8 スコルとハティ
二匹の子犬は、俺に向かってぶんぶんと尻尾を振り続けている。
おかしい。さっきまでこの空間には、俺たち二人とフェンリルしかいなかったはずなのに。
「……………なに?」
『スコルと』
『ハティだよー』
『『よろしくねー』』
「よ、よろしく……」
別に名前を聞いたわけではなかったのだが、子犬たちが自己紹介をしてくれたので思わず応えてしまった。
屈みこむと、子犬たちは嬉しそうに俺の足にじゃれ付いてきた。
そっと撫でると、ふわふわなのにどこかひやりと冷たい不思議な感触が伝わってくる。
『ところで、君の名前は?』
「……クリス」
『クリスか。よーし!』
子犬たちはふんっ! と体に力を入れたように見えた。
その瞬間、両手の甲にじんじんとした痛みを感じた。
「な、何っ!?」
こわごわと見守る俺の前で、両手の甲にはさっきヴォルフの手の甲に現れたのよりも少し小さい謎の模様が刻まれていた。
「え……?」
『契約完了! これでよーし!』
「ちょ、ちょっと待てよ! 何が起こってるんだ!?」
何でいきなりフェンリルはおとなしくなったんだ!?
この謎の模様は何なんだ!?
「それに、お前たちは何なんだよ!?」
しゃべる子犬なんて今まで見たことがない。
なんでいきなりこんなところに現れて、なんで俺にまとわりついて来るんだ!?
『えーとねー。ヴォルフリートとフェンリル様が契約したでしょー?』
『それで、フェンリル様がクリスのはヴォルフリートの……なんだっけ』
『眷属、じゃない? ボク達と同じ』
『そっか! そうだった気がする!!』
二匹の子犬はなおもぺちゃくちゃと話を続けていたが、俺は慌てて二人の会話に割って入った。
「ちょっと待て! ヴォルフがフェンリルと契約したって!?」
『そうだよー、クリスも見たでしょー? ヴォルフリートの手に紋が刻まれるの』
『あれはねー契約の証なんだよー!』
子犬たちは楽しそうにキャンキャンと鳴いている。
それでも、俺は二匹の発した言葉を理解するのに時間がかかった。
ヴォルフとフェンリルが契約?
……え、でもそれっておかしくない?
「俺たち、ぼろ負けだったじゃん……」
精霊に自身の力を示し、認められれば契約が完了するとフリッツは言っていた。
でもさっきの戦いでは、お世辞にも俺たちはフェンリルに対して認められるほどの力を持っているとは思えなかった。
そう口に出すと、二匹の子犬はふふん、と笑った。
『ヴォルフリートは勘違いしてたみたいだけど、力って別に相手を倒して屈服させるだけの力じゃないんだよね』
『フェンリル様が重要視するのは守る力。ヴォルフリートは実力的にはまだまだだけど、身を挺してクリスを守ろうとしたのが評価されたんだよー』
『『よかったねー』』
「なんだよ、それ……」
そんなの最初に教えてくれよ! 死ぬかと思ったじゃん!!
でも、無事に終わったようなら良かった。俺はほっと胸をなでおろした。
ヴォルフは無事にフェンリルと契約できて、それで……
「えーっと……スコルとハティだっけ……?」
フェンリルの眷属とか言ってたし、どうみても子犬にしか見えないけど、この二匹も精霊なんだろう。……たぶん。
二匹を指差しながらそう尋ねると、どうやら逆に覚えていたようで二匹には憤慨されてしまった。
『ちがうよー! ボクがスコルで』
『ぼくがハティ』
どうやら灰色の方がスコルで、黒い方がハティらしい。
まあどっちがどっちでもいいんだが。
「スコルとハティもヴォルフと契約したのか?」
『ボクたちが契約したのはクリスだよー。クリスはヴォルフリートの眷属だから、フェンリル様の眷属のボクたちと契約を結ぶんだー』
『ほら、手の紋みてよ』
「…………これ?」
確かに俺の両手の甲には謎の紋が刻まれている。これが契約の証なのだろうか。
……それより眷属って何だ。
俺はヴォルフの配下とか部下だと思われてるのかよ!
