5 そういう場所
「…………え、えぇぇ!?」
当主の弟が叔父、という時点で予測はできたけど、実際に本人の口からそう聞くと中々その言葉を受け入れられなかった。
ヴォルフがなんかすごい貴族の当主の子供だって……?
今までそんな事、ひとことも言わなかったじゃないか…………!!
「ちょ、ちょっと待てよ……だってお前、じゃあ何でミルターナに……」
俺がこいつの家族について知っているのは、ミルターナで面倒を見てくれていた女性が少し前に亡くなったという事だけだ。
それ以外は何も聞いたことがなかったので、なんとなく天涯孤独の身なのかな、とか勝手に思い込んでいた。
リルカもいた事だし、家族について突っ込んだことを聞くことは避けていたんだ。
それなのに……まさか、そんなすごそうな貴族の家の子供だったとは!!
「僕の母親……妾なんですよ」
「妾……」
ヴォルフは話しにくそうに、ゆっくりと口を開いた。
俺の住んでいた場所では、特に禁止されているわけではないが一夫一妻が基本だった。まあ、経済状況的にそう何人もの女性の面倒を見れないってのが一番の理由なわけだが。
でも、金を持ってる貴族や商人は何人も奥さんがいるという話も聞いたことがある。
だから、話に聞くヴァイセンベルク家みたいにすごい貴族の家なら、妾がいても不思議じゃないんだろう。
俺には馴染みが薄すぎていまいちぴんと来ないけど……。
「母は、僕が小さい頃に死んだので詳しい事はわからないんですけど……たぶんあまりよくない出自だったんだと思います。僕も昔は本邸で父や兄たちと一緒に住んでいたんですけど、たぶん父は僕の存在が疎ましくなって……何年も前にここに預けられた、というか閉じ込められたんです」
「そんな事が……」
親戚の叔父さんの家に預けられる、といえばそんなにおかしな気はしないけど、確かにこんな外界と隔絶された場所なら閉じ込められた、という表現の方がぴったりなのかもしれない。
しかもその叔父さんはお世辞にも甥を可愛がっている……というようには見えなかった。
躊躇なく腹に穴をあけるくらいだし、あまり関係はよくないんだろう。
「それで、何でミルターナにいたんだよ」
ヴォルフがヴァイセンベルク家の生まれで、ここに預けられたまではわかったけど……いや、実際は今でも信じられないんだけど……それにしても何でこいつは家族から離れてミルターナにいたんだろう。
地理的にもかなり離れてるはずなのに。
そう思って聞くと、ヴォルフは部屋に残っていたフリッツにちらりと視線をやった後、弱冠気まずそうに小声で呟いた。
「……逃げ出したんです」
「逃げたって、何から……」
「ここって、寒いし薄暗いし……叔父はあんな人だし、嫌になったんです。それで近くの山中でちょうど行商人をやってたノーラに会って……そのまま着いて行ったんです」
「そ、そうか……」
規模は大きいが、反抗期の子供にありがちな家出だったというわけか。俺にも覚えがあるぞ。俺は半日で帰ったけど。
まあ、でもヴォルフの気持ちもわからなくはない。俺だってずっとここで暮らせなんて言われたら嫌だし、特にあの叔父さんと一緒なんて息がつまりそうだ。
「今まで話してなかったのは……もう自分はヴァイセンベルク家と無関係の人間だって思ってたからなんです。ここにも二度と帰らないつもりでしたし」
「………………ごめん」
俺はヴォルフの過去を、叔父や他の家族との間に何があったのかは知らない。
でも、まだ十五そこそこの子供が二度と帰らないつもりだった……と言うからには、きっと俺が想像もつかないくらいの確執があるんだろう。
それなのに、俺がうっかりこんな所に来てしまったせいで、ヴォルフはここに戻ってくる羽目になってしまったんだ。
「別に、あなたのせいじゃない」
「でも……」
やっぱり俺のせいじゃん……と言おうとした途端、前触れもなく部屋の扉が開く音がした。
何気なく振り返った俺は、そこに現れた人物を見て思わず小さく悲鳴を上げてしまった。
現れたのはこの城の主、ヴォルフの叔父であるグントラム・ヴァイセンベルクその人だったのだ。
「っぁ…………」
「何の用ですか」
首をはねられかけた時の恐怖を思い出し、思わず後ずさってしまった。
だがそんな俺とは対照的に、ヴォルフはベッドから立ち上がると堂々とグントラムを睨み付けた。
……こいつ、腹に穴が開いてるはずなのに、普通に立ち上がって大丈夫なんだろうか。
「その女の処遇を伝えに来た」
グントラムの鋭い視線に射られただけで、俺は体が凍りついたように動かなくなってしまった。
それに対して、ヴォルフはグントラムの言葉を鼻で笑うと挑発でもするかのように一歩近づいた。
「へぇ……城主様自らいらっしゃるなんてよっぽど暇なんですね」
おい、ちょっと待て……。何でわざわざ煽る様な言い方するんだよ!?
