第8話 帰還
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迷宮入りから 54日目 迷宮31階層
もうあと一階層で迷宮攻略領域だ。思い返せば長かった。ひたすら長かった。141階層からはレンが迷宮を探索しつつ粗方の魔物を殲滅してから殿下をおぶって地上を目指す。これを繰り返す。迷惑なことに141階層より上層も10回層ごとに門番が設置されていた。
アジの説明では迷宮内の魔物はアジの魔力を帯びて強化されているはずである。それなら141階層より上層の門番はより弱くなければ理論上おかしい。確かに原則、より上層の雑魚魔物と門番の方がクラスとレベルは弱い傾向にあった。しかし何事にも例外はある。131階層の門番はレンが初めてあったSクラスの怪物であったのだ。似たようなことが150層でもあった。アジの本体があった部屋からより遠くの場所に生息していていた【八岐大蛇】のクラスがAだったのだ。
魔物によってアジの魔力との馴染みやすさが異なるのかもしれない。竜や邪悪系の能力を持つ魔物はよりアジの魔力を吸収し強化される。これならば131階層の門番が黒龍であったこととも合致する。兎も角、131階層の黒龍を数度死亡した後に倒し、レンのクラスはSとなる。そして、その後いくら魔物を倒そうとLV1より上にはならなかった。
140階層から131層、130層から121層まではレンが迷宮を探索し門番を倒してから10回層を一気に殿下をおぶって移動していた。しかし、殿下をおぶってはスピードはあまり出せない。そのせいで結構な時間がかかってしまう。車や電車でも数時間乗っていれば疲れるのに、如何せん乗り心地が最悪のレンの背中だ。殿下の体力は徐々に削られていく。当初殿下はそれを巧妙に隠しておりレンは愚かにも気付けなかった。それがどうしょうもなく悔やまれる。無論、気付いてからは一日6階層ずつの迷宮探索に切り替える。
150階層より上層の魔物を狩ることによりかなりの数の能力を獲得、融合できた。
具体的には次の通りだ。
【レン・ヴァルトエック】
・種族 :人間
・年齢 :15歳
・LV :1
・クラス :S
・能力値 :筋力2 耐久力1 素早さ2 魔力2
・能力 :《神威》《Aクラス無限の盾》《Aクラス精霊召喚》《黒星雨》
《飛翔瞬歩》《異空間造成》
◇能力名:《神威》
◇詳細 :
・神意 :触れた者の能力を転写する。さらに、能力同士融合させ新たな能力とする。
スロットはクラスの上昇と共に一つずつ加算。
・神眼 :半径5キロメル内を見渡し、解析する事が可能。
能力を融合させる天凛自体に様々な能力が融合しこの《神威》を形成した。この神眼は場所が遠くなればなるほど疲労が増す。あまり遠くは解析しない方がいいだろう。
◇能力名:《クラスA無限の盾》
◇詳細 :全属性状態異常無効。Aクラス以下の物理攻撃無効。Aクラス以下の魔力攻撃無効
属性無効系の能力を持つ複数の魔物と魔力的攻撃無効の能力を持つ魔物の有する能力を《Cクラス以下物理攻撃無効》に融合しできた能力。Aクラス攻撃以下完全無効という奴だ。
◇能力名:《黒星雨》
◇詳細 :毒、麻痺、混乱、暗闇、石化、気絶、封魔等の状態異常、灼熱、氷結、迅雷、聖光、闇死の効果の全部又は一部を選択的に付与し自動追跡効果を有する漆黒の隕石を多数上空に召還し地上へ放つ。
どうせなら能力を造ろうと言う趣旨の素、当時レンが有していた最強の能力――《滅びの蜘蛛糸》に迷宮内の他の無数の攻撃系の能力を融合させてできた能力だ。しかし、迷宮内で使え場迷宮自体を完全破壊しそうで怖くてまだ使ってない。
