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第12話 魔神アスタロト

 そこは床も壁も天井さえも、蒼白く発光した石壁により構成されただだっ広い部屋。どこか湿った空気がアポローンの嗅覚を刺激する。

 アポローンは即座に皆の無事を確認するため部屋内を眺め回す。アルス、エーフィ、リタという子供。これだけだ。

 あの魔法陣は転移の魔法陣だろう。転移の魔法自体は第9階梯魔法であり、上位の神族や龍族、幻獣族なら難解というほどのものでもない。どの道、第9階梯魔法など人間族に使えるはずもない。あの化物は人間以外の何かだ。

 部屋をざっと見渡すが扉はあるようだ。扉があるなら出口もある可能性が高い。あの黒ローブを着た男の目的は不明だが、一先ずは乗ってやるしかあるまい。

 部屋の中央に戻ると調べ終わったアルスも加わり、今後について話し合う。

 

「エーフィちゃん。彼奴は君の兄――レンではないんだな?」

 

「はい。あの人は兄様ではありません。それだけは断言できます!」


「それはボクも同意するよ。彼は今朝会ったが同一人物とはとても思えない」


 エーフィの言葉にアルスも同意する。


「信じてくれてありがとうございます!」


エーフィに喜びと感謝が漲った視線を向けられアルスが頬を染めている。

アルスの兄妹は全て姉と妹で構成されている。彼女達の我侭を散々聞かされてきた結果、アルスは女性のあしらい方は滅法美味い反面、女性に対し昔からやけに冷めた見方をする。アルスのこの初心な少年のような姿は転移された事よりもある意味驚愕の事実だ。

兎も角、先ほど人物がレンではない事についてはアポローンも同感だ。全身を虫が這うような凄まじい悪寒を今朝会った腑抜けに出せるとも思えない。

天神様も最近、不自然にピリピリしていた。陰謀系に巻き込まれたと考えるのが自然だ。

しかし、そう考えると不自然な点がいつくか上がる。あれ程精密に似せられるなら、あの黒色のローブを着る必然性はないし、あの刺青など不要だろう。考えれば考える程新たな疑問が湧き出してくる。


「彼奴か何者なのかは此処で考えても時間の無駄だよ。さっさとこの場所を出よう」


「わかっている。アルス、この場所が何処だか見当がつくか?」


「いや、一応調べてはみたんだけどね。見当すらつかないよ。見たところかなり昔のものだとは思うんだけどね」


「そうか。リタの嬢ちゃんも寝ちまったし、戦闘は俺がやる。アルスはリタをおぶるのとエーフィ達の警護を頼む」


「アポローンさん。リタちゃんはエーフィがおぶります」


「子供といえ、結構重いぞ。それに数時間、もしかしたら数日歩くかもしれない」


「構いません。リタちゃんを巻き込んだのはエーフィです。

足手纏いにはなりたくありません」


 その後も何度か説得を試みたが取り付く島もなく、アポローン達のデコボコパーティの地上を目指した探索が始まる。



現在、物陰で結界を張り、一息ついている。

 数時間が経過したがこの蒼色の石壁の迷宮探索は予想以上に難航した。

迷宮は別に殊更迷宮内が複雑であったわけではない。魔物が強すぎるのだ。アポローンとアルスが一対一でも苦戦しそうなクラスの魔物がウジャウジャ湧いて出て来る。その魔物の群れの中、エーフィとリタを守りながらの探索は想像を絶する厳しさだった。

 もっとも、アポローン達の誤算は肯定的な面でも存在した。即ち、エーフィが治癒の能力(アビリティ)を使えたのだ。そしてこの治癒の能力(アビリティ)。今までアポローン達が見たどの治癒よりも強力だった。魔物に喰いちぎられたアルスの左腕を数秒で再生するくらいだ。このような出鱈目、上級天族でも不可能だ。

