蛇
津島「人間は皆対等、か……」と津島は低くつぶやく。
そして津島は鷹揚なる静寂の時間を過ごした。
しばらくすると、茫然としていた津島の傍にある綺麗な低木の葉がカサカサと小さな音を鳴らす。
津島「なんだ?」津島は音のした方に視線を向けた。そこには光の三原色で彩られた美しい低木がしんと佇んでいる。
すると低木の足下から一本の蛇がのそのそと這い出てくるのが目に映った。
その蛇は鋭い目を持っていながらも、七色の鱗を煌めかせており、艶やかな光沢を溢れんばかりに放っている。そんな彼はシャーッと舌を出しながら津島にこう語りかけた。
蛇「よお、まだ腑に落ちない点でもあるのか?」
津島「ああ、そうだね。まだ分からないことがある」と津島はうなづく。
蛇「へえ、どこが分からないっていうんだ?」
津島「そうだなあ……」津島はあまりにも眩しい空を仰ぎ考えてみた。鴻鳥のような見たことのない大きな鳥が天を真っ直ぐ横に切っていく。
蛇は細長い身体を滑らかに動かして、津島の左手の傍にゆっくりと移動した。
そして津島は蛇の方を向き直り、おもむろに口を開く。
津島「もし人間は皆対等というのが本当に正しいとしたら、どうして社会には上下の関係があるんだ?」
蛇「ほう、そう来たか」蛇は意外そうにつぶやくと、素早く身体を津島の左腕に巻き付けてみせた。「それじゃあ例えばだが、どういうのが上下の関係であると思う?」
津島「うーん……、学校の先輩後輩や会社の上司部下とかかな」
蛇「どうしてそう思う?」
津島「下の立場の者は上の立場の者に従わなければならないからだよ。上司から書類などのコピーを頼まれたら受けなければならない、といった風に、上からの命令は絶対だ」
蛇「なるほど」と蛇は言うと、津島の腕に巻き付けた身体を少し強く締める。「だけどそれは仕事役割の分担だろう? もし君の受け持つ仕事の量があまりにも多いのならば、上司に相談してその一部を頼むことも可能なはずだ」
津島「確かに」津島は不意に納得してしまった。けれどもそれだけではどうも引けない。「だけど、理不尽に仕事を押し付けてくる上司もいるじゃないか」
蛇「それは上司の権威を濫用しているだけだ。上司だからといって何でも正しいだなんてことはない。確かに人は他者に貢献するべきであるが、他者の期待には必ずしも応えるべきではないんだ」
津島「他者に貢献するべきだが、他者の期待には必ずしも応えるべきではない?」と津島は蛇の言葉を訝しげに反芻した。「貢献と期待に応えることは同じじゃないのか?」
蛇「全然違う。期待に応えるというのは、他者から認められるための行為に過ぎない。それは評価されるという目的のために行動する自己中心的な生き方だ」蛇は皮膚を輝かせながら言う。「一方で貢献とは、自分自身の行動全てであり、あくまで自分のための行為ではない」
津島「それは、どういうこと?」
蛇「例えば、お前はここに存在しているとしよう。そう、ただ存在しているだけだ。何もしていない」と蛇は微かに身体を揺らした。「だがな、実はそれによってお前は既に誰かのために役立っているんだ。本当に」
津島「どうしてそう言えるんだ? 存在しているだけで役に立つ人間となれる訳がないだろう」
蛇「いいや、言えるね。お前はさっきまでそこでただ存在していた。ぼーっとしていたな。だが、そのおかげで俺はお前に話しかけることができた」
津島「だけど、それだけじゃ役に立っているだなんて――」
蛇「俺の役には立っただろう?」蛇は津島の言葉を遮る。「その点について俺は感謝するよ。暇だったもんでな」
津島「感謝……?」と津島は蛇から出た意外なワードに反応した。
蛇「そう、感謝だ。人はみんな感謝される生き物だ。感謝されぬべき人間などいない。誰が何と言おうとも、これは紛れもない事実だ」
津島「それが貢献ということなのか?」
蛇「ああ、そうだ。もちろん明らかに悪いことはしちゃいけない。だが、自分の信じたものは信じろ。見返りなど求めずに。お前自身はあくまでお前自身であり、皆と同じだ」
蛇は津島にそう伝えると、津島の腕の中へ溶け込むように消滅していった。