◇能力名:《クラスA飛翔瞬歩》
◇詳細 :神速で地上、空中を移動することができる。また、空中で止まることも可能。
巨大鷲と巨大豹から得た能力が融合してできた能力に他の様々な能力が融合してできた。迷宮外で本領を発揮することだろう。
◇能力名:《クラスB異空間造成》
◇詳細 :半径500メルの限度で思い描いた通りの異空間を創り出すことができる。
これはアジの能力を神意で転写したものだ。アジにこの能力をいくら使ってもこれしか転写できなかった。どうやら転写できるのは1体につき1個だけらしい。
着替えて自室を出る。30階以下は攻略済みの領域だ。殿下が迷宮で行方不明になった以上、捜索隊と今日鉢合わせになる事も十分に考えられる。殿下やアジとの旅も今日で終わりかもしれない。そう思うと感慨深くもあるのも事実だ。
「おはようございます。今日で遂に冒険終わりかもしれませんね」
レンは体の中を秋風が吹き抜けていくような思いを悟らせないように元気よくアジとキャロル殿下に挨拶をする。
「……おはようございます」
キャロル殿下は顔を曇らせている。どうしたのだろうか。レンと同様、その別れを惜しんでくれているなら死ぬほど嬉しい。だが世の中そう都合よくできてない。寧ろ、いつもレンの思い描く理想とは真逆に全力疾走するのが通例だ。それがレンが年生きて来て学んだこと。
(体調でも悪いのかな? まさか、連日の僕の運び方が悪くて調子崩したとか? そういや心なしか顔色も若干悪いような……)
「殿下。体調でも悪いんですか?」
キャロル殿下は若干の間を置き逡巡しつつも言葉を発する。
「……はい。昨日から少し調子が」
「だ、大丈夫ですか? 気持ち悪いですか? 熱でもあるのかなぁ」
不安が現実化し堪えがたい焦燥を感じるレン。殿下の額に右手の掌を当てる。改めて観察すると、顔が首の付け根まで朱を注いだように真っ赤だ。
(確かに少し熱があるかも)
「ねぇ、アジ、殿下の気分が良くなる薬ってない?」
アジは肩を竦めて深い、深い溜め息を吐く。
「済まない。それに効く薬をボクは知らない」
「そんなに悪いの? じゃあすぐにでも出発しなきゃ。王宮なら専門のお医者様沢山いるだろうし!」
ビクッとキャロル殿下の身体が震え、膝に握り拳を乗せたまま俯いてしまう。たまらずレンが立ちあがろうとするとアジがそれを制した。
「レン君。落ち着きなよ。キャロルちゃんなら大丈夫だ。ボクは彼女と同化してるからね。それは保障するよ」
「で、でも――」
「でもも、糸瓜もない! レン君は男の子だろう? 冒険者になるんだろう? ならもっと冷静にならなきゃ!」
「う、うん。ごめん」
「は~、わかったらいいさ。兎も角だよ。彼女の身体は大丈夫。ボクに任せてよ」
「了解……」
ショボンとするレンにパンパンと両手の掌を数回合わせるアジ。
「じゃあ、今日のミーティングを始めるよ。ボクの分身体から報告があってね。今、王国の近衛騎士団と中央軍の特殊部隊がキャロンちゃんの捜索のため29階層まで来ている。あと数時間でここまでたどり着くよ」
「そう。良かった」
キャロル殿下の無事がほぼ確実に保障されると知りほっと胸を撫で下ろすレン。これでレンの役目も終わり。少し寂しいがそれは言い換えれば殿下が無事に地上に帰還するということ。これは喜ぶべきことなのだ。殿下の元気がないのは心配だが王宮に帰って元の生活に戻れば調子も戻るだろう。
「じゃあ、早く出発しようよ。すでに攻略されている29階層より上層なら今日中に地上へ戻れるだろうしさ」
