1 勇者、はじめます!
――残念なことに、現在、このアトラ大陸はかつてない危機に瀕している。
各地で魔物の数が増え、人を襲い、大地は腐り水は枯れていく。
人々は皆、この災厄の時代に終止符を打つ勇者の存在を待ち望んでいる――
…………らしい。
《ミルターナ聖王国北部・リグリア村》
「うーん……全然そんな風には見えないんだよなぁ……」
頭上の空には、鳥が数羽飛んでいくのが見えるだけだ。今日も憎たらしいほど青く澄み渡っている。
この世界が危機に瀕しているというのなら、ドラゴンの一匹や二匹くらい飛んでいてもいいものだが、こんな辺境には襲う価値もないという事なんだろう。
現に、俺がこうして村はずれで一人昼寝をしていても下級の魔物すら襲ってこない。
魔物もこんな退屈を絵にかいたような田舎の村が担当ではやる気が出ないんだろうか。
顔を横に向けると、近くで羊がむしゃむしゃと草を食んでいるのが見えた。
もしここで急に魔物が現れ羊を襲い、それを俺が華麗に撃退すれば、俺も勇者として認められちゃったりとかするんだろうか……みたいな妄想ももう飽きてしまった。
相変わらず羊はむしゃむしゃとお食事中だし、目に見える範囲の草原や山には魔物の姿も見えない。
いや、探せばたぶんいるんだろうけど、わざわざ藪をつついて蛇を出すこともないだろう。
「……暇だ……」
そう、言ってしまえば暇なんだ。
教会学校の先生は、この辺りに魔物が現れないように女神様の加護を信じなさいなんて言うけれど、俺はむしろ魔物が現れた方がおもしろいんじゃね? と不謹慎なことを考えてしまう程度には暇なのだ。
女神ティエラの守護する花の聖王国、ミルターナ。
王都ではさかんに世界の危機に立ち向かう勇者となる人物を探しているらしいが、こんな王国の端っこの辺境の村にはまったく関係はないようで、俺たち住民は何も変わらずいつも通りの生活を続けている。
そんな退屈な生活の中でも、週に一度町で行われる教会学校だけが俺の唯一の情報源だ。俺は昔からそこで先生の話を聞いて、あれこれ想像を巡らすのが好きだった。
今のお気に入りはもちろん世界を救う勇者の存在だ。もし俺が勇者になったら、魔物を倒して、みんなに感謝されて、囚われのお姫様とかを救ったりして……
「はぁ、帰ろ……」
むなしくなってきた。俺が妄想をやめて立ち上がっても、相変わらず羊がむしゃむしゃと草を食べているだけだった。
魔物が襲ってくる気配は、やっぱり無さそうだ。
◇◇◇
「クリスちゃーん、お手紙が来てたわよ」
「え、手紙?」
家に帰って早々に母さんに声を掛けられた。
夕食の支度の手を止めて母さんが指差した先には、見慣れない手紙が置いてあった。
「…………誰だ?」
自分で言うのも悲しくなるが、俺の知り合いと言えばこの小さな村の住人と町の教会学校の人くらいだ。村の住人なら手紙なんて出さずに直接話をするだろうし、教会学校にも週に一度は通っているのだから、その時に言えばいいはずだ。
遠くに住んでいる何度か会ったことがある親戚かと思ったが、それならば俺ではなく父さんや母さんに出すだろう。
俺は怪訝に思いつつもその手紙を手に取った。
『リグリア村
クリス・ビアンキ様』
手紙には確かにそう記してあった。
クリスというのは俺の名前だ。優れた剣の使い手だったらしいクリストフという俺のご先祖様にあやかって父さんがつけてくれた名前である。
ちなみに、名前の響きだけでよく間違えるが女ではない、男だ。
「やっぱり俺宛だよな……えっ!」
何気なく封筒を裏返した俺は、思わず息をのんだ。
その手紙の封蝋印は、女神ティエラの紋章であるティラの花をかたどっていた。
それは、ティエラ様を主神とするティエラ教会の関係者からの手紙だという事を示している。よく見ると、その手紙自体こんな田舎では滅多にお目にかかることのない上質な紙が使われていた。
もしかしたら、これは……。
俺は震える手で封を開け、中の手紙に手を伸ばした。
長々と文章が書いてあったが、要約するとこんな感じだ。
『あなたには勇者としての資質があります。至急王都まで来てください』
「うわああぁぁぁぁ!!!?」
「クリスちゃーん、どうしたのー?」
◇◇◇
《ミルターナ聖王国南東部・王都ラミルタ》
あの手紙を受け取ってから一月、俺は今こうして王都の土を踏んでいる。
「うわー、すごいなー!」
田舎者丸出しだと分かっていても、やっぱりきょろきょろ周りを見回すのは止められない。
生まれてから十七年、あの辺境の田舎から出たことがなかった俺にとって、きらびやかな王都は何もかもが衝撃だった。
まず、建物がでかい。視界に入る建物は、どれも四階以上はありそうに見えた。
それでもあまり圧迫感を感じさせないのは、ところどころに飾られた花のおかげだろう。壁に、窓に、扉に、色とりどりの花が咲き乱れ、花の都の名に恥じない美しい街並みを作り出していた。
それに、人の数が尋常じゃない。リグリア村の祭りの日でもこんなには集まらないだろう、という数の人が目の前の石畳を行き交っている。
中には村では見たこともないような髪や目の色をした人たちもいた。……世界は広いな。
しばらくはぼーっと目の前の光景を眺めていた俺だが、はっと我に返った。
そうだ、俺はここに物見遊山に来たわけではない。世界を救う勇者になる為にここに来たんだ!
