10 異界の巨人
グントラムが死んだ。
突如告げられたその言葉を、俺は信じる事ができなかった。
「ちょ、ちょっと待てよ……死んだって、なんで……」
最後に見た時に、確かにグントラムはひどい傷を負っているようだった。だが、あれはこんなに短時間で死に至る様なひどい怪我だったとは思えない。
だったら、どうして……こんなに急に……。
「先ほどの氷嵐は感じましたか?」
混乱する俺に、フリッツが助け舟を出すようにそう口にした。
声色はいつも通りだったが、その顔はひどくゆがんでいる。
「うん……死ぬかと思った」
「あれが、『破壊の杖』です。一時的にこの大地の……元素の力を集めて放つ強力な技術であり、先ほどの『破壊の杖』の働きで襲撃を仕掛けてきたドラゴンは息絶えました」
やっぱりさっき見た倒れているドラゴンはもう死んでいたようだ。
ドラゴンすら倒す恐ろしく強大な力、それがさっきからフリッツが言っている「破壊の杖」というものなんだろう。
「それって何? 兵器……とかなのか」
「……言葉で説明するのは難しいですね。特定の状況下でのみ発動できる強大な力、といったものです。そして、強大な力を行使した者はそれ相応の反動を受けることになる。あれほどの力となると、通常人間の体では耐えられません。ご主人様はヴァナルガンドを発動させて……亡くなりました」
フリッツは無理やり絞り出したような声でそう告げた。
「そんな……ドラゴンを、倒すために……?」
あの人はドラゴンを倒すために、自分の命を犠牲にしたとでもいうのだろうか。
「……そんなのっておかしいよ! 俺たちは力を合わせてドラゴンを倒したこともある!! もっと……もっと他に方法があったんじゃないか!?」
まったく犠牲が出なかった、とはとても言えないけど、俺たちはミルターナで一度ドラゴンを倒している。
今回だって、グントラムを死なせずにドラゴンを倒す方法があったんじゃないか……そう思って俺はフリッツに詰め寄ったが、彼は俺に冷たい視線を投げかけてきた。
「……あれ以上対処が遅れた場合、いたずらに犠牲を増やすだけです。例えご主人様が生き残ったとしても、他に何人もの命が失われていたでしょう。それに……万が一ここから人里へでも逃げられた場合は更に被害が拡大することになります」
「でも……」
それでも反論しようとした俺は、ヴォルフに肩を掴まれ制止された。
「クリスさん……異世界からの門の開き方の法則を知ってますか?」
「……知らない」
ヴォルフも無理に感情を押し殺したようなひどい声をしている。
いくらな関係が悪かったと言っても、グントラムはヴォルフの身内だ。
ヴォルフはまだ子供で、冷静でいられるわけがないのに。
「一般的に大陸の南より北、西より東の方が門の開く頻度が高いとされています。ユグランスは四国中では最も門が開く頻度が高い。……その中でも磁場の影響で、通常では考えられないほどの時空の歪みが発生する可能性が高い場所がいくつかあるんです」
「それって……」
俺が言おうとしたことが分かったのか、ヴォルフはゆっくりと頷いた。
「そう、ここ……大陸の北端付近のこの場所は大規模な時空の門が開いて、さっきのドラゴンのような非常に危険性の高い生物が現れる可能性が高いんです」
「じゃあ……何でこんな所に城なんて作るんだよ!?」
何でわざわざそんな危ないものが出てくる場所に城なんて作るんだろう。
自殺行為としか思えない!!