視界の端でフリッツが呆れたような顔をしたのが見えた。
どうやら彼も俺と同じような事を考えたようだ。
「侵入者を生かしておくわけにはいかん。その女は一週間後処刑する」
この場に女の人はいないし、その女、というのはたぶん俺の事だろう。
一週間後、俺は処刑される。
「…………ぇ?」
「ちょっと待ってください!!」
グントラムの宣言に、ヴォルフは焦ったように彼に詰め寄った。
「この人は密偵じゃない! 僕が証明します!!」
「……それに何の意味がある?」
冷たく告げられた言葉に、ヴォルフの勢いが止まった。
「何の、意味って……」
「忘れたのかヴォルフリート。お前はまだ正式なヴァイセンベルクの人間と認められていないことを」
「そ、れは……」
ヴォルフは怯えたように一歩後ずさった。その肩が小さく震えている。
……さっき殺されかけた時でさえ、こんなに動揺はしていなかったのに。
それに、正式なヴァイセンベルクの人間と認められていないってどういう事なんだろう。
やっぱり母親が妾って事で冷遇されているんだろうか……。
「そんな奴の言うことなど聞くに値せん。用件は以上だ。……話を通したいのならそれなりのものを見せてみろ」
グントラムはそれだけ言うと、あっさりと部屋を出て行ってしまった。
ヴォルフはじっと立ったまま俯いている。
「……大丈夫か?」
おそるおそる顔を覗き込んで、俺は驚いた。
ヴォルフは血が出そうになるほど唇を噛みしめて、グントラムが出て行った扉を射殺すような目つきで睨み付けていた。
その人でも殺せそうな目つきだけは、あの怖い怖い叔父によく似ていた。
その時、俺は初めてヴォルフの事を恐ろしいと感じた。
今まで、一度だってそんな事を思った事はなかったのに。
「……クリスさんはここで待っててください」
「な、何するつもりなんだよ……」
「大丈夫、僕があなたを処刑させたりなんてしない。……絶対に」
ヴォルフはそれだけ言うと、扉を蹴破る勢いで部屋の外へと飛び出して行った。
あまりに突然で、俺は止めることすらできなかった。
「……まったく、ヴァイセンベルク家の方は激情家ばかりで困りますね」
部屋に残っていたフリッツが、やれやれと言わんばかりに肩をすくめる。
その言葉で俺ははっと我に返った。
そうだ、ヴォルフはまだ満身創痍の状態で、またグントラムと戦うようなことになったら今度こそ本当に死んでしまうかもしれない……!
「と、止めないと!」
「待ちなさい。あなたはまだ侵入者として扱われているのですよ? それが無駄に城内をうろうろすればその疑いに拍車をかけることになります。……せっかくのヴォルフリート様の尽力を無駄にしたいのですか?」
「……え?」
言われた意味がよくわからずにフリッツを振り返ると、彼は呆れたようにため息をついた。
「ヴォルフリート様はあなたの身の潔白を証明する為にご主人様の所に行かれたんですよ。……安心してください。お二人とも、少なくとも城内で殺しあうような真似はしないでしょうから」
なんか、その言い方だとまるでフリッツは俺がわざとここに侵入したんじゃないってわかっているように聞こえる。
……どういうことなんだろう。
「なあ、あんたは俺の事、ここを探りに来た密偵だと思ってるのか?」
「まさか。あなたのように間抜けな間諜を送り込む輩はさすがにいないでしょう」
「それって……」
なんかすごく失礼なことを言われた気がするが、やっぱりこいつは俺が密偵じゃないってわかってたんだ!!
「じゃあ、あのご主人様とやらにそう言ってくれよ!」
「もちろん、ご主人様もご存知ですよ。本気で疑っているのなら、猶予なんて持たせずにあなたはとっくに殺されています」
「えっ」
ちょっと待てよ、どういう事だ?
俺がここを探りに来たんじゃないってわかっているのなら、なんで……。
「何で、俺の事処刑するなんて言ったんだよ……」
「あなたを引き合いに出せばヴォルフリート様が動くとわかったからでしょう。いわば、あなたはヴォルフリート様を引きずり出すための駒なんですよ。……ただ、勘違いしないでください。ご主人様は一度口に出した事は必ず実行されるお方です。ヴォルフリート様がご主人様の決定を覆せなければ、予定通りあなたは処刑されますので」
「なっ……!?」
事も無く告げられたフリッツの言葉に思わず絶句してしまう。
あのグントラムとかいう奴にとって俺の存在なんて、ヴォルフを動かすための駒でしかなくて、別に死んでしまっても問題ないとみなされているわけか。
……何だよそれ。フリッツも、グントラムも俺が無実だってわかっているのに、それでも殺そうとするなんて……。
人の命を、そんなに軽く扱うなんて、
「おかしいよ、そんなの……」
呆然とそう呟くと、フリッツはあきらめたように笑った。
「疑わしきは殺せ、使えるものは何でも使え。……ここは、そういう場所なんですよ」
フリッツの言葉に俺が絶句している間に、部屋の扉が再び開かれた。
やってきたのは、何やら思いつめたような顔をしたヴォルフだった。