あの手紙を受け取った後、すぐにでも王都に行きたいと言いだした俺を母さんは心配して止めた。
確かに、いきなり勇者になりたいから王都に行かせてくれ、と言われて危ぶむ母さんの気持ちもわかる。それでも、どうしても行きたいと言った俺の背中を押してくれたのは父さんだった。
男ならやるだけやってみろ! と全面的に協力してくれた父さんには感謝しかない。
村のみんなにはまたクリスが妙なことを言い出したなんて散々馬鹿にされたが、あえて気にしないことにした。
いつか勇者として大成して大手を振って帰ってやる! と俺を燃え上がらせただけだ。
「とりあえずは大聖堂に行かないとな」
手紙には王都の大聖堂、つまりティエラ教会の総本山に来いと書いてあった。
緊張はするが、それよりも期待が上回っている。場所は分かっていたので俺は大聖堂を目指して歩き始めた。
しばらく歩くと大きく開けた広場に行き当たった。その先には白亜の大聖堂が鎮座している。
間違いない。あれが花女神の聖堂、俺の目的地だ!
俺が気合を入れて大聖堂へと続く広い階段を上ろうとした、その時だった。
上方から短い悲鳴が聞こえ、俺は思わず顔を上げた。そこで俺の目にうつったのは、宙を舞っている少女の姿だった。
いや……宙を舞っているわけじゃない、落ちているんだ!
考えるよりも早く、俺の体は少女を助けようと動いていた。
「痛……くない? ってきゃあぁぁ! すみません!!」
「うぅ……、大丈夫……?」
ほんのわずかな時間しかなかったが、何とか少女の下敷きになることはできたようだ。体は痛むが、幸い頭は打たなかったので意識ははっきりしている。
少女は俺の上に乗っているのに気付くと、弾かれたように立ち上がった。そのまま、可哀想なくらい狼狽して俺に謝りはじめてしまった。
「も、申し訳ありませんっ! 私の不注意で……」
あらためてその少女の姿を見て、俺は驚いた。
俺と同じくらいの年頃だろうか、ウェーブがかった亜麻色の髪は背中のあたりまでのばされており、服と似た色のライトグリーンの瞳には涙が溜まっている。
その上、故郷では見たこともないくらいの美少女だった。
俺の顔がじわじわと熱を持つのがわかるくらいには。
俺は慌てて立ち上がった。
少女を安心させたかったというのもあるけど、かわいい女の子に無様に転がっている姿を長時間晒すわけにはいかないからな!
「いや、大丈夫だよ! それより君ってティエラ教会の人だよね?」
目の前の少女は緑色の修道服を身に纏っていた。教会の人間だという証だ。
教会学校の先生(推定50代女性)も同じ形の服を着用していたが、美少女が着ると破壊力が段違いだ。
あまり同年代の女の子と接したことのない俺には刺激が強すぎる。
「俺さ、勇者の資質があるって聖堂に呼ばれてるんだ!」
「勇者候補の方ですか!? でしたら私がご案内! ……あ、でも時間が……」
少女は俺が勇者だという事を聞いて一瞬目を輝かせたが、広場の時計を見て肩を落とした。
どうやら何かの時間が迫っているようだ。
「大丈夫だよ。用があるんよね?」
「申し訳ありません……こんなにも迷惑をかけてしまって」
「全然平気だって! ほら、時間があるなら早く行った方がいいよ!」
少女は俺の言葉に頷くと、申し訳なさそうに何度も俺に頭を下げた。そのまま大聖堂の方へ走って行こうとしたが、ふと立ち止まり俺を振り返った。
「あの、私はティレーネと申します! あなたが勇者なら、もしかしたら……」
「もしかしたら?」
「いえ、何でもないですっ! 失礼しますっ!」
それだけ言うと、彼女は今度こそ大聖堂に向かって走って行ってしまった。
「何だったんだろう……」
あんな風に途中で言葉を切られたら、彼女が何を言おうとしていたのか気になってしょうがない。
でも、王都に来て早々あんな美少女と知り合えるなんて幸先がいいような気がしてきた。
ティレーネちゃん、って言ってたっけ。例えば、俺が勇者として旅立つなら、できればあんな女の子と一緒に行きたいと思う。聖堂に行けばまた彼女に会う機会もあるだろうか。
そう思って歩き出そうとしたその時、そっと誰かが後ろから俺の腕をつかんだ。
「あ、あの……勇者様、ですよね?」
「え……!?」
俺が驚いて振り返ると、頭からすっぽり白いローブをかぶった何者かが俺の腕をつかんでいた。
見た目は明らかに怪しい奴だったが、俺がそこまで慌てなかったのはその声が女の子の声だったからだ。身長も俺より少し小さい。
そこまでの驚異はないだろう、とすぐに俺は判断した。
「勇者にはこれからなる予定なんだけど……俺に何か用?」
「あの……どうしても勇者様に助けていただきたい事があるんです!」
彼女はそう言うと、俺の手を離して両手で頭からローブのフードになっている部分をおろした。
顔を隠していた布が取り払われ、彼女の素顔が露わになる。
「……っ!」
その姿を見て、俺は雷に打たれた様な衝撃を受けた。
意志の強そうな澄んだアイスブルーの瞳がまっすぐに俺を見つめている。
その肌はまるで陶器のように白くなめらかで、少しだけ乱れた髪は月光のように淡いプラチナブロンドだ。
陳腐な表現だが、白いローブを身につけたその姿はまるで天使のようだった。
「どうか、こちらに来てください」
「うん……」
彼女の言葉にあらがわず、俺は手を引かれるまま広場を後にした。
怪しいとは思ったし、抵抗することもできた。だが、あえてしなかった。
自分でも現金だとは思うが、彼女の顔を見た瞬間に感じたのだ。
彼女が俺の運命の相手だ、と。
長い冒険の始まりです!