このエーフィという少女が再び分からなくなる。この人間離れした容姿といい、この治癒能力といい、本当に人間なのだろうか。

エーフィに視線を向けるとアルスの傷を癒している最中だった。アルスのやや上気した顔を見れば親友の今の心境など容易に推し量れるというものだ。

 そういうアポローンもアルスの事などとても言えない。魔物の襲撃で怖がるリタを優しく抱き締める姿や、疲労困憊であろうに治癒をするそのひたむきな表情が網膜に映し出される度に、経験した事もない胸の高鳴りを覚える。エーフィの手がアポローンに触れるだけで、全身の血液が沸騰するような錯覚を覚える。

当初は観光ついでの遊びでしかなかったが、今やすっかり骨抜きにされてしまったようだ。情けない。情けないがそれも悪くない。この戦だけは親友にも負けてやるつもりはない。



 やっとの事、突き当りの大きな扉の前にまで到達する。

 扉の隙間からは紫色の毒々しい煙のような瘴気が染み出している。猛烈に嫌な予感しかしないが、ここまでは一本道だった。この場所から離脱するためにはこの部屋の中にはいるしかないのだ。

慎重に扉を開け中に入る。扉の中は出発点の部屋と同様、殺風景な蒼い石壁に囲まれた部屋。

紫色の禍々しい瘴気の発生源はその部屋の真中にいた。

メガネをかけた紫色の髪に、黒の縦縞の入った赤紫色のスーツ。細身で伸長はアポローンと同じくらい、顎に無精髭を生やしている。

その青年はアポローン達に物色するような無遠慮な視線を向けてくる。そして、その少し伸びた短い髪をボリボリと掻きながら、気の抜ける声をかけて来る。


「ほう。出所が不明の情報だ。都合が良すぎる情報故、罠かとも思ったが真実であったか。あの糞魔導士も敵が多いという事であろうなぁ。

だが吾輩の場合、運が良いと感じるときは大抵が逆なのも事実……」


 青年は顎に手を当てつつ、アポローン、アルス、リタなど目もくれず視線をエーフィに固定し、その全身を舐めまわすように観察する。その蛇のような纏わりつくような視線にエーフィは身を竦ませる。

 アルスがエーフィの前に立ちはだかり身をかがめる。

アルスは全身を小刻みに震わせ荒い息をしている。それもそのはずだ。

眼前の眼鏡の男から漂う死の匂いがたっぷりする瘴気は足元と天井の蒼色の石版の表面をチョコレートのようにドロドロに溶かしている。

何よりこの大瀑布のごとくアポローンの全身に天から降り注ぐ圧力(プレッシャー)。この叩き潰される程の圧倒的な圧力(プレッシャー)は、天界で数回経験がある。ロキ、タナトス、武御雷に稽古を付けてもらったときに彼らが知らず知らずのうちに醸し出す威圧だ。

 冗談ではない。ロキ、タナトス、武御雷と同レベルの威圧を出せる存在と等、真面にぶつかれば待つのは確実な死だけだ。

アポローンとアルスは天族。故に死んでも早ければ十数日で天界で蘇る。だがエーフィはただの人間だ。死ねばそれまで。それは……それだけは今のアポローンは許せない。

 隙を見て逃げるしかあるまい。アポローンが足止めをすれば多少の時間は稼げるかもしれない。だがどこに逃げる? ここは蒼色の石に囲まれた天然の監獄だ。おそらくこの先にしか出口はない。

 考えろ! 考えろ! 知恵を絞り出せ! 起死回生の策を思いつけ! そうしなければ大切な者が奪われる。初めてできたこの想いの対象が失われてしまう!