そう叫んだ俺を真正面から見据えて、フリッツは口を開いた。
「ヴァイセンベルクの民を、ユグランスを……ひいてはこの世界を守る為ですよ」
「この世界……」
駄目だ、頭が混乱してきた。
いったい二人は何が言いたいんだろう。
「この場所に何もなかった場合、ここに現れたドラゴンは他の場所へ移動し、各地で甚大な被害を生むでしょう。侵入箇所さえわかっていれば、そこで迎え撃てば他所への被害はなくなる。我々は、そのためにここにいるのです」
「……この城を預かる者は、例え自らを犠牲にしてでも侵略者を滅ぼさねばならない……。ヴァイセンベルクの、昔からの掟です」
「なんだよ、それ……」
多くの人を守る為に、グントラムは自らを犠牲にして散った。
人々を守る貴族としては正しい行いだろう。
頭ではそうわかってる、わかってるんだけど、
「やっぱりおかしいよ……」
俺には理解できない、理解なんてしたくない。
そう首を振った俺を見て、ヴォルフは悲しそうに笑った。
「ここは、そういう場所なんです」
何でそんな諦めたような、全てを悟ったような顔をするんだろう。
やめてくれ、お前にはその場所にいて欲しくないんだ。
……いくら他人を守る為とはいえ、自分を犠牲にして欲しくなんてない。
「ヴォルフ……」
そう伝えようとした時に、ぴしり、というまるで張りつめた氷にひびが入る様な奇妙な音が辺り一帯に響き渡った。
「なに……?」
「そんな、まさか……」
フリッツが愕然とした様子で頭上を見上げていた。
つられて俺も視線を上にあげて、そこにあった光景に言葉を失った。
空に、ひびが入っていた。
「一日に二回もっ? そんな馬鹿なっ!!」
常に冷静なフリッツが動揺している。それだけで俺は不安にとりつかれた。
一体、何が起こっているんだ……!?
俺たちが固唾をのんで見守る中で、空のひびは段々と大きさを増していき、遂には小さな穴が開いた。
穴の向こうは夜空よりも真っ暗だ。
そして、その穴の向こうから、碧色の巨大な手のようなものが現れた。
「ひいぃ!?」
巨大な手は穴の縁に手を掛け、まるでこじ開けるかのように力を入れているようだった。
頼む、来ないでくれ……そんな俺の祈りもむなしく、穴はどんどん大きさを増していき、ある程度の大きさになるとすっと巨大な手が引っ込められた。
「あれ……いなくなった……?」
そう思ったのもつかの間、穴の向こうに見えたものに俺は思わずへたり込んでしまった。
空にあいた穴からは、よどんだ一つの巨大な目がこちらを見つめていたのだ。
……これは夢だ。うん、夢に違いない。
そう思い込もうとする俺の思考は、フリッツのつぶやきに遮られた。
「サイクロプス……こんな時にっ!」
「な、何それ……」
フリッツはあの気色悪い巨大な目に心当たりがあるようだ。
……何でだよ。お前のご主人様の城はいつもあんなのに覗かれてるのかよ!!
「……異世界の一つ目の巨人です。……もちろん、僕たちの敵です」
戸惑う俺に、ヴォルフが説明してくれた。
という事は、あの穴が異世界につながっていて、そこからあの気持ち悪い奴がこっちに来ようとしているという事か。
そして、やっぱりこの世界の人たちと友達になりに来た、という訳じゃ無いようだ。
ドラゴンや魔物と同じく、俺たちとは相いれない存在なんだろう。
「…………強いの?」
「先ほどのドラゴン程ではありませんが、この状況では……」
フリッツは半ば絶望したような顔であたりを見回していた。
……もう、この城を仕切っていたグントラムはいない。城の大部分は焼け落ちて、生き残った人たちも満身創痍の状態だ。
あの手や目の大きさから考えると、そのサイクロプスとかいう巨人の大きさは相当なものだろう。
こんな状況からいったいどうやって、そんなヤバそうな巨人を倒せるというのだろう。
「なぁ、どうしよう…………ヴォルフ……?」
ヴォルフは強く唇を噛みしめて、上空の穴を凝視していた。
あの気色悪い目は引っ込んでいたが、またサイクロプスは穴を広げようと手をこちらに伸ばしていた。
ゆっくりと、だが確実に穴は広がっている。
このままだと、そう遠くないうちにサイクロプスはこちらの世界へやって来るだろう。
「僕が……」
ヴォルフがぽつりと呟いた。俺とフリッツは上空の穴から視線を外して、ヴォルフへと注意を向けた。
ヴォルフの顔は、気の毒なほどに真っ青だった。
きっと寒さのせいだけじゃない。あの今にもこちらへとやってきそうな巨人のせいだろう。
そして、ヴォルフはぐっと拳を握りしめるとはっきりと告げた。
「僕が、破壊の杖を発動させます」
その言葉で、フリッツが息をのんだのが分かった。
――破壊の杖を発動させる。
破壊の杖はさっきグントラムが使ったものすごく強力な力の事だと教わった。
そして、その力を使ったグントラムは死んだ。
……ということは、その力を使ったらヴォルフも同じように……
「駄目だっ、やめろ!!」
そう頭で理解した瞬間に、俺は必死にヴォルフの両肩を掴んでいた。




