鴻鳥
津島「全ての他者に貢献する。あらゆる見返りを求めることなく」と津島は小さくつぶやく。「僕にはできるだろうか。そのように振る舞って生きることは」
さっきまでの栗鼠や蛇のような生き物はもういない。虚しさに包まれた津島は再び静寂の森に独り取り残されてしまった。草と土の独特な臭いが鼻の中にすーっと入り込んでくる。天から降り注ぐ明るい光は津島にとって非常に目まぐるしい。
津島「僕にはどうも自信を持つことができない。きっと不可能だろうな」と津島は訓じられた理想を諦め、ゆっくりと重い瞼を下ろす。
そんな自己を捨てたような生き方など僕にはできない。報酬を求めずに他人の為だけに尽くしていては、いいように利用されてしまいかねないではないか。きっと裏切られてしまう。そんな残酷な未来しか考えることができない。
??「青年よ。未だに迷いがあるようですね。しかし、案じる必要はありませんよ」突然何者かの声がすぐ正面から聞こえてきた。繊細な包容力のある声である。
津島はそれにハッとして目を開いた。すると、そこには一羽の鴻鳥のような大鳥が立っていた。大きな翼を尋常なく広げ、津島の瞳を見つめていた。そして、それは母のような優しい眼差しであった。
鴻鳥「あなたは貢献さえしていればよいのです。信頼できるあなたの仲間に対して」突如現れた鴻鳥はそう言った。絵の具でムラなく塗ったかのような黒色の風切羽がふわふわと揺れる。「そのようなことは愛を持っている人間ならば簡単にできます。もちろんあなたにもそれはあるはずです。違いますか?」
津島「それはキリスト教でいう隣人愛だろう。決して現実になることのない理想論だ」津島は呆れて深いため息をついた。「たとえ愛を持っていたとしても、裏切られる恐怖は必ず存在するし、全ての他人に無償の愛を送ることなどできやしないよ。絶対に」
鴻鳥「果たしてそれはどうでしょうか」鴻鳥は宙に向かって小さくほほえむ。「不可能なのは勇気が足りないからです。自立することができていないからです。周りと調和することができていないからです。あなたは変わらないといけないのです」
何を言っているんだ? と津島は思った。こいつは僕の何を知っているというのだ?
津島「不可能なのは僕が原因じゃない。自立することができないのは他人のせいだ。僕が周りに合わせられないのも他人が白痴だからだ。僕は何も間違っていないはずだ」津島の顔が苛立ちによって徐々に赤くなっていく。
鴻鳥「自惚れてはいけません。他人に責任を押し付けるべきではありません。それは自分に力があると過信することです。本当の自分を失わないでください」鴻鳥は依然として気高くそびえ立っている。まるで神様かのように。
このとき津島の心を制する何かがプツンと音を立てて切れた。もう我慢ならなくなった。耳を貸してやっていれば好き勝手なことをべらべらと喋りやがって。津島は自分の額にうっすらと血管が浮き出たような気がした。
津島「僕の何が悪いと言うんだ! 僕が一体何をしたと言うのだ! 僕は彼らに従っていただけだろう? それなのにどうしてこんな仕打ちに合わなければならないんだ!」津島は目を鋭くさせて怒鳴った。こいつの口はどうしても押さえつけなければならない。
鴻鳥「それは見返りを求めるゆえに生じる感情です。あなたは彼らに従って仲間だと認められようと試みました。しかし報われることはありませんでした。ですがそれは当然起こりうる事象です」静かな呼吸を取りながら津島を諭そうとする。
津島「ならば僕はどうしたらいいんだ。誰に従おうとも幸せになれないのなら、貢献だって無意味なものではないか。言っていることがめちゃくちゃだ!」津島は半分泣きそうな声で言った。
鴻鳥「貢献とは見返りを求めることではありません。順を追って知っていきましょう」鴻鳥は極大なる翼を甚だしく展開させた。その姿はまるで神話生物のようであった。「まずは自分自身を認めてみてください。人は努力によって向上することができます。もしあなたが百点満点中六十点の人間ならば、どうすればその穴を埋められるのかを考えるのです」宙に舞った羽が地面に落ちた。「さあ」
津島「僕自身を、認める……?」津島は少し落ち着いて考え出した。
確かに僕は他の奴らよりも意識が高いと自負している。他人を最低限思いやることはできるし、学ぶ意欲もある。だけど僕に足りないものがあるとしたら、何だろうか。僕が補うべきところとは、一体どこだろうか。
津島と鴻鳥の周りに栗鼠や蛇、その他様々な動物や虫たちが現れる。
栗鼠「君に決定的に足りないものは、ユーモアのセンスの無さだよ」
蛇「お前が補うべきなのは、安定した運動神経だ」
蝶「あなたの必要なことは、積極的に継続する力よ」
猿「てめぇをより良くするのは、的確な判断力だ」
兎「リーダーシップです」
浣熊「歌唱力なのだ!」
羊「顔だべ」
津島はそこで思わず吹き出してしまった。
津島「こりゃ面白い。思った以上に多いな。これ全てが僕の課題か。補わないといけないことか。ははは!」津島は狂ったようにべらぼうに笑った。