 

「お前、誰だ? 何の目的だ?」


 今のアポローンには目の前の男が何処の誰だろうと関係がない。その態度や独り言からもエーフィを攫おうとしているのは間違いないのだから。要はこの場を逃げ出す策を思いつくまでの時間稼ぎ。

このアポローンの行為は功を奏した。初めて男はエーフィからアポローンとアルスに視線を向ける。今まであった針でめった刺しにするような途轍もない威圧が解かれエーフィは膝をつき大きく息を吸い込む。リタも震えながら、エーフィにしがみつき顔を押し付けている。


「フム。貴様たちは天族。この状況で天神や女神とまでもめるわけにもいかぬ。

貴様等に手は出さぬから大人しくしておれ! じきに地上へ戻してやる」


 アスタロトの言葉の言い回しが若干、曖昧だが、エーフィは無事では済まない確率が高い。生き返るアポローンやアルスなど死んでも仮初だ。エーフィとリタの命こそがこの場で守るべきもの。

だが、良い事も聞いた。今のこの男は天神様と女神様とはドンパチ出来ない立場にあるらしい。この事態は時間を稼ぐにはもってこいだ。

エーフィから視線が逸れた今がチャンスだ。男の背には扉らしきものがある。アポローンが時間を稼ぐ間に、アルスがエーフィとリタを抱えて扉へ向かって走る。

目の前の男もエーフィに逃げられれば怒り狂ってアポローンを殺すかもしれないが、どの道生き返る。構いはしない。

 アルスに視線を向けると微かに頷く。流石は親友。どうやら考える事は同じのようだ。

男は何かを言いかけたが、アポローンは石床に渾身の右拳を叩き付ける。同時にアルスがエーフィとリタを抱えて疾駆するのを視界の片隅に捕える。

アポローンの右拳が蒼色の石床に衝突すると大穴を穿ち、石の破片と共にビリビリという衝撃波を撒き散らす。

 能力(アビリティ)《天の矢》を発動し、前方の男に有りっ丈の魔力を込めてぶつける。

この《天の矢》はアポローンの奥の手。火、水、風、土、雷、氷の属性を帯びた矢を空中に生み出し、光速で放つ。この能力(アビリティ)は威力も高いがタイムラグがほぼ零に近いのが最大のメリットだ。だからこそ、目くらましには最適なのだ。

 矢は次々に幾多もの閃光となって前方の男に衝突し、炸裂し、炎熱を撒き散らし、凍らせ、爆風を起し、雷撃を撒き散らす。耳を聾するような轟音が断続的に発生し、部屋内に反響する。例え矢自体が体表に刺さらなくても、全ての矢が命中すればそれなりの衝撃にはなる。内部臓器に少なくないダメージを与えた。少なくとも数分は動けないはずだ。

 しかし――。


「理解力のない餓鬼どもだ! 天族とは争うつもりはないと言っておろうが!」


気が付くと男の右拳が目の前にあった。反射的に後ろに跳びその威力を半減させようとする。しかし、その勢いは殺しきれずアポローンの腹部にモロにめり込む。身体が爆発したかのような衝撃とともに、身体をくの字に曲げて決河の勢いで吹き飛んだアポローンは後方の石床に叩き付けられる。

その衝撃で破壊された石壁の破片がシャワーの如きアポローンの頭に降り注ぐ。

咄嗟に息ができず、必死で肺に空気を入れる。直後身体がバラバラになるほどの痛みがアポローンの全身を襲った。

 アポローンの耳に轟音とエーフィの悲鳴が聞こえて来た。


「愚か者ニョ! アスタロト様から逃げられるはずもなかろうニョ!」


 視線をアルスとエーフィに向ける。

アルスが3メル程もある紳士風の男に首を握り持ち上げられていた。紳士風の男は鋼のような筋骨隆々の肉体に、鋭い爪と口からはみ出した牙、頭に二本の角を持つ。この威圧感からして最低でも上級魔族だ。

更に最悪な事はこの目の前の眼鏡の男は地獄界の支配者――魔神アスタロトらしい。装いから魔族とは予想はしていたが、まさか魔神の一柱とは思わなかった。

 1500年前、このエインズワースの西側大陸に大軍団を率いて侵略を開始した魔族の神。西側大陸の大半を侵略するも、龍族最強の黄金の龍神――バハムートと相打ちとなったとされている。

