アルブレヒト・デューラーの『自画像』
底本「狂郷、ここにはいくつかの肖像画が並んでいるようだぞ。それも全て同じ人のものだそうだが」
狂郷「おお、これは凄いですね」と狂郷は驚嘆する。「これらは全てアルブレヒト・デューラーという画家の自画像です。彼は多くの自画像を描いた画家でして、自尊心の高い人だったようです」
底本「なるほど、だからこんなに自画像が多いのだな」
狂郷「そうかもしれませんね、ははは」狂郷は微かに笑う。「ええと、これは1498年の自画像ですね」
底本「ほう、デューラーの身分は貴族だったのかな。裕福そうな格好をしている」
狂郷「いいえ、デューラーは決して『貴族』ではありませんでした。というのも、当時彼の住むドイツにおいて、画家は最も低い身分の『職人』とされていました」
底本「なんだって! 貴族とは正反対の立場ではないか! それなのにデューラーとやらは美化した自画像を描いたのか」
狂郷「まあデューラーがこのような自画像を描いたのには理由があるんですよ」狂郷は片手で底本を制す。「あるとき、デューラーは芸術の本場イタリアへ訪れました。すると彼はびっくり。なんとルネサンスの全盛期を迎えようとしていたイタリアでは、画家の地位が『文化人貴族』の如く芸術家とされていたんです」
底本「そうか、それに影響を受けて、こんな貴族のような自画像を描いたということか」
狂郷「その通りです。デューラーの高いプライドも手伝って、この自画像を描いたんでしょうね」
底本「そういうことだったのか」底本は納得するように頷く。「それじゃこの自画像はどういったものなんだ? なんだか正面を向いていて、あまり肖像画では見られない構図だが」と一枚の絵を指さした。
狂郷「これは1500年の自画像ですね。この作品も興味深い背景がありますよ」
底本「ほう、聞かせてもらおう」
狂郷「伝統的に肖像画というものは、横を向いたり、正面からずれた方に顔を向けて描くものであり、真正面を向けて描けるのは神聖な人物だけでした」
底本「なんだって! まさかデューラーは自分を神だと思い込んでいる痛いやつだったのか!」
狂郷「ですから底本さん、これにもちゃんとした理由がありますから」と狂郷は底本をなだめる。「ちなみに底本さん、プロテスタントってご存知ですか?」
底本「プロテスタント? いや、聞いたことないな」
狂郷「プロテスタントとは1517年から台頭し始めたキリスト教の一派です」狂郷は指を立てて説明する。「それはこれまでのカトリック教会の愚行に反発し分離した教派で、聖書だけを信仰する考えを唱えました」
底本「ほうほう、それで」
狂郷「そしてこれが鍵となるのですが、本来のキリスト教というのは、偶像崇拝が禁止されていました。つまり、神を描くことや、彫ることはできないんです」狂郷は言った。「プロテスタントはその元来の教えに従い、改めて偶像崇拝を厳しく禁じたんです」
底本「なるほど、そうか、狂郷の言わんとすることが分かったぞ! つまり、正面を向いた肖像画=神聖、ではない、ということだな」
狂郷「その通りです! 底本さんにしてはよくできました!」
底本「ナメてんのか!」
狂郷「まあ、きっとデューラーはプロテスタントが近いうちに台頭してくるだろうと予期していたんでしょうね。それで、自画像を正面を向かせて描いたんですね」
底本「奥が深いんだなあ」
狂郷「あと、もう一つ理由があります」狂郷は一本指を立てた。「底本さん、このデューラーの自画像、そこはかとなくイエス=キリストに似ているように思えませんか?」
底本「え、キリスト? 確かに髪がくるくるだし、キリストっぽいっちゃあ、ぽいなあ。まさかデューラーはキリストを意識していたり?」
狂郷「まあ、そういうことなんですよねえ」
底本「嘘だろ? 神の子なんだろ? そんなの許されるのかよ」
狂郷「当時は批判もあったかもしれませんね」と狂郷は言う。「でもそんな風に描くことにはデューラーの強い意志が表れているんですよ」
底本「というと?」
狂郷「キリストが生まれた当時、社会はユダヤ
に包まれていました」と説明を始める。「しかしキリストはそのユダヤ社会の中で新たな教えを説いてまわりました。つまり社会において、ユダヤ教からキリスト教への宗教改革を行ったわけです」
底本「おう、そうだな」
狂郷「一方でデューラーの生きた時代のドイツでは、先程も申した通り、画家の身分が著しく低いくらい芸術が振興していませんでした。そこで彼は芸術を改革しようと思いました。宗教改革者だったキリストのようにね」
底本「なるほど、デューラーはキリストのような改革を行うぞという意気込みをこの自画像に表したわけだな」
狂郷「そういうことです」
底本「しかし真正面を向いた自画像かー」底本は腕を組む。「そういえば津島君も真正面を向いた自画像を描いていたなあ」
狂郷「ええ……、そうなんですか?」狂郷はやや引いた。