19 オリヴィア・グリューネヴァルト
グリューネヴァルト家のオリヴィア、彼女は確かにそう名乗った。
「…………グリューネヴァルト?」
それを聞いた途端、俺のすぐそばにいたヴォルフが小さな声でぽつりとそう口に出した。
オリヴィアさんはちょうどテオと何か話していたので、俺はこそっとヴォルフに話しかけた。
「なに、知り合い?」
「いえ……面識はないんですが、グリューネヴァルト家も六貴族の内の一つなんです」
ヴォルフはオリヴィアさんに聞かれないようにと小声でそう告げた。
六貴族、といえばこの国でも特に力を持つ六つの貴族の家のはずだ。
ヴォルフの実家、ヴァイセンベルク家と同じように。
「じゃあお前と同っ……むぐっ!?」
お前と同じだな、と言おうとした俺の言葉は、途中で思いっきり手のひらで口をふさがれて最後まで口にできなかった。
「声が大きい!!」
わかったと伝えるために何度も頷くと、ヴォルフはやっと俺の口を覆っていた手を離してくれた。
いきなり何してくれるんだ、ちょっとだけむかついた。
「なんだよ、別にいいじゃん」
「……この状況を見てもそう言えますか? 僕がヴァイセンベルクの者だと知られれば、下手するとヴァイセンベルクがグリューネヴァルトの者を害した……なんてことにされかねないんですよ」
ヴォルフは足元に広がる血だまりに目を向けながら、冷静にそう告げた。
そんな馬鹿な、と言いたかったが、俺には貴族社会の事はよくわからない。
もしかしたらそんな濡れ衣で足を引っ張られるような社会なのかもしれない。
「だから、僕がヴァイセンベルク家の人間だという事は彼女には悟られないようにしてください。幸い顔は知られてないはずですから。……リルカちゃんも」
「……うん、わかったよ」
リルカもそっと頷いた。その直後、テオとオリヴィアさんが俺たちの方へと近づいてきた。
「いいか、おまえ達。この状況で彼女を放っておくことはできない。取りあえず安全な所まで連れて行くぞ」
「それはわかるけど、どこに行くんだよ」
俺がそう聞くと、テオはオリヴィアさんの方を振り返った。
「君はどこへ向かっている途中だったんだ?」
まだ聞いてなかったのかよ!
まあ、行き先がどこであろうと、俺たちに彼女を放っておくなんて選択肢はないんだけどな。
「あの、わたくし……家の者と共にラーベシュタットへ向かっていたのです」
オリヴィアさんはまた涙を浮かべながらそう告げた。
その途端、ヴォルフの口元がわずかに引きつったのが見えた。
「……どうして、そこに」
少しだけ硬い声でヴォルフが尋ねると、彼女は涙を拭って口を開いた。
「わたくし……シュヴァルツシルト家の方と結婚が決まっておりまして、今回はその挨拶に伺う予定だったのですが……」
「シュヴァルツシルト?」
聞いたことのない名前だ。
俺がそう口に出すと、オリヴィアさんは慌てたように教えてくれた。
「あっ、申し訳ありません。シュヴァルツシルトと……わたくしの家であるグリューネヴァルトは共にユグランスで強い力を持つ六貴族、という家なのですわ」
オリヴィアさんはテオがミルターナの勇者、というのを聞いて俺たちが外国人だと思ったのか、丁寧に説明してくれた。
彼女の生家であるグリューネヴァルト家、そして嫁ぎ先であるシュヴァルツシルト家もヴァイセンベルク家と同じ六貴族であるということだった。
そして彼女が向かっていたラーベシュタットという街は、結婚相手であるシュヴァルツシルト家の屋敷がある場所であるらしい。
……六つしかない家の割に、やたらとこの国に来てからの遭遇率が高いような気がするのは何故なんだろう。
俺たちはオリヴィアさんを交えてこれからどうするべきか話し合った。
一度彼女の実家に戻ることも考えたが、ここからだとラーベシュタットの方が近いという事でまずはそちらへ向かう事になった。
そこまで行けばきっとオリヴィアさんを保護してもらえるはずだ。
まあ彼女の嫁ぎ先という事ならきっと安全なんだろう。
そこまで彼女を無事に送り届けるのが俺たちの役目だな。
「ごめんなさい……すぐに戻ってきますからね……」
オリヴィアさんは物言わぬ家臣たちの亡骸に涙ながらに語りかけていた。
まだ彼女を襲った奴らが近くに潜んでいるかもしれないんだ。ゆっくりと埋葬している時間はなかった。
「誰がこんなことしたんだろうな……」
「オレの見た限りではただの物取り、といった様子ではなかったな。まぁ、そんな偉い貴族ならいらぬ恨みを買う事もあるんだろう」
テオは訳知り顔でそう言っていたが、俺には納得できなかった。
どんな理由があったとしても、結婚を控えた女性を襲ってその付き人を皆殺しにするなんて、やっぱりおかしいよ。
◇◇◇
幸いなことに山道を抜けるまで、俺たちは怪しい奴らに襲撃されたり……といったことはなかった。
もうどこかに行ってしまったんだろうか、いや、油断はできないな。
もしかしたら今も近くに潜んで俺たちを狙っているのかもしれない。
俺は過剰に周囲を警戒しつつ、山すその小さな町へと向かった。
《ユグランス帝国西部・イルシュトラーセの町》
取りあえず日も暮れてきたので、俺たちは通りがかった小さな町に宿泊することを決めた。