 この1500年前の闘い――第二次聖魔戦役は神話の時代を終らせた闘いとして有名だ。確かに天族、龍族、幻獣族は勝利を治めた。だが、両勢力の衝突によりこの人間界には大きな爪痕が刻まれた。

これは女神様と天神様に天族、龍族、幻獣族の無許可の人間界の関与を無期限で禁止する事を決断させたほどだ。どれほど凄まじいものであったかを想像するに容易い。

特にアスタロトに進行されていたこの西側大陸はほぼ壊滅状態だったと聞く。ある意味最も残虐で、恐ろしい魔神だ。今のアポローン等、赤子の手をひねるよりも簡単に屠られるだろう。


「サルガタナス。決して殺すな。あの魔導士(ばけもの)に加えて、女神・天神まで相手にするのでは少々分が悪い」


 サルガタナス……。アスタロト5大将一柱の最上級魔族。とすると、姿が見えないだけで他の4柱もいるのだろう。笑える。マジで笑えてくる。1500年前の神話時代の登場人物(キャスト)が勢揃いではないか。


「ご心配には及びませんニョ。手加減はしてますニョ」


「アポローンさん達に酷い事しないでください!」


 凛とした声が冷たい蒼い石部屋中に反響する。リタを抱いたエーフィが目尻に涙を浮かべながらも、決意の籠った眼差しでアスタロトを見ている。


「……それは貴様次第。吾輩としてもこの天族の餓鬼共と人間の小娘には用はない。貴様が黙って我らに従うなら、こやつ等には手は決して出さん」


 エーフィはほっと息をつき、リタの頭を撫で、アルスとアポローン笑みを浮かべる。

 エーフィが次に発する言葉が予想できてしまう。


(ざけんな! 惚れた女を犠牲にして助かりたくなんかねぇよ。

仮に助かっちまったら、天族としていや、男としてオレはもうおしまいだ!)


「わかりしました。エーフィは貴方達に大人しく従います」


 餌物を前にして舌なめずりをする獣のような薄笑いを浮かべるアスタロト。


「エ、エーフィ、よせぇ!」


 激昂し、立ち上がろうとするが背中を鳥顔の化物に踏みつけられ動けない。


「止めて!! それ以上、皆に酷い事するならエーフィは舌を噛んで死にます!」


 その意を決したような面持ち。彼女は本気だ。リタは兎も角、アポローン達とは今日会ったばかりの関係だ。そのほぼ赤の他人のために命を賭ける? どんだけ大馬鹿なんだ。この娘は!


「止めろ、ネビロス! その娘、本気だ! あの魔導士を葬るまでその娘を傷つけるわけにはいかんのだ」


 度を失ったみたいに声を上ずらせるアスタロス。魔神アスタロスの目の奥底には強烈な感情が揺らめいていた。それは魔神にはもっとも似つかわしくない感情。即ち、恐怖!

さっきからの会話でアスタロス達の目的はある魔導士を倒す事。そして、魔導士を倒すには無傷のエーフィが必要という事。

高確率で、エーフィを魔導士への人質にでも使おうというのだろう。狙う魔導士とは例の幼馴染の少年というところか。そして、その魔導士とは天族、龍族、幻獣族の内、神格を得ている者だ。なぜなら神格を得ている魔神のアスタロトに傷を負わせられるのは同じ神格を得ている者だけだからだ。これは世界の絶対の法則のはずだ。少なくともアポローンは天界でそう教えられた。

今のこの状況はアポローンには実に気に食わない状況であるが、これはこれで利用できる。

アスタロト達はエーフィに危害を加えられない。しかも、運よくこのラシストには天族最強の2大神の天神様と女神様がいる。さらに、転移魔法の転移範囲はさほど大きくはない。とすれば、天神様の広範囲索敵能力――《神域》の範囲内だ。

