11 覚醒の息吹
破壊の杖を発動させる。ヴォルフは確かにそう言った。
でも、そんな事をしたらヴォルフは死んでしまう。
グントラムと同じように……!
「駄目だ駄目だ! 何言ってんだよお前はぁ!!」
まだ子供の癖に!! 死に急ぐには早すぎるだろ!!
必死に肩を掴んで揺さぶったが、ヴォルフは冷めた目で俺を見つめ返してきた。
なんで、なんでそんな顔するんだよ……!
「あなたこそ何言ってるんですか……! ここでサイクロプスを止めないと、もっとたくさんの人が死ぬことになるんですよ! この城の人だって……あなただって!!」
そう言うと、ヴォルフは無理やり俺の腕を肩から引きはがした。
「……破壊の杖は、ヴァイセンベルク家の者でないと発動はできない。叔父上がいない今、ここにはもう僕しかいないんです」
「だからって……お前が犠牲になるなんておかしいだろ!!」
「ここは……その為に作られた場所なんです。僕だって……言ってしまえば、その為に生まれたようなものなんですから」
そう言うと、ヴォルフはまたすべてを諦めきったような笑みを浮かべた。
「ここに預けられた時から、きっとこうなるだろうって薄々気づいてはいたんです。一度は逃げ出したけど、またここに戻ってくることになって……やっぱり、僕はこうなる運命だったんですよ」
その言葉を聞いて、一瞬で頭に血がのぼったのがわかった。
俯いたヴォルフの顔を、俺は衝動のまま思いっきり殴りつけた。
「痛っ!?」
「……何が運命だ大馬鹿野郎!! そんなの全然かっこよくもなんともないんだよ!! 自分の命を犠牲にするとか……どうせ後で後悔するに決まってる! そんな事したって誰も喜ばなっ」
言葉の途中で、ぱぁん! という乾いた音と同時に頬に強い衝撃を受けた。
俺は思わずよろめいてしまう。
一瞬遅れて頬にじんじんとした痛みが走る。
視線を戻せば、ヴォルフが肩で息をしながら思いっきり俺の方を睨み付けていた。その手のひらが若干赤くなっている。
あぁ、頬を叩かれたんだ。やっと俺は理解した。
「……言い返せないからって暴力に走るのか? ほんと子供だなっ!!」
そう吐き捨てると、ヴォルフは勢いよく俺の胸倉を掴んできた。
普段の冷静さが嘘のように激高しているようだ。
「先に手だしたのはそっちだろ!! さっきからごちゃごちゃうっせーんだよっ!! 自己犠牲が間違ってる? じゃあさっさと他の方法考えろよ!! ここでぎゃーぎゃー言ってても何も変わらないんだよ!!」
鋭い言葉の数々が突き刺さる。
でも、ここで負けるわけにはいかない。
俺だって、お前をここで死なせるわけにはいかないんだよ……!
「今考えてる!!」
「遅い! もうサイクロプスだって……あっ……」
怒鳴りながら上空へと視線を移したヴォルフの表情が凍りついた。
つられて空を見上げた俺の目に入ってきたのは、いつの間にかめちゃくちゃでかくなった時空の歪みの穴と、その穴をくぐってまさにこちらへと来ようとするサイクロプスの姿だった。
「うわぁぁ!?」
巨人の手が、頭が、上半身が、どんどんこちらの世界へと侵入してきているのが見える。
もうすぐ、巨人は穴を通り抜けて完全にこっちへとやって来てしまうだろう。
「くっ……フリッツ! この人を抑えろ!!」
「馬鹿! やめろ!!」
俺はもうなりふり構わずにヴォルフの体にしがみついた。
フリッツが俺の体を引きはがそうとしてきたが、絶対に離してやる気なんてない。
……本当はわかってる。
きっとヴォルフが自分を犠牲にして、あのサイクロプスを倒すのが多くの人にとっての最善だろう。
でも、俺は嫌だった。わがままだとか自己中だとか何とでも言われてもいい。
それでも、目の前でよく知る相手が死んでいこうとしているのに、それを黙って見ているだけだなんて俺にはできなかった。
例え間に合わなくて、俺たちが全滅することになると分かっていたとしても、俺は同じことをするだろう。
自分でもどうしてここまで頑なになるのかはわからない。
でも、どうしてもこれだけは譲りたくはなかった。
俺たちが押し問答をしている間に、遂に巨人はこちらの世界へと足をつけた。
不気味な一つ目が俺たちの姿を捕え、にやりと笑ったのがわかった。
そして巨人が俺たちの方へと向かって一歩足を踏み出そうとしたその時、
突如どこからか飛来した巨大な馬上槍が、サイクロプスの足に突き刺さった。
サイクロプスは痛みからかうめき声をあげ、もともと鈍かった動きを更に鈍らせた。
「……はぁ!?」
「えっ……?」
「あの槍、投げられる重さではないのですが……」
目の前の光景に呆然とする俺たちの耳に、よく聞きなれた、今となっては懐かしいとすら感じる声が響いた。
「待たせたな! 勇者の登場だ!!」
「あの……そんなこと、言ってる場合じゃ……ないと思うの」
…………まさか、そんなはずはない。
俺は信じられない思いで、声の聞こえた方へと振り向いた。
果たしてそこには、こんな雪山でも普段通り身軽なテオと、対照的におこもこと着こんでかわいらしい雪だるまのようになっているリルカの姿があった。
「え、何で……」
一瞬、俺は錯乱して幻を見ているのかと思った。
だって、普通こんなタイミングで援軍が駆けつけるか!?
