26 塵は塵に
「うわぁっ!!」
何度目かのホムンクルスからの攻撃を間一髪で避けて、リルカは甲板の上を転がった。
一人、二人……何とか少しずつ甲板に集まるホムンクルスを行動不能状態にしているが、まだまだわらわらと湧くように新手が出てきていた。
岸に着く前に何とかしないと……!
リルカは焦っていた。まだまだホムンクルスはたくさんいるのに、船はどんどん陸地に近づいて行く。
このままじゃ、たくさんのホムンクルスが島に上陸して大パニックになってしまう……!
『それっ!!』
近くにいた風の精霊が一体のホムンクルスに向かって風を放つ。
鋭い刃と化した風は見事にホムンクルスの足を切り裂いた。
「あ、ありがとう……」
『ほら、油断しないで! まだまだじゃん!!』
ついて来ていた精霊に発破を掛けられて、リルカはぐっと唇をかんだ。
そう、まだまだだ。こんなペースじゃ絶対に間に合わない。一体どうすれば……
そう考えた時、急に周囲のホムンクルス達の動きが止まった。まるで何かを避けるように船の端へと寄りはじめる。
『なになに?』
周囲の精霊たちが騒ぎ始める。何事かとあたりを見回したリルカの耳に、コツコツと小さな足音が聞こえてきた。
そして、船の中から一人の少女が姿を現した。
真っ赤な髪の毛が印象的な美しい少女だった。
だが、ここにいるということは彼女もホムンクルスなんだろう。少女の虚ろな瞳がリルカを捕えた。
同じ存在だからこそわかる。彼女もホムンクルスで間違いないだろう。
だが、目の前の赤い髪の少女は周囲の他のホムンクルスと比べてどこか超然とした空気をまとっていた。
まるで、ここのホムンクルス達のリーダーみたいだ。
リルカは少女と睨みあいながらそう考えた。
「総員、攻撃用意」
赤髪のホムンクルスが凛とした声でそう言い放つと、周囲のホムンクルス達がさっと戦闘態勢に入った。
『あの子が司令塔みたいだね』
「うん……」
司令塔なんてやっかいだ。
だが、逆に言えばあのホムンクルスさえ何とかしてしまえば活路が見いだせるかもしれない。
「攻撃開始!」
赤髪のホムンクルスがそう命令した途端、周囲にいたホムンクルスが一斉にリルカに向かって飛び掛かって来た。
「っ、“薫風!”」
必死に風魔法を放って押し返そうとしたが多勢に無勢、受け流しきれずにリルカは無様に床に転がった。
「いった……」
斬られたのか腕がじくじくと痛む。でも、まだ大丈夫だ。
素早く辺りを確認すると、ついてきた精霊が倒したのか何体かのホムンクルスが足や手が切断された状態で転がっていた。
「うっ…………」
その光景に、思わず足がすくんだ。
魂があるかないかの違いはあれど、あれはリルカと同じモノなのだ。
あんなに簡単に壊れてしまうモノと、自分は同じ存在なのだ。
「障害物排除、失敗。……攻撃再開」
それでも、今は躊躇している時間はない。
赤髪のホムンクルスが一歩前に出てきた。自分自身でリルカを排除するつもりなのだろうか。
もう残された時間は少ない。一気にやってしまうしかない……!
「あの子の動きを封じて!!」
『りょーかいっ!』
精霊が軽快な返事を返したのと同時に、赤髪のホムンクルスは一気にリルカめがけて突進を始めた。
その手には鈍く光るナイフが握られている。
『それっ!!』
小さな風が渦を巻いて赤髪のホムンクルスへと襲い掛かる。赤髪のホムンクルスは風に襲われ体勢を崩す。
リルカはその隙を見逃さなかった。
「このっ……!」
逆にホムンクルスに掴みかかり、床へと押し倒す。
鈍い音を立ててホムンクルスは仰向けに床へと倒れ込んだ。
「悪く……思わないでねっ……!」
その胸へ杖を突き立て、一思いに呪文を唱える。
「炎よ、宿れ……“発火!!”」
紅蓮の炎がホムンクルスの体を焼く。
ホムンクルスは表情こそ変えなかったが、その手足はじたばたと激しく動いていた。
「くっ……」
ホムンクルスが暴れた拍子に、掴んでいたナイフがリルカの腕を切り裂いていく。
精霊が起こした風がある程度ホムンクルスの動きを封じてくれているが、それでも激しく暴れる手足がリルカの体を傷つけていく。
でも、今は魔法を止めるわけにはいかない……!