「まぁ……よかったんじゃないですか。どうせなら有難く力を貸してもらいましょうよ」
いつの間にか、ヴォルフが俺のすぐそばに立っていた。その横には、あの美しい精霊フェンリルの姿もある。
どうやら本当に契約が成功したようだ。
「俺……精霊を使役とかよくわからないんだけど」
そう呟くと、フェンリルがグルル……と喉を鳴らした。
もしかして怒らせたか!?
「スコルとハティはまだ子供なので、一緒に成長していけば良い……と言ってます」
「へぇ……ってお前、フェンリルの話してるの意味わかるの?」
俺にはただ唸ったようにしか聞こえなかったが、ヴォルフには理解できているようだ。
どういう仕組みなんだろう。
「直接契約を結ぶと、その精霊に限って意思疎通が図れるんです。だから、僕には逆にその小さい二匹が何を言っているかはわからないんですよ」
「そういうものなのか……」
原理はよくわからないが、人と精霊が言葉を交わすには契約を結ぶ必要があるらしい。
精霊同士なら普通に話せるようなので、俺はスコルとハティに通訳してもらえば他の精霊の言葉もわかるという訳だ。
そういえば、リルカもよくその辺りの精霊と話をしていた。
今思えば、リルカ自身も精霊だったからできた事なんだろう。
「さぁ……戻りましょう。これでグントラムにも文句は言わせません」
「頼むぞ、お前に俺の命がかかってるんだからな……!」
無事にフェンリルと契約ができたので、後はグントラムに俺の無実を納得させてここから出ていくだけだ。
もう少し、もう少しで自由になれる……はずだ!
◇◇◇
もうほとんど日は落ちかけていたが、四人の兵士たちは律儀に洞窟の外で待っていてくれていた。
俺とヴォルフが洞窟から出ると、彼らは一様に安堵したような表情を浮かべた。
「ヴォルフリート様! もう駄目かと思いましたよ~」
「いや、俺は信じてましたからね!!」
ヴォルフの後ろからフェンリルがのそりと姿を現すと、彼らは感嘆の声をあげた。
「それが……神獣フェンリル?」
「ああ、心配をかけて済まなかったな。この通り、無事に契約は完了した」
兵士たちはフェンリルに畏れをなしたように突っ立っている。その中の一人が、俺の足元にじゃれつくスコルとハティに気が付いた。
「クリスさんのその足元の犬は……」
「えっと、この子たちも精霊なんだ」
「……クリスさんに、よくお似合いですね」
兵士は曖昧に笑った。
……なんだその反応は。どうせ俺にはかっこいい神獣よりもちんまい子犬の方が似合うだろうよ!
俺が拗ねたのに気が付いたのか、別の兵士が空気を変えようとするかのように声を張り上げた。
「さぁ、城へ帰りましょう!」
そうして、俺たちは足取りも軽くブライス城への帰路を歩み出した。
まあ帰りは下山ルートなので行きよりは楽なのもあるが、気分的にも体が軽くなったような気がする。
もうグントラムなんて怖くない!
こっちには精霊が三匹もいるんだ。どこからでもかかってこいよ!
ちなみに、精霊は普段から姿を現しているわけではなく、契約者が呼んだり精霊の気分次第で姿を現すらしい。
どうやら人に見えるように姿を現すのも力を使うようで、今はフェンリルもスコルとハティも姿を消している。特にスコルとハティはまだ子供なので、長くは姿を現していられないようだ。
まあ、あんなの連れて歩いてたら目立ちまくりだからいいんだけど……。
そうして下山を続けるうちに、俺たちは山の下の方が随分と明るくなっているのに気が付いた。
「なになに、お祭り?」
「いや、この場所にそんな愉快な風習は……」
その時、天地を揺るがすような咆哮が一帯に響き渡った。
俺は思わずその場にしゃがみこむ。
「な、なに……?」
「まさか……」
ヴォルフの表情が硬い。兵士たちも、何かを悟ったかのようにそれぞれの武器に手を伸ばしている。
そして、木々の狭間からそいつの姿が見えた。
下からの明かりに照らされたのは、青色の大きな翼と無数の鱗だ。
俺たちには気が付いていないのか、一心不乱に地上に攻撃を仕掛けているように見える。
ラヴィーナの街で見たのと同じような、巨大なドラゴンがそこにはいた。
「そ、んな……何でっ……?」
俺は周りが制止するのを無視して城の方へと近づく。
そして、木々が途切れた先に見えたのは、真っ赤に燃え盛るブライス城の姿だった。