だが、二人はそんな俺の内心の混乱など気にも留めないようで、ざくざくと雪と氷を踏みしめながらこっちへと歩いてきた。
「よぉ! 二人とも思ったより元気そうだな。安心したぞ!」
テオは呆然とする俺とヴォルフの姿を視界に入れると、声をあげて笑った。
……軽い!
今俺たちは生死をかけた決断を迫られていたというのに、何だよそのノリは!!
「そんな悠長な事言ってる場合じゃないんだって!! お前もヴォルフを止めてくれよ! こいつ、あの巨人を倒すために自分が犠牲になるとか言ってるんだよ!!」
「ちょっと! クリスさん!!」
俺が必死に説明すると、テオとリルカの二人ははっとしたように息をのんだ。
やっと二人にもこの事態の深刻さがわかったのかもしれない。
「……ヴォルフ、それは本当か」
「はい。そうするしか他に道はないんです」
「そんな、ヴォルフさん……」
リルカはおろおろしていて、テオは目を瞑って何か思案しているようだった。
肝心のサイクロプスは未だにのろのろと槍が刺さった足を気にしているようだ。
今はおとなしいが、いつ暴れ出すのかはわからない。
のん気に話し合いをしている時間はそんなにないだろう。
「…………テオ」
俺が促すと、テオはやっと閉じていた目を開けた。その顔は何かを決意したかのように、真剣さに満ちている。
そして、テオは真正面からヴォルフに告げた。
「お前が、そんな事をする必要はない」
「えっ…………」
ヴォルフは呆然とテオを見上げていた。
それを横で聞いていた俺は、内心安堵していた。
正直俺一人だったらきっとヴォルフを止めきれなかっただろう。
まだサイクロプスは健在だし何も解決していないけれど、不思議とテオの言葉を聞くと、大丈夫だと思える……ような気がする。
「要はあの巨人を倒せばいいのだろう? 俺に任せておけ」
テオは大剣を引き抜くと、不敵な笑みを浮かべた。
「あいつが暴れるかもしれん。お前たちは負傷者を守ってくれ」
テオはそれだけ言い残すと、一目散にサイクロプスに向かって駆け出した。
まったく、来たばっかりで忙しない奴だ。
それでも、俺たちはテオの指示通りに負傷者の避難へと向かおうとした。
あいつなら何とかなる、そう思っているから。
「一体、あの方は…………」
今まで黙って成り行きを見守っていたフリッツが、呆然としたようにそう呟いたのが聞こえた。
まあ、そうだよな。いきなりやって来たやつが一人でサイクロプスを倒しにいくとか意味わかんないよな……。
でも、きっとあいつはやり遂げる。
そう確信していたからこそ、俺は自信満々にフリッツに告げた。
「あいつはな、勇者なんだよ!」
その言葉を聞いたフリッツは、目を丸くしていた。
「は、はぁ……」
フリッツは明らかに困惑していた。
……まあ、それはそうだよな。
◇◇◇
テオに言われたとおり、俺たちは別れて負傷者をより遠くへと避難させていた。
気になってたまにちらちらとテオの様子をうかがっていたが、少しずつサイクロプスにダメージを与えているようだ。
思った通りに善戦している。
この調子だと避難を終えた俺たちが加勢する前に、案外あっさりとサイクロプスに勝ってしまうかもしれないな! なんて甘いことを考えていた。
そう、俺は油断していた。
だから、サイクロプスが両腕を振り上げたのが見えた時も、特に何も構えようとしなかった。
だが、サイクロプスは腰をかがめて、何故かテオではなく地面に勢いよく拳を落とした。
その次の瞬間、今まで経験したことのないもの凄い地響きが俺たちに襲い掛かった。
「うわぁっ!?」
ちょうど俺は傷を負った兵士に治癒魔法をかけている最中で、焼け焦げたブライス城本棟のすぐ近くにいた。
まるで世界そのものを滅茶苦茶に振り回しているような揺れに襲われ、俺も負傷した兵士も地面に転がった。
あちこちに体をぶつけて痛い。
ちらりと見えた周囲の光景の中には、地面に大きく亀裂が入っている所もあった。
なんなんだよ! サイクロプスがこんな技を持ってるなんて知らないぞ!!