リルカの出した炎はどんどんホムンクルスの胸部を焼いていく。白い肌はすぐに真っ黒く変色し、ぼろぼろと崩れ出した。
そして、その奥からきらりと光る球体がかすかに姿を覗かせた。
「あ、あった……!」
錬金術師ルカの元からホムンクルスの製造方法が盗まれて十年近くたつ。
それでも、基本的な構造は変わっていないようだ。
リルカが探していたのは、ホムンクルスの「核」となる水晶玉だった。
リルカがまだ錬金術師ルカの家で暮らしていた頃、クロムはどういう意図があったのかはわからないが絵本代わりにルカの論文をリルカに読み聞かせていた。
だから、リルカは覚えている。
ホムンクルスの作り方、基本的な構造、弱点、そのすべてをはっきりと覚えていた。
原理まではわからないが、ホムンクルスはこの水晶玉を核として動いている。
つまり、この核さえ壊してしまえばホムンクルスは機能停止するはずだ……!
「“発火!!”」
炎を水晶に近づけ、一気に焼こうとした。
リルカの想定では、これで水晶玉は破壊され赤髪のホムンクルスは活動を停止し、その後で周囲のホムンクルスをなんとかするはずだった。
だが、ホムンクルスの核である水晶玉はリルカの炎にも耐え、傷一つついていなかった。
「そんな……!」
まずい、これでは間に合わない!
このままではすべてのホムンクルスを倒しきる前に船が岸について、大学が大量のホムンクルスに襲われてしまう……!
思わずリルカは水晶玉を掴んだ。手のひらにやけどしそうなほどの熱が伝わってくる。
それと同時に、リルカの頭の中に急激に様々な情報が流れ込んできた。
「えっ!?」
慌てて手を離すと情報の洪水が収まった。再び水晶玉に手を触れると情報が頭の中に流れ込んでくる。
すぐにリルカは理解した。
これは目の前の赤髪のホムンクルスの中に埋め込まれた情報だ。
一瞬だったが、リルカが同じホムンクルスだからだろうか、その一部を理解することができた。
「情報、司令塔……やっぱり……」
周囲のホムンクルスは、リルカが予測したとおりこの赤髪のホムンクルスを司令塔として動いているようだった。
だったら指令をいじれないかとまた水晶玉に手を当てたが、どうやらその辺りはリルカも介入できない領域になっているようだった。
ただ、一つだけ方法を思いついた。
『……リルカ?』
じっと動かないリルカを心配したのか、精霊の一人が話しかけてきた。
リルカがそっと振り返ると、精霊たちは心配そうにリルカの顔を覗き込んできた。
長い時間をかけて再会できたリルカのきょうだい。一緒にいた時間は短いけれど、優しい精霊だという事はわかる。
だから、彼らならこの島を、人間を、きっと支えてくれるだろう。
きっと、リルカがいなくなった後でも。
「後のこと、よろしくね……」
『……リルカ?』
呼びかけた声には答えずに、リルカは再び水晶玉に手を当てた。
周囲では何か指令を受けたのか、もともとそういう風に作られたのか、今までじっとしていたホムンクルス達がゆっくりと武器を手に行動を起こそうとしていた。
これが、最後のチャンスだ。
リルカは右手を倒れたままの赤髪のホムンクルスの胸の水晶玉に、左手を自分の胸に当てた。
「“tuning-initium”」
ゆっくりと、そう口にする。
想定通りリルカの体を通して、リルカと赤髪のホムンクルスの核がつながった。
……成功だ。
これで一蓮托生、リルカと目の前のホムンクルスは同じ運命をたどることになる。
少しだけ、声が震えた。目を瞑ると、大切な人たちの顔が思い浮かぶ。
さよならすら言えなかった。また会いたかった。
それでも、大切な人たちを守るためなら自分なんてどうなっても構わない。
「“exitium-supplicium……target⇒Lilluca!”」
『リルカ!?』