 次期にこの場所に駆けつける。御二柱が到着すれば形勢は完璧に引っくり返る。要は、時間を稼げばよい。

やるしかない――。


「お前ら、エーフィを攫ってどうするつもりだ? 仮にも誇りある悪の権化たる魔神が人間の女を人質にとる? 恥ずかしいとは思わねぇのか?」


 小馬鹿にするのは大の得意だ。嘲笑を含んで尋ねたのだ。憤怒に身を焦がすかと思っていたが、逆に魔族達は全員、苦虫を食い潰したような顔になる。


「天神、女神ともめるつもりはないと言ったろう? そのエーフィとかいう子娘を殺しても貴様らに恨まれるだけで吾輩にまったく利はない。事がすみ次第、五体満足で貴様等に返すさ」


 圧倒的に優位な立場のアスタロトがアポローンにあえて嘘をつく意味もない。本心だろう。これでアポローンにとって最悪の事態は回避できた。もっともあくまで最悪が回避されたに過ぎない。事と次第によってエーフィは幼馴染の死を目にするかもしれないのだから。

このアスタロト達の怯えた姿といい、魔導士とはそれほどの者ということ。そして、天族と揉めるつもりはないとう言葉から。魔導士は天族ではない。龍族か、幻獣族だろう。

 

「魔導士とは誰だ? 龍族か? ならだいたい想像はつくが……」


 神格の獲得者は比較的得やすい天族でさえも数えるほどしかいない。龍族、幻獣族などさらに少なく、その中で現在行方をくらませているのはたったの1柱だけだ。

 そう考えていたのだが――。


「ふん! バハムートであるとでも言いたいかニョ? 見縊るなよ、小僧! あの程度の存在に恐怖を抱く我等ではないニョ!」


 サルガタナスが額に太い青筋を張らせつつ、アポローンに射殺すような視線を向けてくる。この魔族達の怒るツボが不明だ。龍族最強クラスのバハムートなら、過剰な警戒をしても恥ずかしことなどないだろうに。


「……どうやら貴様等、真に何も知らぬようだな。天族ども1500年前の真実につき口を閉ざしたか……。天神、いや、女神の命……。まあ、どうでもよい事か。

帰ったら天神か女神にでも聞け」


「アスタロト様、情報通り、ヒサメ・サガラがこの階層に転移しました。後数分でこの部屋に来ると予想されます」


鳥頭の魔族――ネビロスの震えた声に、この部屋にいた全ての魔族の顔が凍りつく。

アスタロスさえも顔が蒼白になり唇がこわばっている。

ヒサメ・サガラ……。聞いた事がない名だが、アスタロトの言では天神様と女神様が知っているような口ぶりだった。無駄な事をするような方々ではない。アポローン達に黙っていた事はそれなりの意味があるのだろう。


「時間場所までピッタリだとは……何から何までお膳立ては完璧という訳か。気に入らん。実に気に入らんが、ここまで来たのだ。乗るしかあるまい。

 サルガタナス、準備は?」


「は! 魔道無効化術式をこの遺跡全体に発動しております。

さらに、クラスA以上のみの精鋭2千全てに能力制限無効化術式付の腕輪を装備させました。その者達に伝説級以上武具もフル装備させています」


「今こそ過去の禍根を完璧に断ち切る。アスタロト全軍に命じる。

ヒサメ・サガラを殺せ! 肉片、一片すらも残しておくな!

