『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』
底本「狂郷どん! こいつはナポレオンってやつじゃないのか?」底本はある絵画の前に立つ。
狂郷「ええ、そうですね、これはジャック=ルイ・ダヴィッドの『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』ですね」狂郷はその絵画を見て腕を組んだ。
底本「ボナパルト? 誰だそれ?」
狂郷「ナポレオンのことですよ。ナポレオン・ボナパルト、これがナポレオンの本名です」狂郷は人差し指を立てて説明する。
底本「へえ、そうなのか、だがどうしてナポレオンと呼ばないんだ? ボナパルトよりもナポレオンの名の方がよく知られているだろう?」
狂郷「それはこの絵画がナポレオンが皇帝になる前のものだからです。ナポレオンが皇帝になる前はボナパルトと苗字で呼ぶのが慣習なんですよ」
底本「それは初めて知ったなあ」底本は感心するように腰に手を掛ける。「それにしても立派な白馬だと思わないか、狂郷?」
狂郷「ああ、そのことですね」狂郷は何か納得したように頷く。「底本さん、実はこの白馬、存在しないんですよ」
底本「ええっ! そんな馬鹿な!」
狂郷「本当ですよ。このナポレオンがこれから越えようとしているのは、グラン=サン=ベルナールという峠なんですが、この峠を馬で越えるなどということは、不可能なんです」
底本「なんだと……、それじゃあナポレオンは歩いて峠を越えたというのか?」
狂郷「いいえ、ちゃんとナポレオンは馬っぽいものに乗って峠を越えましたよ」
底本「ええと、その馬っぽいものってのは、何だ?」
狂郷「それはですね、なんと……」狂郷は答えを溜める。「ラバなんですよ」
底本「ラ、ラバァー?」底本は困惑の声を上げる。「ラバって何だ?」
狂郷「そこからですか、ははは」と苦笑いをする。「ラバは雄のロバと雌のウマの交雑種です。体が丈夫で、足腰も強く、山道や悪路でも安定して歩けるのが特徴ですね」
底本「ああ、なるほど。だから馬じゃなくてラバなのか。だけど、どうしてこの絵にはラバでなく、白馬が描かれているんだ?」
狂郷「それはアピールのためですよ」
底本「かっこつけ、ということか?」
狂郷「端的に言えばそういうことです。ほら、左下に描かれている岩を見てください」
底本「ええと、“BONAPARTE”“ANNIBAL”それと……」
狂郷「“KAROLVS MAGNVS”フランク王国の国王、カール大帝のことです。それと二つ目はアンニバルではなく“HANNIBAL”カルタゴの将軍ですね」
底本「ほう、だがボナパルトなら分かるが、他二人の名がなぜこの絵画に書かれているんだ?」
狂郷「それはこの二人も過去にこの峠を越えたことのある英雄だからですよ。ナポレオンはそのような名と並ぶことによって、自らを偉大に見せようとしたんです」
底本「ああ、なるほどなあ」底本は納得して手をポンと叩く。「拙者も織田信長や徳川家康などの偉人の名に並べばイメージアップするだろうか?」
狂郷「貧乏なので無理だと思います」