周りを飛び回っていた精霊たちが慌てたように騒ぎ出した。
リルカはそれには答えずに、最後の一言を紡ぎだす。
「“pulvis⇒ reverteris⇒ pulverem!”」
そう唱えた途端、リルカの胸からぴしりという鋭い音が聞こえた。
そうなるともう座っていられなくて、リルカは目の前のホムンクルスの上にどさりと倒れ込んだ。
それでも水晶玉を握りしめた右手だけは離さなかった。
だからわかった。
あれだけ燃やしてもびくともしなかった水晶玉には、はっきりと亀裂が入ってきた。
「う、ぐっ……」
自分の体の中で何かが壊れる音が聞こえた。それと同時に、握りしめていた水晶玉が砕け散った。
よかった、成功だ……。
リルカは安堵した。
リルカが選択したのは、目の前のホムンクルスと自分の体を同期させ、そのうえで自分の体を壊し目の前のホムンクルスを道連れにするという方法だった。
あれだけ外からの攻撃に耐えた頑丈な水晶玉も、内部からの破壊命令には抗えなかったようだ。
うっすら目を開けると、こちらに来ようとしていたホムンクルス達がバタバタと倒れていくのが見えた。
司令塔のホムンクルスが自壊命令を実行したことで、同じように自らを壊してしまっているようだ。
『リルカ、リルカ! しっかりして!!』
精霊たちの声が遠くなる。
自分が覆いかぶさっているホムンクルスはもう体がばらばらと崩れ始めていてひどい状態だった。でも、それはリルカも同じだろう。
ごとん、と音がしてリルカの左腕が肩のあたりで崩れて地面に落ちたのが見えた。
もうこんな状態なんだ……。リルカは少しだけ悲しくなった。
リルカがいなくなったらクリスたちは探しに来るだろうか。
こんなにばらばらに崩れ落ちた体は見られたくなかった。
「あ……ね、……みに……」
『リルカ! リルカ!?』
自分の体を風で吹き飛ばして海に落としてほしい。
そうきょうだいたちに頼もうとしたが、もう声もまともに出なかった。がらがらとしわがれた汚い音が喉から絞り出されただけだ。
……やだな、誰かが探しに来る前に船が難破してしまえばいいのに。
薄れゆく意識の中でそう考えた時だった。
とん、と軽い足音が響いて、誰かがリルカのすぐ横に降り立ったのが分かった。
なんとか力を振り絞って目を開くと、うっすらと黒い人影が見えた。
誰だろう、できれば敵でなければいいんだけど。
リルカはなんとか目の前の人物を見極めようとした。
「これはこれは……ひどい状態ですね」
聴覚はまだ機能していたようで、リルカの耳はその声を拾い上げた。それは聞き覚えのある声だ。
リルカの思考はすぐに記憶の中からその人物を探し出した。
ミトロスさん、と出そうとした声は、もう音にもならなかった。
何故彼がここにいるのか、一体何をしようとしているのか、もうそこまで考える余裕はなかった。
ただ、今の自分の状態を見られたくなかった。
もう、体の大部分が崩れ落ちたみっともない姿になってしまっているのだから。
「み、な……い……で」
何とか力を振り絞ってそれだけ声に出す。
うまく声にはならなかったが、ミトロスにはリルカが何を言おうとしていたかわかったようだった。
「どうして?」
場違いに楽しそうな声が耳に残る。
きたなくて、みじめで、みっともないから、とリルカは必死に伝えようとした。
もう耳も良く聞こえないし、声もうまく出せない。
目の前に変色した髪がざらりと零れ落ちた。頭部も崩壊が始まっているようだ。
もういよいよリルカはリルカでなくなってしまう。
そんなひどい状態なのに、ミトロスは屈みこんでリルカを覗き込んだ。
嫌な人だ。見られたくないって言ったのに。
ミトロスの手がそっとリルカの方へと伸ばされる。
「大丈夫、君は…………」
その言葉を最後まで聞き終える前に、リルカの意識は暗闇へと呑み込まれた。




