11 草原の町
《ミルターナ聖王国東部・サビーネの町》
倒れていた子供を見つけてからの俺たちは、さっきまで延々と迷っていたのが嘘のようにすぐに近くの町まで辿り着くことができた。
なんだか腑に落ちない。変な魔法でも掛けられていたみたいな気すらしてくる。
「まあ、良かったじゃないか。こいつを休ませなければならんし、おまえも疲れていただろう?」
「そうだけどさー」
サビーネは草原と森に囲まれた小さな町だ。町はずれにはこぢんまりとした教会が建っている。
『アトラ大陸の歩き方~ミルターナ編~』によると、草団子のスープがうまいらしい。
だが、今は観光より先にやらなければならないことがある。
「それで、その子どうすんの?」
テオはまだ拾った子供を担いだままだ。
事情を知らない人から見れば誘拐犯だと思われかねないな。早く何とかせねば。
「とりあえず宿屋で休ませよう。目が覚めれば自分の家くらいはわかるだろう」
「りょうかーい」
歩いていると、すぐに宿屋は見つかった。
宿屋、初鶯亭――町と同じくこぢんまりとしているが、中々綺麗そうな場所だ。
今日はここでゆっくり休もう。
「いらっしゃいま……!」
入口の扉を開けると、中で机を拭いていた妙齢の女性が振り返ってにこやかに俺たちに声を掛けた。
……が、その表情はテオを見て固まった。正確にはテオの肩に担がれている子供を見てだ。
やばい、はやくも誘拐犯だと思われたか!?
「ヴォルフ!!」
女性は手に持っていた布巾を放り出すと、血相を変えて俺たちの所へ走ってきた。
いや、正確にはテオが担ぎ上げている子供の所へ、だ。
「ああ、ヴォルフ!! いったいどうしたの!!」
「この子を知っているんですか? 外の草原に倒れていたんです」
テオがそう説明すると、女性は泣きそうな顔で何度もお礼を言った。
「ああ、旅の方、どうもありがとうございます……」
「礼には及びませんよ。それより、早くこの子を休ませましょう」
女性はすぐに部屋を用意すると言って走って行った。
俺は安心した。これでこの子は家に帰れるだろうし、俺たちが犯罪者扱いされることもなさそうだ。
「お前、良かったなー。起きたら俺たちに感謝しろよ?」
つんつんと子供の頬をつついたが、一向に目を覚ます気配はない。よっぽど疲れているようだ。
そうこうしているうちに、宿屋の女性が俺たちを呼びに来た。部屋の準備が整ったようだ。
◇◇◇
「この子はこの街の子供ですか?」
ベッドに子供を横たえて、すぐにテオはそう質問した。
宿屋の女性は少しうつむきがちに口を開いた。
「はい……、名前はヴォルフ・クローゼ。私もよく知っています」
「そっか、それじゃあこの子の家族が心配してたりするんじゃ……」
俺が何気なくそう口にすると、女性は目を伏せた。
「それが……この子のたった一人の育て親が、少し前に亡くなっていまして……」
「そんなことが……」
俺は思わず口ごもった。
たんなる迷子かと思っていたこの少年がそんな境遇だったとは露ほども思わなかった。
何て言ったらいいのかわからない。
「どうしてこの子が一人で町の外に出ていたのか心当たりは?」
黙りこんだ俺に代わって、テオは宿屋の女性にそう尋ねた。
「わかりません。ノーラ……この子の育て親が亡くなってからは、急に町の外に出て行くようになって……。何人もの人がノーラが亡くなった後に、一緒に暮らそうとこの子に声を掛けたんですが、それをみんな断って、皆が止めても町の外に出て行ってしまうんです……」
今回も何日か前に姿が見えなくなって、皆で心配してたんです、と女性は続けた。
俺はじっと眠る少年の姿を見つめた。
彼は何を思ってあんな草原のど真ん中に行ったんだろうか。
単なる家出かと思ったが、それにしてはあんなに何もない所に行くのは妙な気がした。
早く起きろよ。この宿屋の人も、きっと他にも町の人とかが心配してるぞ。
「私、食事の用意をしてきます。すみませんが、少しの間だけこの子の事を見ていただいてもよろしいでしょうか……?」
ふと思い立ったかのように、宿屋の女性はそう口にした。
この子供が目を覚ました時に、何か食べさせてあげたいと思ったのかもしれない。
もちろん俺にもテオにも異論はない。俺たちが了承すると、彼女はほっとした顔をして部屋を出て行った。
「うーん、起きないなー」
子供の顔をじっと覗き込んでも、ぺたぺたと手で触ってみても目を覚ます気配はない。
呼吸は安定しているので体調が悪いわけではなさそうだ。
……まさか寝たふりでもしてるんじゃないだろうな?
