1 北の守護者
「おい、ふざけるなよ貴様! フリジアからここまで来るのにいったい何日かかると思ってるんだ! せめてもう少しまともな嘘をつけ!!」
兵士がいらだったように机を殴りつけ、俺はびくりと身をすくませた。
なすすべもなく集まった兵士たちに縛られた俺は、あの小屋から少し離れた所にある城……というか砦のような場所へと連れてこられた。
俺が頑張って歩いても全然見つからなかったのに、意外と近い所にこんな大きな建物があったようだ。
その中の一室に放り込まれ、ずっとこうやって尋問を受けているという訳だ。
下手な事を言うと本当に殺されかねないような雰囲気だったので、俺はここに来た経緯を包み隠さずすべて話した。
フリジアのアムラント大学にいたんだけど、崖から落ちたと思ったらここにいました!……という感じに。
もちろん、信じてもらえるわけがなかった。
「吐け。貴様どこの家のものだ?」
「だからそういうのじゃないんですって!!」
喉元に剣を突き付けられて、俺は思いっきりのけぞった。
「ちょっと! まだ本当に迷い人の可能性もあるのだから、あまり乱暴な真似は……」
「ふん、正気か? 偶然こんな所に迷い込むはずないだろう! だいたいこんな軽装でここに来られはずがない。おい、貴様どんな手を使ってここに忍び込んだ?」
部屋の隅に控えていた女性が止めに入ったが、尋問する男はもう完全に俺を侵入者だと決めつけているようだ。
たぶん無駄だろうな、と思いつつも俺は何度もした主張を繰り返した。
「だから、気が付いたらここにいたんですって!! ちょっと前まで、俺はフリジア王国のアムラント島にいたんです!」
「戯言を! そんなでたらめが通用すると思うのか!? 貴様の後ろにいるのは誰だ?」
「ひっ……!」
剣先が喉元をかすり、ピリリとした痛みが走る。
……この人は本気だ。本気で俺を殺しても構わないと思っているんだ。
恐怖に身がすくむ。どうしよう、いったいどうすれば……。
そう考えた時、がちゃりと音がして部屋の扉が開き、身なりの良い若い男が入ってきた。
「おい、下がれ」
「フリッツ様!? しかし、まだこの者がどこの者か……」
俺に剣を突き付けていた兵士が狼狽しだす。
だが、入ってきた男は極めて冷静に告げた。
「ご主人様がお戻りになられた。直に侵入者の確認をされるそうだ」
それを聞いて、部屋の隅に控えていた女性が息をのんだ。剣を突き付けていた男の表情が固まる。
俺は何が起こっているのかさっぱりわからなくて、ただ成り行きを見守るしかなかった。
「それは……また……」
男は呆然とそう呟き、俺から剣を引いた。
俺は大きく息を吐いた。少しはマシな状況になった、と思ってもいいんだろうか。
「喜べ。ご主人様自ら貴様を裁いてくださるそうだぞ。身に余る光栄だと思え」
さっきまで俺の尋問を担当していた男が、にやにやと笑いながら見下ろしてきた。
……彼の表情を見る限り、どうやら事態が好転した、という訳ではなさそうだ。
兵士が部屋を去り、控えていた女性も何か用があったのか慌ただしく部屋を出て行った。
ここに残されたのは、俺と身なりの良い若い男だけだ。
「……あのー」
「どうかなさいましたか」
無視されるかな、と思ったが案外普通に反応してくれた。
いきなり人を縛り上げておいてどうかしたもなにもないような気もするが、少なくともさっきの男よりは話が通じそうだ。
とりあえずこの人に聞けそうなことは聞いておこう。
「ここはどこで、あなたは誰なんですか!?」
言葉は通じるし、他の大陸とか異世界とかに来てしまったわけじゃなさそうだ。
それでも、俺にはここがどこだかさっぱりわからなかった。
さっきの尋問で、入ってはいけない所に入り込んでしまったという事だけはなんとか理解できたけど。
「ここはブライス城。私はここにお仕えするフリッツ・バーゼルトと申します。どうぞお見知りおきを」
「ど、どうも……」
フリッツと名乗った男が丁重に頭を下げたので、俺もつられて縛られたまま不格好に頭を下げた。
……いや違う! 今聞きたいのはそんな事じゃないだろ!!
「そのブライス城ってどこにあるんですか!? アトラ大陸の中なんですよね!?」
「……そこからですか」
フリッツは俺の言葉に目を丸くしたが、嫌がることもなく答えてくれた。
「ユグランス帝国はわかりますか?」
「……わかります」
「ではヴァイセンベルク領については?」
「……わかりません」
なんか聞いたことがある、というかさっきの男達が散々ヴァイセンベルクがどうのこうのと言っていたが、俺にはそれが何を指すのかよくわからなかった。
このあたりの地名だろうか。
「ユグランス帝国の北方にヴァイセンベルク家、という家が支配する地域があるのです。ここはその中でも帝国最北端付近の、ヴァイセンベルク家の所有する城の一つです」
「……ユグランスの最北端?」
頭の中に地図を思い浮かべる。
おかしい、どうかんがえてもアムラント島とはめちゃくちゃ離れてるじゃないか……!