「くそっ……私も戦いに……」
「まだ怪我が治ってないのに駄目だって!!」
揺れが小さくなったのを見計らって、俺が治癒魔法をかけていた兵士が立ち上がった。
ドラゴンにやられたのか、かなりひどい怪我を負っているのにふらふらの体で立ち上がろうとしている。
俺は慌てて彼を止めようとした。
「サイクロプスはあいつに任せておけば……っ!!?」
焼け焦げた城の壁に手をついて立ち上がった兵士の真上、さっきの揺れで崩れたのか巨大な瓦礫が彼の上に落ちようとしているのが見えた。
考える暇もなかった。
俺の体は勝手にその兵士の体を突き飛ばし、彼の驚愕したような顔が見えたのを最後に、俺の意識は途切れた。
◇◇◇
「……リス! クリス!!」
ぼんやりと聞こえてきた声に、重い瞼を開けた。目の前では、テオが必死な顔をして俺の手を握っていた。
その向こうでは、さっきの兵士が呆然とした様子でしりもちをついている。
……良かった、あの人は助かったんだ。
そう思った瞬間、全身をものすごい痛みが駆け抜けた。
なんだよこれ、息もまともにできない。というか体が動かない。
どうやら俺はうつぶせに倒れているようだ。
顔と手……体の上半身はわずかに動かせるが、下半身は全く動かない。
……状況から考えるに、俺の下半身はあの落ちてきた瓦礫の下敷きになったんだろう。
「おい! しっかりしろ!! 今上に乗ってるのをどけて……」
「…………サイクロプスは?」
テオはサイクロプスを倒しに行ったはずだった。
こんなところにいちゃいけないだろう。
「ヴォルフとリルカに任せてある!! おい、寝るな!! 目を覚ませ!!」
そんなこと言われても全身がものすごくだるいんだ、今すぐに寝たい。
俺が目を閉じようとすると、テオは必死な顔で俺の手に爪を立ててきた。
……こいつのこんなに必死な顔は初めて見た気がする。
そんなに、俺の状態はヤバいんだろうか。
「俺より……二人の、加勢に…………」
「馬鹿! そんな事を言ってる場合か!! ……おい、クリス!?」
気がかりなのは、今サイクロプスと戦っているらしい二人のことだ。
二人がかりでもあの巨人の足止めをできるかどうかはわからないし、思いつめたヴォルフがまた自分を犠牲にするとか言い出さないかどうか心配だった。
……自己犠牲なんて嫌いだ。大っ嫌いだ。
でも、さっきは体が勝手に動いた。…………何でだろう。
遠くで巨人の唸る声が聞こえた。
駄目だ、あいつを何とかしないと。
「テオ……」
重い体で必死にテオの方へと手を伸ばすと、テオはしっかりと握り返してくれた。
あぁ、テオに言わなきゃいけないことがあるような気がする。それなのにすごく眠い。目も良く見えないし、耳も聞こえない。
そんな状態なのに、口は勝手に動いていた。
自分でも何を言ったのかはわからない。ただ、俺の言葉を聞いたテオが驚愕したように目を見張ったのが見えた。
◇◇◇
体が重い。自分が寝ているのか起きているのかわからない。
……テオはどこに行ったんだろう。
さっきまで体中がひどく傷んでいたはずなのに、今はもう何も感じない。
みんなは、あの巨人はどうなったのだろう。
気になるけど、今はとにかく寝たい。
そんなふわふわした薄れゆく意識の中で、何故か絶命したはずの竜の咆哮が聞こえたような気がした。