 貴様等の忠誠を吾輩に示せ!」


「「「「「「おう!!!」」」」」」


 何時の間にか、広大な部屋を埋め尽くしていた魔族達が天を向き咆哮をあげる。山の雷のような叫び声が互いに絡み合い反響しあって、部屋を崩れそうなほどに振動させる。

この覇気、アスタロト達に余裕などない。彼ら文字通り命を賭けて望んでいる。クラスAを2千の言葉が本当ならば天軍の大軍勢に匹敵する戦力だ。その戦力を持つアスタロトが怯える存在。女神様と天神様以外でそんな存在がいるのだろうか。そう思っていた……。



 しかし、時計の針が進むにつれ魔族達の怯える気持ちが心底理解できた。心臓を直接握り潰されるが如き途轍もない威圧を放つ存在が扉の向こうから近づいて来るのだ。

 魔族の誰かの咽喉が鳴る音がする。サルガタナスとネビロスがエーフィの首に剣をつき付ける。エーフィは魔族達に敵意がない事を認識しているせいか動揺は微塵も見られない。

 扉がゆっくりと開かれ中から複数の者達が姿を見せる。

 最初に現れたのは2メルを超える巨躯の女装したオッサンだ。次が白衣を着た美しい女性、白服にリーゼントの男。この3柱でさえも、アポローンには圧倒的に強いとしか判別はつかない。サルガタナスとネビロスが異様な警戒をしていることからも彼らと同等程度には強いのだろう。

現れた三柱とも魔族の大軍を前にして扉に向けて跪く。

しかし跪き無防備なのにも関わらず、誰も攻撃を仕掛けない。魔族達の顔には例外なく緊張と恐怖が浮かんでいる。魔族達が攻撃を仕掛けらない理由は3柱が跪く緊張と恐怖の対象にあった。

意識を失うほどの闘気と怒気を纏う怪物が部屋に姿を見せる。漆黒の陽炎のような靄が全身に纏わりつき、歩く度に石床にヒビが割れる。

その姿を視界に入れた百戦錬磨の魔族達が悲鳴上げて次々に膝をつく。

 闘気と怒気が自身に向けられていないためか、アポローンもここでやっとこの異常な風景を認識できた。

 小柄で華奢な体系、幼さの残る顔、学生服を着ている事からも外見上は今朝出会ったレンだ。この場にあのレンがいる事実は本来なら意外性のある事実なのだろう。

しかし、今のアポローンの頭にあるのは、一秒でも早くあの化物から遠ざかりたいという強い欲求のみ。

つまりだ。アポローンは勘違いしていたのだ。あの化物が腑抜け? あり得ない。あんな化物は見たことない。


「エーフィを返せ。今ならまだ許せる。今なら戻れる。これ以上オレを変わらせるな!」


 口調すら変わっている。何より、冥府からの怨嗟のような声色は、巨人にアポローンの魂を鷲掴みされたような心地さえする。

 それは魔族達も同じらしく、サルガタナスとネビロス等のアスタロト五大将さえも身体が小刻みに震えている。


「この娘を傷つけられたくなくばそこから一歩も動くな。

 言っておくが、この遺跡には魔法封じの特殊な結界が張ってある。貴様御得意の魔法もこの遺跡内では使えんぞ。

 無駄な抵抗はせずに吾輩に殺されろ!」


 静かに言葉を紡ぐアスタロト。

 レンの威圧が膨れ上がる。もう息をするのも辛い。

器用にも威圧はエーフィには向けられてはいないが、それでもエーフィはただの人間。アポローンやアルスでもこの体たらくだ。怖いはずだ。現にリタは威圧に当てられ気絶している。なのに――。


「兄様、逃げてください! この人達はエーフィには――」


 ドスッとエーフィの鳩尾に剣の柄の先がめり込み、糸が切れた人形のように床に倒れる。

 その様子をレンは茫然たる顔で見ていたが、すぐに悪鬼のような形相となる。


「そんなに見たいか? いいだろう。見せてやる! 味あわせてやる! 正真正銘の地獄ってやつを! 絶望ってやつを――!」


 レンは震える声で、右手をスッと上空に上げる。


「《万物開闢》――幻想(ファンタジー)世界(ワールド)!」


 パチンと右手の指をレンが鳴らすと同時に、レンから同心円状に白い球体が生じそれが光速で広がり世界を呑みこんでいく。



 お読みいただきありがとうございます。

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