリヴィアさんの三人は、宿屋で寝る支度をしていた。
ちなみに今のこの部屋は(肉体的に)女部屋だ。
テオはオリヴィアさんが心配なので大部屋に全員で泊まった方がいいと主張したが俺が止めた。
彼女は結婚を控えた女性なんだ。おまけに結構豊かな胸をお持ちなのである。万が一間違いでも起こったら本当に俺たちは彼女の婚約者に殺されかねない。
残念ながら俺はそう言った方面ではまったくテオを信頼していなかった。
まぁどうせ何も起こらないだろう、宿屋にいるのも俺たちだけじゃないんだし。
そんな風に油断していた俺は、不意に入り込んだひやりとした空気に気が付いた。
「あれ? 窓……」
振り返ると、部屋の窓が少し開いていた。そこから冷たい空気が入り込んでいるようだ。
これはいけない。リルカとオリヴィアさんが風邪をひいてしまうかもしれない。
俺は窓を閉めようと一歩足を踏み出して、そして気が付いた。
おかしい、窓ならこの部屋に入った時に自分の手で閉めたはずだ。
そう思った瞬間、シュッと空気を裂くような音がして何かが勢いよく床に突き刺さった。
まさか、オリヴィアさんを狙った襲撃か!?
弓矢かナイフか、慌てて床に視線を落とした俺はそこに刺さった物体を見て固まった。
「…………薔薇?」
宿屋の床に突き刺さっていたのは、一輪の真っ赤な薔薇だった。
俺たち三人は急に部屋に投げ込まれた薔薇に釘付けになった。これが矢とかならオリヴィアさんを狙ったって事で理解はできる。でもなんで薔薇、しかも床に突き刺さるって事は加工してあるよな? というかこの薔薇はどこから……そうだ、窓!!
そうして窓の方へと振り返った瞬間、バァンと大きな音を立てて黒い装束をまとった何者かが窓を蹴破り部屋の中へと侵入してきた。
「オリヴィアさん!!」
気を付けて、と声を掛ける前に窓から侵入してきた人影が立ち上がった。幸い彼女は窓から離れた所にいる。
俺はとっさにオリヴィアさんをかばおうと杖を構えようとして、目の前の人物を見て固まった。
「か弱き乙女を拐かす不届き者め!! この私の目がある限り貴様の好きなようには…………んん?」
俺の目の前で立ち上がったのは、黒い礼服に身をつつんだ暗い茶髪の男だった。
それだけならまだいい。だが、その男は明らかにおかしかった。
裏地が真っ赤なド派手なマントに、クジャクの羽のような派手な飾りのついた帽子。おまけに蝶の形のやたらと派手な仮面で顔の上部分が覆われている。そして、手には床に刺さったのと同じような薔薇の花を持っていた。
仮面舞踏会とかならまだしもこんな安宿にいるには……いや、仮面舞踏会にいてもかなり浮くだろう、こいつは。
そんな意味不明な恰好をした男は、呆気にとられるオリヴィアさんを見て、リルカを見て、最後に俺の方へと視線をやった。
「あのー……君たち、今親玉とかはいないのかな?」
仮面男はまるで小さな子供にでも話しかけるような口調で俺に声を掛けてきた。
何故だか仮面男はこの状況に困惑しているようだ。
……いやいや、困惑するべきなのは俺たちの方だろ。
なんで宿屋に泊まったらいきなり変な仮面男の襲撃を受けることになるんだよ!
「どうしたっ!!!」
何て答えよう……と考えている間に、音を聞きつけたのかものすごい勢いでドアを開け放してテオがやって来た。
仮面男はやって来たテオの姿を認めると、何故か嬉しそうにビシッと薔薇の花を突き付けた。
「出たな諸悪の根源めっ! この私の目がある限り、」
「クリス避けろぉ!!」
「うぎゃあ!!」
仮面男が台詞を言い終わらないうちに、テオはいきなり入り口付近に置いてあった椅子を掴むと仮面男に向かってすごい勢いで投げつけた。
声を掛けられた俺はギリギリ屈んで椅子を避けることができたが、とっさのことで反応できなかったのか仮面男にはテオが投げつけた椅子が直撃したようだ。
「くっ、卑怯な真似を……」
恐ろしい事に、仮面男は椅子が直撃したにも関わらずすぐさま立ち上がった。
どれだけ頑丈なんだよ!
「覚えていろ! いずれ悪は滅ぶ、必ずな!! さらばだ、とうっ!!」
一方的に捨て台詞を吐くと、止める間もなく仮面男は窓から宵闇へと身を躍らせた。
慌てて下をのぞきこんだが、もうそこにはあの奇妙な仮面男の姿はどこにもなかった。
……何て素早い奴なんだ。
「何だったんだよ……」
気休め程度かもしれないが、今度こそ窓をぴっちりと閉めた。
部屋の方を振り返ると、テオは腕を組んで何か考え込んでおり、リルカはおろおろしていた。
そして、オリヴィアさんはあの仮面男が出て行った窓をじっと見つめていた。
「あの……もしかして、あの変な奴……知り合いだったりします?」
まさかとは思うけど、もしあいつがオリヴィアさんの知り合いだったら悪いことしちゃったな……と思って問いかけたのだが、オリヴィアさんは静かに首を横に振った。
「いえ、あのような方は存じ上げませんわ……」
「ですよねー」
見かけで人を判断してはいけない。と分かってはいるのだが、やっぱりあんな奇妙な恰好をした奴と知り合いっていうのはちょっとな……。
オリヴィアさんは何も知らないようだし、彼女を狙った襲撃者……って感じでもなかったし、ただの変質者だったんだろう。
「それにしても何でこの部屋に……」
「どうせヒーローごっこでもしていたんだろう。まったく、幼稚な奴は困るな」
テオは呆れたようにそう吐き捨てた。さっきの仮面男は見たところ普通に成人してそうな年だったし、そんな年になってヒーローごっことは……とか思ったけど、よく考えたら俺も人の事は言えなかった。
一年ほど前までは俺もよく一人で勇者ごっこをして遊んだものだ。そう言えば馬鹿にされそうだし黙っておこう。
「それより、明日は早いんだ。今日はもう寝ろ。怪しい奴が来ないか俺が見張っててやるから」
テオはさっき仮面男に投げつけた椅子を元に戻すとそう告げた。
見張っててくれる……のは有難いけど、大丈夫なんだろうか。
「……オリヴィアさんに変な事とかしない?」
「するか馬鹿。オレだってそのくらいの分別は持ち合わせているつもりだ」
テオは心外だと言うような顔をしてそう言った。
でもな、お前には前科がありすぎるんだよ。疑われても当然だろ。
そんな風にテオと言い合っていると、不意に部屋の扉が控えめに叩かれた。
「はいはーい!」
扉を開けると、そこには少し呆れたような顔をしたヴォルフが立っていた。
残念だけど来るのが遅いぞ。もうちょっと早く来ればあの変な仮面男が見られたのにな。
「……下からうるさいって苦情きたんですけど。こんな時間になに騒いでるんですか。宿屋の主人怒ってましたよ」
「えっ、ほんとに?」
それは大変だ。これ以上騒ぐと外に叩きだされかねないな……。
俺たちだけならまだしも、こんな寒空の下でオリヴィアさんを凍えさせるわけにはいかない。
まったく、悪いのは俺たちじゃなくてあの変な仮面野郎なのに。
仕方ない、今日はテオの言う通りにしてすぐ寝てしまおう。