粗末な安宿にオリヴィアさんみたいな高貴な人を泊めさせるのは気が引けたが、彼女自身はあまり気にしていなさそうだったので良しとしよう。
「はぁ……疲れた」
周囲を警戒しながら歩くのは思ったより疲れる。
宿屋で一息ついていると、いつのまにか姿を現したスコルとハティが俺の足元にまとわりついてきた。
一般的に精霊というものは人の目には見えない。
精霊自身が姿を現そうとすれば見えるようになるらしいのだが、普通の精霊はよっぽどのことがない限りは人前に姿を現さない。人と契約している精霊ですら、契約者が呼ばないと出てこないほどの慎重さを持っているのである。
そう、一般的な精霊はそうなのだ一般的な精霊は。しかし……
『クリスー、あそぼうよー』
『あっ、それおいしそう!』
俺の契約している精霊二匹は呼んでもないのにやたらと人前に出てくるのである。
しかも人の食べるもの(主にお菓子)まで食べようとする。こいつらに精霊としての誇りとかはないんだろうか……。
まあ、こいつらはぱっと見てただの子犬にしか見えないから何とかなっているのだが、これが巨大なヘビとか巨大なハリネズミだったら危なかった。人に見られたりしたら大変だからな。
そんな事を考えていると、俺の方へと近づいてきたオリヴィアさんに声を掛けられた。
「あら、クリスさん。そちらの子たちは……」
「あぁ、こいつらは……」
俺の契約している精霊なんです、と告げようとして俺は気が付いた。
彼女も六貴族の生まれなのだ。前にヴァイセンベルク家で聞いた話だと、六貴族の人たちは精霊と契約することで一人前と認められる……みたいな感じだった。
そうなると、オリヴィアさんも精霊については詳しいのかもしれない。
それはまずい、非常にまずい。
俺の足元の二匹が精霊だと知られれば、スコルとハティ→フェンリル→ヴァイセンベルク家! と芋づる式にばれてしまう可能性がある。
そうなったら、ヴァイセンベルク家がオリヴィアさんたちを襲ったなんて嫌疑をかけられてしまうかもしれない……!
そう考えた俺は、とっさに誤魔化すことにした。
「こいつら、俺のペットなんですよ! 普段は放し飼いにしてるからあんまり寄ってこないんですけど!!」
我ながら苦しい言い訳だとは思ったけど、オリヴィアさんは「あら、そうなのですか」とか言って納得してくれたようだった。
スコルとハティはペットと言われたことが不満だったのか、足元でぶーぶー言ってたがここは無視だ。
「あっ、陽が暮れる前に散歩に行ってきますね!!」
俺は強引にその場を切り上げると、スコルとハティを抱き上げて部屋から逃走した。
去り際にヴォルフに睨まれた気がするけど気にしないでおこう。
今のは俺のせいじゃない!
「いいか、オリヴィアさんの前では不用意に出てくるなよ!」
『えー?』
『なんでー?』
宿屋から離れた所まで来て、ダメもとで六貴族の事とか今の事情を二匹に説明してみたが、かわいらしく首を傾げられてしまった。
駄目だ、全然理解してないな。
まぁ実は俺自身細かい所はよくわかっていなかったりするので、こいつらが理解できなくても当然なのかもしれない。
どうしようかな、と考えてくると宿屋の方からリルカとヴォルフがやってくるのが見えた。
『あ、リルカだー!』
『リルカあそぼー!!』
スコルとハティは俺の方など振り返りもせずに一目散にリルカの元へと駆けて行った。
同じ精霊同士気が合うのか、スコルとハティはやたらとリルカに懐いている。
しかも、俺の言う事は聞かないことが多いのだが、リルカに言われた事なら割と素直に聞くのだ。
これは飼い主……じゃなくて契約者としては誠に遺憾である。もうすこし俺の事も尊重してほしいものだ。
スコルとハティがリルカにじゃれついている横で、ヴォルフが俺の方へと近づいてきた。
うわっ、明らかに怒ってる。
「クリスさん、僕の言う事聞いてましたよね」
「そんなに怒るなよ……スコルとハティが俺の言う事聞かないんだから仕方ないだろ!」
ヴォルフの気持ちもわからないでもない。
ここでヴォルフがヴァイセンベルクの人間だとばれれば、いらぬ濡れ衣を着せられるかもしれないのだ。そうすればヴァイセンベルク家の人たち、ジークベルトさんやマティアスさんにも迷惑がかかってしまう。
いや……もしかしたら迷惑なんて言葉では言い表せれないほど大変な事になってしまうかもしれない。
それだけは絶対に避けなくてはいけないんだ。
「本当に気を付けてくださいよ。あの人の嫁ぎ先のシュヴァルツシルト家は、ヴァイセンベルク家とは昔から犬猿の仲なんです。隙を見せればここぞとばかりに蹴落としにかかってくるんですから」
「そ、そうなのか……」
それはヤバい。何としてでもばれないように気をつけなければ。
俺はもう一度スコルとハティを説得しようとした。
二匹はやっぱりよくわかってなさそうな顔をしていたが、リルカの協力も得て、なんとかあまりオリヴィアさんの前では姿を現さない。もし現れる時は子犬の振りをすること、という二点だけは約束させることができた。
二匹はわかったような顔をして頷くと、すぐにリルカにじゃれついていた。
うーん、ほんとにわかってるのかどうか心配だな……。