迷宮の階層の広さは上層に行くほど狭くなる傾向にある。とすれば、29階層より上層なら今日の夕方には地上へ出られるだろう。
「だから少し落ち着きなよ」
アジは心底呆れ気味だった。地上が近いと知り少し気持ちが空回りしているようだ。
「ごめん」
「いいさ。君の気持ちもわかるしね。まず、君達に厳守してほしい事がある」
「厳守してほしいこと? 何を守ればよいの?」
「この迷宮であったことを他言しない事。理由はわかるよね?」
キャロル殿下がアジと融合したせいだろう。確かに女神と対立していた悪竜と名高いアジと同化したと知れば、聖法教会辺りが五月蠅そうだ。流石に王国でも人気の高い王女を異端宣告する事はないだろうがイメージダウンになるのは間違いない。そんなのは絶対に嫌だ。
「わかった」
レンが頷く。キャロル殿下も頷くが顔が蒼白い。ちゃんと聞いているのかすら疑問が残る。
「二人の発言に齟齬があると信憑性がないんで話を合わせるよ。キャロルちゃんとレン君が儀式の間で魔法陣に吸い込まれる。そして、目が覚めたら31階にいた。そこは30階へと続く階段がある安全地帯だった。周囲の魔物も強く手に負えないのでそこで待っていたら数時間で救助隊が来て助けられた。こんな感じにする」
キャロル殿下とレンが儀式の間で魔法陣に吸い込まれたとするのは、アジが殿下の記憶を弄ったからだろう。多分、あの場にいた全ての者が同様に記憶を操作されている。相変わらず恐ろしい能力を持つ竜だ。だけどその他はすべて意味不明だ。
「ちょっと待ってよ。そもそも時間軸がおかしいよ。そんな荒唐無稽な話信じる人などいるの?」
「いるさ。絶対に信じる。この迷宮は女神が造った迷宮。神話上女神は愛と平和の力を有すると言われる。だけどもう一つの力があっただろう?」
「そうか。時の力!」
「そう。愛と平和の力なんてものはそもそも人間達の後付けでね。あのおばさんの真の強さは時を支配する力。僕も例外ではなく呆気なく負けてこんな陰気な場所に封じられたんだ。女神が時を支配することは殆どの神話に出て来るし、神学者なら誰でも知っている基本的事項の一つだろう。彼らは女神が造った迷宮の機能が一部誤作動したとでも結論付けると思うよ」
それなら一番いい。レンのような戦災孤児と一緒に数か月も過ごしたと周囲にばれればキャロル殿下に変な噂が立ちかねない。殿下はレンの憧れの人だ。レンが原因で中傷されるなど許容できるはずもない。
「了解だよ。僕もそれが最良だと思う」
「ふざけないでください!」
バンッと殿下がテーブルを叩いて立ち上がる。殿下の声は怒りで震え、その目尻からは涙が滲んでいる。突然の殿下の豹変に大口をポカーンと阿呆みたいに開けるレン。事態をのみ込めないレンに対しアジは極めて冷静に殿下を眺めていた。女性同士通じるものがあるのだろう。
「で、殿下……?」
「私達が一緒にすごした二ヵ月間を、あんなに楽しかった日々をなかった事にするのですよ? それでレンは本当にいいのですか?」
「でも、そうしないと殿下が!」
「言いたい人には言わせておけばいいのです。私は誰からも好かれる女の子になんてなりたくはありません。私が成りたいのは――」
パチンッとアジが指を鳴らすと殿下はスッと目を閉じ脱力する。慌てて殿下を支えるレン。二ヵ月間の短い付き合いに過ぎないがアジが殿下に危害を加えるような柱ではないとことだけは信じられる。
「ごめんよ。これ以上はキャロルちゃんが冷静なときにもっとロマンチックな場所で言うべき言葉だ。覚悟がない今のレン君に伝えてもきっと破綻するだけさ。それに少女漫画に命をかけるボクとしてはこんなムードもへったくれもない場所で言わせるわけにはいかないんだ!」