「疲れているんだろう。寝かせといてやれ」
「でもさぁ、何であんな所にいたのか気になるじゃん」
「お前の言った通り宝探しでもしてたんじゃないか?」
テオはそう呟いたが、その口調からは到底宝探し説を信じているようには聞こえなかった。
「水をもらってくる。おまえはそいつを見ててくれ」
「あ、うん」
そのままテオも部屋を出て行ってしまった。
本格的にやることのなくなった俺は、窓の外の景色でも見ようかと椅子から立ち上がりかけた。
その時だった。
「う…………」
微かに呻くような声が俺の耳に届いた。
慌てて少年の顔を覗き込むと、彼は眉を寄せて身じろぎをしていた。
そして、間もなく彼の瞳が開かれる。
灰色、というよりは銀色に近いだろうか。
吸い込まれそうな色をした瞳は寝起きで焦点が合っていないようだ。
「おーい、大丈夫かー?」
声を掛けると、ゆっくりと顔がこちらに向けられる。
まだ状況がよくわかっていないのか、ぼんやりとした瞳で俺を見ている。
「…………し……」
「えっ?」
子供は何かを言ったようだが、よく聞こえなかった。
もっと良く聞き取ろうと顔を近づけた俺の方に、彼の手が弱弱しく伸ばされる。そして、
「いってええぇぇぇえ!!!」
思いっきり髪の毛を引っ張られて、俺は思わず悲鳴を上げた。
クソ女と入れ替わってしまった今の俺の髪は、腰まで届く……とまではいかないが、かなり長い。
それに自分で言うのもなんだが、その淡い金色は綺麗だし手触りも滑らかだ。
思わず手を伸ばしたくなる気持ちはわからないでもないが、いきなり全力で引っ張るなんて何を考えているんだこいつは!!
「いたたた……! おい、何すんだよ!!」
「え…………ええぇ!?」
俺が髪を守りつつ怒鳴ると、少年はやっと状況を把握したようだった。
勢いよく起き上がると、そのままベッドから立ち上がって俺から距離を取った。
「だ、誰だあんた!!」
ああ、なんかもう面倒くさい!
何故善意で行き倒れていた子供を助けた俺が(実際運んできたのはテオだけど)、髪を引っ張られた挙句にこんなに警戒されなくてはいけないのか!
俺が大きくため息をついたのと同時に、声を聞きつけたのか宿屋の女性とテオが勢いよく部屋の扉を開けた。
女性はベッドの傍に立っている少年を見つけると、感極まったようにすごい速さで走り寄って彼に抱き着いた。
「ヴォルフ!! もう、心配したのよ!!」
「キ、キアラさん……苦しい……」
先ほどの手負いの獣のような雰囲気はどこへ行ったのか、少年は宿屋の女性に抱き着かれて、どうしたらいいのかわからないような顔をしている。
羨ましい奴め。俺は髪の毛を引っ張られた恨みは忘れないぞ……。
その後、宿屋の女性――キアラさんの熱烈なハグが終わるまで、俺とテオは二人に存在を忘れられたままその場に佇んでいたのであった。