なるほど、さっきの奴らが俺を嘘つきだと決めつけるわけだ。
「あの、さっきも言ったんですけど本当にわざとここに侵入したわけじゃないんです! 気が付いたらここにいて……」
必死にそう訴えると、フリッツはじっと見定めるような目を俺に向けた。
「あなたにどんな理由があるのかはわかりません。ただ、あなたの処遇についてはご主人様が決められますのでご承知おきください」
「……ご主人様?」
そう聞き返した時、扉の外がにわかに騒がしくなった。
「ちょうど到着されたようです。疑問点等は直接尋ねられてはいかがでしょうか」
フリッツが扉を開けると、何人かの兵士たちがぞろぞろと入ってきた。
そして、その兵士たちの後ろにその男はいた。
まず気圧されるのが、野生の鷹を思わせる鋭く突き刺さるような目だ。
その目を見た瞬間、俺の体は固まった。
心なしか、周囲の温度すら下がったような気すらしてくる。
年は40代か50代か、くすんだ灰色の髪の毛に同じ色の髭を持っている。
体格のいい、見るからに強そうなまるで野生動物のような雰囲気をまとった男だ。
男は睨み付けるように室内を見まわすと、俺の正面に進み出た。
説明を受けなくたってわかる。
この男が、フリッツの言っていた「ご主人様」だろう……。
男はじろりと俺を一瞥した。
それだけでヘビに睨まれたカエルのように動けなくなってしまう。
目の前にいるのは普通の人間のはずなのに、まるでドラゴンか何かと対峙しているようの威圧感に襲われる。
「おい、縄を解け」
「し、しかし……」
「聞こえなかったのか?」
「はっ、ただいま!!」
何故か男は近くにいた兵士に、俺の縄を解くように命じた。
……あれ、もしかして雰囲気は怖そうだけど結構いい人なのか?
俺の心に少しだけ希望が見えてきた。
性急に縄が解かれ、やっと自由になった。ぶらぶらと手首を振ってみたが特に異常はなさそうだ。
俺は「ご主人様」に礼を言おうと立ち上がった。
「あの、ありがとうござい……っ!!?」
立ち上がった瞬間、手首をものすごい力で握られた。
締め付けられた骨が嫌な音を立てる。
冗談じゃなく、このままだと骨が折れてしまう……!
「い、痛い痛い!!」
「探知機か、小賢しい真似を……」
そうだ、男が締め付けている俺の手首には、アムラント大学でもらったバンクルがまだはまっている。
「……っあああぁぁぁ!!!」
男が一瞬、ものすごい力で俺の手首を締めつけた。
あまりの痛みに堪えられずに悲鳴を上げてしまう。
それと同時に、圧迫されたバンクルがぱきん、と音を立てて割れた。
そして、やっと手首を解放された。
思わず地面にへたり込んでしまう。締め上げられた手首にはくっきりと赤い跡がついていた。経験したことのない痛みと恐怖で涙がにじむ。
なんで、どうして俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだろう……。
「ご主人様、どうでしょうか」
「魔術師どもの魔法道具だろう。あの国が何を考えてるのかは知らんが、舐めた真似をしてくれる……!」
男が俺の前にかがみこむ。
次の瞬間、男の右手が俺の首に食い込んでいた。
「やっ……やめっ……!」
そのままギリギリと首を締め上げながら片腕だけで体ごと持ち上げられた。
苦しい、息ができない……!
何とか首を締め上げる手を外そうと必死に爪を立てるか、男には痛くもかゆくもないようで、締め付けられる力は強くなるばかりだ。
本気だ。この男は本気で俺を殺すつもりなんだ……!
「魂ごと凍らせてくれる……!」
男が俺の顔の目の前に左手を掲げた。
その瞬間、俺の体が足先からすっと冷たくなり、凍りついたように動かなくなった。
それでも、そんな体の変化よりも、俺は男が掲げる左手にはめられた指輪に意識を奪われた。
男の薬指には、見覚えのある蒼く光る石が特徴的な指輪がはまっていた。
俺はその指輪を知っていた。ヴォルフが持っている、フィオナさん曰くちょっと危険な指輪とそっくりだったのだ。
「そ、れって……ヴォルフ、の……」
薄れゆく意識の中で何とかそう口にすると、途端に男の表情が変わった。
目を見開いて、信じられないものを見るような目で俺を見た。
次の瞬間、俺の体は勢いよく床に叩きつけられていた。
痛みに息が詰まったが、やっと解放された反動でげほげほとせき込みながらも必死に息を吸った。
「貴様、どこでそれを……いや……そういう事か……!」
男はぶつぶつよくわからないことを呟いたのち、何がおかしいのかくくく、と笑い始めた。
「この女は殺さずに幽閉しておけ。面白いものが釣れるかもしれん」
男は低い声でそれだけ告げると、俺のことなど振り返りもせずに部屋を出て行った。
固唾をのんで成り行きを見守っていた兵士が数人、慌てたようにその後を追っていく。
「……という訳ですので、あなたの身柄はヴァイセンベルク家が預からせていただきます」
扉が閉まるのを見計らったかのようなタイミングで、部屋の隅に控えていたフリッツが事務的にそう告げた。
俺はその言葉を聞きながら、未だに床に倒れ込んだまま荒く息を吐いていた。
取りあえずは殺されずに済んだ。でも、まだ安心はできない。
あの人は俺を殺すことに何のためらいもなかった。
今でも恐怖でがくがくと体が震える。
ここはみんなのいるアムラント島から遠く離れた地で、居場所を知らせるバンクルも破壊されてしまった。
……たぶん助けは期待できないだろう。
絶体絶命、これは俺史上最大のピンチかもしれない……!