などと両拳で力説する幼女竜。相変わらずやる事為す事意味不明な竜だ。
「はあ~、今日の君はいつもにも増して訳がわからない。どういう事?」
憐憫の情をたっぷり含んだ視線を殿下に、次いでレンに向けるアジ。
「君がわからないから、いやわかろうとしないからキャロルちゃんに眠ってもらったのさ。それは君自身で見つけるべき答えだから。そうじゃないと、キャロルちゃんは幸せにはなれない」
アジは瞼を固く閉じてしまう。もう一切教えないというジェスチャーだろう。
「君が殿下を大切に思っているのはこの二ヵ月で嫌っていうほど理解している。
だから、殿下は君に任せる。お願いします」
「任されたぁ! キャロルちゃんの説得はしておくよ」
それから救助隊が来るまでアジと最後の団欒へと洒落込んだ。アジにレンの今の力については他言無用であり、極力他者に知られないようにしろと念押しされる。無論、殿下のためだ。言うはずもないし、知られるつもりもない。
次にアジから漆黒の宝石の付いたペンダントを渡される。この宝石はアジの作る特殊な空間との門の役目をする。その特殊な空間はレン専用の宝物庫となっており、宝石を額に触れるとその部屋へ入る事ができる。試してみたが、倉庫というよりレンがこの二ヵ月間住んでいた自室につながっていた。一番奥の部屋には今まで迷宮で集めた魔石、ドロップアイテム、万能薬。が置いてある。万能薬はこの迷宮探索で余った残りを全部もらった。
殿下の身体を操るアジと三時間ほど話し込むと救助隊が到着する。救助隊には近衛騎士団副団長のアハル様と父ルーカスの直属の部下――ディアナ・イーストン少佐がいた。
ディアナ少佐は中央軍を示す青色の軍服に燃えるような真っ赤な髪を後ろでお団子羽状にまとめた途轍もなく美しくそして強い女性だ。元軍属である母アニータを心底崇拝しているようで頻繁に家に遊びに来る。幼い頃からエーフィと共に遊んでもらいすっかりお姉さんのような立ち位置になってしまっている。両親が夜にリビングでディアナ少佐とレンとの婚約の件を神妙な顔で話会っていたときは頭を抱えた。
もっとも、その直後にエーフィと父ルーカスの部下との婚約の話をし、それがエーフィにばれて大きな雷が落ち全てが白紙に戻ったわけである。レンの両親の行動力はこのように恐ろしい程ある。ディアナ少佐がこの探索チームにいるのも父ルーカスに泣きつかれたからだろう。言い表せないほどの申し訳なさが込み上げて来て何度も御礼をいうレン。そんなレンにディアナ少佐は苦笑していた。
レンはアハル様とディアナ少佐に予め申し合わせておいた事項を話す。アジも寝ているキャロル殿下の身体を用いて説明を補強したので、二人ともあっさり信じてくれた。
迷宮を抜けたのは午後十七時すぎだった。夕日の光が金色の矢のように大気を貫き、学校の校舎をレンを照らしてくれる。それは幻想的で懐かしくって大きく息を吸い込む。草木の匂いがする。これほど世界が美しいと、愛しいと思ったのは生まれて初めての経験かもしれない。
学校の校長室でほぼ同じ話をして家に帰宅した。家にはすでに連絡が行っており、アニータ、ルーカス、そしてエーフィが待ち構えており、家の中に入り次第抱き付かれた。号泣する家族を見ていたら突然堰を切ったように切なさが込み上げて来て、レンも大声を上げて泣いた。まるで幼児の様に大きな声で泣いた。
こうして迷宮に捕らわれてから54日目、レンは地上へ無事帰還する。
お読みいただきありがとうございます。
一部はプロローグの延長線上にあるのであと一話で終了です。